太宰府歴史年表


[古寺巡訪  気の向くままに]

西暦 和暦 出来事
536 宣化 1 5  那津官家の整備が行われる 「官家(みやけ)を那津のほとりに建てよ」 日本書紀宣化天皇元年五月
 (注)那津官家とは、当時緊迫していた朝鮮半島情勢に対応することを目的に設けられた軍事基地兼食料備蓄基地であったと考えられる。なお、後の太宰府との関係に於いては太宰府前身説と筑紫太宰の駐屯地説などある。
609 推古 17 4  筑紫太宰(つくしのおおみこともちのつかさ)が奏上した(「筑紫太宰」の名称はこれが初見)
 日本書紀推古天皇十七年四月
643 皇極 2 2  筑紫の太宰府から早馬で伝えて「百済国王の子、調使と共に到着しました」
 日本書紀皇極二年二月二十一日
 6   筑紫の太宰府から早馬で「高麗が使いを送ってきました」と伝えた 日本書紀皇極二年六月十三日
661 斉明 7 5  斉明天皇出征し築紫朝倉宮(福岡県朝倉町)を本営とする  日本書紀斉明七年五月九日
 斉明天皇、朝倉宮で崩御 日本書紀 斉明七年七月二十四日
663 天智 2 8  白村江の戦い敗北する
664 3 5  唐の百済鎮将劉仁願が郭務?(かくむそう)を筑紫に派遣
9  郭務?は私使にすぎないとして入京を許さず、同12月郭務?帰国
?  「水城」 築かれる。  「この歳、対馬嶋(つしま)、壱岐嶋、筑紫国などに、防人と烽とを置いた。また、筑紫に大堤を 築いて水を貯えさせ、これを水城と名づけた。」 日本書紀天智三年の条
665 4 ?  那津菅家を現在地に移す(第一期太宰府)
8  達率憶礼福溜・四比福夫を筑紫に使わし大野城、椽城を築城させる  日本書紀天智四年八月
9  劉徳高、郭務?(かくむそう)、筑紫に来る、翌10月入京する
10  菟道(宇治)で閲兵が行われる
12  劉徳高、郭務?の帰国にあたって守君大石らを唐に派遣(第5次遣唐使)
666 5 1  高麗使、来朝(唐・新羅による高句麗侵攻に対する救援要請か)
10  高麗使、再び来朝(同上)
667 6 3  近江の大津へ遷都 日本書紀天智六年三月十九日
11  唐の百済鎮将劉仁願の使者、司馬法聡ら、筑紫都督府に来る 日本書紀天智六年十一月九日
 朝鮮式山城である高安城(大和)・屋嶋城(讃岐国)・金田城(対馬国)に築かれる
 日本書紀天智六年十一月十三日
668  7 1  中大兄皇子、即位(天智天皇)
7  栗隈王(くるくまのおおきみ)を筑紫率(つくしのかみ)に任じられる 日本書紀天智七年七月
 近江国において軍事演習、実施される 日本書紀天智七年七月
8  高句麗、唐・新羅連合軍により滅ぶ
669  8 1  蘇我赤兄臣、筑紫率に任じられる 日本書紀天智八年一月九日
11  第6次遣唐使 河内直鯨派遣される 
 671 10 1  百済鎮将劉仁願の使者、 李守真が来る
6  天皇「請うところの軍事」について宣する
 栗隈王、筑紫率に任じられる 日本書紀天智十年六月(天智七年にも任じられたの記載あり)
7  李守真、帰国
11  「唐の使い郭務?(かくむそう)など2000人がやってくることを対馬の国司が筑紫太宰府に報告す」
 日本書紀天智十年十一月十日
?  唐と新羅、戦争勃発
12  天智天皇崩御
