表紙へ戻る

「美味しい!」が好き 特別編 第七回

最新28話です。ここをクリックしてね。
 1  2  3  4  5  6  7
 8  9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

トップに戻る

★★★  過 去 の 特 別 編分 ★★★
フレーム版   第一回分   第二回分   第三回分   第四回分
          第五回分   第六回分

ノンフレーム版 第一回分   第二回分   第三回分   第四回分
          第五回分   第六回分



2004年11月05日(金)

1話 母の一周忌


昨日、「母が冷たいブロッコリーを冬に食べていたかも知れない」と書いたが、良く考えたら、電子レンジで温めて食べていたことを思い出した。
昨日の文章を母が読んだら、「馬鹿にしないで、私だって、電子レンジくらい持っていて、使えるわよ」と言いそうな気がする。(笑)

さて、10月中旬に親戚家族で、母の一周忌の法要とお清めを行い、本当の命日は日曜日だったので、一人で、お墓参りに行ってきた。

お墓に着いたら、何を拝むだろうと思ったが、自然と心に浮かんだのは、「この一年、親戚や友人が助けてくれて、支えられて、無事暮らすことができました。有難く思います。これからの一年も、私がそういう関係を持てる人間でありますように」と言うことだった。

父が死んだときは、まだ、母が残っていた。
母が死んだら、私は親というものを完全に失った。
以前、父が死んだときに、お坊さんが「片親死んで半人前、二親死んで一人前」と教えてくれた。

自分を我がことのように庇ってくれる親が一人死んで、相談相手を失った状態で、社会的責任ある大人として、世間に対峙していかなくなり、半人前になる。
二親死ぬと、生まれたときから空気のように当たり前に存在していた親の愛情が0になり、親が自分の人生をカバーしていてくれたことに気付いて、そして、親がしていてくれたことを全て自分でしなくてはならなくなり、それで一人前になるという意味だと思う。

私は、確かに、父が死んだとき、「母を支えなくては、家をどうにかしなくては」と思えて、半人前になった。

そして、母が死んで一人前にならなくてはいけないこの一年に学んだことは、「人と繋がって、人に感謝して生きていくこと」だったと思う。
それは、そう学ぼうとして学んだことではなく、親戚や友人の自然な態度に、それを学んだ。
私の親戚は、父方も母方も皆仲が良く、良い人ばかりで、この一年、何かにつけて、電話をくれたり、食事をご馳走してくれたり、泊りにおいでと誘ってくれたり、季節の野菜や果物を送ってくれた。
皆が心配してくれた。

おじさんフレンドも、母が死んだときに、「この子の精神がおかしくなったら、どうしよう」と本気で心配してくれていたし、その後、日帰り温泉に沢山連れて行ってくれたが、それが良い気晴らしになったし、多くの友人が色々気を遣ってくれた。

だから、この一年で学んだ「一人前になること」は、私の場合、「親身になってくれる人たちと繋がって、支えあって、暮らすこと」であった。
それは、生まれて初めての経験であった。

どうか、次の一年も、私がそういう関係を心から感謝して、気持ち良い人間関係を保てる人間でありますように。
また、お返しが自然とできる人間になりますように。



トップに戻る


2004年11月06日(土)

2話 力強い味方−ケルヒャーのスチームクリーナー 1/2


11月にはお店を再開したいと思っていた10月のある日、近所の酒屋さん仲間が、お店を見に来てくれた。

賞味期限切れの商品が全てなくなり、棚を掃除したリーチイン(コンビニにある壁にはめ込まれた、飲み物が並んでいる冷蔵庫)を見て「きれいになったな〜」とは言ってくれたものの、まだまだ荒れている店内を見て、「おたく、スチームの出るクリーナーないの?あれがあると、あっという間に、皆、本当にきれいになるんだぜ、ケルヒャーの物がいいみたいだよ」と教えてくれた。
で、その人も持っていないとのこと。

そんな話を聞いた後、多慶屋に行ったら、エレベータの壁に「ケルヒャーのスチームクリーナー実演即売会のお知らせ」があったのだ。

お店を再開させるための掃除にも欲しかったが、開店後、雨が降った日に、床が汚くなるのを、掃除することが憂鬱だった。
スチームで掃除できれば、苦労しなくても、濡れた靴の後で汚れた店の床を簡単に掃除できるのではと思ったのだ。
値段も19,800円だから、酒屋の備品としてなら、高い値段ではない。
よし、床掃除が簡単にできるのなら、買おうと思った。

早速、実演即売会に行って、実際に使うところを見て、色々質問した。

クリーナーというけれど、ゴミを吸い取る機能は全然なくて、スチームを当てて、汚れを落とすそうなのだ。

掃除機のような機械に、伸縮性のあるホースが付き、その先に歯医者さんの患部にシュッとかける道具のような細い蒸気の出口をカチッカチっとはめて行く。
ハンドルを押すと、その先から、シュ〜っと145度の蒸気が出てくるから、汚れている箇所に吹きかけると、ミルミル汚れが浮き上がってくる。
それをぼろ布などで、湿った箇所を拭きあげるのが基本で、その他、色々アタッチメントをつけると、色々なところが掃除できるとのこと。

特に得意なのが、油汚れで、台所なぞ、ピカピカになると、実際に、ガス台の汚れた物が用意されていて、実演してくれた。

何でも、「プロの掃除屋さん」という人たちは、ケルヒャーの業務用の力が強くて、長い時間使えるものを持っているそうである。
掃除のプロかアマチュアかの大きな違いは、このスチームクリーナーの有無なのだそうだ。

また、近所のたまに掃除のアルバイトをしている人に相談したら、「プロに掃除を頼むより、ケルヒャーを買った方が断然安く上がる」と教えてくれた。

私は、床掃除のアタッチメントを初め、色々なアタッチメントのついている1500wの物を買った。

家に帰って、説明書を読むと「圧力鍋の原理と同じ」と書いてあるので、落ち着いて、ちゃんとパンフレットで手順を覚えてからでないと怖いなと思ったので、まとまった時間ができるまで、心の準備ができるまで、二三日放っておいて、触りもしなかった。

買ったのが、土曜日で、家に帰って説明書を読んで、頭に浮かんだ質問を、日曜日も多慶屋に実演販売員がいたので、聞きに行った。
そして、平日の9時から5時までなら、フリーダイヤルで質問できるとのことだったので、月曜日に使い始めた。



トップに戻る


2004年11月08日(月)

3話 スペアリブを焼く


ケルヒャーの続きは、また、時間があるときに書きます。
今日は、ぱっと頭に浮かぶスペアリブについて。

私がスペアリブをうまく料理できるようになったのは、奄美大島出身の友人に、焼酎と砂糖とお味噌で煮込む料理を習ったのがきっかけだったせいか、そればかり作って、焼いたことがなかった。

しかし、1,2年前、有元葉子さんの本で、骨付きラムを焼いて、葱を混ぜた味噌を塗って更に焼くという料理を発見。
これを作りたかったのだが、一緒に食べる人がラムを好きではないかも知れないし、ラムを見る目が自分にあるとは思えないこともあって、スペアリブで、作ってみることにした。

結果、「ただ、塩・胡椒しただけで、焼いたスペアリブは、柔かくて美味しい」ということがわかった。

良くスペアリブを焼くというと、蜂蜜とか色々なものを混ぜた液に漬け込んで焼くとあるが、そこまでしなくても、ただ塩胡椒でこんがり焼いて、にんにく醤油やマスタードで食べても十分美味しいのだ。
(スペアリブの焼いたものは、骨を持ってかじりつくので、ご飯のおかずではなく、酒の肴とか、パーティ料理になると思う。)

焼き方は、初め、フライパンで全体をこんがり焼いてから、オーブントースターに入れて火を通した。
こうすると、中までじわっと熱が通ってくれる。
何分くらいだろう、中まで火が通ったかなと思えて、表面に焼け焦げが少ないときは、またまた、オーブントースターの扉を開けっ放しにする=ヒーターが常についている状態で、焼く。

でも、こんなことするより、ガス台に、魚焼きロースターがついていたら、それで焼けば、中まで火が通ってしかも焦げ目も良い具合につくと思う。

全部で、15分くらい火を通したと思う。

オーブントースターで二度目に焼いたとき、肉が悪いのか、だいぶ焼けていたのだが、骨から血が出ている状態だった。
肉は焼けても、骨の中までは焼けていないのかも知れない。
血が出ているものを食卓に出すのも気が引けたので、また、フライパンに戻して、強火で、骨の断面を焼いたら、骨の断面が黒くなり、血が出なくなった。

私は、安い国産のスペアリブでよさそうなものを見つけたとき、買っておいて、冷凍してある。
我が家の近所のスペアリブでは、浅草松屋の日山の物が大きさも揃っていて一番良い感じがする。
成城石井のスペアリブは、質は良いのだが、パックによって、大きさがマチマチで、同じ大きさで揃えようとすると揃わないのが、難点。

先日、小石川のサントクで、100g90円の特売のスペアリブを買って来たが、味は良いのだが、安い分、血管をちゃんと取っていないのか、所々に血管が浮いていて、それを取るところから料理を始めなくてはいけなかった。

でも、スペアリブは値段ではないと思う。
同じ値段でも、お店によって、相当質が違うので、ちゃんとした店で、安いときに、見る目を持って、選んで買ってください。



トップに戻る


2004年11月10日(水)

4話 力強い味方−ケルヒャーのスチームクリーナー 2/2


スチームクリーナーの威力は、すごくて、どこもかしこもピカピカスベスベになる。
使っていて、「店中を煮沸消毒している」みたいな気分になった。

実際に使ってみて、傷の中にもぐりこんだ汚れまでは落とせないことはわかったが、それにしてもすごい。
スチームクリーナーを当てても、落ちない汚れは、改めて洗剤を使って落とす。
それをふき取った後、再度、スチームクリーナーをあてて、拭けば、水拭きでは取れない残った洗剤も取れて、ピカピカ。

実際に掃除していると、「酒屋ではなくて、掃除屋さんを始めた方が良いかも」と思ってしまう程の仕上がりなのだ。

それにしても、熱い蒸気の威力(清掃力・殺菌力)はすごいな〜と思うのと同時に、人間だって、しょっちゅう、お風呂入っている人はきれいでピカピカしているし、食器洗い機だって、最後、高温で食器を乾かすから、ピカピカだということを思い出した。

