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2004年08月19日(木) 11話 上田近辺の日帰り温泉 1/3 去年の夏、今年の夏と、菅平に行く機会があった。 去年行ったのは、東部湯の丸インター近くの「湯楽里館(ゆらりかん)」。 ここが、日帰り温泉に行き出した最初のお風呂である。(今、HPを見たら、温泉ではないみたい) 不確かだが、村おこしで国からもらったお金で作った施設と聞いた。 入館料500円だが、新しくて、広々として、明るくて、とても良いところだった。 (東京近郊で同じような設備だったら、1500円〜2000円は取られると思うのだが、タオルは料金に含まれていないから、もうちょっと安いかも) 一番気に入ったのが、来場客が殆ど近所の人で、観光客が0で、日に焼けた地元の人たちが、のんびり、大広間で、大きなタッパに入れたおにぎりと漬物を広げ、これまた持ってきたお茶で楽しそうに食べていた雰囲気であった。 私たちは、勿論おにぎりとかお漬物を持っているはずもなく、しょうがないので、セルフサービスで、冷奴やお蕎麦なぞを取ったが、どう見ても、周囲のおにぎりとかお漬物の方が美味しそうで、周囲の地元民羨ましかった。 (今まで色々日帰り温泉施設を巡ったが、大広間での飲食がセルフサービスというのはここだけで、大広間に従業員がいないから、食べ物・飲み物を持ち込むことができるのだろう。) お風呂も洗い場も大きかったし、小高いところの畑の中にポツンとある施設なので、露天風呂も見晴らしが良くて、気持ち良かった覚えがある。 また、この湯楽里館は、複合施設の中にあり、館を出て、外に行けば、地場の野菜や、地場の材料を使った加工品を売っている。 お風呂上りに、日陰のベンチでソフトだったかアイスだったかを食べたが、草の匂いがする空気と田舎の陽射しの中で食べるアイスは美味しかった。 中々良くできた施設だと思う。 (自動車で菅平から行ったのだが、道がわかりにくく、とても迷った) 「湯楽里館があるアグリビレッジとうみ」のページ ←ここをクリック |
2004年08月20日(金) 11話 上田近辺の日帰り温泉 2/3 去年、湯楽里館が良かったので、今年は、欲張って2か所の温泉に行ってしまった。 まずは、「田沢温泉の有乳湯(うちゆ)」 家で「あ〜極楽・温泉巡り」というホームページを調べて出かけたのだが、田沢温泉の有乳湯という日帰り温泉が5つ星で、しかも200円だった。 (この「あ〜極楽・温泉巡り」は県別・インター別に、日帰り温泉が分類されているので、とても良い。) 上田菅平インターから18kmだから、と思って、連れて行ってもらった。 上田から国道144号、143号をずっと真っ直ぐ行けばいいのだが、途中、143号から、山の方へ入る道に入るようだった。 入って少し行ったのだが、ずっと人家が少なくなるばかりで、「この先に本当に日帰り温泉があるのかしら?」と不安になってきた。 自動車を止めて、道を歩いている人に聞くと、「この道を真っ直ぐ行けば、もうすぐですよ。とっても良いお風呂だから」とのことであった。 その言葉を信じて、暫く進むと、小規模だが人家が群落になっている町風のところが現れた。 狭い上り坂の道の両側に、昔ながらの旅館が並び、一昔前の田舎の町が目の前に現れた。 それは本当に短い家並みだったが、とてもきれいで懐かしい風景であった。 まだ、こんなきれいな昔風の街並みが残っていたのかという感激があった。 (昔にタイムスリップしたみたいだった) 昔ながらの木造家屋が並び、看板と自動車は勿論、現代的な物が全く目に入らないというのは、こんなに落ち着いた雰囲気をかもし出すのかと思った。 川が近くにあるのか、水の音も聞こえる。 「田沢温泉」のページ ←ここをクリック 「有乳湯」(うちゆ)の場所は、すぐにわかった。 昔風の家並みの始まりの右側にあった。 有乳湯の入口に繋がるコンクリの上に、人が通っても、全然気にしないで、動かないで、寝続ける看板三毛猫が、ゴロンとしていたのも、のどかであった。 事前に調べた限りでは、200円で、お風呂は10人も入れば一杯というのはどういうお風呂かと思ったら、「日帰り温泉センター」ではなく、「共同浴場」であった。 