672 天武  1 6  「壬申の乱」起こる
 筑紫太宰・栗隈王、近江朝廷の軍兵拠出の命を「筑紫国は辺境を外敵から守るためにある」としてこれを拒絶する。日本書紀天武一年六月
  2 11  「高麗の邯子(かんし)・新羅の薩儒教(さちぬ)らに筑紫の大郡で饗応され、それぞれに賜物があった」
 日本書紀天武二年十一月二十一日
676 5 ?  唐、安東郡都護府を遼東に後退させ、実質上、唐・新羅戦争終結(新羅、朝鮮統一)
678 7 12  「筑紫国で大きな地震があった。百姓の家がいたるところで倒壊した」日本書紀天武七年十二月
       「浄御原令」撰定の詔、出される
682 11 4  「筑紫太宰丹比真人嶋らが、大きな鐘をたてまつった」 日本書紀天武十一年四月二十一日
686 持統 朱鳥 1  「新羅の客らに饗を賜るため、川原寺の伎楽(舞人・楽人・楽器・衣裳など)を筑紫に運んだ。」
 朱鳥元年四月十三日
 天武天皇崩御 持統天皇称制 日本書紀朱鳥元年九月九日
688 2 2  新羅の王子金霜林らに筑紫館(つくしのむろつみ)で饗を賜った 日本書紀持統二年二月二日
689 3 1  筑紫太宰粟田真人朝臣らが、隼人174人と布50常・牛皮6枚・鹿皮60枚を奉った
 日本書紀持統三年一月八日
2  「筑紫の防人は、年限(三年)になったら交代させよ」といわれた 日本書紀持統三年二月十三日
6  「筑紫の小郡(迎賓館)で新羅の弔死、金道那らに饗を賜り、それぞれ物を賜った」 日本書紀持統三年六月二十四日
飛鳥淨御原令の施行「中央の諸官司に令一部二十二巻を分け下し賜った」 日本書紀持統三年六月二十九日
8  浄広肆(じょうこうし)河内王(かわちのおおきみ)を筑紫太宰帥とした 日本書紀持統三年八月二十七日
9  直広参石上朝臣麻呂・直広肆石川朝臣虫名らを筑紫に遣わし(中略)新しくできた城を監視させられた
 日本書紀持統三年九月十日
694 8 9  浄大肆(じょうだいし)三野王(みののおおきみ)を筑紫太宰率に任命される
 日本書紀持統八年九月二十二日
12  藤原京遷都
697 文武 1 8  文武天皇即位
698 2  この頃、観世音寺梵鐘は制作されたと推定されている
12  「太宰府に命じて、大野・基肄(きい)・鞠智(くくち)の三城を修理させた」
 続日本紀文武二年五月二十五日の条
699 3 12  太宰府に命じて三野(みの)(日向国児湯郡三納か)・稲積(大隅国桑原郡稲積)の二城を築かせた。
 続日本紀文武天皇三年十二月四日の条
701 1 8  大宝律令制定される
702 大宝 2 2  甲斐国が梓弓を500張献上したので、それを太宰府の用に充てた
 続日本紀大宝二年二月二十二日の条
8  正三位の石上朝臣麻呂(いそのかみ)を太宰帥に任じられる  続日本紀大宝二年八月十六日の条
706 慶雲 3 2  平城京遷都の詔、発せられる
708 和銅 1 3  中納言粟田真人、太宰帥に、従四位上の巨瀨朝臣多益首(たやす)を大弐に任じられる 続日本紀和銅元年三月十三日の条
709 2 2  元明天皇の詔「筑前の観世音寺は、近江の大津宮で、天下を統べられた天皇(天智)が、後岡本宮で天下を治められた天皇(斉明)のために、誓願して基をおかれたところである。(中略)速やかに造営を遂げさせよ」続日本紀 和銅二年二月一日の条