そうだ、シャープが最近発売開始したヘルシオだって、加熱蒸気で焼くからヘルシー(=脂肪が落ちる)と言っている。
そうなのだ、高温蒸気には、表面の汚れや脂肪分を取る力があるのだろう。

また、この掃除機を使って思い出したのが、学生時代に聞いた話。
友人で、ドイツの家庭にホームステイした経験のある人が言っていたけれど、ドイツでは、台所を使った後、必ず、流しに熱い熱湯をかけて、乾いた布で拭き上げるのだそうだ。
ケルヒャー持っていない場合は、このやり方が使えると思った。

実際使っていて、安全性は相当に考えられているとは思うのだが、ずっとスチームを出していると、ハンドルを握っている手が熱くなり、一度軽い火ぶくれができた。(すぐ治ったけれど)
また、最初、スチームが出るとき、お湯が出たり、長く使っていると、スチームと一緒に、ポタポタと熱湯が落ちることもある。
でも、スチームは細いノズルの先から出るし、握っているハンドルからノズルまで距離があるので、危険という感じもしないで、使っている。
実際に使っていて、吹き出る蒸気が熱いと感じるので、誤って、自分の身体にかけたりは絶対しない。(その点、安全)

購入するとなったら、やはり、実演を見たりして、自分の暮らしている環境に導入可能か、ちゃんと考えてからにした方が良い商品だと思う。
今、私は、私しか人がいない環境で使っているから、結構、気楽に使っている。

また、どの大きさのどの程度の力のものを買うかも難しいかも知れない。
私のは、掃除機くらいの大きさがあり、1.6リットルのお水を入れると、40分スチームが出るタイプ。
実際、現在、一年以上掃除していなかったお店の掃除には向いているが、少しの汚れのために、ちょっと出してと使おうという気は起きない。
あくまでも、「床掃除・大掃除」用という感じがしている。
チョコチョコ掃除したい人には、小型が良いかも。

また、これだと、お水を入れて使い出すまで15分かかるし、終了時に、タンクの蓋を開けることができるようになるまでまた15分かかる。
だから、今のような大掃除では、使い始めて、スチームが出なくなると、30分程度、使えなくなる。

なんていう欠点も思い浮かぶのだが、「ケルヒャー買って大正解」だと満足している。
2,3週間前まで、ケルヒャーのケの字も知らなかったが、今となっては、その頃、「お店を掃除して開店しよう」と思っていた自分が、とてつもなく、何も知らない馬鹿だと思ってしまう。

その頃は、ケルヒャーなしに掃除できると本気で思っていたのだ。
世間知らずだったなと思う。



トップに戻る


2004年11月12日(金)

5話  利き酒会初参加


私が住んでいる地域の酒屋の組合では、年に一回(だと思うが)、浅草寺横の伝法院で、「利き酒会」の催し物を行っている。

伝法院というのは、浅草寺の西隣のお寺で、池のある素敵な庭園があるのだが、普段は、非公開で、このお庭は中々見ることができない。
この庭を見ることができるのも価値があるので、今年は、私が行ってみることにした。

父が生きていた頃は父が行き、最後の方には、「優秀賞」みたいなものをもらうようになっていたと覚えている。
母は、お酒を飲めない人だったし、お店があるので、参加券を近所の酒屋さんに渡して、お土産だけもらっていた。

で、今年は、私が参加して、利き酒をしてみることになったのだが、とにかく「難しかった」である。


受付で、解答用紙と、プラスチックのコップが渡される。
どうやって、試飲するかわからなかったのだが、どうも、自分用の試飲コップに少しずつ分けて飲めばいいみたいだ。
(でも、中には、問題のお酒のコップに口を当てて飲んでいる人もいるように見えた。
実際自分でやってみると、お酒を当てるために、匂いも重要な手がかりだから、鼻を大きな器の中に突っ込んでいるのが、そう見えたのかも知れないとわかった。)

問題は、5つ。

1.3つのお酒を飲み比べて、上等な順に番号をつける。

2.普通酒、本醸造酒、純米酒、吟醸酒を飲み比べて、当てる。

3.銘柄当てクイズ
  これは、左側に5本お酒が置いてあり、右側に番号のふられたお酒のが4つ
  置いてある。

4.ワイン当てクイズ   4種類のワインのぶどうの種類を当てるもの

5.焼酎の原料当てクイズ

私、酒屋継ぐこと、決意したけれど、恥ずかしい程、できなかった。(笑)
きっと、浅草の酒屋の中で、最下位だろう。

形式としては、左のテーブルに、飲み比べのお酒が置かれ、自由に味見できる。
右のテーブルには、その銘柄や種類を隠したお酒が、順序を変えて、並べられている。

詳しい人は、見本のお酒を飲まなくても、テストのお酒の銘柄等を当てることができるのだろうが、私は、お酒は飲むけれど、料理ほど興味がないし、舌が鈍感なので、それができない。
(私は、「お酒」をお酒として味わうのではなくて、料理に合わせて飲んでいることしかしていないのだ。
だから、私にとって、「良いお酒」は「食べている料理に合っているお酒」なのだ。)
だから、左の見本を順番に口に少し含んで、舌で感じる特徴を頭で言葉にして、インプットした。
しかし、見本を順番に味わっていると、最後、舌がおかしくなるのか、その後、テストのお酒飲んでも、それが左側の見本のどれと同じか全然わからないのだ。
口をゆすぐ水も置いてあって、たまにうがいしながら、挑戦したけれど、全然だめ。

全くひどい結果に終わった。
来年は、頑張りたい。(ブックオフで、「日本酒入門」という本を買ったぞ)



トップに戻る


2004年11月15日(月)

6話 大根と帆立缶のマヨネーズ和え


帆立の缶詰なのだが、母が生きている間、私は常に自分のお店から帆立の缶詰をもらっていたのだ。
で、母が死んでから、「まだ、お店にいくつかあったはずだ」と思って見に行ったら、全くなくなっていた。
妹に聞くと、「全部私がもらった」とのこと。
「半分ちょうだい」と言いたかったが、彼女がお店の缶詰で食べられるのは、帆立缶くらいだと知っていたので、諦めた。

で、スーパーなどで、帆立の缶詰を探したのだが、今の時代、まるのままの帆立の貝柱の缶詰、余り売っていないで、「くずし缶」が大勢だった。
私は、「くずし缶」の存在そのものを知らなかった。
(私は、缶詰に関しては、結構「お嬢様育ち」だなと思った。<笑>)
確かに、まるごと必要なのは、酢の物のときくらいで、くずし缶でも、大抵の料理は間に合うのかも知れない。

で、帆立缶の代表的なお料理は、大根とのマヨネーズ和え。
私がこのお料理を知ったのは、新婚の友人宅に招かれたとき。
美味しかった。

その頃、作り方を聞いて数度作ったが、その後ずっと全然作っていなかったが、最近良く作る。
(帆立くずし缶は使い残しを汁ごと冷凍してあるし、大根も家にあることが多い素材だから、もう一品欲しいときに、作りやすい)

で、うまくできたときの、作り方をご紹介。

1.大根は、皮を剥いて、ちょっと太目の千切りに切って、軽く塩を振っておいてお
  く。

2.大根の水気が出てきたら、きつくしぼって、ボウルに入れる。

3.そこに、帆立のくずし缶(量は適当)の身と汁を入れて、かき混ぜ、そのまま、
  置いておく。

4.数分から10分程置いておき、大根を食べてみて、帆立の汁の味が染みていた
  ら、また、水気を絞る。

5.そこに胡椒少々(これは好みで、省略可)して、塩味を調整して、マヨネーズ入れ
  て和えて出来上がり。

この大根と帆立缶のマヨネーズ和えのレシピは沢山あるだろうし、皆、それぞれ、美味しいと思う。
私のこの作り方は、全体的に水っぽくなくて、帆立の味が大根に染みているところが美味しいポイント。



トップに戻る


2004年11月18日(木)

7話 アメ横 伊勢音さんの厚削り


私の出汁は、本枯れ節を使うことが多いけれど、結構、厚削りも使っていた。
母の病気や他界で、この1年余り使っていなかったのだが、この前お鍋のお汁を作るのに、久々使ったら、すごく美味しかった。

私の厚削りは、アメ横の伊勢音の「混合厚削り」。
買って半年くらい経つものだが、冷蔵庫の野菜室で保存していたせいか、美味しく使えた。

何軒かの厚削りを試したが、その範囲では、伊勢音さんのが一番美味しいし、満足できる味なので、もう他のお店のものを探すことはない。

伊勢音さんには、かつお節厚削りと、混合厚削りがある。
私のつたない知識では、かつお節厚削りは、おそばのお汁を作るときに使って、うどんの汁は、混合厚削りだと思う。

両方とも使ったことがあり、かつお節厚削りは、確かにおそばのお汁に向いていて、おそばのときは、これが欲しくなる。
おそばの汁に、混合厚削りを使うと、甘過ぎる感じがする。
かつお節の味は、かつお節だけの味だから直球の味で、混合の方は、幅が広くて、甘みがかつお節だけよりあるような気がするし、ゆったりした感じの味という感じか。
1袋でも中々使い切れないので、両方買うことはできず、値段も混合の方が安いし、何にでも合いそうな混合厚削りだけを常備している。

今回は、牡蠣のお鍋に使ったのだが、物凄く美味しかった。

汁の作り方(2〜3人前)
1.昆布を500〜700ccのお水につけておく。

2.昆布を水に浸けている時間が1時間以内だったら、弱火で沸騰しないように10
  〜15分で沸騰寸前になるように調整して、昆布を取り出す。
  その後強火にして、沸騰させて、アクが浮いてくるので、取る。
  (1時間以上浸けておいた場合は、強火で沸騰させて、アクを取るのみ)

3.一握りくらいの厚削りを入れて、そのまま沸騰5分。

4.厚削りを漉し取る(ざるか何かで漉す)

