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「美味しい!」が好き 特別編 第八回

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2005年01月10日(月)

1話 焼き塩


野風僧で買い求めたベトナムのお塩が切れたので、暮れに某所からもらった焼き塩を使い出したのだが、お雑煮のお吸い物が全然美味しくないのだ。

最初は、塩分が弱いお塩で、塩味つけにくく、味が決めにくい塩と思っていた。
でも、二度、三度、朝食のお雑煮を食べているうちに、塩味の際立つ汁に、「かつおや昆布の旨みが引き出されていない」と思った。
今までのお塩だったら、汁の中に、塩味を包み込むような旨みを感じるのに、この焼き塩だと旨みが少ないことに気付いた。

出汁は、お酒を入れると、味がはっきりする、そして、お塩を入れると、旨みが増す気がしていたが、それは、どんな塩を入れても起きるということではないのだ。

私は、今回初めて焼き塩を使った。
私の僅かな知識では、焼き塩というのは、粗塩がベトベトしているから、焼いてさらさらにして、卓上で使うお塩である。
そして、通常、和食の味付けでは粗塩を使うものだと思っていた。
それは、「粗塩を焼く手間の分だけ、値が高くなるから」と勝手に思っていたのだが、やはり、低温とはいえ、塩を焼くと、味が落ちるのかも知れないと調べてみた。
結果、やはり、「塩に火を入れると、ミネラルバランスがおかしくなって、味が半減する」と書いてある料理人の文章は発見した。

まさか、調理に向かないから、焼き塩を使わないとは想像したことがなかった。
全く予備知識を忘れて、吸い物に使ってみて良かった、「焼き塩で味付けした吸い物は不味い」とわかったので。(笑)

私の本枯れ節の出しは、評判がよいし、自分でも美味しいと思っていたのだが、焼き塩を使うと、味が余りしないのだ。
(もし、だしだけ渡して、焼き塩で味付けされたら、「大したことない出汁」と思われると思う。)

その力の違いに、驚いてしまった。

そして、インターネットの通販やスーパーの塩売り場で焼き塩を見たが、使い方をはっきり書いてある商品が少なかった。
焼き塩の瓶に「調理用」とまで書いてある製品もあった。

しかし、私のように、ずっと粗塩で味付けした汁ばかり飲んでいたから、焼き塩の味付けに不満を持ったわけで、焼き塩しか知らない人が、調理に焼き塩を使っても、何の不満も持たない可能性があるから、これも問題ではないと言えば、問題ないかも。

ただ、「料理の基本は、味付けは粗塩、食卓でから揚げなぞに振るのが焼き塩」ということ、「焼き塩と粗塩の違いは、サラサラベトベトだけではなく、素材の味を引き出す力が違う」ということを覚えておいたほうがいいと思う。



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2005年01月11日(火)

2話 ベトナムの塩


今回のことで、塩に興味を持ち、インターネットで調べたり、本を読んだら、今まで頭に入らなかった塩に関する知識が、相当す〜っと頭に入った。

塩には色々な製法があるけれど、要は、地理的・気候的制約があってのことなのだ。

海塩に関して言えば、火を通さなければ通さない程、ミネラルの配分もいいし、美味しいし、健康に良いとのこと。
ただ、日本のように、海に囲まれてはいるものの、乾季というものがない多雨多湿の国では、海の水を干して塩を作るのは難しく、平釜方式という海水を煮詰める製法が古来からの手法とのこと。

で、世界で一番美味しい塩は、フランスのゲランドだと言われている。
ゲランドの塩は、短期間の間に、海の中で結晶化され、一番熱を通さないで作られる塩のようだ。

インターネットで色々調べていたら、ベトナムの塩でゲランドを超えているというものがあった。
そのゲランドの塩を越えたというベトナムの「自然海塩」のページを読んでいたら、ベトナムは、亜熱帯で暑く、乾季と雨季がはっきり分かれていて、乾季が塩作りに向いているそうだ。
また、長くフランスの植民地であったことにより、ゲランドと同じ塩田があるとのこと。

それで、謎が解けたのが、「何故、素材と調味料にこだわる野風僧は、ベトナムの塩を使っていて、販売もしているのか」であった。
ベトナムは、気候的にも地理的にも歴史的にも、世界で数少ない「美味しくて、健康的な海塩を生産できる地域」なのだ。

「自然の海水から作られ、加熱されないで、短期間で海で結晶化される塩」が「美味しい海塩」の条件とするならば、ベトナムの塩が値段的に言っても、私に向いているかも。(ゲランドより二割くらい安い)

で、色々検索してみたが、ベトナムの塩で、日本で入手できるのは、「100%自然海塩」「カンホアの塩」「百禄の塩」(野風僧は百禄の塩)など。(興味があったら、これらの名前で検索してみてください)

ベトナムの天然塩のページを読んでいると、「製造過程で、高熱を加えられると、ミネラルバランスが崩れ、微量ミネラルが破壊される塩ができる」「後から加熱してミネラルを加えても体内に吸収されにくい」「高熱を加えると、塩素とナトリウムが強固に結びついて、体内に吸収された塩素が体内から排出されないで、高血圧の原因になる」とあり、熱を通した塩は、やはり、熱を通さない塩より、色々欠点があるのだろうと思う。

そして、日本で売られている自然塩の殆どは何らかの形で熱を通した塩ばかりで、一瞬怖くなったが、今まで、何の問題も起きずに健康にも何の影響もなく、美味しく使っていたのだから、そう怖がることもないなと思った。

でも、健康にも良いとのことなので、今後、今までの赤穂の天塩の他に、ベトナムの自然塩を常備して使ってみようと思っている。



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2005年01月12日(水)

3話 凍り豆腐のオランダ煮 1/2


お正月に長野の温泉に行った親戚が、お菓子とともにみすずコーポレーションの「田舎風味凍り豆腐」というものを送ってくれた。(薄い凍り豆腐が30個)

しっかし、私の家の嫁と妹は「料理しないから」と受け取りを拒否、「だったら、私が食べられるように料理してから渡す」ということになり、暇を見つけて「凍り豆腐のオランダ煮」をベターホームのおかあさんの味を参考に作ってみた。

これが、期待を遥かに超えて、美味しかったのだ。(幸せ)

凍り豆腐は、上手な人が煮ると美味しいけれど、私には、何故か結構難しくて、今のところ、うまくできない料理なのだ。
その点、この凍り豆腐の揚げ出しみたいな料理は、きっと誰が作っても、美味しくできるかもと思って選んだのだ。

実際作ってみたら、煮た凍り豆腐よりも、揚げた凍り豆腐の方が、油の力なのか、コクがあって、噛めば噛むほど奥深い味がある。
今度、お客料理を作る必要があるときは、予め作っておけるし、絶対これを作って出そうと思うくらい、美味しい。

しかし、この年になっても、まだまだ安価で飛びっきり美味しい料理に会えるなんて、嬉しいな。
これからも、探究心旺盛に、色々チャレンジする価値はあると思う。

「乾物戻して揚げて煮る」が面倒な方は、美濃吉とか、そういう店のお惣菜で売っていると思うので、是非、買ってきて味見してみてください。

ベターホームの本を元にした「凍り豆腐のオランダ煮」

四人前

材料

凍り豆腐        4個(70g)
           (叔父のくれた凍り豆腐は、10個で70gの薄いもの)
片栗粉         適宜
オクラ         適宜
揚げ油         適量
だし          カップ2
砂糖・醤油・みりん   各大さじ1
塩           小さじ1/3

1.凍り豆腐は商品の説明どおりに戻す。
  (でも、最後、2,3回は水の中でスポンジのように軽く押して、凍り豆腐の中のお
  水を替えると良いと思う。)

  水気を十分に切って、4つに切って、片栗粉をまぶす(薄かったら2等分)←多
  分、4つとか3つに切る場合、薄くした方が美味しいのではと思うのだが、まだ
  やっていないので、良くわからず)

2.オクラはさっと洗う

3、油を中温(170度)に熱し、1を2〜3分揚げて、紙に取り、油を切る。
  (ちょっと焦げ目が付くか付かないかくらい深く揚げた方が美味しいと思う。)

4.鍋にだし以下を入れて煮立て、油を切った凍り豆腐を入れて、蓋をして、弱火で
  10〜12分煮る。

5.煮上がる2,3分前にオクラを加えて、一緒に煮る。

オクラは面倒なので、省略した。

「ポイントとしては、凍り豆腐は、製造年月日から3〜4か月以内のものを買いましょう。古いものは油焼けしていたり、ふっくら煮えなかったりして美味しくない」と書いてあったが、いただいた凍り豆腐の袋には、賞味期限しかなかった。(笑)



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2005年01月13日(木)

4話 凍り豆腐のオランダ煮 2/2


二回分、凍り豆腐を戻して、一日目は自分の分を煮て、次の日は、甥たちの家や妹の分を煮て、渡したのだ。
そうしたら、夜の8時過ぎに、甥のお母さんから電話があり「もらった凍り豆腐、 もうすぐ食べ切ってしまいそうだけれど、残さなくていい?」とのこと。
何でも美味しいから、甥たちやお母さんの手が次から次に伸びているとのこと、 何と嬉しい反応。
(と喜んだが、次の日、聞いたら、「その日の夕飯のおかずが粗末だったこともある」とのこと)

次の日、私は煮たものを二回食べたのだが、

1.冷たいまま
  冷たいまま食べると、当然固めで、中華の精進料理を思い出す。
  よく湯葉やお麩を揚げて、お肉に似させるというが、そんな感じがした。
  新橋の鴻運の「カオフー」とかいう湯葉の揚げ煮みたいな料理を思い出す食感と
  コク。
  噛めば噛む程、味が出てくる感じ。

2.レンジでチン
  温めて食べたら、おでんのさつま揚げみたいな感じがした。
  それも上質の末広町の構のさつま揚げを煮て食べた感じで、噛むと、口中に
  自然な甘みが広がる。
  さつま揚げと同じような味の広がり方なのに、味は植物性。
  不思議な感じがした。

もし、作ってみようという方がいらしたら、凍り豆腐は、50度のお湯で戻した後、二度、お水の中で絞って、中の白っぽい液体 を吐き出させるといいと思う。

それと、油切りは、揚げ立てを紙なぞにとって、紙に油が染みるのを確認して、裏返して、そちらも紙に油を移してから、煮立てた汁に入れる方が、油っぽくならなくて良い。(油切りはきちんと)

