現在の境内図 |
当寺院HP「水間寺境内図」を参考に作成 |
厄除橋 |
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本堂と三重塔 |
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本堂 |
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本堂扁額 |
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本堂の基壇の高さは約0.8メートル、平面は約23メートルあり、大阪府下でも最大級の規模だといわれる。この本堂には「(梵字〈ぼんじ〉)奉再興龍谷山水間寺金堂一宇」という墨書(ぼくしょ)があり、「辛 文化八年/未 三月廿六日」の年月日が書かれた文化8年(1811)の棟札が残されており、本堂の建築年代が正確に知ることができる貴重な資料といわれている。
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三重塔 |
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三重塔側面の十二支 |
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「かつては多宝塔で多宝如来を安置した。古い記録に依れば孝謙天皇が舎利塔を安置したと伝える。天正の兵乱に焼亡したので萬治年間に改めて三重層の塔を建て、釈迦仏の像を安置した。井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔と考えられる。現塔は天保5年(1834)の再建となる。」(境内の説明文より)
(孝謙天皇)聖武天皇第2皇女。後に重祚して称徳天皇となる。
(在位)孝謙天皇749-758年、称徳天皇770-781年 |
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経堂 |
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鐘楼 |
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経堂 : かっては「聖武天皇宸書の妙典、光明皇后の般若経、慈覚大師の妙法経等が収められていたが、兵火にあって焼失。高倉天皇(在位:1168-1180年)の勅命をもって大般若経の写本の1部が収められている。」(境内の説明文より) |
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降臨の滝・聖観世音出現滝
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寺伝には「聖武天皇42歳の厄年に病気にかかった折り「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」との夢のお告げがあった。聖武天皇はこの仏像を探すことを行基に勅命した。
行基は奈良の西南方の地に出向き到達したのがこの水間の地であった。すると突然「十六人の童子」が出現し、誘うともなく行基菩薩を谷間に導いた。この谷間の美しい水の流れる巨岩の上に白髪の老人がおり、手に一体の仏様を捧げ、「汝を待つこと久し」と言って、自分の手首を自ら噛み切って、その尊像を行基菩薩に手渡し、そうして自分は龍となって昇天した」とあり、 この「谷間の美しい水の流れる巨岩」がこの場所であるという。 |
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鎮守権現宮
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当寺院の説明パネルによると、この鎮守権現宮には「熊野・蔵王・白山三所権現に勧請し給うたもので水間寺創建時より祀られている。」とある。
行基は仏教徒であるが同時に道教や山岳信仰の修験道にも強い関心を持ち、実際それを修行し呪術的なものも布教活動に生かしていたのではないかと考えられている。それは続日本紀の養老元年(717)四月の条にある行基集団に対する「僧尼令による禁圧」に、行基集団が仏法に背く術を用いていることに言及していることでもよく知られている。
従って、この鎮守権現宮が果たして創建時からあったか否かは不明ながら、山岳信仰の代表的なこの三権現が、行基ゆかりの寺とするこの水間寺に祀られていることは当然とも考えられる。 |
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行基堂 |
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行基堂 |
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行基堂は、本堂から秬谷(きびたに)川を渡った西側の丘の中腹にある。3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂である。建物の(組物)の様式から、天正年間以前に構築され江戸時代の前期に改築した建造物と推定されている。従って、水間寺では最古のものとされている。なお、この堂には木造行基坐像が安置されている。 |
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弁天堂 |
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薬師堂 |
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岸和田藩主岡部氏によって、江戸時代前期に再建された本瓦葺の小堂。堂内には木造弁財天坐像(江戸時代前期制作)を安置されている。 |
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行基菩薩が当地を訪れたときに聖観音の出現を祈願して薬師如来像を彫って祀ったとの伝承があり、この堂には薬師如来像が安置されている。 |
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行基水・薬師井戸 |
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鏡池と瑞泉堂 |
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愛染堂 |
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お夏清十郎の墓石 |
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お夏清十郎の墓にある碑文には、約700年前、水間の豪農楠右エ門の娘、お夏がこの愛染明王に祈願し、勅使であった山名清十郎との恋を成就させたとある。水間の「お夏清十郎」の伝説は、昭和11年に映画化され有名になった。主演は、田中絹枝、林長十郎(長谷川一夫)で、この墓の前の花立てには、その記念に二人の名前が刻まれている。 |
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護摩堂 |
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水闢S道水關 水闃マ音駅 |
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護摩堂は、本堂の南にある。3間四方、本瓦葺の小堂である。元禄年間に岸和田藩主岡部氏が再建したと伝わる。堂内には、不動明王立像が安置されている。 |
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この駅は水間寺参詣の最寄り駅で、当駅から南に約600mのところに水間寺がある。 この駅舎は大正15年開業時に寺院風に建築され、現在に至っている。また、平成12年の近畿の駅百選の第一回認定駅としてもよく知られている.。 |
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