5.醤油とお酒を入れて味をつける。

材料

牡蠣  二人前で150g程度
三つ葉 適宜(1把程度)
鳴門  小さめの物1本

土鍋にお汁を入れて、洗った牡蠣と、洗って切った三つ葉、3mm程度の厚さに輪切りした鳴門を入れて、火をつけ、材料に火が通ったら、出来上がり。

この材料が基本だが、白菜やお豆腐を入れても可。

このお汁は、寄せ鍋にも良いと思う。



トップに戻る


2004年11月20日(土)

8話 お鍋の後のおじやの卵


最近、お店を掃除しながら、画像やお絵かきソフトの勉強をしている。
ソフトが高かったので、使い方の本は、ケチして、図書館で借りているのだ。
こういうコンピュータソフトの本は人気があって、必ず次の予約が入っているので、2週間で返さねばならない。
現在、そういう本を3冊も借りているので、大忙しなのです。

この前、牡蠣鍋を作って食べた相手が、おじさんフレンドなのだが、彼の特技を発見した。

それは、最後のおじや作り。
誰が作っても美味しいものだと思っていたのが、おじさんが作ったら、ご飯の煮込みが足りなくてやや硬めであったが、味的にはやたらに美味しかった。

最後に溶き入れる卵の感じがものすごく良い。

どのように美味しいか表現するのは難しいのだが、卵が全ての味をまとめている感じがした。
卵は卵の味も出しているのだが、それがまろやかで、他と調和している感じかな?(表現するのが難しい)
そうだ、チャーハンだって、うまい人が作れば、卵がご飯の一粒ひとつぶを包み込み、味がまとまる、それと同じ感じなのだ。

思わず、「美味しい、お上手!今まで食べたおじやの中で最高!こんな美味しいおじや食べたことない!」と褒めた。
本当に、お鍋の後のおじやでこんなに美味しいものがあるなんて、生まれてこの方食べたお鍋の後のおじやの数だけ、損した気がしたと思った程。

残念ながら、その時は、「誰が作っても、おじやなんて、同じ味だ」と思っていたので、どうやっておじさんがおじやを作ったのか、良く見ていなかったのだ。
でも、何となく、やたらに手を動かして、かき混ぜていたような覚えがある。

おじさんに「いつ作っても同じ味に作れるの?」と聞いたら、「当然でしょう」とのこと。
次回、お鍋のときには、もう一度作ってもらって、必ずしや、じっと観察して、技を盗もうと思っている。

盗んだら、おじさんには内緒で(というか、私がインターネットで何しているか全く関心がないタイプ)、皆様にも、お教えします。



トップに戻る


2004年11月21日(日)

9話 ほうれん草の茹で方


余り面白くもない話なのだが、ほうれん草の茹で方について。

ほうれん草は、昔から、沸騰したお湯に塩を入れて茹でるのが普通だったが、最近は、塩を入れない方が美味しいということになってきている。

二三、本を読んだら、どうも塩を入れるのは、ほうれん草を入れた後、塩の入っていない沸騰したお湯だと急激に温度を下がるのでそれを防ぐことと、青い色を保つためらしい。
しかし、塩茹ですることにより、ほうれん草の味が落ちるとか、葉がなよなよするとかで、最近は塩茹でしない方が良いとされている。

しかし、塩を入れないで、ほうれん草をうまく茹でるためには、大量のお湯が必要。
うろ覚えで何に書いてあったか忘れたが、何かの本で、「ほうれん草1把で、3リットルのお湯が必要」とか読んだ記憶がある。

お湯はともかくとして、3リットルのお湯が入るお鍋を、ほうれん草一把のために出して、使い終わって洗うのは、私の場合、ものすごく抵抗を感じる。(一人暮らしのためかも知れない、大きいお鍋は極力使いたくない)

で、小さいお鍋でほうれん草をどうやって茹でるかというと、ほうれん草を葉と茎の境から二つに切って、1.5リットル弱入る行平鍋のお湯が沸いたら、まず、茎の方、再沸騰したら、葉を入れて、また再沸騰したら、アクが出ていることを確認して、茎を1本取り出して、先を指でやけどしないようにつまんで、柔かかったら、茹で上がり。
(ほうれん草の洗い方とか、茹で上がったら、お水に取るという話は省略)

ただ、真っ二つに切って茹でるやり方には、欠点があり、出来上がり、葉と茎をきれいに揃えられない。
だから、家的料理向きだし、揃える必要がない炒め物なぞに適した茹で方だと思う。

今、他の茹で方はないかと、本を見たら、たっぷり目の沸騰しているお鍋に、ほうれん草を3,4株、葉を握って、茎を5秒つけた後、全体を2,3秒茹でてひっくり返して取り出すというやり方もあった。
これだと、一把に付き、3〜4回作業しなくてはならないが、大きいお鍋を出さなくて良いという点では参考になる。



トップに戻る


2004年11月24日(水)

10話 神田真吾さん


先々週の日曜日に、情熱大陸というドキュメンタリー番組で、「アルプスの宮廷料理人!華麗ハプスブルク王朝の晩さん」という番組を見た。
同じ週に、NHK教育テレビのトップランナーという番組の再放送で、情熱大陸と同じ神田真吾さんのインタビューを見、私は、ものすごく彼に詳しくなった。

何でも、日本人の29歳の八王子生まれの八王子育ちの男性が、オーストリアの国家公認料理マイスター試験という、受験は一生に一度、年に10名も合格者が出ないという難しい試験に、非ヨーロッパ人として初めて合格したのだそうだ。
オーストリア料理は、馴染みが薄いが、ハプスブルグ王朝の宮廷料理の流れを汲んでいるのだそうだ。

で、ドキュメンタリーの方は、その腕を試すために、ハプスブルグ家の末裔のディナーを任せられるという話であった。
ドキュメンタリーは、見事、オーストリアの上流階級の皆さんの賞賛を得て、無事終わる。

インタビューを見ていたら、「料理が好きなお母さんとおばあさんのいる家で、おやつも手作りを食べて育ち、調理師学校でフランス料理を学び、一年間国内のホテルで働いた後、伝手を頼って、ウィーンに渡った」そうだ。

見ていてすごいと思った。
外国人が異国の宮廷料理を作り、それを食べた異国人たちが皆「この日本人が作った料理は、オーストリア料理そのもので、とても美味しい」と言う。

日本で言えば、外国人が懐石料理を作るようなものだと思う。

ただ、見ていて思ったのは、飾りつけが、フレンチと懐石とか日本料理の影響を相当受けている。
味は、オーストリア料理そのもので、しかも飾りつけが今までのオーストリアにはない発想の美しい飾りつけだったから、余計受けたのかも知れない。

神田真吾さんは、美味しい料理の何たるかを家庭で知らず知らずに学び、ずっと剣道をやっていたことで精神力が強く、おまけに日本人で日本料理の盛り付けを知っていて、その後フレンチの基礎を学んだことが、全て、オーストリア料理を習熟するのに、良い方向で活きているような気がした。

いいな〜、こういう風に自分が学んだことが全て活きることもあるのだ。

彼が料理人になるきっかけの話しも出て、「予備校で微分・積分の授業を受けているときに、頭の中に『微分・積分の世界は僕の生きる世界じゃない、僕の生きる世界は料理だ』と頭に浮かんだ」ことがきっかけだったと語っていた。

私も料理について、ふと頭に浮かんだことが人生で1回だけあったけれど、それは、「私はこれからも、一生、美味しいものを食べる生き方しかできないのだ」というものだった。

で、確かに私の人生は、その後、その方向に行っている。
神田さんは、「料理人になる」と頭に浮かんで、有名な料理人になっている。
ふと、頭に浮かぶ「これからの人生への指針」って、結構こわいものだ。
私の場合も、もっとすごいことが頭に浮かべばよかったのに。(笑)

来年4月には、日本でオーストリア料理のお店をオープンするそうだ。
宮廷料理だから、安くはないだろう、食べに行けるかな?



トップに戻る


2004年11月25日(木)

11話 栗原さんと神田さん


昨日書いた神田真吾さんのドキュメンタリーを放映した日、ちょうどその前に、テビ東京で、栗原はるみさんのドキュメンタリーも放映していた。

栗原はるみさんは、超有名人だけれど、私は映像でちゃんと見たのは初めてであったし、どちらかというと、栗原はるみさんのレシピでうまく行ったケースが少ないので、実は、好きではないのだ。
栗原さんを知る人は「性格が良い」と言っていたけれど、それが納得できるように描かれていた。
栗原さん、肩に力が入っていない感じで、自然と、生活全てに、どこかに工夫の余地はないかとずっと考える癖が身についているみたいだけれど、それが重たくない人のようだ。
栗原さんの性格が良いからかも知れないが、彼女は、ご主人がプロデュースしているし、息子さんも今は仕事を手伝っているみたいで、周囲が皆応援してくれて恵まれていることも、彼女の肩の力が抜けている大きな要因とも思った。

好印象であったけれど、「味は私の命」という言葉には、レシピどおりに作っても美味しくできないことが多い私は、割りと引っかかったが、私は彼女の作った料理を食べたことがないのだから、簡単には批判はできない。(笑)

栗原さんのは後半だけ、神田さんのは全部、ビデオに撮ってみたが、二人とも同じことを言っていた。

栗原さん:人が喜んでくれると、どこまでもやってあげたくなるの。それが相手にとっ
      て幸せなことなら、それは、自分にとっても幸せなことだから。

神田さん:失礼な言い方だけれど、犬が舐めたようにきれいになってお皿が戻ってく
      るのが、僕は本当に嬉しいんですよ。

これは、お手本のような答えなのかも知れないけれど、作る人が、食べる人とプラスの感情を交換できる人が成功しているようで、嬉しかった。

二三度、ほんのちょっとの差だけれど、「人に喜んで欲しいと思って」という姿勢より、「私ってすごいでしょう!」という姿勢が強く出ているお料理に出会ったことがある。
私は、そう感じてしまうと、それだけで、次からそこに行きたくなくなってしまう。
気持ちの狭さなんて、料理には関係ないようにも思うのだが、結構、料理や献立に性格や気持ちが出ることがある。
簡単に言ったら、料理を作る人が自分の嗜好や都合が絶対で、今自分が食べたいもの・自分が処分したいものが相手が食べたいものと思い込める人は、やはり、料理が褒められることは少ないのではと思う。
「自分が今何食べたい」かではなく、「食べる人が今何を欲しているか、どう組み立てたら、楽しいと思ってくれるのか」これを第一に考えることが、料理を通じて心と心、喜びと喜びを交換できる手始めだと思う。



