122年前の白河日食
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観測地と皆既日食帯


当時の白河での日食イメージをステラナビゲータで作成しました。

当時の内務省地理局発行の官報抄覧第五 明治20年によりますと、当日午後4時5分秋田測候所発の電報では、「日食曇レモ時々見ヘ蝕甚時暗ク午後七時ノ如シ星一箇見ヘタリ他ニ異常ナシ」と報告ああるように、肉眼では金星が見えていたようです。

皆既日食帯

皆既日食帯はほぼ上図のようでした。白河の他、各地で観測が行われ、三条市では綺麗に晴れ渡り、皆既中のコロナの写真撮影に成功しています。初代東京天文台長寺尾寿氏、渡辺帝国大学総長は栃木県高久村付近にて観測、 宇都宮では内務省地理局の三浦技手が宇都宮市内の八幡山にて観測との記録が残っています。

当時の書籍の日蝕帯図
左図は明治21年12月出版の「日蝕観測実記」椎谷四郎吉著(新潟県新発田)、国立国会図書館所蔵 に掲載されている皆既日食帯の北限、南限を説明した図です。図をクリックすると、大きな画像となります。三条、白河、黒磯あたりが中心線に近い地域であると説明している。


当日の天気(中央気象台の記録)
中央気象台、明治20年8月19日(金曜日)午後2時の天気図
(記録は和田雄治(わだ ゆうじ)氏、閲は中央気象台長荒井郁之助氏)によれば、全国的に曇りで風弱し白河に一番近い測候所は宮城県の野蒜(のびる)測候所、記録は天候曇り、南西の風 風力1m 気圧は750mmHg(当時の気圧単位)となっている。新潟測候所も曇り、東京も曇り、銚子では快晴当日銚子沖には日本郵船の名古屋丸が船上から皆既を観測している。

余談
この天気図を作成したのは中央気象台(明治20年に東京気象台から管轄が変わり改名)の和田雄二氏、和田氏は気象の調査研究を進め暴風警報や天気予報の創始者である。東京物理学講習所(現東京理科大学)の創設者の一人でもある。