また、「乾物を戻して、揚げて、煮る」というのは、手間がかかるから、前日なり、時間があるときに、戻して、水気を切って、ラップに巻いて、冷蔵庫に入れて保存しておいて、次の日に揚げるというのも楽だと思う。

凍り豆腐については、わからないことが多いので、もうちょっと研究してみたい。

(そう言えば、昨日、「凍り豆腐には、賞味期限しか記されていない」と書いたが、凍り豆腐メーカーのHPを見たら、「賞味期限は、製造年月日から半年」と書いてあったので、買う日より、賞味期限が2,3か月先の物を購入するといいと思う。)



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2005年01月15日(土)

5話 粗塩


塩の話の続きだが、塩の本を読んでいたら、プロは、粗塩を乾かしてから使っていることがわかった。

乾かす方法としては、和食の人が「ざるの上に新聞紙、その上に半紙を置いた上に粗塩を置いておき、半紙が濡れたら、2,3回取り替える」、フレンチの人が「粗塩をパットに広げて、調理場の棚に置いておくと、調理場の熱で塩が乾く」と書いてあった。

半紙は持っていないが、「懐敷」という天ぷらを出すときに、お皿に敷く和紙を、去年の合羽橋祭りで、500枚300円で買い、「一生使い切れないかも」と思っていた私は、この和紙を使って、粗塩の湿気を取ってみた。

二回目までは、2,3時間置いておくと、紙は、粗塩の水分を吸って濡れたが、3回目の紙は、殆ど濡れていなかった。
湿気を取ったときは、「でも、湿気がある粗塩を料理に使っても不自由はないのに、どうしてこんなことをするのだろう?きっと、均等に塩を振りたいときのためかしら?均等に塩が振れる容器も買わなくては」と思ったのだ。

しかし、実際にこの湿気が取れた塩を調理に使い出したら、すごく快適。

どこがかというと、塩は、計量スプーンで量ることも多いが、味を決めるとき、塩の袋に手を突っ込んで一つまみを取り出すことも多い。

今までの湿気を含んだ塩だと、つまんだ塩を鍋の中に落としても、指先に塩が残った。
それが、湿気を取った塩だと、塩を鍋に落とした後、指先がきれいなのだ。
やはり、サラサラのお塩は使いやすいと思った。
今後は、粗塩は一旦取り出して、乾かしてから使いたいと思う。

それと、「焼き塩」についてだけれど、物の本には、「唐揚げなぞに振って食べるときには、焼き塩がいい」とも書いてあったことを付け加えておく。
振って食べる塩は、直接口に入るので、塩味、苦味なぞが弱い焼き塩が良いとのこと。
(焼き塩は焼き塩で、向いた使い道があるらしいと言いたい)



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2005年01月16日(日)

6話 お伽話みたい


杉田かおるさんの結婚の話をテレビで見ていて、「こんなお伽話みたいなことが、実際に起こるのだ」と、私は一人で感激している。

私は彼女のファンではない、ただ、波乱万丈みたいな番組で、生まれてこの方のストーリーを見て、「ずっと行方不明だった父親が突然現れて、連帯保証人になってくれと頼まれ、印鑑を押したら、次の日、失踪してしまい、結果、1億円の借金返済を肩代わりすることになった」と聞いて、同情していた。
テレビのタレントで、恵まれた人なのだと思っていたけれど、実は裏では、そんな不幸を背負っていた人なのだと認識した。

でも、今回の結婚の話は、まるで、自分が悪いわけではないのに、呪いにかけられた普通の女の子が、その呪いに負けないで明るく生きていたら、突然、白馬に乗った王子様が現われて、その女の子をお妃様にしたみたいな感じ。
呪いは、この場合、王子様が解いたわけではなく、女の子が自力で解いたところが現代的。
王子様の出現は、逃げないで頑張った女の子への神様のご褒美のようだ。
呪いが解けただけではなく、「自分の良さ・強さを認めてくれて、大切にしてくれる人」と巡り合えて、「確実な幸せへの世界へ入ることができた」かに見える。
こんなお伽話のようなこと、本当に起こるのだと、感激している。

テレビでは、「負け犬が勝ち犬へ」という調子で報道しているけれど、どうして、「父にだまされて負った負債1億円を14年間頑張って返し続けた生活を送ってきた」ということに、ポイントが置かれないのか、とっても不思議。

同じ負け犬と言われる人たちは、「悔しい」だの「あやかりたい」だの言っているとテレビに映るけれど、杉田かおるさんの人生を、「14年1億円返済していた生活+玉の輿結婚」のセットと捉えれば、皆、羨ましくないだろう。
彼女の今度の幸運は、絶対、その前の不幸に負けなかった14年間とセットなのだ。

もし、1億円ではなくても、私が、26才のときに、自分の年収で14年間細々でも返済せねばならない、誰かに背負わされた借金ができたとしたら、それに耐えられたかどうか、自信がない。

彼女は偉い、どうにかこうにか、誰も頼らず、誰もだまさず、妹さんと二人で、ひたすら働いて、とにかく、自分が作ったわけではない借金を返したのだ。

世の中には神様がいるのだな〜と思った。
他の負け犬さんと言われるタレントではなくて、自分のせいではない1億円の負債を返し終わった人にこんなご褒美のようなことが起きるなんて、何て、神様って、素敵なことをするのだろうと思った。

ミーハーだから、披露宴というテレビも見た。
相手の男性の発言が全て素敵だった。
(杉田かおるさんの家族三人を指して)「この三人は、今まで一生懸命頑張って来た三人です。その三人家族に、これから、私というみなしごが加わって、四人家族になりました」と言っていた。
本当にみなしごかどうかはわからないが、お嫁さんの家族ごと大切にするのだという決意が現れていて、こんなこと言われたら、皆幸せだろう。
今まで、実の父親に裏切られて、誰も頼る人がいないで生きてきた家族なのだから。

杉田かおる一家の苦労を理解して、包み込んでくれる大人と結婚できて、本当に良かったねと思う。
そういえば、この相手の男性も、テレビで、セレブとかお金持ちばかり強調されるけれど、あの披露宴での発言を聞いたら、「杉田かおるさんの『不幸に負けないで生きてきた強さと苦労』を、正当に評価した人」とその心にポイントを置くべきだと思った。

最近のマスコミのポイントの置き方って、即物的で、心を大切にしないような気がした。



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2005年01月17日(月)

7話 不幸色々


そう言えば、「不幸」って、たいていは、自分のせいではないのだ。
たいていは、自分以外のせいで、もしかしたら、誰のせいでもなく、突如として起こるものなのかも知れない。

我が母がC型肝炎を移されたのも不幸だったし、病気の殆どは、自分のせいではないことが多いしね。
生まれつきの障害、病気も、その子が悪いわけでもない。

昨年秋に、キリスト教の布教をしている人たちが我が家に来て、「中越地震が起きましたけれど、どうして、ある人にはあのような恐ろしい地震という災難があり、何も起きない人もいるのでしょうか?不公平だと思いませんか?神様はいるのでしょうか?」と聞かれたことがあった。

そのときは、布教されるのが嫌で、「我が家は結構宗教心の強い家ですが、先祖代々の仏教を信じておりまして、改宗するつもりはありませんので」とか適当なことを言って、お帰り願った。

でも、その人たちの言葉で、「そんな地震に合うかどうかの前に、そもそも、人間、生まれついたときから、平等ではないのだ。生まれついて持った才能や能力、体力も違うし、ものすごく強靭に生まれついた子もいれば、病気を持って生まれてくる子供もいるのだ。生まれた途端、お母さんは死んでしまう子だっているし、捨てられる子供もいる。絶対、生まれた瞬間から、人間は平等な人生を送れないようになっているのだ。」ということが心に浮かんだ。

人間に平等なのは、いつどんな不幸に合うかわからない運命であること(その反対も言えるけれど)、また、いつか死ぬことが決まっていることくらいか?

そういえば、先日、盲腸になった甥が面白かった。
彼の快気祝いを甥の家でやったのだが、「甥1ちゃん、無事帰れておめでとう」ということは受け入れてくれた。
「入院中、心配してくれて有難う」という気持ちもあるようだった。

しかし、実は、甥が盲腸で、入院する少し前に、我が家の近所で、年末押し迫ってから、中村トオルというタレントたちのテレビロケがあるとのことで、ロケを見られる確かな日時を掴んでいたのだが、甥のお母さんともども、甥が盲腸で入院するということで、そのことを忘れてしまったのだ。
で、甥の快気祝いのときに「あんたが突然盲腸になるから、ロケ見に行くの、忘れてしまったんじゃない」と軽く言ったら、甥1が強く抗議した。

「盲腸になったのは、僕が悪いわけじゃない〜、僕のせいではない〜」とのこと。

そう言われればそうなんだけれどね、う〜ん、迷惑を蒙ったのは確かなんだけれどね、でも、そうだね、あんたが正しいよ。
つまらないこと言ったおばちゃんが、お馬鹿さんでした。

そのことで、「不幸とか病気は、その人のせいではないのだ」ということを再び思い出した。

また、話は戻るけれど、不幸に襲われたら、その不幸から逃げないで、嘆きたい気持ちを抑えて、前向きに頑張る姿勢が強いと、きっと杉田かおるさんのように良いことがあると思う。(この法則は、不治の病に侵される不幸以外には、平等だと思う。良いことの程度は平等ではないと思うけれど)

まとまりませんが。



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2005年01月18日(火)

8話 マカロニグラタン


グラタンのこともホワイトソースも、以前書いているようだけれど、最近、また良く作るようになったら、好評だったので、また、書いてしまう。

去年のクリスマスに作って、おじさんフレンドに褒められ、今年に入ってから、甥1の快気祝いに作って持って行ったら、特に甥2が「止まらない、止められない」風に「美味しい、美味しい」と食べてくれた。

甥2に「どこが美味しい?」と聞くと、素直に「マカロニ!」。
思わず、「お馬鹿者、マカロニはスーパーで買ってきた安物で茹でただけなの!ホワイトソースの味が付いているマカロニと言って!」と言ってしまった。(笑)

しかし、本当に、美味しいホワイトソースに絡まった、熱々の、食感のあるマカロニって、美味しい。

でも、味の決め手は、やはり、ホワイトソースである。

私のホワイトソースは、明治の発酵バターと、牛乳は、低温殺菌牛乳だったり、明治おいしい牛乳とか、森永おいしい牛乳を使い、仕上げに、ホールのナツメッグをカリカリとすりおろして入れるから、材料的には完璧。
やはり、料理は材料だよねとも思う。
ホワイトソースは、良質の材料を集めるとは言っても、手に入りやすく、安価な材料ばかりだから、嬉しい。
(前にも書いたかも知れないが、ナツメグは、粉で使うのと、ホールをすりおろして使うのでは本当に効果が違う。)