トップに戻る


2004年11月28日(日)

12話 着物で食事 1/2


先日、従姉の娘の結婚式に招待され、訪問着を着て、参列させてもらった。

何で着物かというと、会社を辞めた時点で、体型が膨張してしまい、サラリーマンだったときの洋服が全部着れなくなってしまったのだ。
でも、着物は、余り体型が関係ないので、着れる。

去年の四月に、若い友人の結婚式に招かれたときに、20台後半で作ったピンクの訪問着を着たのだが、おかしくなかったので、それ以来、私の制服になってしまった。(笑)

今後まだ結婚式に招かれることがあるかも知れないが、ピンクの着物が似合ううちに、皆、結婚してくれないかしらと、心から願ってしまう。

そして、従姉の娘の結婚式と披露宴は、若い二人で色々考えたものなのだろうが、二人とも家族・親戚仲良しの家で育った人たちならではと思える、若々しい中にもほのぼのした感じがあり、とても良いものであったし、花嫁さんも、すごく綺麗であった。

さて、着物で、食事したのだが、きつくはなかったのだが、お腹の帯の下が、色々な細めの紐やら、幅の広い紐やらで、どうも五重くらいにぐるぐる巻きされたところを、最後帯で抑えられていたのだ。
お酒と食事で身体が温まり、発汗してきたのだと思うのだが、帯の下の皮膚から出た汗は、布地に吸収されるのだろうが、五重の紐や襦袢が重なっていて、そこに空気が全然なくて、汗が乾燥するとか、皮膚から離れるということができなくなってしまったようだ。
食事の終わり頃から、お腹の皮膚がものすごく痒くなってしまった。
でも、着物を脱がないと、掻くこともできず、かゆみも消えずで、辛かった。

よく、「着物のときは、きついから、余り食べないほうがいいわよ」というけれど、私は、くいしんぼなので、そんなことないわよと、しっかり食べたのだが、やはり、ちょっとにしておけば良かったと後悔した。

昨年招かれた披露宴のときも同じだったと思うのだけれど、1年半前のことだったので、確か「食事のときに何か不具合があった」ことは覚えていたのだが、その具体的内容はすっかり忘れていたのだ。
着付けのとき、着付けの専門家に、「確か、食事すると、きつくなった気がしたのですが」と言って、お腹が膨らんで苦しくなったときの対処法ばかり習って出かけたのだ。

失敗、失敗。



トップに戻る


2004年12月02日(木)

13話 着物で食事 2/2


食事自体は、とても美味しかったのに、残念。

それにしても、私が若い頃招かれた披露宴の食事は、皆、フランス料理のコースが普通だった。
(残念ながら、和食の披露宴に行ったことはなかった。)

去年までの7〜8年程度、結婚式に招かれることなく暮らしていたが、去年、今年と招かれて出席してみると、両方とも料理が「和洋折衷」のコースであった。

去年のは、和と洋が適当に混ざっていたのだと記憶しているが、確か、食べる道具に、フォークとナイフの用意がなく、お箸だけで、洋風料理も、お箸で食べられるものだった。

今回は、フォークとナイフ、お箸全てが用意され、洋食のコースでいうと、オードブル、スープ、魚料理までが和食で、その後の肉料理、サラダ、デザート、コーヒーが洋食であった。

こういうコースの方が、ヘルシーで、老人にも食べやすく、皆に受け入れられやすいのだろう。
無理して、日本人がフレンチの重たいコースを食べる時代から、ここ数年で、自分たちの食べやすいものに工夫する時代になったのだ。

宴会や結婚式の料理も、どんどん進化しているのだと思った。

十数年後、甥たちの結婚式には、どんなコースが食べられるだろうか?



トップに戻る


2004年12月03日(金)

14話 はま鍋


はま鍋をインターネットで検索したら、「浜鍋」というのと「はま鍋」というのがあった。
両方とも、海岸の猟師さんたちが浜辺で作るお鍋だと思う。
「浜鍋」は、色々な魚介類が入ったお鍋で、「はま鍋」ははまぐりのお鍋である。

おじさんフレンドは、母方の祖母が九十九里出身ということで、以前から「小さい頃から食べていたはま鍋が一番うまい」と言っていた。
海岸に親戚がない私は食べたことがなく、今年は、とうとうおじさんフレンドの指示の元、作って食べてみた。

材料
はまぐりの剥き身(なければ、殻付きでも良い)
長ネギ沢山
絹ごし豆腐

出汁
赤味噌(白味噌ではないという意味)
砂糖

作り方は、出汁を張った土鍋に火をつけ、蛤を入れる。
そして、煮立ったら(殻付きの場合は殻が開いたら)、お味噌と結構多量のお砂糖を入れる。
味噌の濃さは、味噌汁とさばの味噌煮の中間くらい。
お砂糖の量は、お砂糖をすき焼き以外のお鍋に入れることはない私としては、「え〜、こんなに?」という程、入れるのでびっくりした。
結構甘さがはっきりわかる味。

8つに切った絹ごし豆腐を入れ、少しして、ぶつ切りにした葱を入れる。

美味しく作るこつは、「はまぐり沢山に葱が生煮え」とのこと。
味見したときは、「甘い〜」と思ったが、お豆腐と生煮え葱は、はまぐりのエキスを吸っているのか、本当に美味しい。
白い熱々のご飯が欲しくなる味。

おじさんフレンドは、この甘い味噌の汁をご飯にかけて、「美味しい!美味しい!」と食べるので、真似したが、私は、これだけはだめだった。

でも、熱々の甘辛味噌汁とともに食べる葱とお豆腐が美味しいし、体が温まるからお薦め。
はまぐりが相当あったし、甘い味噌のお汁が鍋に残っていたので、葱とお豆腐を買い足しながら、私は、夜1回、次の日の昼と夜、続けてはま鍋を食べ続けてしまったが、美味しくて飽きなかった。

でも、不思議だが、ご飯のおかずにするなら、このお鍋は万人に美味しいと思うけれど、お汁をご飯にかけるのはちょっとねと思う。

(「はま鍋」で引いたら、合羽橋の喜久寿司というところのメニューにあるようだ。
食べたこともない料理を作る自信がなかったら、こういうことろで一度食べてみると、自分でも作れるようになると思う。)

はまぐりは、最近は高いし、国内産は中々手に入らないとのことで、おっかなびっくり買い物に行ったのだが、御徒町の吉池に、海外の蛤を一旦日本の海に撒いたものが結構安かった。
重さはわからないけれど、小振りだが、70〜80個くらい入っていたと思うが、980円だった。

殻付きのままでは冷凍庫が満杯になるので、余ったものを全て剥いて、ビニール袋に入れて薄く延ばして冷凍させた。

他には、ホワイトソースの中に入れてスパゲティにかけて食べたり、全て使い切った。



トップに戻る


2004年12月06日(月)

15話 よみせ通り


ちょっと前の日曜日の夕方、ここ最近、殆ど家を離れていない私は、気分転換に散歩に行きたくて、おじさんに頼んで、上野の山経由で、谷中銀座とよみせ通りに自動車で連れて行ってもらった。

上野の山の自然は、それを見るのが、たとえ、通りすがりの5分の景色だとしても、気分転換ができる美しさであった。

ただ、谷中方面に行くのは久しぶりだったが、谷中の商店街は、ずいぶん変わってしまって、ちょっとがっかりしてしまった。

何というか、商店街が住民のための商店街から、観光客のための商店街に変わりつつあるのが、良くわかったのだ。

谷中銀座は、以前から、人気のある商店街で、そこが観光地化するのはわかるのだが、その隣のよみせ通りまで、観光地化の波が及んでいた。
私が行かない間(すなわち1年ちょっと)に、お土産物屋までにはなっていないけれども、最近できたばかりという感じの、こぎれいで明るい、ちょっと拘ったお菓子屋が数軒の単位(4〜5軒かな?)で、増えていた。

家に帰ってから、私より上野に縁がある弟と話したのだが、やはり、谷中銀座・よみせ通りの変わり様は、淋しいとのことであった。

今まで住民のためのお店をやっていた人たちが老齢化するは、子供は継がないはで、お店を貸すしかないのかも知れない。
お店を貸すとなると、やはり、増える一方の観光客目当てのお店を経営する人が借りるわけで、自然なことのような気もする。
でも、昔から、お店の人も買いに来る人も生活の匂いが立ち込めていた商店街だったのに、こぎれいなお店が増え、こぎれいな下町以外からの見物客で賑わっているって、何だか淋しい。

私は、大学生のとき、横浜の元町の近所に友人がいた。
何度となく、その家に遊びに行って、その家が生活に関する雑貨や食料品を元町で買うことを聞いていた。
元町には、普段に使えるような、ちょっとしゃれた、もしくは便利な外国製品があるのよと、そのお家の自慢だった。

しかし、それから、十年だったか二十年経ったかに、その家のお母さんが亡くなり、久々、お線香を上げに元町方面に行ったときに、そこのお父さんが「元町は、もう住民のための商店街ではなくなってしまいました、元町で買い物することはなくなりました。」と言っていたっけ。
そのことを思い出した。

商店街が「住民のための商店街」から「観光客のための商店街」に変わろうと、そこに住んでいる人たちが、引き続き、その土地に住めて栄えるのなら、致し方ないことなのだろうけれど、何か淋しい。
時代の波に乗らなくては、古いだけのままでは残れないのはわかるのだが、古い町を知っている者には、「自然な下町に『作られた、演出された下町』色が付いてしまった」と感じられるからだろうか?



