122年前の白河日食
白河日食について

観測地と皆既日食帯

当時の白河日食の様子

記念碑の建設について

観測に携わった偉人たち

当時の日蝕講義の様子

関連イベント

ご意見、お問い合わせ

除幕式のご案内

















































































日蝕にまつわる話


司天台(城跡内観測所)にて観測した主な人々

デビット・ペック・ドット氏    天文学者
ルーミス・メアリー・トッド女史 トッド氏夫人
ヒチコック氏 中学校教師
ホルランド氏 物理学士
サウザーランド海軍大将 米国東洋艦隊モノカイシ号
グランドホウス氏、マッカーディー氏  米国総領事
菊池大麓氏 蘆野敬三郎氏、市川方静氏、


白河市中にて観望の主な人々

島津忠寛(しまづ ただひろ)旧佐土原藩第11代藩主 華族
戸田氏共(とだ うじたか)全権公使
三島通庸(みしまみちつね)警視総監   西白河郡役所にて観望
井上勝(いのうえまさる)鉄道局長官
柳楢悦(やなぎならよし)海軍水路部長
奈良原繁(ならはらしげる)日本鉄道会社社長
折田平内(おりたへいない)福島県知事  西白河郡役所にて観望
藤岡市助(ふじおかいちすけ)東京電燈設立者(当時) 市内旅宿で観測後日スケッチを作成

写真師 小川一眞氏(談)

今回の観測の参加できたことは栄誉である。写真の薬品の扱いも充分注意しているが我国には有触れたリスリンの純良品が乏しく今日の場合はいろいろ苦心したところ砂糖お使って混和した、その事トッド氏に伝えたところ大いに喜ばれた、そのトッド氏の手のひらに火傷の痕があり尋ねてみたところ、18日夜、準備のため写真室に入ったところ外に置いた提灯の火が小屋に燃え移り手で揉消したとのこと。幸い薬用での手当もしっかりしたので翌日の作業には差支えなかったとのこと。

大工町では皆既を見たとのこと「時事新報」より

その文面は「 白河町の南端大工町辺りにては皆既蝕中明了と謂うにあられど微雲を隔て、太陽の全体を観望し、白光、紅峯さえも認めらる者ありとの事なり然れも此視たる人は別に観測器械を用意したるにあらず僅に双眼鏡位を持ちたるのみのことなるべければ観望者自身に於いては他人の見ざるところを見て。。。云々、」大工町と城跡は僅か四丁ばかりの隔てとのこと

白河日蝕取材特派「東京日々新聞記事」より 大工町の常端寺で皆既日蝕を観望!

東京日々新聞社の当日の記事によりますと。
19日皆既日食を観るため福島県白河に出向く、朝5時30分発の臨時列車に乗ったが乗客が多く平常の三倍に車両を増加した。6時半比大宮を過ぎるころ朝霧は晴れて曇天となった、10時頃快晴となり残暑で蒸した車内も12時30分白河に着く。早速白河城址の観測所に出向いたが、たとえ貴顕紳士(きけんしんし)であろうとも入る事を許さずとのことで、特派員はこれ幸いと自ら観望に出かけた、城跡南にある愛宕山に登ったが午後1時頃またまた曇天となった2時頃に雷鳴があったので、山を下り大工町の常端寺に(城跡から南に600mくらい)2時50分頃に着く、3時頃、雷も止み雲間に太陽が見えた3時46分全く皆既になって気温も下がりあたかも回りは夜の7時半の様子となった望遠鏡を取り出して観望した   とのことです

好天に恵まれた新潟県旧東大崎村永明寺での観測は大成功(コロナを写真撮影)

日蝕観測実記(椎谷四郎吉著、国立国会図書蔵)によれば以下のように記述されています。東大崎村永明寺の山頂に設けた観測所では、午後2時頃より太陽周辺一帯が晴れ渡り、中央気象台長荒井郁之助氏、技手正戸豹之助両氏は各日蝕時刻の観測及び白光(ころな)写真の撮影を、新潟測候所長柴藤章氏、技手森田己貴太氏も観測に協力した。観測中は雷雨の障りもなく充分観測できたとのことです。これによって、コロナの写真は数枚、写真は18枚を撮ったとのことです。また、文部省編輯局長井澤修二氏はコロナのスケッチと観測の記録を9月12日にトッド博士宛て送付している。 スケッチ:日蝕観測実記より

野州黒磯での観望( 寺尾寿教授、渡辺帝国大学総長観望)の様子 時事新報記より

理科大学の寺尾寿教授率いる観測班は黒磯駅を下車し、北東6丁の高久にある観測所にて観測を行った、準備した望遠鏡は9基その外、子午機風雨計等の観測機器を設置、粗末な小屋2棟を立て一週間前から寝泊りし準備にあたった。当日は 渡辺帝国大学長を向かえ観測に挑んだが残念ながら曇天、雷雨に阻まれて満足な観測は出来なかったとのとこ。この観測所も白河同様、立ち入りは厳重に警戒されていた、

黒磯での望遠鏡操作訓練の写真です  今回の観測所と同一かどうかは不明ですが、時期、場所からほぼ
観測数日前の練習風景かと思えます。      http://www.raremaps.de/printsjapan.html より


野州宇都宮での観望( 内務省地理局気象台 三浦技手、)の様子 時事新報記より

観測地は市街より7〜8丁北にある八幡山で行った。三浦技手、写真師江崎禮二氏が観望するもこの日の東北鉄道沿線は、雷、曇天に祟られ満足な観測ができなかった宇都宮でも同様に満足に観測できなかったが皆既前に写真師 江崎氏が日蝕の撮影をしている、画像は「日蝕観測実記」のページを掲載したものであり明細さに欠けるが参考としてみてください。  

明治20年8月19日午後2時の天気図

全国的に曇りの地域が多く、銚子では晴、その他の地域ではおおむね曇りとなっていました。気温は30度前後のようでした。

臨時汽車の話 :当日は臨時列車を通常の3倍に増結し 往復の運賃を特別に半額にした

日本鉄道会社 仝会社にては日蝕観測者の為白河地方に赴く者には汽車賃銭半価を以って往復切符を実発し及び繁忙にて宿泊す能はざる者の為として日帰りし得る様臨時汽車を差し立たれば即ち同日第一列車に乗車すれば午前第十一時五十七分白河に着きし優々観測を終ひ右臨時汽車に乗午後の十二時までには着京し得繁忙者は大いに幸福を得たりと亦同日如此便利を得たる為か東京府下より白河、黒磯、宇都宮等鉄道線路に沿へ皆既中央線の場所を選びに蝕の為め上野停車場を経て地方に赴きたる人は八百余名の多きに達したりと