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組合の沿革

 


1952年(昭和27年) 更埴建築技術労働組合結成、建設労連に加盟(8月18日)
1954年(昭和29年) 日雇い健保取り扱い開始(5月)
1956年(昭和31年) 火災共済取り扱い開始
1598年(昭和33年) 生命共済取り扱い開始
1959年(昭和34年) 第1回野球大会開催(8月)
1960年(昭和35年) 組合組織300名達成
1961年(昭和36年) 組合組織600名達成
1966年(昭和41年) 全建総連更埴建設労働保険組合認可(4月1日) 
1970年(昭和45年) 日雇い健保の擬制適用廃止(5月) 
1970年(昭和45年) 長野県建設国民健康保険組合設立(8月)
1970年(昭和45年) 更埴市(現千曲市)屋代高畑に更埴建労会館完成(10月26日)
1971年(昭和46年) 労金一斉月額500円で段階的に開始 
1973年(昭和48年) 青年部発足(11月)
1974年(昭和49年) 組合を法人化(11月8日)
1978年(昭和53年) 組合組織900名達成
1979年(昭和54年) 組合健診スタート(10月)
1980年(昭和55年) 長野南更埴地区建設労働組合に名称変更(4月)
1982年(昭和57年) 組合組織1,000名達成
1983年(昭和58年) 主婦の会発足(6月)
1983年(昭和58年) 住宅性能保証の会長埴支部設立(9月)
1987年(昭和62年) 更埴ジャンクションの建設で組合移転問題
1989年(平成元年) 長野市篠ノ井御幣川に長埴建設福祉会館(現会館)完成(9月4日)
1990年(平成2年) 全建総連厚生協会長埴支部設立、建退共の取り扱い開始(7月)
1993年(平成5年) 長埴建設労働組合に名称変更(4月)
1993年(平成5年) 組合組織1,500名達成
1993年(平成5年) 34回続いた野球大会の歴史に幕、ソフトボールへ種目変更(8月)
1996年(平成8年) 組合組織2,000名達成(5月)
1998年(平成10年) 長野オリンピック終了後、組織減少が始まる(10月)
1999年(平成11年) 長建国保が10割給付から9割給付へ(10月)
2001年(平成13年)  組合組織数が2,000名を割る
2001年(平成13年) 住宅性能保証の会長埴支部が工務店協会長埴支部に名称変更(7月)
2002年(平成14年)  組合費等の自動振替スタート(4月)
2002年(平成14年) ホームページ開設(6月)
2002年(平成14年)  設立50周年式典・祝賀会をグリーンパレスで開催(8月17日) 
2002年(平成14年) 設立50周年事業でディズニーツアー実施(10月)その後継続事業に
2003年(平成15年) 長埴建設退職金共済事務組合設立(10月) 
2004年(平成16年) 組合組織1,800人台に減少
2004年(平成16年) 長建国保が7割給付2割償還に(10月) 
2007年(平成19年) 組合組織1,700人台に減少 
2008年(平成20年) 第50回球技大会(ソフトボール)開催。最後の球技大会となる。 
2010年(平成22年)  住宅版エコポイントの受付窓口開設(4月)
2010年(平成22年) 住宅リフォームお祝金制度創設(6月) 
2011年(平成23年) 組合組織1,600人台に減少
2011年(’平成23年) 宿泊旅行補助制度創設(8月)
2012年(平成24年) 復興支援住宅エコポイントの受付窓口開設(1月)
2013年(平成25年) 千曲市と災害協定を締結(10月) 
2014年(平成26年) 長建国保が7割給付に、療養付加金制度、国保医療共済で負担軽減策(4月)
2015年(平成27年) 組合組織1,500人台に減少
2015年(平成27年) 省エネ住宅エコポイントの受付窓口開設(4月)
2017年(平成29年)  組合組織1,600人台に回復 
2019年(令和元年) 次世代住宅ポイントの受付窓口開設(10月) 
2019年(令和元年) 台風19号で組合会館、組合車両浸水被害に遇う(10月) 
2019年(令和元年) 長野県の応急仮設木造住宅の建設に組合から5名が参加(11月) 
2020年(令和2年) コロナウイルスの感染拡大で多くのイベンや事業が中止 
2021年(令和3年) グリーン住宅ポイントの受付窓口開設(6月) 
2022年(令和4年) 組合組織1,500人台に減少(4月)
2024年(令和6年) 組合組織1,400人台に減少(4月)