すったもんだの末にようやく大分-横須賀航路を開業したシャトルハイウェイライン。
当初からの懸念材料を棚上げしたままでの見切り発車であったことに加え、最大のトドメとも言える原油高騰により、2007年短い生涯を閉じることとなってしまった短命の長距離フェリー会社である。
まさに「悲しみのシャトル」と、我々は呼んでいる。
当初は味気の無い九越フェリーの初代「れいんぼうべる」クラスを投入なんて話だったが、フタを開けてみると国内最古参クラス2隻の投入という形で就航船が決定し、一般の人から見れば「まーた、こんなボロ中古船投入してからに」って思うところだが、これは、私にとってはスーパー味炸裂といった燃え燃えの嬉しい展開であったのは言うまでもなーい。
だからこそ、今後の同社の発展に大いに期待していたのに・・・。
それなのに、ああ、それなのに・・・。
未だに納得できねーぞ、ちくしょう!!
それから、今回ここに掲載している画像は全て引退後の姿である。
1度として乗船するどころか営業船としての姿を見ることもなく終わったことが私の中で非常に悔やまれて仕方がないのだよ。
船内で是非、あの横須賀海軍カレーを堪能してみたかったぜ(涙)。
堪能した幸運な諸君、その経験は君らの一生の財産だ。
私の分までその想い出を心に強く抱きつつ残りの人生を充実させて生きて欲しいぜ。

シャトルハイウェイライン

「しゃとるおおいた」

「しゃとるよこすか」

2007年は最高に痛い年だった。
その最大の原因が昭和生まれ長距離フェリーの完全消滅にある。
この「しゃとるおおいた」とダイヤモンドフェリーの「フェリーダイヤモンド」ともに昭和61年生まれの最後の昭和戦士が一気に消滅してしまったのだからな。
特に「しゃとるおおいた」はあの伝説の林兼下関出身の最後の長距離フェリーだったのだからファンの落胆も大きいというものだ。

「しゃとるおおいた」は産業廃棄物運搬船としての肩書きも持っていて、右の画像のブリッジ後方に見える黄色い看板がその表記である。→
ちなみにその許可番号が横須賀市5810114733、大分市8810114733となっていた。

←「しゃとるおおいた」を撮るなら、やはり左舷側からだよね。
本船もできるならば「しゃとるよこすか」のように右舷側にダミーファンネルが欲しかったところだ。
でも、片舷1本煙突が本船の最大の個性とも言え、まあ、これはこれで味があるんじゃ。

右の画像、ヨットハーバー併設の旧境ガ浜マリンパークのフローティングアイランドに係留された、その白き姿は、まるで現役稼動中のリゾート客船のようにも見える。だが、あまりに美しい青空と透き通った水に映えるこの姿も、現実を知る者には逆にその美しさが虚無に感じられ心が痛い。
「おおあらい丸」として北の海を駆け、「さんふらわあおおあらい」となった一期間には南国志布志にもその足跡を残すこととなった本船。
一時は売船として外国船籍に身を落としながら奇跡の国内カムバックを果たした本船もとうとう国内での命運が尽きた。
だが海外でRORO船に改装されたとは言え、活躍はまだまだ続くのだ。最後の林兼戦士「しゃとるおおいた」は私の心でいつまでも走り続けるぜ。

「しゃとるおおいた」の弱点を研究し生まれた本船だが、建造は林兼ではなく天下のIHIだ。
何と言っても最大の特徴は右舷側のダミーファンネルであろう。
こいつは1989年生まれだから「しゃとるおおいた」と違いギリギリ昭和のフェリーという肩書きは持てない船だが、日本沿海フェリーが建造した最後のフェリーという肩書を持っているぞ。
ところで、シャトルハイウェイラインの塗装は白にライトブルーのラインが入っただけの実にシンプルなものだが、これがあの私が著しく味を感じている「おくどうご8」を彷彿させるものであり、私的には非常に快感なのである。今は亡きJR四国の111系にも通じるものがあるし。

本船のもう一つの特徴は船首の絞りの始まりがフェアな曲線でなくナックルとなっていることだ。外観的には無粋に見えるが、車両甲板を少しでも広く取れる等のメリットがあるのでPCCなどでは比較的多く採用されている。恐らく日本生まれの長距離フェリーでこのような形状のナックルを採用しているのは本船だけではなかったかな。
「えりも丸」として生まれ東京-北海道航路就航船だったが「さんふらわあえりも」となって一定の期間後「しゃとるおおいた」と行動を共にするようになったんだよね。共に志布志乗り入れ、長崎での売船待ち長期係留などを経て、異母兄貴である「しゃとるおおいた」とせっかく奇跡的に仲良く新天地で活躍していたというのに本当に残念だ。

私的には「しゃとるおおいた」と比較すると若干思い入れが薄い気がするが「しゃとるよこすか」になってからの思い入れ度はSF時代よりも格段にアップしていたんだ。