で、茹でたマカロニをホワイトソースが良く絡むように炒め、海老と缶詰のマッシュルームを水分を飛ばすように炒めて、白ワインを少し入れて煮詰めたりすることもある。
それらを、塩味をつけたホワイトソースで和えて(この部分は、明日補足します)、バターを薄く塗った容器に入れる。
その上に、生パン粉を散らし、すりおろして冷凍してあるパルミジャーノ・レッジャーノを散らし、所々に、発酵バターを置いて焼くのだから、不味い筈はないのだ。

そして、以前は、ちゃんとオーブンを余熱して、グリルモードで焼いていたのだが、今は、私のオーブントースターは奥が深めなので、何とかギリギリオーブントースター内に収まる容器にグラタンを入れ、余熱なしに、オーブントースターで焼いている。
ホワイトソースも一度に1リットルの牛乳で作って、冷凍してあるし、グラタンを焼くのもオーブントースターで手軽に焼けることもあって、最近、再び良く作るようになったのかも知れない。

この冬、一番の私の自慢料理です。



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2005年01月20日(水)

9話 ホワイトソースの作り方 2方式


私は、大学を出てすぐ東京會舘のクッキングスクールに通い、そこで、ホワイトソースの作り方を習った。
今は、やり方を変えてしまったが、小麦粉の炒め方なぞ、東京會舘で習ってよかったな〜という気がしている。

私の場合、牛乳200ccに、小麦粉大さじ1で、バターや油は適当な量で、弱火で炒める。
炒めているうちに、小麦粉がバサバサになって、それでも炒め続けると、クリーミーにまとまりだす。
それより心持ちもうちょっと炒めて、炒め終わり。
最近、全然焦がさず、本当に「ホワイト」色に仕上がるのだが、それは、焦げそうになると、クッキングガスマットを鍋とガスの間に挟んで、火力を本当に弱く調整するからだ。

炒めた小麦粉と牛乳の混ぜ方は、ず〜っと、失敗しながらも、東京會舘風のやり方を通していたが、いつだったか、テレビのためしてガッテンの簡単なやり方を見てから、ガッテン方式になってしまった。

東京會舘のというか、プロの作り方は、小麦粉を炒めて、そこに、熱くした牛乳を少しずつ入れて、伸ばしていくやり方。

ためしてガッテンのは、小麦粉を炒めた後、濡れ布巾の上にフライパンの底を置いたりして、粗熱を落とし、少し冷めた小麦粉に、冷たい牛乳を入れて、泡立て器で完全に混ぜ合わせてから、再び火にかけて、混ぜ続けるやり方。

しょっちゅう作っているのなら、東京會舘風でも失敗は少ないのだが、たまに作るとなると、ためしてガッテン方式の方が、絶対失敗しない。

でも、最近、ホワイトソースを多量に作るようになって、実は、ためしてガッテン方式は、牛乳500mlくらいに便利なやり方なのだと実感している。
牛乳1リットルで、ためしてガッテン方式で作ると、粉と牛乳を混ぜ合わせた後、再び熱を加え、だまにならないように混ぜているのだが、ソースという形状になるまでの時間の長いこと、長いこと。

何度か、1リットルをガッテン方式で作ったが、どう考えても時間がかかるので、次回からまた東京會舘方式に戻ろうと思っている。
(ま、それで失敗したら、また、ガッテン方式に戻るのだろうけれど)

ところで、ホワイトソースは、使うとき、少し水で伸ばして、固型スープをすりおろしたものを入れて味を補って使った方が美味しい。

それと、いつだったから、テレビの料理番組を見ていたら、料理研究家が「ホワイトソースは、冷凍すると、腰がなくなりますから、冷凍はお勧めしません」と言っていた。
思わず、「だったら、市販されている冷凍のグラタンは?」とか思ってしまった。
確かに、市販の冷凍グラタンは、ホワイトソースに腰がないといえば、そんな気もするけれど、別にそんなに気にする程ではないと思う。
気になるのなら、ホワイトソースを作ったときに、マカロニグラタンを作り、残ったものは冷凍させ、クリームシチュウに使えば、全然問題ないと思う。

ホワイトソースは、冷凍可能だと、私は思う。




2005年01月21日(金)

10話 夏に買った日本産高麗人参


去年のクリスマスイブに、夏に菅平で購入したひげ根のような高麗人参を使って、参鶏湯を作ったのを、報告するのを忘れていた。

夏に買って冬に使うのだから、当然、洗って水気を拭いて冷凍しておいたのだ。

冷凍が悪かったのか、細くてまだ若かったことが災いしたのか、原因はわからないが、やはり、本場ものには負けた味であった。
そこはかとなく、高麗人参らしき味はしたけれど、一年もの、二年ものとして売られている韓国産には全然及ばないものであった。

あれはあれで、使いようによっては美味しい使い道があると思うのだが、参鶏湯には、向かないと思う。



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2005年01月22日(土)

11話 不味い食事をすると...


昨年、あるレストランチェーン店のモニターに応募したら、合格した。(というか、応募した人、殆どが合格するのだと思う)

で、一度、某店に、モニターに行って、送られてきたチェックシートに感想を記入、送り返した。

そうしたら、私のモニター内容が気に入られたらしく、継続的なモニターにしてくれるとのことで、勉強会の誘いがあった。

勉強会に出れば、その後、度々、モニターの仕事が来るとのこと。
謝礼は、現金ではなく、2人分の「ご馳走級」の食事代が無料になるというもの。
現在、余り働いていない私は中々年下の友人たちにご馳走できない状況なので、仲の良い友人やお世話になっている人にご馳走もできるし、私の能力が生かせて、割り得だと考え、継続することにした。

勉強会はためになったし、では、頑張るかと二回目のお店に行ったのだが、二回目のお店の食事の美味しくないこと、店員の態度がいい加減なこと....。
無料だと言われても、「不味くて心のこもっていない食事をすること」自体が、私には辛かったし、 その時間も勿体無い、付き合ってもらった友人にも悪いではないか。
しかも、食べ終わってから、一生懸命「いかにひどかったか」をまとめなくてはならない。

また、私は、美味しいものが好きなだけあって、その反対のものを食べさせられると、普通の人より、心が傷つくのか(笑)、文句の文章がよどみなく浮かぶし、自然と、頭で「どうして、こんな不味いものが出てくるのだろう?」と分析し、改善策まで考えてしまう。
(多分、私の味覚は心に密接に繋がっているのだと思う。美味しいものを食べると元気になって、機嫌が良くなる。
不味いものを食べると、心が暗くなって、怒りが浮かんでくるのだが、それを何とか理性で抑えようと改善策を考え出す感じ。<笑>←でも、自分や友人・知人の判断で食事をする場合、不味い店に近付かないから、自分がそういう性格だと忘れていた。)

それをまとめるのに、半日かかってしまうし、一旦、書き終わっても、報告漏れがないか気になってしまう。
しつこくそのことが心から離れない。

初めは、「そこそこの食事を無料で食べて、モニターする」のは、「自分にうってつけ、割り得」と思っていたが、余りに不味い店に当たる経験をしたら、決して、「私には向いていないし、絶対割り損」な商売だと思い出だした。

今後、続けるかどうか、思案中。


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2005年01月23日(日)

12話 浅草松屋地下の丸赤


最近、浅草に行くと、松屋デパートの地下の丸赤に良く行く。
私が思うには、上野広小路の松坂屋の地下の丸赤より、ギンダラの西京漬けの切り落としを売っている確率が高いような気がするからなのだ。
(どうせ、私は、ギンダラの切り落とししか買えないのだ)

上野広小路の松坂屋は、湯島の丸赤本店と徒歩2、3分の距離にあるせいか、生の魚を余り置いていないのだが、浅草の丸赤は、沢山置いてある。

、 以前、鯵の干物が600円だと聞いて「ひーひー」言ってしまったが、現在は、確か、真鯵の干物は1枚千円だったと思う。

しかし、丸赤さんは、そんな干物ごときの値段なんて大したことではない超高級魚屋さんだと、生の魚の値段を見ると、思い知る。

生の魚売り場では、魚の良さより、目の玉が飛び出るかと思う程高い値段に目を奪われる。

今年のお正月のメキシコで取れた本鮪お刺身をデパ地下の普通の魚売り場で買ったら、不味かったので、「来年は、少量でいいから、丸赤でお刺身を買ってみようかな」と、お刺身を見ると、印度まぐろの切り身8切れ、すなわち、一人前で、2千円であった。(知り合いに聞いたら、本鮪は、一人前で4千円だそうだ。)

刺身から鯵に目を移すと、太って立派ではあったが、普通の鯵が一尾1600円、切り身に目を移すと、ぶりの切り身が1切れ2700円だったのだ。
自慢ではないけれど、その半額だったとしても、今の私は手が出せない。
それにしても、鯵なんて、「庶民的な魚」なのに、どうしてこんなに高いのだろう?
大きな鯵だったから、一人一本は不要としても、1600円なり、2700円あれば、家族四人分の結構良い牛肉が手に入ってしまう(なんて、考える私は、本当に庶民的)

「高い魚を買う人が浅草にいるから、売っているのだよな、どんな人が買うのだろうか?顔が見てみたい」とか、「この値段は、売れ残りが出たときの損も含んだ値段かな〜?」とか頭に浮かんだ。

でも、これだけ高いのだから、きっと美味しいのだよねと思う。
ちゃんとどこそこの浜で獲れたかもが表示されていた。
(きっと私の普段食べている鯵やぶりは、網で捕獲するもので、これだけ高いものは、一本釣りなのだと思う。)

毎日でなくていいから、丸赤で、今日の夕食にと、平気で家中の数の鯵やぶりを買えるようになりたいとも思うし、私が金持ちになったとしても、ここでお魚買うのは、ちょっと、成金ぽいかなと思わないでもない。

とりあえず、お金を出せば、美味しい魚がどこで簡単に手に入るかは良くわかった。



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2005年01月24日(月)

13話 小豆を煮る(お汁粉に挑戦)


都内に住む叔母が、「近所で買う小豆が美味しいから」と送ってくれた。
そうなると、小豆の形で弟妹に配ったところで、受け取り拒否されるだけだから、私がお汁粉を作って渡すことにした。