710 3 1  太宰府が銅銭(和同開珎)を献じた。続日本紀和銅三年正月十五日の条
3  平城京遷都 続日本紀和銅三年三月十日の条
715 霊亀 1 5  従三位多治比真人池守、太宰帥に任じられる  続日本紀霊亀元年年五月二十二日の条
 第二期太宰府 霊亀年間(715-717)に完成
717 養老 1  養老律令成る
720 4 2  隼人の乱 「太宰府が奏言した。隼人が反乱を起こして、大隅国守の陽侯(やこ)史麻呂を殺害しました。」続日本紀養老四年二月二十九日の条
723 7 2  紗弥・満誓、勅によって造観世音寺別当として派遣される 続日本紀 養老七年二月二日の条
726 神亀 3 ?  山上憶良、筑前守に任じられる。在任期間726-732。在任中、太宰帥大伴旅人らと筑紫歌壇を形成。 
728 5 ?  大伴旅人、太宰帥に任じられる(在任期間神亀5年(728)-天平2年(730))
730  天平 1  太宰府の大伴旅人邸で?花の宴、開かれる
9  太宰府の防人を諸国から徴発して送ることが停止される  続日本紀天平二年九月二十八日の条
731 3 3  勅命によって、観世音寺に伎楽具一式・頭面23種、装束などが施入される 観世音寺文書
6  従五位下巨勢朝臣真人、太宰少弐に任じられる  続日本紀天平三年六月十三日の条
7  大納言・従二位大伴宿禰旅人没 続日本紀天平三年七月二十五日の条
9  大納言・従三位藤原朝臣武智麻呂、太宰帥に任じられる(兼任) 続日本紀天平三年九月二十七日の条
735 7 ?  太宰府管内で天然痘が流行し、多数死亡
740 12 9  藤原広嗣の乱
742 14 1  太宰府廃止される  続日本紀天平14年正月5日の条「太宰府を廃止した。 右大弁・従四位下の紀朝臣飯麻呂ら四人を遣わして廃止した府の官物を筑前国司に付託した」
744 16 1  筑紫に鎮西府を置く。筑紫国司が行政機能、軍事機能を鎮西府が担った。 続日本紀天平16年正月23日の条
745  17 6  太宰府復活される  続日本紀天平十七年六月五日の条
11  僧・玄昉、造観世音寺別当として左遷される。続日本紀天平十七年十一月二日の条
746 18 4  左大臣・従一位橘宿禰諸兄、太宰帥に任じられる(兼任) 続日本紀天平十八年四月五日の条
6  僧・玄昉、没。続日本紀天平十八年六月十八日の条
753 天平
勝宝
5 1  遣唐副使・大伴宿禰古麻呂、唐において朝賀の席順を巡って、新羅と争う。
9  従三位石川朝臣年足、太宰帥に任じられる  続日本紀天平勝宝五年九月二十八日の条
 従四位上紀朝臣飯麻呂、太宰大弐に任じられる  同上
12  遣唐副使・大伴宿禰古麻呂の遣唐使船にて鑑真来朝。 鑑真、筑紫観世音寺にて「戒」を授ける。
754 6 4  鑑真、平城京へ入城。  吉備真備、太宰大弐に任じられる:続日本紀 天平勝宝六年四月五日の条
756 8 6  太宰大弐吉備真備に筑前国の「怡土城」の築城命じられる 続日本紀 天平勝宝八年六月二十日の条
757 天平
宝字
1 7  橘奈良麻呂の乱 起こる。大伴宿禰古麻呂、奈良麻呂に加担したとして拷問の上殺害される