自販機で、入場券とかタオルとか必要な券を買って、男女別れるところにある受付に提示し、タオルを受け取るようだった。 受付の冷蔵庫には、瓶の牛乳も冷えていたし、その他の飲料水も売っていたけれど、ビールはないみたいで、本当にここは「銭湯」なのだと納得した。 お風呂の設備は、脱衣場と内風呂が1つあるだけ。 休むところは、地下に(忘れてしまったが)椅子がある展示室がある他、玄関の横がデッキになっていて、4人用の白く塗られた木の椅子とテーブルのセットが2つあった。 女湯は、混んでいるという程でもないけれど、下調べした通り、湯船は、10人入れば満杯という感じだったし、洗い場は、5、6人分しかなく、全て塞がってた。 で、面倒だったので、掛け湯という、入るときと出るときに身体にかけるお湯があったので、それをかけて、温泉に浸かって出てきてしまった。 でも、温泉の質は、とても良くて、入っているとき、硫黄の匂いがしていたし、肌がスベスベするのがわかった。(その効果は、その後も続いた) いつも行く日帰り温泉センターは、正直言って、「温泉」という言葉が名称に入っていても、余り「温泉の効能」を期待していないし、実際、何か効能があったと実感したことが少ないのだが、ここのお湯は、肌がスベスベして、本当に気持ちが良かったし、「温泉に入ったな〜」という満足感が得られる湯質であった。 入場料が200円だったので、タオルは当然ないと思って、持って入ったのだが、実は、石鹸も、風呂場に備え付けられていないとのこと。(自販機に、「石鹸」の項目があったことを見落としていた) そういう点、本当に、「銭湯」・「共同浴場」で、たらいに石鹸とシャンプー入れて、その上に着替えを挟んだタオルを被せて、サンダルで行くのが、ピッタリの施設であった。 利用者は、近隣の地元民と、田沢温泉に泊まりに来ている人たちかと思う。 田沢温泉自体、街並みに本当にムードがあるし、この有乳湯に入りに行くのではなく、その近所にある昔ながらの木造家屋の旅館に泊まりたいと思った。 バス停で時刻表を見たら、上田までのバスが一日6本、土日は2本だったと記憶している。 そのぐらいの交通事情の場所であるから、レトロでのどかで静か、とても落ち着く温泉街であった。 風情と湯質が良いからお勧め、時間があったら一泊、なかったら、有乳湯で一風呂浴びる価値はあると思う。(温泉の旅館は全く入ってもいないから、勧めるのは、無責任だが) |
2004年08月21日(土) 13話 上田近辺の日帰り温泉 3/3 田沢温泉に行った日に泊まったペンションのおじさんに、「どこか良い温泉ある?」と聞いたら、色々教えてくれた。 一番のお勧めは、「小布施の温泉」。 ペンションの常連さんで、菅平に来ると、毎日入りに行く人がいるくらい、良い温泉だし、小布施の街自体が、昔から観光に力を入れていて、垢抜けていて、「スニーカーが似合う街」というキャッチフレーズでわかるように、散策しながら見るものが沢山あるそうなのだ。 菅平から山を下って須坂を抜けると、そこが小布施で、菅平からそんなに遠くないそうだ。 「小布施温泉」のページ ←ここをクリック 他には、前日行った田沢温泉の近所の「ささらの湯」 「ささらの湯」のページ ←ここをクリック ここは、田沢温泉に向う道の途中を曲がったところにあるのだが、最近できた施設で、湯質は、田沢温泉と似ていて、しかも設備が充実しているそうだ。 同じ湯質なら、風情を取るか、設備の充実を選ぶか、難しいところである。 菅平から上田に行くと、上田には、上田城跡のある公園があり、そこも素敵だし、城跡近くの街の中を流れる川の両側の家並みが垢抜けていた。 しかも千曲川がとてもきれいだったから、上田散策と、田沢温泉か、ささらの湯を組み合わせるのも、楽しいと思う。 (千曲川というのは、昔から歌に歌われてきたが、こんなにきれいな風情のある川だと知らなかった。) 他、菅平から長野方面に山を下ると、そこが須坂なのだが、須坂にも、最近、日帰り温泉センターができて、中々充実しているとのこと。 以前は、菅平から長野に抜ける道が、わかりにくくて時間がかかって、地元民以外は行かなかったが、今は、新しい道ができて、20分もかからないで、誰でも簡単に、長野方面に出られるようになったそうだ。 