トップに戻る


2004年12月11日(土)

16話 熱いうちにお召し上がりください


現在、「酒屋のお店番しながら、パソコンで内職できないか」にトライ中。(まだ、10日くらいだけれど)
で、結局、現在の私の状況は、「貧乏暇なし」状態で、結構忙しい。

お金持ちでも忙しい人もいるかも知れないが、貧乏人は本当に忙しい。
仕事をしながら、買い物でも安いものを選ばなくていけないし、自分でご飯を作った方が安上がりだし、何でもかんでも自分でやった方が安いから、何でもこなす。
しかも、お店とパソコンの仕事と2つだから、やることは多い。
その上、得意は、ExcelとWordなのだが、現在、ホームページが自由自在に作れるようにならないかと、他人のホームページ作成を請け負った上で、ホームページのソフトと画像ソフトにチャレンジ中。

なんて書くと、余裕が全くないように想像されてしまうと思うが、そこはそこ、たった一人の自営業で人に支配されていない状態だし、性格がいい加減な私だから、たまには、遊んでしまうし、週に一度くらいは、ちゃんと美味しいものを食べている。(でも、中々HPを更新できない)

で、ここからが本題。

先日、ちょっとした会合の後、四次会にお寿司屋に連れて行かれた。(よく行くよね〜、四次会まで、こんなことは何年振りだろう)
浅草の結構良い寿司屋さんで、おつまみに、穴子の焼いたものを出してくれて、自信があるのか、「どうです?」と尋ねられた。
食べてみて、不味くはないけれど、特段、感激する程でもないように感じて、「うん、普通に美味しい」と言ってしまった。

何せ、四次会の午前1時過ぎの酔っ払いだったので、パクパク食べないで、おしゃべりしながら、お酒をチビチビ呑んでいたら、穴子が程好く冷めてくれたみたいで、次に食べたときには、口の中で、はっきり「美味しい!」と感じることができた。
最初食べたとき、美味しいと思わなかったのは、私が酔っ払っていたからではなくて、穴子が焼き立てで熱過ぎたからだったのだ。

で、板前さんに、「味、わかりました、新鮮で美味しい!さっきは、焼き立てだったから、味がわからなかったのです」と伝えた。
板前さんも「そうですか〜?そうですよね。良く『熱いうちにお召し上がりください』と言うけれど、あれは、便利な言葉ですよね」とのこと。
熱いうちに食べてくれれば、味がいいのか悪いのかわからず、ただただ熱いという印象で食べ終わってしまうから、大した料理でないときは、熱々で食べてくれた方が都合が良いのだそうだ。

そうなのだ、味を本当に味わおうと思ったら、やはり、「粗熱が取れたくらい」が一番味わえるのだと思う。
だから、正しくは「冷めないうちにお召し上がりください」かもと思った。

私は食いしん坊だから、つい、熱々で出てきたお料理や熱々でしかるべき料理(小籠包とか)を、熱々のうちで食べてしまう習慣があるけれど、今度から「それは美味しくない食べ方」と理性で抑えなくてはと思った。
(真冬は、「熱々料理」は熱々のうちに食べた方がいいとは思う。)



トップに戻る


2004年12月14日(火)

17話 秋葉原の味噌煮込みうどん屋さん


秋葉原に用があって、清洲橋通りと昭和通りの間の路地を走っていたら、名古屋の味噌煮込みうどんのお店を発見。

その名は、「山本屋総本家神田和泉町店」だった。
何でも、11月9日オープンとのことで、できたばかりとのこと。

秋葉原と言っても、駅から歩いたら、10分以上かかりそうな外れで、どうして、こんな路地の奥深いところに、名古屋の有名な店の支店ができたのか、とっても不思議。
でも、味噌煮込みうどんと言えば、「山本屋」が一番名が通っているのだから、その名前に自信があって、こんなに、路地の奥に作ったのかも知れない。
(近くに有名なものはないかと言えば、三井記念病院があるけれど、三井記念病院自体、地元民以外には東京でもそんなに有名ではないと思う。)

名古屋で「味噌煮込み」で有名なのは、山本屋本店と、山本屋総本家なのだそうである。
どちらが美味しいかというと、それは好みとのこと。
また、多店舗展開しているのが「総本家」で、「本店」の支店は少ないそうである。
私が昔むか〜し行ったのは、「山本屋本店」だと思う。
(でも、私の好きな味噌煮込みうどんは、大阪の「あまの」のもの)

好奇心が強いもので、早速機会を作って食べに行った。
平日の午後1時半くらいに行ったのだったけれど、1階の10人くらい座れるカウンターの半分くらいが埋まっていた。(二階もあるようである)
サラリーマン風の人、品の良い奥さん連中というグループとかがいた。

メニューは、確か、酒の肴のおでんはあったような覚えがあるが、当然「味噌煮込みうどん」が主。

試しだったので、一番安い「普通」を取ってみたが、具は、葱と油揚げだけ。

全体の感想は、「こんな感じだよな」というもの。
自転車でチャリチャリ走って行ったので、体が冷えていたせいか、熱い土鍋の中でグツグツという音を立てそうなうどんとお汁は身体を芯から温めてくれたところはすごく良かった。
美味しいかというと、不味くはないけれど、特段美味しいという程の感じはなかった。
うどんの断面が、アルデンテどころではなく、直径の中半分くらいに芯が残っていて、「確か、名古屋や大阪で食べた味噌煮込みは、こういう風に硬かったな」と昔食べた味噌煮込みうどんを思い出した。

普通煮込みが900円、玉子入りが1000円、かしわ入りが1100円で、親子が1200円。
ま、これはいいとしても、ご飯が200円。
これはもしかしたら、お代わり自由かも知れないが、結構高いと思った。
(でも、聞くところによると、名古屋で食べるのと同じような価格とか)

ご飯もとって、親子を食べたら、1400円。
普通だって、一切の動物性たんぱく質が入っていないうどんとご飯のセットで、1100円はちょっと高いと思うのだけれど、名古屋の人はしまり屋さんが多いと聞くが、許容範囲なのだろうか?
とりあえず、動物性たんぱく質の入っていないうどんとご飯のセットは千円以内に納めてもらいたい。(笑)

そんなにすご〜く美味しいという程ではないけれど、東京東側に、本格的名古屋味噌煮込みうどんのお店は珍しいから、価値はあると思う。

山本屋総本家神田和泉町支店

東京都千代田区神田和泉町1−10−8
電話:03−3861−5030
(山本屋総本家のページの「最新情報」に地図が載っているけれど、地元の人以外(三井記念病院がどこにあるかわかっている人以外)には、わかり難い地図です。行くのなら、マピオン等で確認してから行ってください。)



トップに戻る


2004年12月16日(木)

18話 ほうぼうのちり鍋 1/2


いつだったか、従姉から「ほうぼうのお鍋が美味しい」と聞いてから、ずっと「一度は食べてみたい」と思っていた。

とうとう、ある日曜日、我が家の近所のスーパーに珍しくほうぼうが売られているのを発見。
小振りのほうぼうだったけれど、2匹で800円くらい。
いつもデパ地下の魚屋で見るものより相当安かった。
活きも悪くないみたいだったので小さめだから安いのだと、自分に都合の良いように納得して、買うことに決めた。

ほうぼうは、切り身ではなく、丸のままの形で売られていた。
従姉は、魚屋さんに「お鍋におろして」と言うと聞いていたので、私も、魚コーナーの奥で包丁をふるっている若い男性に、「ほうぼう、お鍋にするようにおろしてくれますか?」と頼んでみた。
その人は、良くわかっていないようで(私もわかっていなかったのだが)、「ぶつ切りにすればいいのですか?何等分くらい?」と聞くので、「5等分」と頼んだのだ。

程なく、ほうぼう二尾は、5等分の筒切りにされて、出てきた。

しかし、家に帰って、その筒切りを見て、驚いたのは、そのほうぼうは、えらも取らず、内臓も取らずに、五等分されていたことだ。
魚売り場で包丁をふるっていた人だから、てっきり、「魚をおろす」ということを知っている人かと思ったら、「ぶつ切り」と言ったら、「ぶつ切り」にするだけで、その前段の「魚をおろす」ことのそもそもの目的が、「美味しく食べられるようにする」ことだから、「えらや内臓を取るのが当然」ということが全くわかっていない人であった。

あ〜、驚いた。
魚専門店ではないとは言え、スーパーの魚売り場で包丁を使っている若いお兄さんがそんなことも知らないで、魚を触っていたなんて。

あの若い男の店員は、きっと、生まれてこの方、丸のままの魚を食べるためには、えらや内臓を取るのが原則だって、知らないで、切り身とお刺身ばかり食べて育った人なのだ。
また、魚売り場でも、サクのマグロを薄切りにしたり、半身の魚を切り身にしたり、そんなことしかしない人かも知れない。
ま、彼は、今の時代、当たり前の、全然普通の若い人なのだろう、魚売り場の係りをしていなければ。

なんか、怖いな〜と思った、魚売り場で包丁使っている人に、今度から、「魚おろして」と頼むときには、「えらや内臓を取ることを知らない人」もいるかもと、心しなくては。



トップに戻る


2004年12月26日(日)

19話 ほうぼうのちり鍋 2/2


(最近、色々な催し物があったり、年賀状を二人分印刷したりして、時間がなく、休んでごめんなさい。)

で、家で、筒切りにされたほうぼうから、えらと内臓をきれいに取って、背骨のところの血合いも、包丁でカリカリして、ティッシュで拭った。
それを水で洗った後、水気を取るべく、キッチンペーパーに巻いて、冷蔵庫で一旦保管した。

ほうぼうのちり鍋のレシピなぞ、探してもある筈ないので、鯛のちり鍋のレシピを参考にして作ってみた。

土鍋に、お水を張って、ほうぼうの頭と尻尾の部分と、昆布を入れて、火にかける。
(鯛の場合、アラと昆布を入れると書いてあったからだ)
沸騰しそうになったら、昆布を出して、ほうぼうの筒切りと野菜、お豆腐、白滝を入れて煮て、出来上がり。
ポン酢で食べてみた。

ほうぼうは、赤っぽい魚だから、皮が嫌やだったのだが、薄いのか、はがれやすいのか、食べる段には気にならなかった。

ほうぼうのお肉は、上品で繊細な白身で、薄っすら脂を感じ、美味しい。
ただ、小骨が多いところが、難点だが、初めから、小骨があると知っていれば、大人なら食べられる。
好きな人は、骨をしゃぶるらしいが、私は、そこまではやらなかった。

