Myourei,インドへ行く その4

ブッダガヤ


釈尊成道の地・世界遺産です



大塔・大菩提寺
グプタ朝期に建てられた9層からなる、高さ52m、ヒンドゥー教寺院形式

13世紀の初め、アフガニスタンのバクティヤール・ハルジーの率いるイスラム軍団はビハール地方を攻略、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の聖地を略奪・蹂躙したが、
その際に仏教徒たちは精舎一帯に土を覆って、小高い丘と偽装し、イスラム軍団の目をくらまして避難したので、ブッダガヤの聖地は大々的な破壊・略奪から免れ、
以降六百数十年の間大塔の9層部を残して、大地の中に埋もれていた。
しかし、英国統治時代、アレクサンダー・カニンガムは、1862年にインド考古学調査局を設立し、
1880年(明治13年)には、玄奘の「大唐西域記」を始め残された資料に基づいてブッダガヤを調査発掘した。(「インド仏跡巡禮」より)


   
ブッダガヤへ行く道   大塔が見えます  


前正覚山
釈尊はスジャータの乳粥をもらい、苦行林を出てこの山に行かれました
その後ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれました


    
           大塔のまわりには仏塔(ストゥーパ)がたくさんある                    

   
参拝の僧、信者さんたち


                                                        大塔の西側 大菩提樹と金剛法座(柵があって入れない)                                     


   
大塔


  

                                                                マヤ夫人像(釈尊の母上)





大塔・大菩提寺の釈尊像35歳成道の姿
9世紀乃至10世紀のパーラ朝時代に黒石で造られたが、1956年の仏滅2500年大祭の折、
ビルマの篤信家によって黄金に彩られてしまいました

   
大塔南の蓮華池
 悟りを開かれて仏陀となられた釈尊が7日間禅定に入られた時暴風雨が続きました
  その時ムチリンダ竜王がとぐろを巻き、仏陀をその上に定座して守ったと伝えられます

       
スジャータの仏塔の跡とスジャータ村



この日(2月12日)は次のラジギールまで移動。
途中、翌日見学予定のヴィンビサラ王幽閉跡を見学

  

(つづく)

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