須坂の日帰り温泉センターの名前は「湯っ蔵んど」。 強いて言えば、去年行った東部湯の丸の「湯楽里館」に似ている大型日帰り温泉センターとのことであった。 色々な都合で、一番近い須坂の「湯っ蔵んど」に行ってみた。 「湯っ蔵んど」のページ ←ここをクリック 入館料650円なのだが、本当に大きな建物で、新しくて広々としていて気持ちが良かった。 一階は、土産物売り場やレストランがあり、風呂場や大広間は皆2階にあった。 風呂場に入ると、脱衣所も風呂場も洗い場も全て広かった。 イベント湯は、多分、日替わり・週替わりのお風呂なのだろうが、その日は、よもぎ湯であった、その他に「寝湯」とか、「電気風呂」、泡がぶくぶく立っている大きなお風呂とか、色々な種類があったし、外に出ると、露天風呂の湯船が4つあって、さながら、「温泉の遊園地」の観があった。 当然ながら、色々渡り歩いてしまった。(笑) 面白かったのは、電気湯で、お風呂に浸かると、細かく皮膚にパチパチ電気が当たる。 一人しか入れない規模の、電気量が弱と強のお風呂であったが、強は、痛いくらいの電気の量で、入って入られなかった。 洗い場も広々しているし、楽しい施設である。 帰る時に、すれ違いざまに、名古屋ナンバーの大型観光バスが到着し、沢山の人が、湯っ蔵んどに、吸い込まれて行った。 バス一台分の人間が入っても、それ程混まないであろう規模の日帰り温泉センターであった。(というか、大型観光バスで団体客が遊びに来ることを前提として、設計されているのだろう) ここは、昨日の田沢温泉と正反対の性格で、「遊園地的楽しさのある日帰り温泉センター」だと思う。 このように、上田方面まで来ると、安くて広々とした日帰り温泉センターや風情のある昔ながらの共同浴場のような施設が沢山あるようだ。 菅平への道の途中、ペンションのおじさんの口からは出なかった施設の看板が沢山あった。 (現在は、日帰り温泉ブームというか、日帰り温泉施設が至るところに作られたようだ。) また、上田・須坂・小布施とも、全て歴史と文化があり、ゆっくり観光したら、それなりに楽しめる地域のようだ。 もっと上田方面が東京から近かったら、もっと頻繁に来れるのに、遠いから、残念。 来年もまた、菅平に行けて、色々な温泉に入れますように。 |
2004年08月25日(水) 15話 ツルヤというスーパー(佐久〜長野) 菅平に行く前に、MLの人から「軽井沢のツルヤというスーパーがお勧め」というメールをいただき、HPを教えてくれた。 ツルヤのホームページを見たら、佐久から長野市までに店舗があり、上田にも3つくらいあるので、菅平に行ったら、是非行ってみようと、住所や地図を準備して、菅平に出かけた。 泊まったペンションの食事担当の奥さんに聞いたら、「ツルヤのことはベタ褒め」であった。 何でも、全国的にお店を出しているスーパーチェーンの野菜は良くない、JAは地元の物は新鮮で安くて良いけれど、結構、全国色々なところのものを高く売っている。 その点、ツルヤは、良い物の種類の幅が広くて、契約農家で作らせていて、「新鮮で、良い物をそれ程高くなく」売っていると、大推薦だった。 また、ツルヤのオリジナルの加工品も良いそうだ。 料理はしないで、食べる係のご主人は、「ツルヤは品質が良いけれど、高いから、悪いけれど、お客さんにはツルヤのものは出さない。家族の分だけ買って来るんだ」と教えてくれた。(笑) 後、軽井沢のツルヤは別荘族がいるから、その分、他のツルヤより色々な物が置いてあるとのこと。 で、須坂のツルヤに行ってみたが、格好いい店であった。 広くて明るくて、「ツルヤは紀伊国屋みたい」との評判があったが、一階が駐車場で、二階が売り場である点も似ていた。 地方に、こんな気の利いた高級スーパーがあるのかと、変な感激がある。 東京の人が行っても、品揃えに満足が行くし、しかも、野菜が、地の利を最大限生かして新鮮となれば、言うことはない。 (長野のスーパーであることを感じさせるのは、イナゴの佃煮が良い場所で売られていることかな?) 東京の高級スーパーの野菜がやたらに新鮮な感じと思えば間違いない。 佐久から長野の間方面に行ったら、絶対のお勧めです。 「ツルヤ」のページ ←ここをクリック |