今までは、お汁粉は、母が作っていたから、私は、初挑戦である。
母のお汁粉は薄かった。
小豆が沢山入っているお汁粉や善哉も美味しいけれど、薄いお汁粉というのは、さっぱりしていて、家庭ならではの味ではと思う。

作る前に一番悩んだのは、砂糖を何にするか?であった。
色々本を見たけれど、「砂糖」としか書いていないレシピが殆ど、一つ「グラニュー 糖」ともう一つ「白ざらめ」と書いてあるレシピがあった。

良くわからないけれど、精製度の高いお砂糖より、低い方が味が出るのではと思い、豆250gに対して、上白糖100g、きび糖50gにしてみた。

結果、美味しくできた。

最終、6カップのお水で煮たのだが、砂糖も入るし、計5人で食べるお汁粉の量としては十分であった。

また、自分で茹でる小豆って、本当に栄養のありそうな、身体に染み入るような味がするところも良い。

かかった時間なのだが、人によっては、小豆は、吸水しないから、一晩お水に浸けなくても良いという人もいる。
どっちが正しいかわからないが、送ってくれた叔母が「吸水するものよ」というので私は半日くらいかけて吸水させたが、豆は相当ふっくらした気がした。

で、最初あく取りのためにゆでるので10分くらい。
その後、最初の茹で汁は捨てて、6カップのお水を入れて柔かくなるまで煮るのに50分かかった。
(その間、落し蓋をして、豆が水面から出ないようにして、茹でた。)
本には40分茹でるとあったが、40分ではまだ固かった。
食べてみて、糊化しているという感じになったら、茹で上がりだ。

その後、砂糖入れて10分煮て出来上がり。
(物の本には、砂糖は二度に分けて煮溶かすことと書いてあった。)

また、アクをこまめに取ったせいか、すっきりした味になった。
また、二度水から茹でるわけだが、茹で始めて、初めて沸騰したときに、「差し水」をするの が、小豆を茹でるポイントだそうだ。(皮と身と同じ膨張率で膨らむように茹でるためとのこと)

そんなに付きっ切りでなくても大丈夫だが、放ったらかしで煮あがっているというものではなかった。

これに、焼いたお餅を入れて少し煮て食べるのだ。
白菜とかお新香とか、紫蘇の実漬けなんかがあると、最高だけれど、ないから、諦めた。

後、もう一回分残っている、今度は、どんなお砂糖で煮てみようかな。



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2005年01月26日(水)

14話 和食の食べ放題 浅草 吟味屋


浅草の雷門のバンダイの子会社のビルが駒形の方に移転したのか、お肉の松喜の 並びのビルが飲食店のビルに生まれ変わった。
1F,2Fは、テレビでも何度か映った「築地すし鮮」。
(人気があるみたいで、一時過ぎでも賑わっていた)

そのビルの3Fに、吟味屋という和食の食べ放題ができ、開店の時に、300円引きの券を配っていたのをもらった友人に誘われて行って来た。

一番面白かったのが、お店の作りが、新宿パークハイアットの「ニューヨークグリル」を完全に真似していたこと。
こういう庶民的なお店が、高級店の格好良い作りをうまく真似をして、センスを取り入れているな」という変な感激があった。

エレベータを出ると、すぐ、ガラスで囲まれた全部が見える厨房があり、その前を通ると、今度は、バイキング形式で食べ物が並んでいるところ(ここは違う)、その奥が、窓から明るい日差しが入り、外の景色も見える客席になっていた。

厨房は、結果的には、全然NYグリルのように素敵ではないけれど、「素敵」を狙って設計したのであろうことはとても強く感じられた。
作りは、「NYグリル」風であり、掃除は行き届いているみたいだが、色々な道具や食材が雑然と置かれて、決して、客に見せる厨房の水準には行っていないという感じ。
お昼で、1580円のバイキングだから、食材もそこそこというのはわかるのだが、スーパーで売っているおでんの種の盛り合わせのパックが数個無造作に置かれたりしていて、決して、「美味しいもの好きの人」が行くお店ではないという感じが、入った途端からわかってしまう。

お昼は、お刺身類とお酒は別料金で、他の物は、飲み物も含めて食べ放題で、1580円。(割引券持っていたので、我々は1280円)

で、バイキング形式で料理が並んでいるところに行くと、まず、黒塗りの男性用、赤塗りの女性用と思われる箸、二種類あった。
その減り方を見ると、圧倒的に、お客は女性用ばかりということもわかる。

野菜の煮物、和え物、サラダ、野菜カレー、野菜の天ぷらなどが並んでいて、常時50種類揃っているとのこと。
肉類は、鶏肉の色々な唐揚げ、後は、牛筋の煮込み、もつの煮込みくらい。
魚は、小さめの鯖の焼き物のみ。
後は、ぜ〜んぶ野菜という感じ。
おそばもあったけれど、乾いたようなお蕎麦。(そりゃ、ずっと置いてあるのだから)
お蕎麦が乾くことを前提としているのか、つけ汁は、熱い。
ご飯は、五穀米だ、白米だ、なんだらで、ジャーには入った物が4,5種類あった。(これは温かった)

一応、温かいことが当然な料理は、温めるような装置に乗っているのだが、ぬるかった。(味噌汁は飲んでいないからわからないけれど)

おでんのお鍋はあったが、中は空であった、その隣に、シュウマイの蒸し器があり、この数種類のシュウマイが唯一熱々の料理であった。

一言で言うと、「スーパーのお惣菜売り場の野菜の和風のもの」を並べたという感じ。
たまに、旅館で、朝、バイキング形式のところもあるが、余り程度の高くない旅館のバイキングの種類を増やしたものという感じかな?

デザートは、小さなケーキが2種、小さな大福1つ、ぜんざいがあり、コーヒー、紅茶、飲み放題。(果物も少しあった)

決して不味くはないけれど、「美味しい」という言葉は使えないと思う。
何でだろう?
やはり、熱い物は熱くして出してくれないことと、ずっと常温でラップもなしで置いておかれるから、やはり、味が落ちてしまうのかも知れない。
それに、そもそもの素材が余り良くないのかも。

そう言えば、大阪に「珍竹林」という和食のお店があって、大皿に煮物等を盛り付けて出しっぱなしであったが、注文すると、それを一旦火に通して出してくれた。
あのお店は美味しかった。

所詮、安い食べ放題なんて、こんなものだと思う。
私の友人は、「野菜だったら、いくらでも食べることが可能」という人で、本当に良く食べていた。
そういう人には、とても楽しいお店だと思う。

でも、あそこのお料理を美味しそうに食べる若い人って、もしかしたら、小さい時から、スーパーのお惣菜売り場の野菜料理を食べ続けていて、あれがママの味であり、慣れ親しんだ味だから、平気なのかしらね〜と、ふと思ってしまった。

男性の客が少ないのは、動物性たんぱく質が圧倒的に少ないことと、男性はそんなに長居しておしゃべりしないからだと思う。
そうなのだ、「お友達と、腰据えておしゃべりして、ランチして、お茶できる」お店としての利用価値は高いと思う。
(私たちが行ったのが1時過ぎだったから、空いていてそう思ったのかも知れない。12時頃だったら、混んでいて、また、評価が違うかも知れない。)

私としては、新たにできたお店がどんな感じかわかったので、それで満足。
私としては、同じ値段なら、ファミレスの方が美味しいような気がする。(熱い物が熱く出てくるからかも)

すし鮮もそのうち行ってみます。



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2005年01月24日(月)

13話 小豆を煮る(お汁粉に挑戦)


都内に住む叔母が、「近所で買う小豆が美味しいから」と送ってくれた。
そうなると、小豆の形で弟妹に配ったところで、受け取り拒否されるだけだから、私がお汁粉を作って渡すことにした。

今までは、お汁粉は、母が作っていたから、私は、初挑戦である。
母のお汁粉は薄かった。
小豆が沢山入っているお汁粉や善哉も美味しいけれど、薄いお汁粉というのは、さっぱりしていて、家庭ならではの味ではと思う。

作る前に一番悩んだのは、砂糖を何にするか?であった。
色々本を見たけれど、「砂糖」としか書いていないレシピが殆ど、一つ「グラニュー 糖」ともう一つ「白ざらめ」と書いてあるレシピがあった。

良くわからないけれど、精製度の高いお砂糖より、低い方が味が出るのではと思い、豆250gに対して、上白糖100g、きび糖50gにしてみた。

結果、美味しくできた。

最終、6カップのお水で煮たのだが、砂糖も入るし、計5人で食べるお汁粉の量としては十分であった。

また、自分で茹でる小豆って、本当に栄養のありそうな、身体に染み入るような味がするところも良い。

かかった時間なのだが、人によっては、小豆は、吸水しないから、一晩お水に浸けなくても良いという人もいる。
どっちが正しいかわからないが、送ってくれた叔母が「吸水するものよ」というので私は半日くらいかけて吸水させたが、豆は相当ふっくらした気がした。

で、最初あく取りのためにゆでるので10分くらい。
その後、最初の茹で汁は捨てて、6カップのお水を入れて柔かくなるまで煮るのに50分かかった。
(その間、落し蓋をして、豆が水面から出ないようにして、茹でた。)
本には40分茹でるとあったが、40分ではまだ固かった。
食べてみて、糊化しているという感じになったら、茹で上がりだ。

その後、砂糖入れて10分煮て出来上がり。
(物の本には、砂糖は二度に分けて煮溶かすことと書いてあった。)

また、アクをこまめに取ったせいか、すっきりした味になった。
また、二度水から茹でるわけだが、茹で始めて、初めて沸騰したときに、「差し水」をするの が、小豆を茹でるポイントだそうだ。(皮と身と同じ膨張率で膨らむように茹でるためとのこと)

そんなに付きっ切りでなくても大丈夫だが、放ったらかしで煮あがっているというものではなかった。

これに、焼いたお餅を入れて少し煮て食べるのだ。
白菜とかお新香とか、紫蘇の実漬けなんかがあると、最高だけれど、ないから、諦めた。

後、もう一回分残っている、今度は、どんなお砂糖で煮てみようかな。



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2005年01月27日(木)

15話 二月九日


先日、玄品ふぐというチェーン店のホームページを見たら、「2月9日はふぐの日につき、てっさの入ったコースが、9,10,11日、千円割引」と出ていた。

そして、今日、新聞の折込に、上野の「下関ふく太郎」というお店のクーポンがついていて、2月9日に、そのクーポンを持って行けば、通常4900円のふぐのコースが、何と、2900円とのこと。
(行きたいけれど、きっと混んでいるであろう。)

