走り去った大型フェリー

愛媛阪神フェリー

 今治-神戸航路を三宝海運と共同運航していた会社で、就航船として当初「おくどうご」「おくどうご2」と言った4000総トンクラスの船を建造した同社だったが、やはり我々に現在もなお強い印象をあたえているのは昭和51年デビューの「おくどうご3」だね。同社同航路就航船として20年以上も君臨し、愛媛阪神フェリー=「おくどうご3」というイメージを我々に強烈に印象付けた船で、子供の頃からずっと今治に行くと一番目立って港に陣取っていたデカイ船であり、特にスカイラウンジ上に掲げられた船名を記した巨大な看板は強烈に我々にその名を刷り込み、「看板野郎」という異名を子供ながら知らぬ間に命名させたほどのインパクトがあったんだ。
 しかし、後の三宝海運の「ほわいとさんぽう2」のデビューによりすっかりその姿はかすみ、最後はその「ほわいとさんぽう2」に自分の会社における唯一の就航船としての座を奪われる形で去って行くという救いのない末路を迎えてしまった。

明石海峡大橋開通が迫る世紀末、下降線をたどる業績の中での晩年の「おくどうご3」の姿。

車ごとレッツゴーというコピーがちょっと恥かしい愛媛阪神フェリー、おくどうご3のパンフレット。

引退日の朝、最後の今治発便の任を終え青木に到着した「おくどうご3」最後の雄姿だぜ。

 我々は「おくどうご3」の最後の今治発便に乗船したが、船内は既に売船に向けて早々に自販機などが撤去されており、傍らには売船先への回航要員であるギリシャ人が酒を酌み交わす姿があった。
 今治からの最後の航海であったがこれと言っていつもと同様の静かな出港となった。そして出港からしばらくして船長と思われる乗員による「本船による神戸行きは本日で最後となります。長い間のご利用誠にありがとうございました」という旨の船内アナウンスが流れたが、ほとんどの乗客がそれに気付くこともなくレストランで談笑に花を咲かせるなどする様子が余計に寂しさを誘っていたんだ。