2004年08月26日(木) 16話 御徒町吉池地下のインゲン 1/2 DMで、MLの人から、「御徒町吉池の地下の野菜が良い」と教えてもらった。 何でも、新潟の有機栽培や無農薬の野菜が、他より安いとのこと。 私も吉池はたまに行くのだが、本館地下の野菜が良いということは知らなかった。 何故だかと考えたのだが、最近、定期を持っていないから、吉池には、自転車で御徒町南口(秋葉原寄り)の方から行くのだ。 そちらから行くと、自転車を置く場所が、魚の新館の裏の方の口で、そこで野菜も売っているから、本館の地下まで滅多に行かなくなったことに気づいた。 (と言っても、私は、吉池は良く見るけれど、魚の新館の野菜売り場のレジが一つしかなく、いつも混んでいるので、たまにしか買わない) 吉池本館の地下の野菜売り場に、改めて見に行ったときは、菅平から帰った数日後の夕方で、菅平の新鮮な野菜の印象が脳裏に残っていたのか、そんなに感激しなかったが、色々な野菜に、どこから仕入れたかが細かく表示されていることがわかったし、値段もそんなに高くないなと思った。 二回目は、11時頃に、御徒町で一時間くらい時間を潰さなくてはならなくなり、再度、吉池の地下に行ってみたのだ。 その時、ちょうど、新潟の野菜が段ボールで届いたばかりで、係のおじさんとおばさんが段ボールの中から、品物を出して、値段を貼っているところだった。 その殆どが露地物であった。 おばさんは、値段を貼りながら、「太陽を浴びたトマト、美味しいよ〜」と、セールスしていて、それを聞いたお客さんが結構買っていた。 その時、ちょうど、山梨風素麺に入れるインゲンが切れているのを思い出し、インゲンは?と聞くと、他の段ボールに入っているよ、でも、すぐには出ないとのことだった。 30分くらいして戻ると、果たして、インゲンが並んでいた。 インゲンの入荷は少なく、5袋しかないようであった。 で、それを買って、その晩、半分茹でて、料理に使ったのだが、インゲンにインゲンの味がして(当たり前なようで余りないこと)本当に美味しかった。 袋の中に、生産者の情報が書いてある紙が入っていたのだが、そこには、「越後松之山みどりの会」というところの「すべて露地栽培、味と香り、安全に自信あり」という野菜であることが記されていた。 この美味しいインゲンの味は、太陽をちゃんと浴びて育てられた味なのかも知れない。 「御徒町吉池」の地下のページ ←ここをクリック |
2004年09月02日(木) 20話 人夢(ひとむ)キュイジーヌ in 用賀 MLに参加している方が、用賀で料理教室を開いているとのことで、7月に行ってみた。 そこは、用賀南口から歩いて3分の住宅地に、2階と地下に2つもキッチンと食堂がある家であった。 料理教室を開いていないときは、雑誌などの料理のページの撮影用に使っているとのことで、本当にきれいなキッチンで、設備も最新鋭で立派であった。 最近、著名な料理研究家が自宅のキッチンを改造して、雑誌で紹介する記事をいくつか見た覚えがあるが、素敵なキッチンを持ったら、やはり、皆に見て欲しくなるだろうな〜と思った。 (でも、反面、実際に「きれいで素敵で広いキッチン」を持ったら、掃除が大変だし、どこに何が入っているか、覚えるのも大変だろうなと頭に浮かんだのだから、私にはこのような大きくて素敵なキッチンは無理かも。私の理想は、私がプライベートで使う小さな機能的なキッチンと、友人や親戚が来たとき、皆で料理できる大きな、来客用のキッチン、両方ともがある家。) 人夢キュイジーヌさんのキッチンがどのくらい素敵かは、下記HPを見ればわかる。 人夢キュイジーヌのHP←ここをクリック 水上均さんとその奥様二人で、運営されていて、二人とも穏やかで優しい方で、「お料理の楽しさを伝えたい」とのことである。 料理の内容や教室の感じは、「料理倶楽部」を見ていただければわかるだろうが、「ヘルシーで見た目もきれいな料理や、穀物・野菜なぞを現代的にアレンジした料理を和気藹々楽しみながら作る」という感じだと思う。 用賀に交通の便の良い方で、「お料理習ってみたいわ」「お料理を好きになりたい」という方にお勧めです。 一ヶ月に数回教室を開くようなので、試しに一度参加されると良いと思う。 他に、クッキングイベントというのか、多人数で、料理を作ってワイワイ楽しみたい方たちに、場所を提供したり、材料の調達を請け負うこともしているとのこと。 皆で、料理しながら、遊びたい会場にも向いている。 |