どうも、ふぐ屋さんにとって、「2月9日はふぐの日」で、お客様に感謝して割引する日のようだ。
私の知っているのは、この2つのお店だけだけれど、探せば、色々なところで、割引をしているかも知れないと思う。(皆さんも、是非、2月9日に割引のあるふぐ屋さんを探して、安く食べてくださいね)

でも、ふぐは難しいよね〜。
私の経験では、やはり、安いふぐ屋さんは、美味しくないと思うのだ。
養殖だからか、人件費をけちっているからか、まだ、良くわからない。

ふぐは、値段相応なのかも知れない。
値段相応だとしたら、同じ金額を出すのなら、安いふぐ屋の「コース」を諦め、家で「ふぐちり+雑炊」だけを食べるのが一番利口で、美味しいと思う。

ふぐさしは、ちゃんとしたふぐ料理のお店で食べると美味しいけれど、安いところはそんなにストレートに美味しいと思わなかった。
また、「取り寄せのふぐさし」は、一度しか食べたことがないけれど、やめておいた方が無難だと思う。

今から、2年前に、妹が、お正月に着くように、下関のふぐ屋から、ふぐさしとふぐちりのセットを取り寄せてくれたことがあった。
ふぐちりは、美味しかったけれど、お皿にきれいに並べられて到着したふぐさしは、食べると「?」と思うような出来。
今まで食べたことのある料理店のふぐさしの美味しさに程遠かった。

でも、考えてみれば当たり前なのだ。
そのふぐさしは、下関でふぐさしにされ、並べられてラップされた状態で、我が家に到着するのに、少なくとも一日はかかっているのだ。
その下関のふぐ屋さんが大々的に通販している会社だったら、ふぐさしを出荷直前にさばくことも考えられず、下手すると、2,3日前に作られたふぐさしかと思った。
ひからびているわけではないけれど、切った後ずっとチルド状態であった感じで、やはり、切り立ての美味しさはなかった。(切らないでチルドはいいけれど、薄く切ってチルドというのは、やはり、ちょっとね〜という感じ)
日にちが経ったふぐさしの味であった。

妹が「これをお正月に取る」とカタログを見せてくれた時は、ふぐさしはきれいで美味しそうで、「下関のものなら美味しいだろう」と、期待してしまった。
しかし、食べてから気付いたのだが、薄切りにされて、ずっと冷蔵状態にされていたものなんか、美味しい筈はない。

まぐろのお刺身だって、切り立てだから瑞々しくて美味しいのであって、スーパーで売られているまぐろのお刺身は乾燥して美味しくないことがわかっているのに、どうして、「ふぐも同じだ」と考えなかったのだろう。
もうあれから、2年、もしかしたら、技術が進んでいるかも知れないけれど、ふぐちりは家で美味しく作ることは可能だけれど、ふぐさしは、やはり、お店で食べるものだと思う。

それにしても、高いふぐ屋に、一年に一度くらい、平気で行けるようになりたい。

(取り寄せふぐのふぐさしが不味いことについて、2003年2月に、簡単ですが、同じような文章を書いていたことに今気付きました。重複でごめんなさい。)



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2005年01月28日(金)

16話 神様の贈り物


杉田かおるさんの結婚のことを「頑張った杉田さんへの神様の贈り物」みたいな文章を書いた後、「私にとっての、最近の神様の贈り物は、母のことを懐かしく思い出すこと」だと気付いた。

私は、生まれてから本当に長い間、母に余り可愛がられず、色々な面で、どうしてもなつけなかったし、仲良くなれなかった。

しかし、以前にも書いたけれど、父が死んだことをきっかけに、完全に、母に対して「保護すべき対象」という気持ちで接するようになった。
それは、努力したという言葉が適切なのかわからない。
その時を境に、母に「私の母であること」を要求しないで、私が母の母である立場に変わったことには間違いない。
時々、小さいときからの恨みなぞが心の中で湧くこともあった、でも、その気持ちには蓋をした。

今、考えると、父の死で変わったのは、私だけではなかったのだ。
母も母で、ワンマンであった父に渋々従っていた頃の自分の辛さ・悲しさに蓋をして、一段上に上って、「家長」としての役割をこなさねばという気持ちに変わっていたのだと思う。

二人とも、それぞれが心の奥に持っていた屈折した部分や恨みつらみに、蓋をして、家や家族のことを第一に考えて前向きに行動したから、楽しい生活ができたのかも知れない。

我が家は、小さな小売店だし、父が死ぬ直前に家をビルにして、アパートも始めたので、慣れない賃貸業もあり、普通のサラリーマン家庭に比べたら、心配事や決めなくてはならないことが沢山あった。
決算、税金、保険、銀行のローン返済、お店の売れ行きがどうした、泥棒に入られた、エレベータのメンテナンスの会社が安いことを言って来た、バブルはじけて賃料下げねばアパートが空いてしまう、ビルにしてみたら、上から下まで階段が長くて掃除が大変だ、一体誰が掃除するの?貯水槽のタンクは何年に一度掃除すればいいの?とか、色々なことがあって、それを能動的に引き受ける人がどうしても必要な環境だったのだ。
父亡き後は、その役を母が当然のことのように引き受けて、家族皆が快適に暮らせるように腐心をし、私がその主な相談相手であり、外に対しては、対外折衝が嫌いな母の代理人であり、手足であった。

母が死んでみて、私と母は、二人で、あ〜でもない、こうでもない、お母さん、そんなやり方ではだめだわよ、こうしたらとか、あんたのやり方は優しくないだの、気が合っていたわけではないけれど、同じ高さの気持ちで家を守ってきたのだなと改めて思う。

母と二人で色々相談したり、慰めたり、慰められたり、事後報告を受けたりしていたことが、その時でも、「それなりに安定した楽しい家庭生活」だとは思っていたが、今は、「かけがえのない良い時代」であったように思えて、とても懐かしい。

そう思えることが「神様の贈り物」なのだと思う。
どうしてかというと、母との最後10年の暮らしを懐かしいと思えることは、私の気持ちを楽にして、温かくしてくれるから。

もし、若いときのように、母に恨みを持ったまま、母が死んでいたら、私は今辛かったろうし、淋しい気持ちの人間であったと思う。

最後の十年だけだけれど、母と仲良く暮らした良い思い出を持ち、母を懐かしく思い出すことができて幸せだと心から思った。

世の中、皆がお手本にすべき完璧な関係の親子から、虐待関係の親子まで、その関係の程度は様々で、親とうまく行っていない子供も相当多いと思う。
親とうまく行かない、親に対して被害者意識を持つ子供の皆さん、何かここぞという機会があったら、一段大人になって、親を理解して、仲良くなってくださいね。
そうしたら、神様が、素敵な贈り物をくれますよ。



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2005年01月30日(日)

17話 水菜のサラダ


先日、友人と野風僧に行き、水菜のサラダを取ったら、シャキシャキした水菜を白いフレンチドレッシングで和えてあるのだが、たまに、ジャコをかりかりに揚げた物が口に入って、中々美味しかった。

そのことを忘れていたのだが、先日、タモリ倶楽部という番組で、「お豆腐屋さんでの宴会」をやっていて、その時に、ジャコ奴が出てきて思い出し、水菜とジャコのサラダを作ってみた。
タモリ倶楽部のジャコ奴は、美味しそうだったけれど、冬場は、昆布の出汁で、湯豆腐にしたものに、揚げたジャコとおしょうゆをかけて食べる方がいいと思った。(それにしても、タモリさんは、料理が上手)

ただ、水菜を食べ良く切って、氷水で冷やし、水気を切って、器に盛り、カリカリに揚げて、油を切ったジャコをバラ〜と置き、ドレッシングをかけて食べた。
(自分で作ったら、野風僧のように、「水菜の合間にたまにジャコ」という感じには作れず、混ぜても「水菜にジャコいっぱい」状態になってしまった。)
ドレッシングは、にんにく醤油のドレッシングが余っていたので、それを使ったが、しょうゆ味も当然合うようだ。

水菜は、柔かくてシャキシャキしていて瑞々しくて、水菜だけで、美味しいサラダになるところが良い。
レタスだと、余程美味しいレタスなら別だが、やはり、胡瓜が欲しい、トマトも欲しいになってしまうが、水菜は、そういうものを欲しないで、食べ続けられるところが、とても良いと思った。

水菜のサラダなんて、ありきたりで、今更紹介することもないかも知れない。

先程インターネットでレシピを検索したら、他に、ベーコンのカリカリ、油揚げのカリカリと合わせるレシピもあった。



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2005年01月31日(月)

18話 合羽橋から行こうと思えば行ける素敵な喫茶店


去年に知ったと思うのだけれど、比較的我が近所に「非台東区的」オーナーの美意識満載の素敵な喫茶店を教えてもらい、ずっと、このエッセイで紹介したかったのだが、忘れていた。

どこもそうだろうが、台東区も不景気だし、高齢化もあり、やめていくお店も多い中、気がついたら、知らない間に、こんな素敵なお店をスタートさせている人もいるのだと、元気をもらった感じ。

シャコンヌ−合羽橋道具街ニイミの次の角を曲がって、松が谷小学校の裏をずっと
        稲荷町の方に進んだ左側
シャコンヌ←ここをクリック

  ここは、中に一歩入ると、木で統一されたインテリア、通りに面した窓の外には
  竹しか見えず、周囲のゴミゴミした雰囲気をとは全く正反対な素敵な空間が現
  れる。
  暑い夏に行ったのだが、本当に、中はオアシスだった。
  店の隅々まで、オーナーの美意識が行き届いていて、洗練されているのだけ
  れど、人がくつろげるような配慮も十分されているのが魅力。
  決して、合羽橋の買い物の後、お友達とキャッキャ騒ぐ喫茶店ではないので、
  注意。

−合羽橋道具街の名無し信号を上野方面へ向かって行く喫茶店
樗(おうち)←ここをクリック

  こちらは、聞いた話では、この家の大工さんの娘さんが木造の古い家を改造して
  台湾茶のお店を始めたとか。
  内装は、古い民家の良さを生かして、これまた、オーナーの美意識が隅々まで
  行き届いている。
  1Fで座った席から、向かいのお寺の鐘楼、緑が見えたのだが、京都にいるよう
  な景色で、「台東区の一部を切り取れば、京都の寺院くらいの景色が作れるの
  だ」という驚きがあった。
  樗さんのホームページを見ても、余りその借景の素晴らしさが出ていないのが残
  念。
  夜は当然店の前のお寺は真っ暗だから、お昼から午後に行くことがお勧め。
  お昼はランチがあったが、結構高めだと思う。
  時間を外せば、お茶だけも可能だと思う。