  8  太宰府の防人の徴用は、関東諸国の兵士から西海道七国の兵士に変更される 続日本紀天平宝字元年八月二十七日の条
758 2 8  孝謙天皇、皇太子(淳仁天皇)に譲位される 続日本紀天平宝字二年八月一日の条
12  淳仁天皇、太宰帥船王と大弐吉備真備に勅する。「よろしくこの度の状勢を理解して、予め優れた策を建て、たとえ禄山が来寇しなくても、準備は怠ることがないようにせよ、立案した上策と準備の詳細は一々具体的に記録して報告せよ」 続日本紀 天平宝字二年十二月十日の条
759 3 3  太宰府、国防上の4件の不安(辺戍の不安)を言上する (博多という地名が文献上、はじめて登場する)
 続日本紀天平宝字三年三月二十四日の条 
6  太宰府に行軍式(軍事行動に関する規程)を作らせた。新羅を討とうとするためである
 続日本紀天平宝字三年六月十八日の条 
8  太宰帥・三品の船親王を香椎廟(香椎宮:仲哀天皇を祀る)に遣わして、新羅を伐つ事情を奏上させた
 続日本紀天平宝字三年八月六日の条
761 5 ?  観世音寺に戒壇院、設置される
762 6 4  初めて太宰府に弩師(どし)(石弓の指導者)を置いた。続日本紀天平宝字六年四月二十二日の条
764 8 1  従四位上佐伯宿禰毛人、太宰大弐に任じられる  続日本紀天平宝字八年正月十三二十一日の条
 従五位下石上朝臣宅嗣、太宰少弐に任じられる  同上
765 天平
神護
1 3  太宰大弐・従四位下の佐伯宿禰今毛人を怡土城(いとじょう)造営の専知官(専任者)に、太宰少弐・従五位下の采女朝臣浄庭(きよにわ)を水城を修理する専知官に任じた。
 続日本紀天平神護元年三月十日の条
766 2 4  大宰府、東国兵士を防人として復活させる事を要請する 続日本記天平神護二年四月七日の条 
767 神護
景雲
1 2  従四位下の藤原朝臣楓麻呂、太宰大弐に任じられる 続日本紀神護景雲元年二月二十八日の条
8  従五位上の大伴宿禰家持、太宰少弐に任じられる(50歳)  続日本紀神護景雲元年八月二十九日の条
768 2 2  筑前国の抬土城、完成する。続日本紀神護景雲二年二月二十八日の条
11  正三位弓削御浄朝臣清人(道鏡の弟)、太宰帥に任じられる(兼任)
 従四位上藤原朝臣田麻呂、太宰大弐に任じられる 続日本紀神護景雲二年十一月十三日の条
769 3 3  今年からはじめて、毎年太宰府の真綿二十万屯を運ばせ、京の倉庫に収めさせることにした
 続日本紀神護景雲三年三月二十七日の条
8  太宰府に、綾師(綾織りの技術者)を置く。続日本紀神護景雲三年八月二十一日の条
10  神護景雲三年十月条 太宰府は「人や物が多く賑やかで天下有数の都会」
770 宝亀 1 9  従三位の石上朝臣宅継、太宰帥に任じられる。続日本紀宝亀元年九月十六日の条
772 3 11  太宰府管下の城郭築城を監督する営大津城監、廃止される。 続日本紀宝亀三年十一月二十五日の条
774 5  大野城に四王寺が建てられる(四王寺山)
781 天応 1 4  従三位藤原朝臣浜成、太宰帥に任じられる 続日本紀天応元年四月十七日の条
5  太宰帥藤原朝臣浜成を員外の太宰帥に降格させ、太宰府内の雑務は何事も佐伯宿禰今毛人が行え、との勅、発せられる 続日本紀天応元年六月十六日の条 (藤原式家の謀略か?)
