法 隆 寺
(ほうりゅうじ)

Contents
1.所在地
2.宗派
3.草創・開基
4.創建時の伽藍配置
5.特記事項
6.現在の法隆寺境内
7.古寺巡訪MENU

1.所在地

 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1

2.宗派

聖徳宗

3.草創・開基

法隆寺の創建は、寺伝によると推古15年(607)である。発願は、聖徳太子の父の用明天皇で、自分の病気平癒を祈願するために仏像と寺を建立することを誓願されたが、それが適わぬままに崩御された。そこで皇后であった推古天皇と聖徳太子がその誓願を引き継ぎ、推古15年(607)に、この法隆寺と本尊「薬師如来像」を建立されたという。

しかし史実は、この寺伝とはいささか異なることが昭和期に入ってからの発掘調査によって明らかになってきている。その詳細については次項をご覧願いたい。

<目次へ戻る>

4.創建時の伽藍配置

  • 法隆寺創建時伽藍配置復元図法隆寺は聖徳太子建立の寺院が現在までそのまま受け継がれてきたとの伝承があって、長きに渡ってそう信じられてきたが、明治時代に入って、日本書紀天智天皇9年4月30日「暁に法隆寺に出火があった。一舎を残らず焼けた」との記事を主要な根拠として、現存の建築物は創建時のものではなく、再建されたものではないかという疑義が提出された。これを巡って明治中頃から歴史学会の意見が「再建」派・「非再建」派に二分され、激しい議論が闘わされることとなった。
  • しかし、この議論も、昭和14年発掘調査で聖徳太子創建時伽藍遺構(若草伽藍)が発見され、再建されたものとほぼ決着がついた。(さらに昭和43,44,57年にも発掘調査が行われ、これが確定的になった)
  • そして再建法隆寺は、天武天皇時代の673−685年の間に着工され、和銅年間708−714に完成したというのが現在、最も有力な説となっている。
  • なお、和銅年間の再建法隆寺の伽藍配置は右図の通りである。(現存法隆寺とは、後世に行われた度重なる修繕・改築により、現存の伽藍は回廊が講堂まで延長されてこれに取り付き、鐘楼と経蔵が回廊内に取り込まれている点が異なっている) 伽藍図出典:同朋舎出版刊文化庁文化財保護研究会監修「図説 日本の史跡 第五巻」

<目次へ戻る>

5.特記事項

(1)法隆寺が西院伽藍と東院伽藍に分かれている理由
法隆寺は、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍に分かれている。その原因は、東院伽藍と西院伽藍はもともと独立した寺院であったことによっている。
前述の通り西院伽藍は、和銅年間708−714)に再建され た。一方、東院伽藍は天平11年(739)に僧行信が、聖徳太子の遺徳を偲び斑鳩宮の跡地に上宮王院夢殿を創立した。その後平安時代に入って、この上宮王院夢殿を法隆寺が併合して法隆寺伽藍に取り込み、それが現在に至っている。なお、堂内には聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像(奈良時代作)が安置されている。

(2)西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物と推定されている。

 
(3)法隆寺は、南都七大寺 および 太子建立七大寺 に数えられている。

(4)平成5年(1993)「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録された。

<目次へ戻る>

6.現在の法隆寺境内

こうした再建非再建説に関わりなく法隆寺は、約187,000u(約57,000坪)と広大な境内を有し、そして境内は下の境内図のとおり、西院伽藍と東院伽藍があって、西院には五重塔・金堂・大講堂が、東院には夢殿を中心とした堂舎がある。そして、そのほとんどが国宝・重要文化財に指定されおり、仏教文化の宝庫といわれるに相応しい寺院であることには変わりはない。
現在の法隆寺伽藍配置図
(法隆寺境内設置のものを参照)

南大門
法隆寺南大門

中門と五重塔
法隆寺中門

軒が深く大寺の玄関口として堂々たる門である。ただし現存のものは創建時のものではなく室町時代の永享10年(1438)に再建されたものである。 国宝。 南大門を入ると法隆寺式と呼ばれる伽藍配置である中門と左奥に五重塔、右奥に金堂を一望することができる。1300年を超える建造物が現存していることは奇跡という他ない。
中門
法隆寺中門