両方とも、専門誌なぞでは紹介されているようで、両方とも、隠れたる人気があるのではと思う。

この二つのお店は、同じ台東区でも、谷中あたりに作れば、もっと人気が出るだろうにと思う。
台東区南側は、こういう素敵なお店ができても、一所にまとまらないのが、辛い。

実際にいらっしゃるときには、本当に路地の目立たないところにあるお店なので、マピオンなどで、しっかり検索してからいらしてください。



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2005年02月01日(火)

19話 評判の良いお味噌


昨年夏、インターネットで知り合った在ロスアンジェルスの日本人夫妻が、我がお店に来てくれた。
その時に、賞味期限切れのお酒と私の手作りのお味噌、我がお店のパックの賞味期限が切れたお味噌等をプレゼントした。(そうしたら、野風僧でご馳走してくれたのだ、どうも有難う)

で、アメリカに帰ってから、奥様の方から「手作りも美味しかったけれど、お店で売っていたお味噌も美味しい、東京の叔母に半分置いてきたら、叔母もあのお味噌が気に入ったようだ。叔母が買いに行きたいと言っているのだけれど、どこで売っているの?」と連絡があった。

私が小さいときは、我がお店には、ホウロウの大きな樽に入ったお味噌が数種並び、計りで売っていたけれど、母の時代の末期には、我がお店でお味噌を必ず買ってくれるのは、お寿司屋さん一軒だけだったので、弟が多慶屋で買ってきて、お店に数個置き、自宅用に使ったり、売ったりしていた。

そのことを知っていたので、御徒町の多慶屋でまだそのお味噌を扱っているか見に行ったら、あったことはあったのだが、色が全然違った。
我が家に残っていた売れ残りのお味噌は、熟れた茶色であったが、多慶屋のは、新鮮そうな黄色であった。
我が家で一年近く保存されていたので、熟成して、茶色になっていたのだ。

今も、私の冷蔵庫に使いかけが半分くらい、まだ、未開封のパックが1つある。
未開封のパックの賞味期限を見たら、「2003年11月2日」だ。
このお味噌が並べられていたお店は、ずっとシャッターがおろされ、冷暗所となって、ちょうどお味噌の熟成に良い環境だったに違いない。
今でも十分美味しく食べることができるし、もしかしたら、多慶屋に並べられている賞味期限内のものよりも、美味しいかも知れない。(笑)
(当然だが、何年かかっても食べ切るつもり)
多慶屋の賞味期限の切れていないものを買ってきて、比べてみたいが、自分の手作り味噌3kg程度に、このお味噌が1.5パック手元にあるので、それができないのが、残念。

会津みそ無添加 赤 中辛口
名水百選・磐梯山の自然水使用

多分国産大豆ではないけれど、遺伝子組み換え大豆を使用していないと書いてあるし、結構、良いものだと思う。
手作りが面倒な方は、このお味噌を多慶屋で購入して、一年くらい日の当たらない、湿気の少ない場所に寝かせておけば、手作り風の美味しい味噌になると思う。
(多慶屋一階の食料品売り場の味噌のコーナーに、大手メーカーのだし入り味噌なぞと一緒に並んで売られている)

製造元の会津天宝醸造のHP←ここをクリック

この多慶屋で売っているお味噌は、通販されていないようだ。
多慶屋のこのお味噌より更に高級なものを買いたい場合は、このHPが役立つと思います。

それにしても、何でお味噌に賞味期限があるのか考えたのだが、きっと、色が変わらない期間が賞味期限なのかも知れない。
決して、食べられないわけでも、品質がおかしくなるわけでもなく、もっと美味しく食べられるようになる可能性があるのに、味噌の賞味期限は不要な気がする。



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2005年02月03日(木)

20話 酢味噌


御徒町吉池の地下で、わけぎは高いのだが、わけぎの切ったものの袋詰だと、100円くらい安い。
たまには、ぬたなぞを食べたいと思い、買ってみた。
季節が季節なら、うどを入れると美味しいのだろうが、今は冬、しかも私は一人、シンプルに、わけぎと若布と何か魚系を一種で作ることにした。

で、肝心なのは、酢味噌だ。
酢味噌は、私の持っている和食の本では、白味噌を使い、すり鉢でするみたいなレシピで、材料から作り方から、結構面倒な記憶があった。

でも、絶対簡単な方法があると思って、女子栄養大学の集団調理に主に使われているであろう「調理ベーシックデータ」を見たら、見事分量しか出ておらず、その分量を混ぜて作ったら、結構美味しくできた。

分量は簡単で、「赤味噌、砂糖、お酢が大さじ1、出汁だけ2」ととても覚えやすい。
(白味噌なら、お味噌は、大さじ2)
最後仕上げに、チューブの辛子をしぼり入れて、混ぜればもっと美味しい。

出汁が熱かったら、その出汁で、赤味噌とお砂糖を溶けばいいし、出汁が冷めていたら、全部材料を入れて、電子レンジでチンして、かき混ぜて、冷ませば良い。

家で簡単にぬたを食べるのには、これで十分だと思う。

で、作ったぬたは、わけぎをお湯でゆがいた後、お水に晒さないで、熱いのを冷ます。
塩蔵わかめは、水で洗って、少し水に浸した後、計量カップにお水を入れて電子レンジでチンして熱くし、その中に入れて、茹でる。

今回、魚系は、面倒だったので、茹でたたこを買って来て、食べよく切った。

これらを混ぜて、この酢味噌を混ぜて出来上がり。
結構美味しく食べられた。
(多分、茹でて水にさらさないで冷ましたわけぎの匂いとか味、薄い皮の食感と酢味噌が合って、美味しいのだと思う。)

その後、「酢味噌」で検索したら、この分量で、出汁を油に代えたり、お酢をもうちょっと足したりすれば、「味噌ドレッシング」になることを発見。
近々試してみるつもり。



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2005年02月04日(金)

21話 ステンレスボトルの中栓


私は、一年以上前に購入した250ccと500ccのステンレスボトルを2つ持っている。
両方とも、御徒町多慶屋とシモジマで、500円の特価で買ったもので、過去にも「特価品でない、高いステンレスボトル」を買った経験がなかった。

で、2,3日前に、コーヒーの入っている500ccの方のコップを開けたのだが、油断していて、それがノート型パソコンの上だった。
それが、運悪く、中栓が壊れていたらしく、液体が出ないようボタンを押してあったのに、液体が漏れて、コップに溜まっていたようなのだ。
(そういえば、今までも、たまに、きちんと締めたつもりなのに、このようなことがあった記憶がある。)

そんなに多量ではなかったが、当然、ノート型パソコンのキーボードを直撃。(涙、涙、涙)

で、急いでPCの上に落ちたコーヒーの水滴を拭き取ったものの、キーボードの動作がおかしい。
慌てて、背中にパソコンを背負って、サービスセンターに持ち込んだ。
私のミスだから、一年以内の故障でも、費用私持ちはしょうがないのだけれど、被害は最小限のキーボード取替で済んでひと安心。
あ〜、マザーボードやハードディスクが無事で、本当に良かった。

そして、反省したのだ。
安物だから壊れやすいのは当たり前で、その上、実際壊れかけているものを、けちして騙しだまし使うから、こういう事故に遭うのだと。

ちゃんと、中栓がしっかりした物を買わねばと、多慶屋に見に行ったのだ。
サンプルを手に取ってみると、千円〜二千円の間の中栓は、500円のものとは違う設計で、丈夫そうに、壊れにくそうに見えた。
だから、ちゃんと特売ではない1300円のステンレスボトルを買って来た。

しかし、しかしである、家に帰って、中の説明書を取り出して読んだら、「中栓は消耗品です。1年を目安にご確認ください。中栓の樹脂がザラザラしていたり、損傷している場合は新しい部品に交換(有償)してください。」と書いてあるではないか!
ま、一年でだめになることはないかも知れないが、新しい中栓の定価が700円。

そうか、これは、特売品だからだめなのではなくて、良いものを買おうが、中栓は消耗品で、長持ちしないものだったのだ。
だったら、500円のボトルで十分だったのだ。

つまらないことだけれど、こういうことも苦労しないとわからないものだと思った。

ただ、確かに、500円の安物は、どうも、液体切れが悪く、使い終わって、ボタンを締めるモードにしても、横にして振ると、液体が出るようなことがあった。
今度の非特売品は、まだ使っていないが、やはり、そういう症状はないと思う。(あったら、報告します)



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2005年02月05日(土)

22話 きちんと整備−ノートPCの周辺


今日は、料理関係の話ではありません、ごめんなさい。

昨日、ステンレスボトルのちゃんとしたものを買おうと、多慶屋に行ったついでに、「ノートPC」もきちんと使えるような道具を探した。

買ったものは、「USBクリーナー」と「ノートパソコン用液晶画面専用クリーナー」
で、今日は、「USBクリーナー」の話をさせてください。

ノートPCというのは、キーボードにカバーをつけて使えばいいのかも知れないが、やはり、キーが打ちにくくなるし、カバーなしで使うと、キーの下にゴミが溜まりやすい。

自分の恥を書くようだが、一昨年の冬、CDの部分が調子が悪くなって、4年使っていたPCをメーカーのサービスセンターに持ち込んだところ、「劣悪な環境で使用した結果だと思いますが、キーボードの下が劣悪に汚れ、そのうち、マザーボードも侵食されそうだ、早めに買い替えした方がいいですよ」と言われたのだ。(だから、昨年秋に、PCを新しくした。)

確かにね〜、私は、特別にPCワーク用の机やスペースを持っているわけではなく、生活の場で使っているし、タバコを吸う、これが原因だ。
特段、PCの周囲の掃除なんて気にしていなかったのは確か。
しかも、ノートパソコンは、キーを外して掃除ができるような仕組みになっていないのだ。

だから、新しいPCを買って4か月だが、今度は、きれいに使いたくて、ノートPCを置くテーブルが汚れていればきれいに拭き、しょっちゅう、キーの下にゴミが入らないか気をつけて、ウェットティッシュで隙間を拭いたりしていた。
また、古いノートPCは、余り閉じないで開けっ放しだったが、あれも、実は埃が溜まる原因だろうと、今度から、ちゃんと使わないときは閉じて使うようにした。

