122年前の白河日食
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当時の白河日食の様子


日食観測の様子(明治20年8月)

 写真:小川写真製版所創業紀念三十年誌より  行田市郷土博物館所蔵

日食観測施設全景、中央奥が杉皮葺きの長さ40尺程の水平望遠鏡右側には写真室が設置されている。7月22日に来白しその後設置工事をしていることから、撮影日は設備完成直後の記念撮影かと思われます。トッド博士夫妻、大坂高等中学校のヒチコック氏夫妻、米国東洋艦隊モノカシイ号の海軍大将サウザーランド氏、その他士官などトッド博士一行と、日本人の職人さんや関連者が写っています。撮影者は写真師の小川一眞氏によるものと思われます。この白河の地に観測所を設置するには米国ワシントン駐在の全権特命公使九鬼 隆一氏、海軍初代水路部長柳楢悦海軍少将 、陸軍大臣大山巌大将、中央気象台のドイツ人クニッピング博士の協力を得ています。写真には写っていませんが、この観測所(城跡)二重の柵に囲まれ、立ち番の巡査が厳重に警備しており、例え貴顕紳士であろうとも入ることを許さずとの令がなされていました。

日食観測所の様子(明治20年8月)

写真:小川写真製版所創業紀念三十年誌より  行田市郷土博物館所蔵

城跡(小峰城)に造営された観測所全景、写真右奥が望遠鏡と写真室、テントには米国人の宿泊施設と食堂が備えてあり、トッド氏夫妻、ヒチコック氏夫妻が宿泊したとのことです。この司天台エリアは一般人は勿論、関係者であっても特に許可された者しか入城することが出来なかった。入城の許可は柳海軍少将が承認していたようです。
当日の入城者の日本人は阿部正功氏の「日食観望記」等によれば、理科大学長菊池大麓、理学生蘆野敬三郎、海軍水路部観象台長中川将行氏、数学者市川方静のみであった。

日食観測所の様子

写真:小川写真製版所創業紀念三十年誌より  行田市郷土博物館所蔵

トッド博士と日本人と思われる方(蘆野敬三郎氏か?)が観測施設前にて、望遠鏡はシーロスタットと呼ばれる水平望遠鏡のようです。一番手前が太陽反射儀(ヘリオスタット)、奥の小屋は写真室、左側の蛇腹状の物は土砂崩れ防止の竹で編んだ土嚢です。施設はほぼ真南の向きで設置され、写真右側が西の方向になります。

日食観測所図

観測所図 白河市史より 図をクリックすると拡大します

阿部正功氏は廃藩まで棚倉藩知事であった。当時はすでに東京に移住されていた白河日食当日、臨時列車に乗り上野から来白、厳重に警備された城址跡の観測所にトッド博士等を訪ね観測しました。残念ながら皆既の三分間は天候が悪く全蝕を見ることは出来なかったと日記に記載されています上図は学習院大学保管の阿部家文書「日食観望記」を白河市史にて作図したものです。 予:阿部氏、芦ノ:蘆野敬三郎氏、菊池大麓氏、米国人観測所エリア外にあるのは日本側観測所類で、海軍測考場、海軍気象台、陸軍測考場です。また、望遠鏡近くの時間書記には電信線を白河電信局まで架設して、各地の気象台との情報連絡用として準備したようです。