1968年のフェリー阪九の就航から始まった長距離フェリーに代表される日本の大型フェリーたちの歴史。現在までに様々なタイプのものが生まれては消えていった。
私が長距離フェリーを始めとする大型フェリーに興味を持ったのは1978年のこと。それから数年間のマイブームの後、しばらく離れていた期間もあったが、1988年には再び炎が燃え上がり、現在に至っている。
これは同年、フェリーとねが偶然買ってきた世界の艦船1988年8月号が原因であった。そこで私はフェリー阪九というものの存在を初めて知ることとなる。まさに運命の雑誌。それが、世界の艦船1988年8月号なのだ。
1978年頃はまさに一過性のミーハー的なマイブームと言った感じだったが、1988年のそれは味を追求する実に奥の深いものとなった。そして完全に定着。はっきり言うと、それまで小型のフェリーを中心に食指を伸ばしていたものがオールマイティに受け入れるフェリーファンへと変貌したのである。
もっと早く燃えていれば、少なくとも今よりは沢山の写真を残せたのにと後悔の嵐である。しかし、過ぎ去った時は無論戻らない。
そんなわけで、現在日本では見られなくなったフェリーをセレクトして私の数少ない貧弱なコレクションから掲載することとしよう。なお、ここでの大型フェリーの定義は総トン数4000トン以上のものということにさせてもらう。題して走り去った大型フェリーのスタートだ。
なお、阪九フェリーはこのページの下側に展開されており、他はフェリー会社名の上をクリックしてくれれば入れるぞ。
まずは歴代阪九フェリーフリートを紹介していこう。まあ、何にしても元祖である「フェリー阪九」タイプが掲載できないのは実に残念だ。そんなわけで、私が撮影している最古船はフェリー阪九タイプの次に登場の「フェリーせと」タイプからとなる。
「フェリーせと」
撮影は1980年小倉日明港。確かこの日は小倉駅から日明まで歩いたんだが、本当に若さとは偉大だ。なお、本船のツインズとしてフェリーはりまが存在した。そして、フェリー阪九、第六阪九、フェリーせと、フェリーはりままでが下関林兼造船の建造となっており、それ以降の船は神田造船所建造へと移った。1987年海外売船。
「第十六阪九」
1980年小倉日明港で撮影。元は苅田−神戸航路に就航していた西日本フェリーのつくしであり、経営不振により阪九に航路ごと身受けされたが、結局阪九の力でも航路再建は達成されず、航路はそのまま廃止。その後本船は阪九本来の小倉−神戸航路に移りニューみやこタイプの就航時に釜関フェリーに売却され韓国籍のフェリー釜関と改名。下関−釜山航路に就航したが1999年ここも引退。ツインズとして第十七阪九が存在した。
「フェリーながと」
1991年川尻の神田造船所にて撮影。左に少し見える浮きドックに入渠中なのはツインズのフェリーあかし。本タイプより建造が下関の林兼造船から川尻の神田造船に移った。なお、このタイプは九州側ターミナル移転直前に引退となったので新門司港を知らない。
1990年7月、小倉日明港で共に出港の時を待つ第十一伊豆(左)とフェリーあかし(右)
「フェリーあかし」
1990年7月小倉日明港にて撮影。上の「フェリーながと」のツインズ。
「第二十四阪九」
1991年新門司港にて撮影。本船は当初は小倉-神戸航路に就航していたが、まもなく開設された新航路、小倉-泉大津間に転配された。そして1996年「フェリーすおう」タイプの就航に伴い引退。フィリピンに売船された。建造は神田造船所。
「第三十二阪九」
上の「第二十四阪九」とはツインズ。写真は1994年新門司にて撮影。本船も日本にいる間はずっと「第二十四阪九」と同じ道を歩み最後は海外売船された。
「ニューやまと」
1990年7月小倉日明港にて入港時の姿を撮影。ツインズとして「ニューみやこ」が存在した。1983年神田造船所での建造からから一貫して泉大津航路専用船として走り続けた。本船よりそれまで続けてきたローシルエットのフェリー阪九スタイル船から脱却した。1996年「フェリーすおう」タイプの就航に伴い下の「ニューみやこ」と共に引退。フィリピンに売船された。
「ニューみやこ」
1990年7月小倉沖にて。日中待避している彦島沖の錨泊海域から小倉日明バースに戻って来る姿を撮影。本船の竣工は1984年の年明けだが、国内においては上のツインズ1番船の「ニューやまと」と絶えず同じ道を歩んだ。こちらも同じく最後は海外売船。
「ニューはりま」
1991年新門司港にて撮影。1987年神田造船所にて建造された本船だが、かなり振動の大きな船だった。「やまと」タイプの就航に伴い引退し下のツインズの「ニューせと」と共にフィリピンに売船された。なお、小倉日明港を知る船はこのタイプまでである。
「ニューせと」
1990年7月小倉日明港にて撮影。本船までが既に消えた阪九フリートとなる。なお、本船タイプ以後の船、ニューながとタイプ、フェリーすおうタイプ、やまとタイプが現在の阪九フリートを構成し現在も元気に働いている。
「ニューながと」と共に「ニューみやこ」
↑↓まさにツインズ第二十四阪九(上)と第三十二阪九(下)
じっくりと見比べるのも面白い
しかし彼らはもう日本にはいないのだ
ギリシャへ旅立つ日を前に生まれ故郷の神田造船所にて買船工事が進む「フェリーながと」&「フェリーあかし」
ここで最低限の外洋を越えるための工事が行われ正式な改装は現地にて行われる
さらば「フェリーながと」
さらば「フェリーあかし」
1991年3月の撮影↓→
←↓「ニューみやこ」最後の朝
1996年3月早朝、降りしきる雨の中、泉大津からの最後の航海を終え、新門司に到着後旅客車両を降ろし、買船工事を受けるべく神田造船所に向けて通いなれた新門司を後にした「ニューみやこ」
その際、去ってゆく本船を僚船たちが汽笛を一斉に鳴らし見送り、本船もそれに汽笛で応えていたのが印象的であった