ほうぼうには、鯛ともふぐとも違う「上品な白身魚の美味しさ」があり、今後とも、ほうぼう鍋を食べるようになることは、間違いない。

ほうぼうのお鍋の後は、当然、おじや。
これも美味しかったのだが、少し残ったので、次の日の朝、温め直したら、その時は、生臭くなっていた。

次の日の夕方、少し生の身が残っていたのだが、朝、生臭い思いをしたので、醤油とお酒と生姜汁に少しつけておいてから、鍋にしてみたら、全然生臭みがなく、美味しく食べることができた。

これで、思ったのだが、から揚げにしても美味しい魚だと思う。
小骨が気になるけれど、ほうぼうを筒切りにして、醤油・酒・生姜汁に浸けておいて、片栗粉をつけて、揚げたら、絶対に美味しいと思う。
今度、是非、試してみたい。



トップに戻る


2004年12月27日(月)

20話 砂町銀座


この前の日曜日、おじさんが一度行ってみたいと言っていた砂町銀座に行ってみた。

砂町銀座は、東京で最も活気のある商店街として、地下鉄のポスターで紹介されているのを見たことはあって、名前は知ってはいたが、行くのは初めてであった。

私は、その場所を知っているおじさんに自動車で連れて行ってもらったので、どこをどう行けば、砂町銀座に辿り着くのか良くわからない。
その状態でエッセイで紹介するのは悪いと思って、今、「砂町銀座」で検索したが、ホームページはあるものの、住所も載っておらず、アクセスも全然書いていないことを発見。
私から見た砂町銀座は、そのホームページのスタイルそのものの商店街で、「近隣に住む人のための商店街」であった。

本当に細長い商店街で、道幅は、築地場外の路地と同じくらいの狭い幅。
もちろん、車は入れず、自転車さえも見かけなかったような気がする。
三人、横に並んで歩いたら、向かいから来る人とすれ違えないくらいの道幅。
(暮れの日曜日の午後だったが、人通りは多かった。)

その両側に、どのくらいの距離だろう、ず〜っと長く商店が続く。(端から端まで15分では行けないと思う。今考えれば、時間を計りながら、歩けば良かった。)
生きている商店街で、空き家(店舗貸しますの札がある店)は、2,3軒だけだった。

延々と、八百屋さん、惣菜屋さん、天ぷら屋さん、魚屋さん、練り物屋さん、酒屋さん、洋服屋さん、靴屋さんなぞが続いていた。
これだけ、同じ業種のお店が沢山あれば、競争が激しいから、必然的に、物価が安くなるのだろう。

どの八百屋さんも、店先で大根を売っていたので、大根の値段を歩きながら、追ってみたが、本当に店によって値段はまちまち。
でも、「え〜、こんなに安いの!」と思う値段の大根は、新鮮さがなかったし、きっと、値段と品質はリンクしているのだなという印象もあった。

どの練り物屋さんも、店先におでんの大鍋を用意し、おでんも売っていた。
12月の下旬となれば、おでんの湯気がとっても魅力的に感じられた。

惣菜、天ぷら、おでんなどを店先に並べた店が多いから、忙しい人がこの近所に住んだら、ご飯の支度をする時間がないとき、ちょっと小腹が空いたときに、便利だろうと思い、その点羨ましかった。(我が家の方の商店街では、そういうお店がなくなりつつあるから)

その時は、何故か、おでんではなく、焼き鳥が食べようということになって、焼き鳥屋を探していたら、ちょうど商店街の真ん中くらいに発見。
焼き鳥がずらっと並んでいるテーブル近辺に、「食べ歩きは禁止」みたいなことが書いてあった。
でも、それを補うべく、店先に、テーブルと椅子が用意されていて、焼き鳥を注文すると、電子レンジで温めてくれて、そのテーブルで食べることができた。
焼き鳥を食べている間に、他のお客さんの買い物を見ていたが、「煮込み」が人気あるようだ。

焼き鳥を食べ終わって、また、後半分歩こうと歩き出したら、実は隣も焼き鳥屋で、そちらは、「国内産」にこだわった焼き鳥屋であることを発見。
そっちと比べて店を選びたかったと思ったが、もう遅い。
でも、まさか、焼き鳥屋の隣に焼き鳥屋があるとは想像できなかった。
細長い商店街のどちら方向の口から入ってくるかによって、どちらの焼き鳥屋で焼き鳥を買うか、決まってしまうような感じ。

焼き鳥屋を出て、程なく、「斎藤ひとりさんの本を読んで、斎藤ひとりさんが好きな人の店」とか何とかいう家があった。
木造の家で、明るい雰囲気で、大勢の人が中にいた。
何か一緒にやっているという感じでもなく、ただ、皆、そこに座っている、何かを飲んだり、食べたりしている人もいると感じで、人がたむろしていた。
「斎藤ひとり」さん自体知らなくて、家に帰って、検索したら、長者番付に載る程の成功者でその本が売れているとのこと。
(ちょっと興味があるので、図書館で本を借りて読むことにした。)

他の商店街にはないものと言えば、そのくらいで、後は、ごく普通の商店が、凌ぎを削って頑張っている雰囲気の商店街であった。
この商店街は、同じ業種の沢山のお店があるから、どこで何を買えば、美味しいものに当たるか、たまに行くくらいではわからない商店街だと思った。
地元民の知り合いに案内してもらったら、買い物できるけれど、ガイドブックもないし、ふら〜っと買い物行くなら、「ふら〜と散歩する」感じになってしまうみたいで、何も買えなかった。
(特に有名なみやげ物もないようであったし)

でも、本当に活気があって、道行く人も多いし、東京に残っている生活感のある「生きている商店街」であることは間違いない。
情緒は余り感じられなかったけれど、一度、行くと面白いと思う。



トップに戻る


2004年12月28日(火)

21話 ロザンナさんのトマトソース


今年の夏だったか、「徹子の部屋」を見ていたら、ヒデとロザンナのロザンナさんとそのお嬢さんが出てきて、ロザンナさんのトマトソースを紹介していた。

何でも、ヒデの心をつかまえたくて、イタリアのお母さんに電話で、「ママの味」の作り方を習って、ヒデの心を射止めたというトマトソースだった。
ポイントは、セロリとナツメッグだそうだ。

また、それを通販で売り出したら、すぐに完売して人気があるとのことだった。
そう聞くと、是非、食べたくなるのだが、通販のトマトソースがやたらに高くて、買おうという気は起きなかった。

で、今は余り見かけないが、ロザンナさんは、イタリア料理の本を沢山出している筈だし、図書館にはまだある筈と、検索して見つけ、本を借りてきて作ってみた。

詳しい作り方やレシピをここに載せるのは、何となく気が引けるので、感想のみを。

だいたいの作り方としては、玉ねぎとにんにくの薄切りをキツネ色になるまで炒めて、セロリを炒めて、そこに缶詰のトマトと固形ブイヨンの素 を入れて、煮詰めて、ナツメッグ、塩・胡椒という感じか。

自分で作るのに、玉ねぎの薄切りをキツネ色まで炒めるのが面倒だった。
こんなに面倒だったら、カレー用に茶色くなるまで炒めて冷凍してある玉ねぎを解凍して使うのだったと思ったくらい。
面倒になって、キツネ色手前くらいで止めてしまった。

で、煮詰めている間にトマトをすくって味見したら、美味しいのだ。
私は、いつもにんにくとトマトだけでトマトソースを作るのだが、やはり、玉ねぎやセロリの味が出るから野菜が入っている方が美味しいのかなと思った。

しかし、できあがって、そのトマトソースでスパゲティを和えて食べたら、甘いの、甘くないのって、すごく甘かった。
分量のトマト缶2と1/2個だから、1kgなのだろうけれど、煮詰めるとすごく少なくなるわけで、それに対して玉ねぎ1個は多過ぎると思った。
また、この玉ねぎは溶けてしまうわけではないから、取り出さないと、トマトを食べているのか、玉ねぎを食べているのか、わからなくなるくらい、玉ねぎが自己主張をしているように感じられるトマトソースになってしまったのだ。

きっと、私の腕が悪いか、どこかに勘違いがあって、こんなトマトソースが出来上がったのだと思う。
やはり、ロザンナさんのいう「イタリアのママの味トマトソース」の美味しさは、本物のレトルト食品を買わないとわからないと思った。

このトマトソースを食べていて、思い出したのが、ラ・ベットラ落合務さんのトマトソースの作り方。
詳しくは書かないが、彼のは、丸のままの野菜を炒めるか、焼くかした後、トマト缶と一緒に煮て、風味がトマトソースに移ったところで、野菜を引き上げてしまうのだ。
確かに、その方が、美味しいと思った。

で、私の手元に残った沢山の玉ねぎ入りのトマトソースは、ざるにあけ、ざるに残った玉ねぎをお湯で洗い、下に落ちたトマト部分だけを集めて煮詰めて、無事、自分好みのトマトソースに変えることができた。

好みだと思うけれど、今後、私がトマトソースを作るとしたら、従来どおり、にんにくとトマトだけか、野菜を入れるとしても、落合務さん方式でしか、作らないと思う。

以前、「やっぱりイタリア」という本に、トマトソースはシンプルな方が美味しいと書いてあったが、その意味もわかったような気がした。



トップに戻る


2004年12月29日(水)

22話 2004年暮れの築地 1/2


12月18日の土曜日に、久々、築地に行った。
着いたのが、遅かったこともあり、築地はすごい人。
買いたいものだけ、さっさと買って、空いているマクドナルドで休んで帰って来た。

私が書いたいものは、決まっていて、伏高さんのかつお節、中本商店の羅臼だったかの切れ端昆布大袋、田中商店のたらこと山本商店の黒豆。(でも、今年は、山本さんではなく、他の店で黒豆を買ってみた)
後は、海苔とお茶も欲しかったけれど、両方とももらい物が沢山あるので、諦めた。

<海苔>

それにしても、どういうわけか、今年の暮れの築地場外は、海苔の香りが香り高かったような気がする。
いつもだったら、削り節の匂いを感じるのだが、今年は、歩く道々で、削り節の匂いはなく、海苔の香りを感じた、新海苔の季節だからかな〜。

