南大門 |
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境内全景 |
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平安遷都1300年にあたる平成22年に再建された。その資金は多くの人々の写経等を通じての寄進によって集められた |
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当寺院の前の阪奈道路にかかる歩道橋の上から撮影した。境内に整然と置かれているのは蓮の大きな鉢で6−7月が見頃だとのこと |
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石仏群 |
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釈尊初転法輪像 |
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本堂の右手にこのように多数の石仏が安置されている。これらの石像は、境内に散在していたものをここに集められたということで、全部で47体あり、造られたのは江戸時代であるという |
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初転法輪とは釈迦が初めて仏教の教義を人々に説いたことをいい、この石像はその姿を造形化したもの。肝心の仏足石が写っていないが、平成8年にインド、ブッダガヤの仏足石を模写し、安置されたという |
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本堂 |
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創建当時の本堂は、東大寺大仏殿を試作するために10分の1の大きさで建てられたと伝わり「試みの大仏殿」と呼ばれたいう。行基は天平15年(743)に大仏建立勧進役に任ぜられて以降深く東大寺大仏建立に関わっており、試作建築として建てられたと言うことはあったかも知れない。
しかしその創建時の本堂は、室町時代の明応8年(1499)に焼失しており現存のものは、室町末期の天文13年(1544)に再建されたものである。 |
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本尊 阿弥陀如来像 |
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観自在菩薩 |
平安時代末期の作と推定されており寄木造り
漆箔で造られ重要文化財に指定されている |
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勢至菩薩
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行基座像 |
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南都古社寺辞典(吉川弘文館刊)によると「享保15年(1730)12月住持寂照により木造行基御影像が再興され、現に西大寺に移安されている」とある。
なお、左の当寺院の行基座像は、行基入寂1250年を記念して唐招提寺所蔵の行基座像(鎌倉時代)を複製されたものである。
行基の詳細については
日本史メモ「行基」 をご覧下さい。 |
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弁天堂 |
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本堂の裏側に弁天堂ある。堂内にかわいらしい弁天さんの立像が安置されていた。さらに奥にはご神体である「宇賀~王」が祀られている。このご神体は毎年7月中旬に特別開扉されるとのことだ。
弁財天は、梵名(ぼんめい)をサラサバティーといい、もともとヒンドゥー教の神で、音楽・芸術・増益(富)を司り、後に仏教に取り入れられた女神である。一方「宇賀神」は日本固有の神で五穀を司る神がいつか財宝の神に転じた言われている。平安時代から盛んになる神仏習合によってこの二つの同じ性格を持つ神が習合されたといわれる。
法相宗の寺院に弁天堂という違和を感じたが、その反面、民衆に入って仏道に励んだ行基の寺に、こうした現世利益を望む民衆の堂があっても不思議ではないのかも知れないとも思った。
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