五重塔と金堂
法隆寺五重塔と金堂

金堂、五重塔と同時期の 和銅4年(711)ごろに建築された。 金堂軒下を通る参拝の人々。金堂の大きさがよく解ってもらえるのではなかろうか。
 

五重塔
法隆寺五重塔

金堂
法隆寺金堂

建立は、和銅4年(711)ごろと推定されており、高さは基壇上から31.5m。日本に現存する木造塔として最も古い。 上に行くほど小さく作られ、五重目は初重の半分程度となっている。国宝。 現存する木造建築として世界で最も古いことで有名である。重厚で堂々とし五重塔、中門、廻廊とともに飛鳥建築の粋を集めたものといわれている。 国宝。

廻廊
法隆寺回廊

大講堂
法隆寺講堂

エンタシス様式の円柱がよく観察できる廻廊。建立は五重塔と同時期と推定されている。 この堂は、延長3年(925)に落雷により焼失し正歴元年(990)に再建されたものである。薬師三尊像が安置されている。国宝。

大講堂前から見た金堂・五重塔の姿
法隆寺金堂と五重塔

鐘楼
法隆寺鐘楼

講堂前からということは裏側から金堂・五重塔を見た姿であるが、正面から見る力強く男性的な印象とは逆に、ご覧の通りの優美でしなやかささえも感じさせる。 東廻廊の途中に建てられている。対面には同じく西廻廊の途中に経蔵がある。当初の鐘楼は講堂と同じく延長3年(925)の焼失し、11世紀初頭に再建された。しかし梵鐘そのものは寺伝では白鳳時代のものと伝えられている。 国宝。

三経院・西室
法隆寺三経院

西円堂への階段
法隆寺西円堂

本堂伽藍を挟んで東室と西室があり、元々は僧坊であった。この西室は平安時代の承歴年間(1077-82)に焼失し、寛喜3年(1232)に再建された。三経院はこの三経を講じる道場である。なお、三経とは法華経、勝鬘経(しょうまん)、唯摩経(ゆいま)を指す。国宝。  境内の西北の小高い丘への階段を上がると西円堂 がある。

法隆寺西円堂

← 西円堂
 西円堂の創建は、寺伝によると奈良時代に橘夫人(藤原不比等の妃、光明皇后の母)の発願により行基が建立したという。現存のものは建長2年(1250)に再建された。国宝。

西円堂にある鐘楼
法隆寺西円堂鐘楼

法隆寺五重塔

西円堂に着いたのは正午の鐘が打たれる直前だったようでお坊さんが腕時計を見て待機されていた。 小高い丘にある西院堂から五重塔をみると塔の様子がよく分かり、また下から見上げた塔とは趣がまた異なる。 

聖霊院・東室
法隆寺聖霊院・東院

網封蔵
法隆寺網封蔵

鎌倉時代に聖徳太子信仰が高まり、僧坊である東室の南端部を聖徳太子の像を祀る聖霊院として、弘安7年(1284)に改造された。国宝。 網封蔵とは、僧網所が厳重管理する蔵ということを表し、寺の宝物を保管する高床式の倉庫である。900年代に建築されたと推定されている。国宝。

東大門(国宝)
法隆寺東大門

西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳
法隆寺西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳道

西院伽藍と東院伽藍を結ぶ門である。典型的な天平様式の三棟造りの手法で建立された門として評価されている。国宝。 東大門をくぐると西院伽藍への広く長い石畳みの道に出る。左には宗源寺などの塔頭が並び、右手には聖徳会館がある。先に見えているのが夢殿だ。

夢殿
法隆寺夢殿

鐘楼
法隆寺東院鐘楼

夢殿は東院伽藍の中心を成す八角の堂である。夢殿とは聖徳太子が瞑想のためにこもった堂として伝えられ有名であるが、この夢殿はその夢殿ではなく天平11年(739)に、聖徳太子の住まいである斑鳩宮跡に聖徳太子の遺徳を偲び僧行信が建立した。 なお堂内には聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像(奈良時代作)が安置されている。国宝。 夢殿を囲む廻廊の北西に隣接して建つ鐘楼である。この鐘楼は鎌倉時代に建立されたもので、中につるされた梵鐘には中宮寺と刻印されている。国宝。

<目次へ戻る>

7.古寺巡訪MENU

 
<更新履歴> 2012/11補記改訂 2013/10改訂  2015/12補記改訂  2018/1補記改訂
法隆寺