しかし、今回お水をかけたことで、キーを数個外してみたら、やはり、キーの下には細かいゴミが多少なりともどのキーの下にも溜まっていた。(4か月でこれだけ入るということは、一年経ったら、相当汚くなるなという印象)

使用環境や清掃状況を「劣悪」から「悪・普通」程度に改善したって、ノートPCのキーの下にはゴミが溜まりやすいのだ。(オフィスならともかく私の部屋のように、生活している場所は確実にゴミや埃が多いのだ。)

それで、以前、多慶屋で、PC用の小さな掃除機を見たことを思い出し、PC売り場で買ったら、これが快適。

乾電池で動くものかと思ったら、PCのUSBポートに繋いで、パソコン本体から電気をもらって動く仕組み。
乾電池も不要で、多慶屋のお値段850円、早く買えば良かったと思った。

製造元のLOASの商品検索画面←ここをクリック。
ここから、『サプライ他分類』の『USB関連機器』をクリック。そこから、『USBグッズ』をクリック。『USBグッズ』の上から二番目のUA−009です。

(私のようにタバコを吸う人には、UA−011の「マイナスイオンを発生させパソコンの周りの空気をきれいにします」も必需品かも。多慶屋で売っていないので、今のところ持っていませんが、見つけたら、買ってしまいそう)

UA−009は、ちょうど、手の中にすっぽり納まるくらいの大きさで、普通の吸い込み用のノズルとブラシ付きのノズルがついている。
ブラシ付きの方は、キーの隙間に突っ込んで掃除できる。

これが結構気に入って、昨日から、PCに付けっ放しで、PCを使う合間、時々、電源を入れて、キーボードを掃除しながら、使っている。
これがあれば、数年後でも、人並みに、清潔なPCが維持できそうで嬉しい。



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2005年02月06日(日)

23話 生姜のすりおろし


母がいて、家庭があった頃は、生姜を買ってくると、使うだけ使って、残りは、袋に入れて冷蔵庫に入れたり、常温で保管していた。
それでも、使う回数が多かったのか、無駄にすることもあったけれど、その方法で不満はなかった。

が、現在、一人分だけ作るようになったら、生姜を中々使い切れないで、腐らせることが多くなった。

それで、以前、MLで聞いた覚えのある「生姜はすりおろして、平らにして冷凍にする」という方法を試してみたら、うまく行って、現在では、生姜は買ってくると、「全部皮を剥いて、すりおろし、パットにラップを敷いて、平らにし、上からラップを被せて、冷凍庫へ」というのが、習慣になってしまった。(もう既にこの方法の方も多いのではと思う。)

完全に凍ったら、バリバリと小さく割り、改めて、ビニール袋に入れて、冷凍庫で保管している。

生姜のしぼり汁が欲しいときは、少し前に出しておけばいいし、炒め物には、凍ったまま入れてしまう。
薄切りも試してみたけれど、薄切りとすりおろしと一緒に保管したせいか、「わざわざ薄切りとすりおろしを分けて冷凍する意味」が見出せず、すりおろしさえあればどうにかなるので、薄切りの冷凍は、止めてしまった。

今、冷凍の本を見たら、にんにくも同じようにすりおろして冷凍すると良いと書いてあったけれど、にんにくは、するのが面倒だし、すりおろしよりも、薄切りやつぶして使うことが多いので、冷凍にはしていない。
常温で保管すると、にんにくは芽が出てくるが、食べられるし、古くなりそうだと思ったら、スパゲティに使ってしまえばいいので、そんなには困っていない。

生姜に関しては、無駄が少なく、もっと以前から「すりおろして冷凍庫」を実践すれば良かったと思っている。



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2005年02月07日(月)

24話 難しいこと


2,3年前に、久々に大学時代の友人に会ったら、その友人の同僚で、若いときに私も何度か一緒に遊んだことのある女性が既に癌で亡くなっていたことを教えてくれた。
彼女は、いつもニコニコしていて、健康的で明るいのだが、でしゃばることなく、皆に気を遣う良い人だった。

私と同じ年で、「癌で既にこの世にいない」と聞いて信じられなかった。

癌になった原因は、職場でのストレスとのこと。
その女性も私と同じで、結婚しないで、ずっと大学を出てから同じ会社に勤めていたのだが、時代が変わって、男女雇用均等法等の影響で、総合職に近い位置づけになり、事務の若い女性たちを管理することになったそうだ。
しかし、その部下の女性たちは、会社が決定した制度で上司になったからといっても、素直に命令を聞いてくれなかったそうである。
部下の女性たちに仕事を頼むと「はい」と返事するのに、実際はやってくれないことが続き、彼女は、土日出勤して、自分で、部下がやるべき仕事をこなすことが多くなり、それがストレスとなって癌になったのでは、とのことであった。

その話を聞いて、私も経験があったので、彼女の辛さが良くわかった。

私の場合は、自分で総合職になったのだ。
会社を退職する前の最後の職場で、やはり、事務職の女性たちを管理して、仕事をさせる任務を与えられた。
私もその亡くなった彼女と同じで、部下の女性たちに仕事を頼んだり、「こうしてください」と頼むと、「はい」という返事が来るのに、やってくれないことが度々あった。

私は、結構強い性格だから、「どうして、言うことを聞く気もないのに『はい』と言うの?」と率直に聞いたことがある。
私の言うことを聞かないその女性は、「だって、目上に『いいえ』というのは、失礼ですもの、森さんにそんな失礼なこと言えません!」と、しらっと言った。

心の中で、「『はい』と返事をしておきながら、言うことを聞かない方が余程失礼じゃないか」と思ったが、そんな理屈の通じる相手ではない。
どうも彼女の中では、「目上の人に『いやです』とは言ってはいけない」という礼儀を知っている折り目正しい自分と、「こんな人のいうことを聞くのはたまらない、元のように男性の上司の下につきたい」という女らしい自分がいて、その両方が相反することではなく、両方とも自分の中で「是」なのだと思った。

私の場合、幸運なことに、その女性がまもなく臨月近くになり、産休・育児休職に入ってくれたので、助かったと素直に思う。
もし、そうでなければ、ノイローゼや病気になったか、会社をもっと早く辞めていたであろうと思う。

女性全体に言えることではないけれど、女性の中には、上司が女性になることを嫌う人たちが確かにいる。
私が総合職になって思ったのは、男性の内面には、小さいときから、「女性は弱いものだから、女性をカバーしてあげなくては、可愛がらなくては、わがままを聞いてあげる」ように教えられ育った部分が、女性対女性の場合に比べたら、数段あるように思った。(特に年取った男性)
男性のそのような気持ちに保護され、自分も男性である上司を女性としての気遣いでカバーし合う関係に慣れた女性にとって、女性の上司が上に来るということは、全く不利益しか感じないことだと思う。
(そう考えると、そのときの自分には、部下になった若い女性を「弱き者としてカバーしてあげなくては」という気持ちや余裕が全く欠落していたということがわかる、反省。)

また、私の時代の男女雇用均等法で総合職になった女性は、実は、「法律ができたから、会社がやむを得ず法律に応じて作っただけの総合職で、会社も出世させる気もないし、持て余している」と皆感じ取っていたのだ。
その意味では、そういう社内で実力のない上司の下につかなくてはいけない女性たちの静かな反発は、わからないわけではない。
彼女たちだって、その会社でなるべく賢く生き延びて行かなくてはいけない人間だから。

私は、今は会社を辞めて家にいるのだが、こういう問題は、別に会社という組織にいなくてもあるものだと最近感じることがあって、この話を思い出した。

どうも、人に「No」というのは失礼だから言ってはいけないことで、何にでも「Yes」という人は結構いると思う。
私はそういう人間ではないから、そういう人の気持ちが本当には理解できないのだが、どう考えても、「はい」と言ったら、嫌々でも、「はい」という言葉どおりに動くことが正しいことだと思う。
(どうしても、納得できない命令や依頼だったら、納得できるように話し合うのが、ルールだとも思う。)

でも、そうでない人間も多いわけだから、見分けなくてはいけないのだが、それはすごく難しい。
わからないときは、「今の『Yes』は、本当の『Yes』ですか?礼儀としての『Yes』ですか?」と聞いてしまおうかしら?
その方が、トラブルが少ないような気がする。(笑)



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2005年02月08日(火)

25話 酒屋で宴会


酒屋を始めて2か月、全然儲かっていないし、「今後も酒屋を続けるか」といつも心の中で考えている。
だからと言って暗いわけではない。
今は様子見の時期、いつまでもそんな様子見ばかりしているわけにも行かないとわかっているけれど、別に深刻にもなっていない。

店売りの酒屋は、想像した以上に儲からないけれど、結構、楽しい。
まだ数は少ないけれど、たばこやお酒を定期的に買いに来てくれる人もできてきて、そういう人たちには勿論、初めての人が買いに店に入ってきてくれても、「有り難いな〜」という気持ちが湧いて、心から「有難うございました」と言えることが、今の私には一番楽しいこと。
(我が母が「お店番が好きだ」と言っていたけれど、わかるような気がする。素直に、買ってくれたお客さんに感謝できるのだ。)

また、この2か月の間、親戚が浅草に来たからとビールを買いに寄ってくれたり、複数の友人も遊びがてらお店に来てくれたことも楽しいこと。
(余りお客さんが来ない店なので、椅子を出して、話し込むことが可能<笑>)

先週は、年賀状で私が酒屋を始めたことを知った、銀行時代の同期の男性の友人がふらっと来てくれた。
彼と私は、男女共学の高校の同級生同士という感じの友達で、長い長い間、切れないで、時々一緒にお酒を飲んでいた。

その人は、お土産を持ってこなかったからと、我がお店の2リットルの日本酒とおつまみを買ってくれた。
まさか2リットル飲むとは想像していなかったので、「これ、ボトルキープしておいてね」とのことであった。
紙コップ出して、6時くらいから、お店を開けたまま、二人で宴会を始めてしまった。(笑)

そこに、たまに、我がお店で、ワンカップを買って、駅まで飲みながら歩いて帰るサラリーマンのおじさんが、買いに来てくれ、もうほろ酔い機嫌の二人が「一緒に飲まない?」と誘い、そのおじさんも宴会に仲間入り。
その後、もう一人、お店に良く買いに来てくれるお客さんが来たので、同じように誘ったが、「まだ仕事中」とのことで、その人は、加わらなかった。

