南大門
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中門(仁王門)
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中門(仁王門)
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伽藍が南北一直線上に建てられているために中門前から撮ると
五重塔がこのように見える。この姿は他寺では見ることはできない。
昭和36年再建。
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← 熊野権現礼拝石
平安時代後期から鎌倉時代に浄土信仰が盛んとなるが、その極楽往生を願う聖地の一つとして熊野三山が篤い信仰の対象となっていた。
このため末法思想に恐れる京都の公家等は極楽往生を願い、挙って熊野三山への参拝に出かけた。
この熊野詣の行程は、宇治から天満までを船で下り、天満から四天王寺を経て住吉大社へ、さらに和歌山田辺(熊野街道)へというのが通常であった。
こうして、四天王寺に入った巡礼者は本尊を参拝した後、この礼拝石から熊野方向に礼拝し旅の安全を祈願したところから、「熊野権現礼拝石」と呼ばれるようになったいう。 |
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中門仁王尊像
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鳥居と西大門
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西大門(極楽門)
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鎌倉時代の永仁2年(1294)に建立されたといわれ四天王寺で現存する建物で最も古い建築物。高さ9m。掲げられている扁額には「釈迦如来転法輪処当極楽浄土東門中心」とある。山形市成沢の八幡神社の鳥居、山形市小立の石鳥居に次いで古い鳥居で重要文化財に指定されている。
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↑四天王寺が建立されたこの地は古代から夕日が美しいところで知られていた。
この立地が平安時代後期から隆盛になる浄土教の「沈む夕日を眺めながら念仏すると極楽浄土へいける」という西方極楽浄土信仰と重なり、四天王寺の西門は「日想観」の聖地となった。
これ以降、四天王寺の西門は特別な意味を持つこととなる。即ち石鳥居は、極楽浄土と現世との結界であり、その手前にある西大門は極楽浄土の入り口である「極楽浄土東門」へ通じる門ということで「極楽門」と呼ばれ四天王寺の中で最も大きく荘厳なものとなっていく。
←四天王寺を西から参拝するすると鳥居、西大門を経てこの西重門に至り、右手に五重塔、左手に金堂を一望することができる。四天王寺伽藍の美しさを知るにはこのポイントは外せない。 |
西重門
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金堂
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講堂
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昭和36年再建。本尊である救世観音菩薩を安置し、周囲に四天王が配置されている。
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昭和36年再建。 十一面観世音菩薩像と阿弥陀如来座像が安置されている。特に阿弥陀如来座像は基壇から6mもある大きな仏像である。
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廻廊
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五重塔
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四天王寺の廻廊は仁王門の左右から出て講堂の左右に取り付き閉じている。柱は法隆寺廻廊の柱と同じくエンタシス様式である。 |
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これが鉄筋コンクリート造りとは思えない見事な塔である。緩やかな各屋根の傾斜が法隆寺五重塔とは異なる優雅でしなやかな姿が印象的だ。昭和34年再建。全高37.05m。相輪は全高の三分の一を占める。
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六時堂(六時礼讃堂)と石舞台
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石舞台
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天台宗を起こした最澄が弘仁7年(816)に四天王寺に居住したとき六時堂を創建したという。現存のものは、江戸時代初期の元和9年(1623)に再建されたもので重要文化財に指定されている。
(注)六時礼讃とは
浄土教の法要の一つである。一日を六分割し、その六分割の時刻が到来ごとに読経・礼拝・念仏を行う。 |
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江戸時代の文化5年(1808)に再建されたもので日本の三舞台のひとつに数えられ重要文化財に指定されている。聖徳太子の命日とされる4月22日に終日雅楽がこの舞台で奉納される。
(注)三舞台とは
四天王寺石舞台・住吉大社石舞台・厳島神社板舞
(下の画像参照) |
(参考)
日本三舞台 |
厳島神社板舞台 |
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住吉大社石舞台 |
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