孝恩寺
(こうおんじ)

孝恩寺
Contents
1.所在地
2.宗派
3.草創・開基
4.特記事項
5.現在の境内
6.古寺巡訪MENU

1.所在地
貝塚市木積798
2.宗  派
浄土宗 (本尊)阿弥陀如来
3.草創・開基
(1)当寺院へは次の2点の巡訪動機で訪問させてもらいました。
@行基建立四十九寺という伝えられている寺院であること
A本堂の観音堂は国宝に指定されている鎌倉時代後期の貴重な遺構であること
 しかし、このページを作成するにあたり、いろいろと参考文献を捜しましたが、残念ながら該当するものは断片的なものしか見つかりませんでした。そこで、参考資料は専ら貝塚市のホームページ「貝塚の文化財」と当寺院の境内に掲げられている「寺伝」をもとに作成いたしました。

(2)貝塚市のホームページ「貝塚の文化財」ではこのように述べられております。
  • 『木積(こつみ)の孝恩寺は、元禄7年(1694年)に再興された浄土宗知恩院末の寺院です。現在の本堂である観音堂(釘無堂)は、もと観音寺という寺院の観音堂でしたが、大正3年(1914年)孝恩寺が観音堂を合併したことで、以後同寺の本堂となりました。観音寺は、行基(ぎょうき)に開創されたとされる寺院ですが、天正13年(1835年)の羽柴(豊臣)秀吉による紀州攻めに際して伽藍(がらん)や持仏の大部分が焼失し、残された観音堂と持仏は木積村の人々によって守られてきました。』
(3)一方、寺伝では次のように述べられております。
  • 『人皇四十五代聖武天皇が僧・行基に命じて畿内に四十九院を造営せられるに当たり、地をここ木積に卜して木積の杣山の良材を採ってその一院を建立せられた。時に神亀三年春三月、当時は七堂伽藍が整然とそびえていた事であろう。
     然るに足利時代に至り、山名、大内二氏の乱に合い堂宇の大半は鳥有にきした。幸いに仏像はほど近い池中に投ぜられ幸いにも災禍を免れ後年泥中より引き上げられ難を免れた。釘無堂内に安置せられたと伝えている。その後、天平十三年豊臣秀吉が紀州根来寺を攻めた時にも戦禍に遭い残余の僧坊等悉くしたが幸いにして釘無堂のみ僅かに災厄をまぬがれて現在に及んでいる。
     しかしながら、現存の堂は創建当時のものではなく鎌倉時代の代表的建築である。思うにその頃に破損はげしくて改築したものであろう。
     現存の十九躯の仏像および一面の板画は悉く弘仁仏(または貞観ともいう)で日本美術史上画期的代表作である。また特に奈良京都などに於ける仏像には見られない特長をもつものとして斯界の識者の推賞惜からざる所である。いずれも一本造りで重要文化財(旧国宝)に指定せられている。』(出典:当寺院境内記載文)

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4.特記事項 (寺伝の留意点)
(1)行基建立寺であるか否かについて
行基建立四十九寺とは、「行基年譜」に記載されている行基が建立したいう、それぞれの寺院のことです。これにはその寺院の名称や所在地が記載されていますが、当寺院・観音寺の名前は見当たらないようです。但し、「行基年譜」は「行基没後約420余り過ぎた平安末期の1175年に、泉父宿禰(いずみたかふすくね)なる人物によって著された」ものであることや、転写が繰り返されていることを考えれば、「行基年譜」に載っていないことが、即ち行基建立寺院ではないとはなりません。従って、寺伝がいう行基建立寺院もあり得ると言えるのではないでしょうか。

(2)「聖武天皇が命じて」について
寺伝では、聖武帝が行基に命じて神亀三年春三月に建立されたとされていますが、これは多分、事実と異なるのでは無いでしょうか。実は、この神亀三年の4年後の天平二年(730)に、聖武朝廷は「行基集団の活動に対して禁令(天平2年9月 続日本紀)」を出して「世を惑わす集団」だとして、取り締まっているのです。この行基集団への聖武朝廷の対応は、前の朝廷(元正天皇)から引き継いだものでした。従って、このような情況下、聖武帝が行基に寺院建立を命じることは先ず考えられないといえます。詳しくは、当サイトの「行基」のページに行基の年表等を掲載しておりますのでご覧下さい。

(3)僧・行基については、下記のページをご参照ください・
   日本メモ 行基   喜光寺  竹林寺  東大寺   家原寺   水間寺   久米田寺

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5.現在の境内
孝恩寺     近木川
孝恩寺 近木川
近木川の畔の岡の上にある    この近木川を下れば水間観音に至る 
     
観音堂(釘無堂)    五輪石塔 
観音堂(釘無堂)     五輪石塔
 鎌倉時代の遺構として明治38年に国宝に指定されている。なお、大阪府下、最古の木造建築物とされている。    地輪中央の梵字の右に「貞和二二年戊子」、左に「七月十四日」と刻まれており、制作年代が特定できる五輪石塔で、旧観音寺の遺物と考えられている。
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6.古寺巡訪MENU
 
<更新履歴>2012/10作成 2016/2補記改訂 2020/12補記改訂
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