2,3か月前、海苔が切れて、後楽園の成城石井で、「はね」という傷物の海苔を買ったら、とても美味しかった。
築地で、「はね」を買えば、「もっと安くて美味しい海苔」が手に入るのではと思って、見てみたが、「はね」は沢山あった。
この季節は、新海苔の季節で、新海苔も欲しいな、ハネも欲しいなと思ったが、ちょうど家にもらい物の海苔が届いたばかりだったので、諦めたが、次回は買わねば。

私は、築地の海苔について、詳しくない。
何故かと言えば、母存命中は、我が家で海苔を調達するのは、新海苔以外は、母が担当していたのだ。
母は、デパートの地下で、贈答品を崩して売る催し物が好きで、そういう海苔を買ってきては、全員海苔が好きという家族に、「美味しいでしょう」と自慢していたっけ。
これから、築地の海苔を研究しなくては。

<昆布>

昆布は、値段を見ながら歩いたが、やはり、まともにきれいに長方形になっている昆布は高い。
中本商店の切れ端500gは、1575円だから、100g315円。
日高はこの程度の値段できちんとした昆布はあるみたいだったが、それ以外の出汁昆布は、2倍くらい高かった。
中本商店の切れ端昆布は、通常売っている昆布の形を整えた際に、切り落とされる部分で、細長くて、一律の長さではなくて、本当に「屑」という感じなのだが、これでも十分美味しい出汁が取れる。
(欠点は、取った出汁に色が出るところ、でも、普段使いなら、かまわないと思う。また、ごわごわの昆布なので、保存するとき、場所を取ること)

普通のきれいな昆布からすると、100g300円でも高いような見てくれで、「もっと安くてもいいのに」と思うのだが、この値段でしか売っていないので、諦めて買っている。

御徒町多慶屋には、利尻昆布のきちんとしたものが、100g400円くらいだと思う。
電車賃考えたら、多慶屋の利尻で十分なような気もするのだが、中本商店の切れ端昆布は、薄くて、細長くて、一回に使う分が少なくて済むような気がするのか、私のお気に入り。
(かつお節は、高いものを使っているのでケチケチ使う。昆布くらい、ケチケチ使いたくないのかも知れない)
200gくらいの小袋も売っていて、一度買ったが、大袋の方が品質がいいような気がした。
同じ品質なのかな〜?私の経験から言わせてもらえば、大袋がお勧め。



トップに戻る


2005年01月03日(月)

2005年あけましておめでとう


あけましておめでとうございます。
皆様は、楽しいお正月をお迎えのことと思います。
旧年中は、私のエッセイを読んでくださって有難うございます。
今年もよろしくお願いいたします。

我が家は、昨年暮れに、甥1が突然盲腸になりまして、入院して、手術しました。
盲腸の経過は、手術してから一週間くらいしないと何とも言えないとのことで、もしかしたら、お正月は病院かな〜?それとも、外泊・外出で少しは家にいられるのかなと思っていたら、大晦日の前に日にお医者さんから「帰ってもいい。但し、3日は、救急センターで抜糸するから来てください」と言われ、甥1は無事大晦日に家に戻ることができました。

「甥1の病院でのお正月」は回避されましたが、現在、入院されている方、入院されている家族をお持ちの方は、さそかし淋しく、お辛い状況なのだと思いました。
どうか、早く治られるように是非頑張ってくださいね。

それにしても、我が甥1は、中学二年生の冬休みになってすぐ盲腸を切ってしまったわけで、学校も休まず、受験にも影響なく、盲腸を切ることができて、本当に甥1は「優等生」に生まれついているなというのが私の感想でした。(笑)

去年の暮れから、考えることが沢山あります。
簡単に書けば、全ては、「残された人生、どうやって生きるのがベストかな」ということに、決心がつかない、どうしたらベストに持っていけるのかわからないので、考えている最中だと思うのです。

話は飛びますが、皇太子さんのお嬢さんの愛子さんが女性天皇になれるように検討に入ったとニュースで流れていましたが、考えてみれば、愛子さんが天皇になる姿を私はきっと見ることはないのだと思いました。
それを思ったら、本当に年を取ったものだと思います。

今のあがきは、私の人生最期のあがきで、これ以上は、あがきたくてもあがく若さもなくなり、その気力と体力がなくなるような気がします。
そうなったら、穏やかで楽しいおばあさんになれる気がするのですが、まだ、そうなるには、早いような気がします。

何か取りとめもなく、色々考えているのですが、確実に思うことは、「このエッセイが多くの人に受け入れられて、読まれていること」が密かな私の自信の源になっていることです。
今、宙ぶらりんで何か軽く色々なことにぶつかるう時期で、色々自信を失いかけるようなことも起こるわけですが、その時、心の中で、「でも、HPは沢山読まれている」と思えることは、心強いことです。

それから、やはり、「食」というか、私が「美味しい」と思うこととそれを人に伝える能力が結構高いかなと思うし、その能力で様々素敵な人と仲良くなれたり、新しいチャンスを得るような経験が去年2,3ありまして、そのことも嬉しいことでした。
その私の能力をどうやって職業に結びつけて、残りの人生を生きて行けるか、今年一年考えたり、試行錯誤してみようと思います。

今後とも、楽しいエッセイ書くことを心掛けて、頑張りたいと思っております。
毎日は書けないかも知れませんが、できるだけ頑張ります。



トップに戻る


2005年01月04日(火)

24話 2004年暮れの築地 2/2


だいたい買い物が終わったところで、マクドナルドで一服してから、田中商店に向かう。

このたらこ屋さんは、私のHPに田中商店のこと、たらこのことを書いていることを向うが発見してくれたときから、何だか、親戚が来たみたいに扱ってくれて、とても気分が良い。

この日も、混雑している中、私が行くと、おじさんもおばさんも息子さんも笑顔で迎えてくれた。
ここのお店の人たちは皆笑顔がいい。

ここのたらこは美味しいのだけれど、中々買いに来れない。

半年振りくらいでこのお店に行くのだが、実は、中間で、築地勤務の妹が買いに行っているのだ。
妹に、「合羽橋のHP書いている、たまにたらこ買いに来る女性の妹だ」と言ってと言ったけれど、言ってもわからなかったそうだ。

それは良くわかるような気がする。
築地のお店とお客の関係は、その店の前に本人が現れて、顔を見ないと、その人が常連であるかどうかわからないと思うのだ。
常連がどのくらいの人数いるのかわからない。
殆ど名前も覚えていない、顔しか覚えていないお客さんだから、その人の顔があるからこそ、「あ、合羽橋のHP書いている人だ」ということを思い出せるような思考回路になっているのだと思う。(今度妹に頼むときは、私の写真を持たせなくては)

さて、田中商店は、昆布の吹田商店の角を曲がってちょっと行った右側にある。
以前は、そこからまた建物の中に入ったところだったのだが、今は、路地とは言え、ちゃんと道に面するようになって、お客さんが増えたような感じがした。

田中商店のショーケースの上に、本が飾られていて、手に取ってみると、岸朝子さんの「東京五つ星のお土産」という本に、田中商店が取り上げられたそうで、おじさんもおばさんも嬉しそうだった。
何でも、築地界隈で、この本に紹介されたのは、茂助団子と田中商店の2軒だけだそうで、私としても、築地のお土産代表が、茂助団子と田中さんというのは、順当だと思った。
ただ、載ったのは、私推薦のたらこではなく、魚の粕漬けだとのこと。
考えてみれば、ここの粕漬け食べたことがない、いつか買わねばと思うけれど、実は粕漬けはそんなに食べたいと思うものではないので、いつになったら、買うか、実はわからない。(粕漬けに回すより、やはり、たらこを買いたい)

半年振りだったから、田中家の人々も私も挨拶だけではなく、色々話したかったけれど、何せ暮れの築地だから、そうも行かず、おじさんの「こういうとき(年末以外)じゃないときに来なよ」の言葉に送られて家路に着いた。

おじさんと話したのは、おじさんが「築地も変わったでしょう?寿司屋ばかりになっちゃって」とニコニコ言うのに、答えたくらい。
おじさんは、築地場外から商店が減り、寿司屋ばかりできることに不満を持っているのだが、ニコニコしながら、言うので、聞いている方が楽だ。
結局、寿司屋が増えるというのは、築地に今まで買いに来ていたクロウトのお客さんの割合が減り、観光地としての築地を味わいたいという観光客的シロウトの割合が増えることなのだ。

それでも寂れるよりはいいのだけれど、やはり、築地場外の普通の商店主は、皆、観光地になって欲しくはないのだ。

観光客やスーパーに行く感覚で築地に買い物に来るシロウトの客が増えることについて、田中商店のおじさんは、心のイライラを感じさせないで(というか、イライラする程の不満はないのかも)、ニコニコした顔でサラっと流れるように伝えてくれるので、「もしかしたら、嫌やなのかな」程度にしか感じなくて良いので、聞いている方が楽。

「シロウト大嫌い」と言い切る築地の商店主もいるけれど、そこまで言われてしまうと、いくら築地に通っている期間は長いとは言え、シロウトであることに間違いない私には、結構きつい言葉に聞こえて、「そこまで言わなくても...」なんて思ってしまう経験もあった。

以前にも紹介したかも知れないけれど、田中商店のHPです。
「田中家の人々」で、おじさんや息子さんの顔が見れます。(おばさんは美人なのに、公開されていないのが、残念)

築地のたらこ屋さん 田中商店のページ←ここをクリック



トップに戻る


2005年01月05日(水)

25話 クロワッサンのあみたわし


食器を洗うとき、スポンジに洗剤を含ませて洗うのが一般的だと思うが、私は「あみたわし」派。
(あみたわしというと、どうしても「たわし」にイメージが行ってしまうが、実は、「網状の布」で、それを丸めると、たわしのように使えることから、この名前が付いたのだと思う。)

スポンジは、水が切れるまで時間がかかるし、置いておくと水が溜まったり、滴り落ちること、また、お皿を洗うにはいいけれど、コップや深さのあるものの中に突っ込むには、サイズが合わない場合があることが気に入らず、あみたわし派になったのだと思う。

あみたわしの私のお気に入りは、「クロワッサンのあみたわし」。
クロワッサン以外の大手メーカーのあみたわしも試したことがあるが、安いのだが、柔か過ぎて使い難いし、すぐにほころんだりして、気に入らなかった。