私の同期の男性と飛び入りしたお客さんが同じ県の出身とのことで、盛り上がり、2時間くらいで、2リットルのお酒は全て飲み干された。

お酒飲みながら、宴会しながらのお店番は楽しかった。
毎日宴会しながら、酒屋のお店番するのもいいなと思った程。

また、たまには、宴会しに誰か来てくれないかな〜と、心の中で期待している私です。(笑)



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2005年02月09日(水)

26話 理想の「酒屋で宴会」


昨日、お店番をしながら宴会した話を書いた。
昨日の話の友人が、前以て「そのうち行くから」とは言ってはいたものの、何の連絡もなく、来たので、何もできなかった。

もし、前以て連絡があったら、私は、タモリ倶楽部で時々やっている「八百屋で宴会」とか「豆腐屋で宴会」もどきの「酒屋で宴会」を考えていたのだ。

実際できるかどうかは別として、私が考える「酒屋での簡単料理宴会」をば。
(酒屋だけでは、やはり、酒の肴を揃えるのは無理なので、近所の力も借りる)

もし、時間とお金に余裕があったら、「ちょっとお店番していてね」と言って、近所に買い物に行く。

まずは、近所の魚屋で、ぬめっとしている中トロのお刺身1人前を切ってもらう。
これにお醤油を用意して一品。

肉類は、自分の家で国産の鶏肉を刺して、焼き鳥を焼いている鶏屋さんの焼き鳥。

また、季節が合えば、スーパーで茹でた枝豆を買う。

酒屋料理としては、やはり、缶詰料理で勝負だな。(今、私のお店では缶詰は売っていないけれど)

「ちょっとお店番しててね」と言って、自分の部屋で大根おろしをおろし、鮭缶を皿に開けて、水気を絞った大根おろしを上に置き、食べるときに、お醤油をかける。

後、生姜をおろして、卓上コンロと網を持ってお店に行く。
皆の前で、いわしの味付け缶を開け、生姜のおろしたものを沢山入れて、網の上に缶のまま乗せ、グツグツ言うまで煮る。
熱々になって、良い匂いがしてきたら、出来上がり。

網があるのなら、小魚の網があれば、あぶって、酒の肴にいいな〜。

もし、サラダ類が欲しいと言われれば、水菜のサラダが簡単で良さそう。

足りなかったら、ポテトチップス・ピーナッツ等の乾き物。

乾き物のイカの裂いたものに、マヨネーズ・醤油も魅力的。

お、そうだ、イカなら、イカの味付け缶は、まだあるのかしら?
あれも、お皿に開けるだけで、酒の肴に十分なる。
圧力鍋で煮たイカが美味しいのだよね、箸でつまんで引っ張るだけで、身が輪っかになって、はがれてくる。

それで思い出したのが、イワシのオイル漬け缶。
あれも、クラッカー買ってきて、玉ねぎのスライスでも用意して、乗せて食べたら美味しいよね。

こんな感じかしら?

前日から、用意することができるのなら、外で買うものは、中トロくらいにして、2,3品作っておける。
寒い今の季節なら、お豆腐買っておいて、湯豆腐も、魅力的。

いつか、自分も飲みながら、気楽なお酒仲間とこんな宴会を開きたい。



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2005年02月10日(木)

27話 ブロッコリーのスパゲティ


最近、中々ちゃんと料理をすることがなくて、いい加減な料理ばかり作っている。(料理という程のものではないかも)

ある日のお昼は、ご飯がなくて、冷蔵庫にブロッコリーの茹でたものがあったので、アーリオリオ・ペペロンチーニみたいに、にんにく・赤唐辛子・オリーブオイルでソースを作るのだけれど、そこに、ブロッコリーを細かく刻んだものと、ハムかベーコンを入れて、スパゲティを作ったら、美味しいのではないかと思いついて、作ったら、結果美味しくて気に入った。
(以前、有元葉子さんの「ブロッコリーのオレキエッテ」を作ったことがあったからだと思う。)

量は適当です。
(刻んだ「茹でたブロッコリー」は、スパゲティ全体に行き渡るくらいの量。)

作り方

1.スパゲティを茹でるお湯を沸かす。

2.にんにくは二つに切って、つぶしておく。
  赤唐辛子は種を抜いておく。
  茹でたブロッコリーは、粗く刻んでおく。

3.お湯が沸騰したら、お塩を入れて、スパゲティを茹で始める。

4.オリーブオイルをフライパンに入れて、火をつけて、にんにくをこんがり炒める。
  (炒めるというより、揚げる感じか)
  次に赤唐辛子を入れた後、ブロッコリーとベーコンかハムを入れて、炒める。
  (塩・胡椒を振る)

5.ブロッコリーが良く炒まったら、フライパンに、少し茹で汁を入れて、フライパンを
  振って油と混ぜる。

6.ここまでできたら、味を見て、仕上げるのだが、スパゲティがまだ茹だってなか
  ったら、火を止めておく。

7.スパゲティが茹で上がったら、再び火をつけて、水気を切ったスパゲティを入れ
  て、少し炒めて出来上がり。

8.パルミジャーノ・レッジャーノのすりおろしをかけて、良く混ぜて食べる。

このスパゲティは、飽きないで食べられる味だし、粗く刻んで熱いブロッコリーが今の季節食べやすかったこともあり、茹でたブロッコリーがなくなるまで、一週間に三回食べてしまった。

作り方が適当で、順序間違えても美味しい。(唐辛子を炒めるのを忘れたりした)

一番美味しかったのは、生のマッシュルームが少し残っていたので、これも粗く刻んで、ブロッコリーとともに一緒に炒めたとき。

もし、生のマッシュルームがあったら、是非、加えてください。

実は、このスパゲティは、スーパーで、国産ブロッコリーを見切り品で安く売っていたのを買ってきて、茹でて、ジップロックに入れて冷蔵庫にあったときに、作ったもの。
やはり、国産のブロッコリーの方が美味しいと思うので、安いときに、作ってね。



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2005年02月12日(土)

28話 招き猫はどこで売っているのでしょう?


友人が店を引っ越したことで、猫好きな私は、招運グッズ各種の中から、「招き猫」をプレゼントすることを思いついた。

まずは、インターネットで、最近のトレンドをチェック。
どうも「風水招き猫7匹ワンセット」が私のお気に入りであったが、通販で買うのは、実物を見ていない点が不安だし、運送料などの余分な費用がかかるので、やめておくことにした。

一番プレゼントしたいと思ったのは、お金で問題がある友人に「西に置くと金運がつくという黄色い風水招き猫」であった。
(実は、私は、先週、保険屋さんに、黄色い花の鉢植えをプレゼントされ、「これを西に置いてね、金運がつくから」という言葉が添えられ、やはり、価格に拘らず、その人の幸運を願った物を送られるというのはいいものだと感じたばかりであった。)

それで、黄色い風水招き猫を探して、昨日の祭日から今日まで、黄色い招き猫を求めて、台東区中を自転車で走り回ってしまった。
(ま、東急ハンズあたりに行けば、走り回らなくても手に入るかも知れないが、高いような気がしたし、電車に乗って出かけるのが面倒であった。)

はて、「招き猫」はどこで売っているのだろう、と考えたときに、「観光地、おみやげ」という言葉が頭に浮かび、まず、思いついたのは、「確か、谷中銀座のどこかのお店に、招き猫を沢山みたような気がした」ということ。
谷中銀座も最近は観光地だから、「招き猫」を土産物で売る店があっても、おかしくないし、確かな気がした。

その記憶を頼りに、自転車で、上野公園を芸大の方から抜けて、谷中銀座に行ってみた。
芸大を抜けて、愛玉子のお店の先のおみやげ物屋の前を通ったときに、招き猫が見えたので、自転車を降りて見てみた。
黄色い招き猫もあったことはあったのだが、値段も安かったのだが、表情が気に入らず、止めておいた。

谷中銀座は、記憶違いだったのか、ここと思っていたお店には猫一匹いず、他の江戸みやげのお店に少しいた。
でも、古典的な招き猫だったので、谷中銀座で探すのは止めておいた。
値段も手頃だったが、やはり、トレンディな風水猫の方に惹かれてしまった。

次に、頭に浮かんだのは、「きっと、招き猫は、観光地である浅草に行けばあるのでは」ということ。
浅草の新仲見世に、江戸みやげのお店があり、覗いてみたが、ここは、高級の昔ながらの招き猫ばかりであった。
とにかく高いので、ここでも諦めた。
ゆっくり見たわけではないけれど、浅草の他の店にはなさそう。

その後会った知り合いに聞いたところ、「招き猫は合羽橋に沢山いるわよ」とのこと。
合羽橋通りを自転車で走りながら、お店を見ていると、合羽橋の本通りと交差点の先、松が谷側にある「小出商店インテリア部」(オルネコイデ)に、沢山の招き猫を発見。
ここは、本当に沢山あるし、古典的なものから、最近の流行のものまで、沢山の種類があった。(安い招き猫は、前の方にあり、高い招き猫は、奥のショーケースの中にあった。)

そうなんだ、今風の招き猫で、そこそこの価格のものを探そうと思ったら、それは「合羽橋」が正解なのだ。

オルネコイデのページ←ここをクリック。

で、結局は、欲張って、「同じ価格を出すなら、多くの幸運を」ということで、一つ4百円強のミニチュア風水招き猫の中から、「西に置くと金運が来る」黄色い猫と、「南東に置くと愛情運に恵まれる」赤い猫と、「東北に置くと悪霊・悪運が除かれる」白い猫を買った。

オルネコイデは、招き猫の他、本当に、犬やお雛様なぞの可愛い飾り物が沢山あって、ちょっとしたプレゼントを手頃な価格で買うのに、良いお店だと思う。

招き猫で思い出したが、今年のお正月、今戸神社というところに行ったら、神社の中に大きな招き猫が二体飾られていたのには、びっくりした。
台東区の今戸は、今土焼きの地で、招き猫は、そもそも、今土焼きで焼かれており、台東区生まれだそうである。(私と同郷<笑>)

そう聞くと、もしかして、招き猫は、「江戸の招福グッズ」なのかしら?
関西では、売っていないか、あっても少ないのかしら、よくわからない。

今戸神社のページをリンクしようと思ったら、「転載禁止」でできません。ご興味のある方は、「今戸神社」で検索すると、大きな招き猫が飾られている風景を見ることができます。



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