インドへ行く その8


サヘト(祇園精舎)・マヘト(舎衛城)


インド仏跡の旅もいよいよ終わりに近づき、インドを離れるのが淋しい気がします。
最後に訪れたのは、サヘト・マヘトです。


コーサラ国の首都、舎衛城に、スダッタという豪商がいて、常に孤独な者や、貧しいものに慈善をするので、
アナータンビンディカ(給孤独)長者と名づけられていた。
商用でマカダ国の舎衛城に行った時釈尊に傾倒し、舎衛城に招待することを決意した。
帰国して、釈尊や弟子たちを迎えるための土地を探し、よい土地を見つけたが、
そこはハシノク王の王子、祇陀太子の林園だった。
スダッタは土地の買収をするが頑として応じない。
それでも再三交渉すると、太子は「樹園に黄金を敷き詰めた場所だけ、その黄金と引き換えにする」と冗談に言ってしまう。
ところがスダッタは、牛車で黄金を運び敷き詰め始めたので、
さすがの太子も長者の誠意に感動し、樹園を寄付して精舎建設に協力した。
釈尊はこの祇園精舎で10数回の雨安居をすごし、阿弥陀経をはじめ多くの説法をされた。(「インド仏跡巡禮」より)


    
            沐浴の池


   
発掘中                         釈尊香室                    


    
アーナンダの菩提樹           舎衛城跡                               


   
パキ・クティ(アングリマーラのストゥーパ)


アングリマーラの物語
アングリマーラはバラモンの弟子で、力も強く優秀で美男子だった。
師の妻が彼に懸想して師の留守の時、彼を誘惑したが拒絶され
恥をかかされたことを恨んで、夫にアングリマーラに犯されそうになったと嘘をついた。
師は、優秀で目をかけていた弟子に裏切られたとがっかりし、怒ってどのように懲らしめるか考えて
普通のこととは逆のことを教えた。
それは人を百人殺して、その指を首にかけよというのだった。
そうすれば拷問に掛かり死罪になって地獄に落ちると考えたのだ。
アングリマーラはそんな師の教えに驚いたが、逆らってはいけない、しかし
どうしたらよいのか悩み、悲しみと怒りが湧き悪鬼に助長され
人殺しをしてしまう。
99人を殺し、あと一人で100人になるというとき
家で彼の帰りが遅いのを心配していた母親が、彼を探しにくる。
このままでは母親を殺すことになってしまうと、釈尊が現れ、
アングリマーラは釈尊に教化されて弟子となり改心することができた。

    
舎衛城からの眺め



   
祇園精舎の鐘を突く
平家物語で有名な祇園精舎の鐘の音、だが実際の祇園精舎に鐘はなかった。
これは後世日本人がつくったもの


   
サヘト・マヘトを参拝後は、車でラックノウへ向かった。
途中、ヒンズー教徒のお祭に会う。


シヴァ神のお祭で、ガンジス河やその支流の川の聖水を担いで持ち帰る
川で水を汲む人が見える



  
夕食後、ラックノウの駅に入る

ここまでは予定通りだった!

しかし・・・・
駅に着くと、乗る予定の夜行寝台車は5時間遅れだという!!
レストランでガイドさんが聞いた時には予定通りだったのに!
8時に列車が入って9時に出、翌朝4時35分にアグラ着の予定だった。
それが5時間遅れ、更にもう1時間遅れるといわれた!
幸い駅に早く着いていたのでエアコン付きの待合室の
大きな一人掛けのソファに座ることができた。
でも全然眠れない、眠ると起きれないんじゃないかと心配で。
早く来ることはあるんですか?と添乗員さんに聞くとそういうことはないとの返事。
ひたすら待つ・・・ソファにうずくまって休む・・・7時間待った。
午前4時に列車が到着して、5時頃に出た。
結局着く時間に出たわけ。
でもこんなことはインドでは珍しくないそう。
今、新しい線路や道路を造っているのでそのため遅れたりするそうだ。
日本だったら電車が7時間も遅れたらニュースになるところ。
ともかく、くたくたになって寝台車に入り、動き出すとすぐ寝てしまった。
でも8時頃に目が覚めたときには元気になっていた。(つづく)


  
12時30分アグラに到着(予定より8時間遅れ)


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