784 延暦 3 11  長岡京遷都
785 4 5  従五位上海上真人三狩(みかり)、太宰少弐に任じられる 続日本紀延暦四年五月二十日の条
7  大納言・正三位藤原朝臣継縄(つぐただ)に太宰帥を任じられる(兼任)
 続日本紀延暦四年七月六日の条
786 5 4  従三位佐伯宿禰今毛人(いまえみし)を太宰帥に任じる 続日本紀延暦五年四月十一日の条
790 9 4  太宰府に命じて、鉄の冑2900余を造らせた 続日本紀延暦九年四月五日の条
8  太宰府が管轄下に飢えた民が八万八千人余りいますと、物を恵み与えることを申請したいと申し出、許可される。  続日本紀延暦九年八月一日の条
791 10 5  豊後・日向・大隅などの国々で飢饉があったと太宰府が言上する 続日本紀延暦十年五月十二日の条
794 13 3  平安京遷都
806 大同 1 2  太宰大弐の官位相当が正五位上から従四位下に引き上げられる
10  空海、学問僧として入唐後、帰国する観世音寺に止まる
 伊予(いよ)親王、大宰帥になる(これ以降、帥は太宰府に赴任せず)
807 2  ?  空海、観世音寺の一房を太宰府から与えられる、ここに止住する
810 5  太宰権帥が設置される 【薬子の変】起こる
837 承和 4 ?  筑紫鴻臚館の名、はじめて文献に登場する 入唐留学僧・円仁著『入唐求法巡礼行記』
858 天安 2 ?  入唐留学僧・円珍、商人李延孝の船で帰朝。鴻臚館北館門楼で宴が催される
 『園城寺文書』
862 貞観 4  高岳親王、鴻臚館を出て、宗叡和尚他、僧六十人を率いて明国に向かう 「頭陀親王入唐略記」
871 12  観世音寺、大風のより五重塔破損する
880 元慶 4  大風により、観世音寺南大門、戒壇院破損する
901 延喜 1 1  右大臣兼右近衛大将 菅原道真「太宰権帥」に任じられる
903 3 2  菅原道真没、太宰府安楽寺に葬られる
905 5  味酒安行(うまざけやすゆき)、太宰府安楽寺に菅原道真の廟を建て葬る
919 19  左大臣藤原仲平、菅原道真の墓の上に社殿を建立する(安楽寺天満宮の創祀)
936 承平 6 ?  このころから伊予国の地方官であった藤原純友が海賊の棟梁となり瀬戸内の各地で跋扈するようになる
939 天慶 2 12  藤原純友の乱 12月、藤原純友、摂津国須岐駅で、備前介藤原子高と播磨介島田惟幹を襲い殺害する
940 3 1   1月、朝廷は藤原純友を鎮圧のために小野好古を山陽道追捕使、源経基を次官に任じる。
941 4 5  藤原純友、大宰府を襲撃し、放火・略奪を行う。太宰府政庁灰燼に帰す。
 藤原純友、博多で小野好古(よしふる)率いる追討軍に敗れる
945 8 10  小野好古、天慶八年十月に大宰大弐となる
? ? ?  第三期太宰府再建
958 天徳 2 3  大宰大弐・小野好古、安楽寺天満宮で曲水宴をはじめる
964 康保 1 ?  大宰大弐・小野好古、安楽寺で 残菊の宴 を行う
1019 寛仁 3 ?  刀伊の入冦(といのにゅうこう)、太宰権帥 藤原隆家らが撃退する
1064 康平 7 5  観世音寺、講堂・塔・廻廊・僧坊、焼亡する
1089 寬治 3 ?  太宰権師大江国房、管内9国に観世音寺五重塔の造営を命ずる(実現せず?)
1102 康和 4 6  大風により戒壇院倒壊
1111 天永 2 ?  この頃までに,観世音寺別当暹宴(せんえん)、博多の貿易商人達の財力により筑紫戒壇院本堂を再建
1140 保延 6  大山寺等の僧兵などが太宰府に乱入し焼き討ちする。
1143 康治 2 ?  観世音寺、大火災によりほぼ全焼する
1158 保元 3 8  平清盛、太宰大弐となる
1185 文治 1 3  壇の浦の戦、平氏滅亡
1186 2  源頼朝、鎮西奉行として天野遠景を大宰府に派遣する
1120 保安  1  観世音寺、東大寺末寺となる
1192 建久 3 7  鎌倉幕府成る
1226 嘉禄 2 ?  鎌倉幕府御家人・武藤資頼(すけより)、大宰小弐に任じられる
1221 承久 3 7  観世音寺本尊不空羂索観音、深夜突然転倒し砕ける
1274 文永 10 10  文永の役(元冦)
1276 建治 2  博多湾岸に元冦防塁、築かれる
1281 弘安 3 5  弘安の役(元冦)
1336 建武 3 11  室町幕府成る
 
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