クロワッサンのあみたわしは、大手メーカーのあみたわしからすると、確かに値が高いけれど、それだけのことはあり、いつまでも、弾力があって、長持ちしていた。
(古くなると、洗面所やお風呂場を洗うのに回せるから、本当に長持ちする。また、漂白剤につけると、すぐにとてもきれいになる。)

日本橋東急が閉店する数年前から使っていたのだから、十数年使い続けているのだと思う。

確か、日本橋東急の閉店が決まったことが報じられたとき、我が家から一番近いクロワッサンのお店が、我が家から不便な渋谷の東急になってしまうからと、沢山買い溜めてあった。

母も気に入ったので、数枚は母にあげた。

このあみたわしは本当に丈夫で長持ちしていたのだが、とうとう、予備がなくなってしまった。
それで、昨年の秋に、久々渋谷方面に出かける用があった帰りに、クロワッサンのお店に買いに行ったのだ。
そうしたら、あみたわしはあるにはあったが、色も大きさも材質も全て変わっていたのだ。

今までのは、肌色のいかにも丈夫そうな糸で編んだ網だったのが、真っ白な絹のように光る糸で編んだ頼りなさそうなものに変身していたのだ。

お店の人に聞いたら、肌色の堅くて太い糸がメーカーで生産中止になって、昔のようなものを作ることが不可能になったとのこと。
それでも、昔のものに近づけようと、工夫してあります、また、大きさは使い良いように小さくしましたとのこと。

それで、複数枚買おうと思っていたところを、失敗を恐れて、試しに一枚だけ買うことに変更。
そして、今使っているものが古くなったとはいえ、まだ、十分使えるので、新しく買って来たものは、未だに使っていない。

今、このエッセイを書くにあたって、新しいあみたわしを袋から出してみたが、結構良さそうである。
袋の外から見ると、細く頼りなく見えていた網が、実は、二重になっていて、直に触ってみると堅くて弾力があり、昔のものと同じ感じがする。
大きさも昔のものが27cm四方だったのが、20cm四方くらいになり、これはこれで、使いやすいのかなという感じもする。

実際に使っていないので、新しい「クロワッサンのあみたわし」を推薦するかしないか、難しいところだが、試す価値はあると思う。

クロワッサンのあみたわし←ここをクリック



トップに戻る


2005年01月06日(木)

26話 義理堅い奴


三元日が開けたある日、冬休みの甥1が、お店に現れた。
自分は、盲腸の傷が治っていないので、参加できないのだけれど、所属している少年野球のチームの練習を見に行くとのことだった。

(話はずれるが、甥1も甥2も、階上にある自分の家から出かけるとき、また帰ってくるとき、必ず、一階のお店に寄って私に声を掛けてくれる。
これは、家族としては、当たり前と言えば当たり前の習慣なのだけれど、今の時代、そういうことに無頓着の人もいるから、結構身に染みて嬉しい。
是非、彼らは、大人になっても、「知り合いがいたら、挨拶をする、声を掛ける」習慣を忘れない大人になって欲しい。)

その時、ずっと以前から、渡す約束だった500円の図書券が手元にあったので、甥1に渡した。
甥1は「有難う」とそれを折って、財布に入れた。

止せばいいのに、私は、その時に、「そういえば、年末には、盲腸の入院見舞いあげて、お正月にはお年玉あげて、今度は図書券。最近、私は甥1にずいぶん貢いでるな〜」と言ってしまった。(本音)

そうしたら、甥1は、へらっと笑みを浮かべて、頷きながら、へへっという感じで、店の横のドアから出て行った。
で、自転車に乗って出かけたかと思ったら、お店の前の自販機にお金を入れている甥1の姿があった。

彼は、私の言葉に彼なりに反応して、いつもは、「冷たいもの飲んでいい?」とただで飲むお店のジュースを、自分のお金で自販機で買っていたのだ。

本当に小額だけれど、ちょっとはお礼をする気持ちがあることを行動で表わすところが、可愛い甥1であった。(きっと一回だけだろうけれど)



トップに戻る


2005年01月07日(金)

27話 平和がいい


元旦のお昼前に、お墓参りに出かけ、その後、妹からもらった招待券が一枚あったので、上野の森美術館で開かれている「大兵馬俑展」に向かった。

上野広小路の方から、上野の山に入り、西郷さんの像の方に行った。
西郷さんの銅像こそ、地元民が足を向けない地域であり(と、自分の経験だけで、地元民全体のことを語って申し訳ないが)、西郷さんの銅像の間近に行ったのは、小学校以来ではないかと思った。

そうしたら、西郷さんの銅像の近くに「彰義隊」のお墓があって、存在は聞いたことがあったが、訪れたのは初めてだと思う。
彰義隊は、本当にまだ若いというか、幼い男の子が多い軍隊だったと、聞いている。
今の上野の山からは信じられないけれど、140年くらい前、上野の山が戦場で、「幕府を守る」ため、多くの若い兵士が犠牲になったということ、ここにお墓があることがとても可哀相であった。

その前で手を合わせた後、上野の森美術館で、「大兵馬俑展」を見た。

秦の始皇帝のお墓近辺で発見された、所謂、「埴輪」なのだが、日本の埴輪とは、全く異なる、実物大のリアルな軍人、軍馬の像が沢山展示されていた。
土で人形を作る技術力や表現力はものすごく高レベルで、本当に上手。
ほんのちょっとだが、色が残っている人形もあって、完成した当時は、どんなに華やかだったのだろうと思った。

実際に中国から持って来た展示物が、実際に戦いに出陣するときの位置に並べられ、迫力があった。
また、最近の展覧会らしく、展示場にビデオが設置され、中国の出土地のビデオが流されていたが、とてつもない規模で、秦の始皇帝の霊を慰めるべく、土で作られたリアルな軍隊が、秦の始皇帝とともに、眠っていた様子がわかった。
完成まで、40年かかったそうである。

しかし、私としては、やはり、それらは美術品・芸術品には見えなかった。
皆、いかつい顔をした勇ましい軍人の顔をして、強そうな像ばかりであった。

だいたい生まれつきが軟弱、また年を取れば取るほど軟弱度が増してきている私は、「一体、どう育てれば、このようないかつい顔をした軍人ができるのだろう」という方面にしか、興味が行かなかった。
生まれてこの方、軍隊のない、戦争がない国に生まれて育ったせいか、何千、何万という単位の「いかつい顔をした軍人」が存在していた国というのが、不思議であった。
この人たちは、戦いに挑む表情の下に、どんな人間的な顔を持っているのだろうとか、もしくは、そんな個人的感情なぞないも同然の戦うマシーンだったのか、とか、皆、こう並べられると、勇ましいが、実は、多くの人が戦場で、虫けらのように死んだり、傷ついたのだろうと思ってしまった。

結局、秦の始皇帝の時代、戦によって領土を拡大していった始皇帝の欲する、利用価値の高い人間しか生きられなかったのだろう。

こういうことを連想させる土の人形に、私は、芸術性を感じられなかった。
昨年秋に行った「中国出土展」の方が、仏教の影響や精神性が感じられた像が沢山あって、楽しかった。

偶然ではあるが、元日に、幕府のための彰義隊のお墓、秦の始皇帝のための軍隊の土人形を見て、「平和がいい、平和で良かった」とつくづく思った。



トップに戻る


2005年01月09日(日)

28話 昨年末の黒豆づくり


昨年末は、黒豆700gを煮た。

段々要領を得て、煮るのがうまくなっているのだけれど、必ず、どこかで失敗するのは、どうしてだろう?

1.昨年末は、調味液を作って、煮立てた中に豆を投入し、毛布で来るんで一晩置
  く。

2.朝起きて、強火で煮て、アクを沢山取った上で、ガーゼで豆を被って、アルミ箔を
  かぶせて2時間近くことこと煮た。

3.その後、火から下ろして、またまた、新聞紙と毛布で包んだ後、ダウンのコートま
  でかけて、お店に働きに出た。
  (書くのを忘れたが、新聞紙や毛布で包むとき、例えば、フローリングなぞの上に
  置くのなら、その上にマットとか、バスタオルを置いて、床の冷たさが伝わらない
  ようにすることも必要)

4.夜の7時頃、新聞紙や毛布から豆の入っているお鍋を出して、蓋を開けたら、
  何と、ガーゼが外れたまま、保温されているではないか!
  豆が調味液から顔を出し、相当皺が寄っていた。

  馬鹿だね〜、火からおろして、毛布に包む前に、豆がちゃんと調味液の中に浸
  っているか見ないからいけないのだ、と自分を責めても、もう遅い。

  でも、その後、きちんとガーゼで被い直し、火にかけ、1〜2時間煮たら、少しは
  破れたものもあったが、皺が皆消えていた。

  きっと、皺が寄ったことに気付いた時点で、まだ豆が冷めていないで、相当熱か
  ったから、取り返しがついたのかなと思った。

今年が一番楽であった。

砂糖の分量も、その前の年に入れ過ぎて甘くなり過ぎた失敗を参考にして、300gの豆・1600ccのお水に対して、三温糖200g、サトウキビ糖100gで煮始め、最後味を見て、20gだけ三温糖を加えた。
(他、醤油大さじ4、重曹小さじ1/3、塩少々)

このくらいで、ちょっと甘さが足りないかな、これ以上入れると、甘いけれどしつこいかなという境であったような気がする。

来年は、保温時に豆が顔を出していないか確認することに注意して、このやり方で煮ることとする。(これで、作り方がようやく決まったような気がする。)

で、この黒豆は、親戚に評判が良く、皆から褒められた。
なぜかというと、叔父が言うには、セット物のおせちを買ってみたのだが、「どれが美味しくて、どれが不味いということはなく、一律に不味かった」そうで、その点、手作りの私の黒豆の味が引き立ったとのこと。
デパ地下などで予約するおせちは、秋口に調理されて、冷凍保存され、暮れに解凍されて、届けられるのだ。
美味しい筈はない。(なんて、断定的だけれど、昨年のお正月に一度味わって、叔父と同じ感想を持ったのだ)
デパ地下のおせちセットのある限り、私の黒豆の評判は高いであろう。(笑)



トップに戻る

表紙へ戻る