2004年09月03日(金) 21話 死ぬまでにしたい10のこと MLで知り合った女性が、「新聞勧誘員からもらった映画の切符が余っているのでどうぞ」と言ってくださった。 場所は浅草公会堂で、映画の題名は「死ぬまでにした10のこと」、喜んでいただき、地元の友人と見に行った。 既に一般公開は終った映画らしかった。 筋は、17才で結婚し、二人の女の子のお母さんである23才の女性が、突然「発見が遅かったので、手の施しようがなく、余命2か月」と宣告されるのだ。 彼女は、周囲を悲しませるのが嫌やで、そのことを誰にも告げないで(家族にとっては)突然死ぬことを選択する。 そして、死ぬまでにしたいことをリストにし、一人で実行し始める。 そのリストは、自分のためのことが多いけれど、実際の行動は、残された家族が淋しくないように、幸せなようにという配慮が多かった。 (「自分のためにしたいこと」というのは、「他の男性と恋をする」なんていうこともあるのだが、彼女が、17才で身ごもったことで結婚をし、それはそれなりに幸せに平穏無事に生きてきたのだけれど、今までの人生は、自分の意志や考えで選び取った人生ではなく、流されて生きた人生なのだ。 決して「今が不幸」だからそういうことをしたいわけではなく、「今が幸せだから」こそ、自分が家族に対してやるべきことをやっているからこそ、最後に自分の意志で選び取ることをしたかったのだと想像すれば、理解できる。) 家族についての「したいこと」には、例えば、残された子供たちの新しいお母さんを探す、ということも含まれている。 映画に出てくる主人公や夫、恋人、子供たち、新しいお母さん候補の女性、皆魅力的で良い人ばかりだし、淡々と、さっぱりした雰囲気でドラマが描かれるが、最後に家族や恋人へのメッセージが流され、やはり泣いてしまった。 この映画を見終わって、すぐに思ったのは、仏教の「人間は自分で生きているのではなくて、ご先祖様によって生かされている」ということがわかった気がしたこと。 仏教の本当の意味は、もしかしたら、違うかも知れない。 この映画の残された家族のこれからの生活は、死の宣告から死ぬまでの間に主人公が考えて努力したとおりになるのだ、残された家族は、彼女の死を悲しみ、突然のことに打ちのめされながらも、段々立ち直って、彼女の思い描いた明るく幸せな生活をしていくことだろう。 家族や愛する人たちより早く死ななくてはならない人が死ぬまでに一番したいことは、自分の死後、自分なしで生きて行かなければならない家族や愛する人たちが「自分がいなくとも幸せであるように、不自由がないように暮せる将来の条件」を一生懸命考えて、それを実現すべく自分にできる範囲で一生懸命実行することなのだと思った。 また、それが上手に描かれていた。 この映画を見て、舞台はカナダでキリスト教の国の話なのだが、お盆のときに、お坊さんが「人間は、自分で生きているのではなくて、ご先祖様によって生かされている」とお説教なさった言葉の意味がわかったような気がした。 この映画の主人公は、はっきりと自分の余命を意識できたから、家族や愛する人の将来を考えて努力できたわけで、大抵の人は、自分の余命なぞわからないし、事故で突然死ぬこともある、呆けたまま死ぬこともある。 そういう大抵の人が、万が一、この映画の主人公のように、正気のときに余命を宣言されたら、やはり、彼女のように、残された家族や愛する人たちが幸せに無事一生を送れることを願ってできるだけ行動するだろうと思った。 余命を宣告されなくても、人間が死を予感したときも、同じように行動するものかも知れない。 子供を残す親は特にそうだろう。(子供が小さかろうが、大きかろうが) 我が家も、そういう親が何代も続いて、私がいるのだと思えた。 その親の気持ちが尊いのであり、ご先祖様に感謝しなくてはと思った。 < 「死ぬまでにしたい10のこと」のHP←ここをクリック |