南大門
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中門と五重塔
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軒が深く大寺の玄関口として堂々たる門である。ただし現存のものは創建時のものではなく室町時代の永享10年(1438)に再建されたものである。 国宝。 |
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南大門を入ると法隆寺式と呼ばれる伽藍配置である中門と左奥に五重塔、右奥に金堂を一望することができる。1300年を超える建造物が現存していることは奇跡という他ない。 |
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中門
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五重塔と金堂
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金堂、五重塔と同時期の 和銅4年(711)ごろに建築された。 |
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金堂軒下を通る参拝の人々。金堂の大きさがよく解ってもらえるのではなかろうか。
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五重塔
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金堂
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建立は、和銅4年(711)ごろと推定されており、高さは基壇上から31.5m。日本に現存する木造塔として最も古い。 上に行くほど小さく作られ、五重目は初重の半分程度となっている。国宝。 |
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現存する木造建築として世界で最も古いことで有名である。重厚で堂々とし五重塔、中門、廻廊とともに飛鳥建築の粋を集めたものといわれている。 国宝。 |
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廻廊
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大講堂
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エンタシス様式の円柱がよく観察できる廻廊。建立は五重塔と同時期と推定されている。 |
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この堂は、延長3年(925)に落雷により焼失し正歴元年(990)に再建されたものである。薬師三尊像が安置されている。国宝。 |
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大講堂前から見た金堂・五重塔の姿
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鐘楼
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講堂前からということは裏側から金堂・五重塔を見た姿であるが、正面から見る力強く男性的な印象とは逆に、ご覧の通りの優美でしなやかささえも感じさせる。 |
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東廻廊の途中に建てられている。対面には同じく西廻廊の途中に経蔵がある。当初の鐘楼は講堂と同じく延長3年(925)の焼失し、11世紀初頭に再建された。しかし梵鐘そのものは寺伝では白鳳時代のものと伝えられている。
国宝。 |
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三経院・西室
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西円堂への階段
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本堂伽藍を挟んで東室と西室があり、元々は僧坊であった。この西室は平安時代の承歴年間(1077-82)に焼失し、寛喜3年(1232)に再建された。三経院はこの三経を講じる道場である。なお、三経とは法華経、勝鬘経(しょうまん)、唯摩経(ゆいま)を指す。国宝。 |
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境内の西北の小高い丘への階段を上がると西円堂 がある。 |
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← 西円堂
西円堂の創建は、寺伝によると奈良時代に橘夫人(藤原不比等の妃、光明皇后の母)の発願により行基が建立したという。現存のものは建長2年(1250)に再建された。国宝。 |
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西円堂にある鐘楼
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西円堂に着いたのは正午の鐘が打たれる直前だったようでお坊さんが腕時計を見て待機されていた。 |
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小高い丘にある西院堂から五重塔をみると塔の様子がよく分かり、また下から見上げた塔とは趣がまた異なる。 |
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聖霊院・東室
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網封蔵
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鎌倉時代に聖徳太子信仰が高まり、僧坊である東室の南端部を聖徳太子の像を祀る聖霊院として、弘安7年(1284)に改造された。国宝。 |
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網封蔵とは、僧網所が厳重管理する蔵ということを表し、寺の宝物を保管する高床式の倉庫である。900年代に建築されたと推定されている。国宝。 |
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東大門(国宝)
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西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳
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西院伽藍と東院伽藍を結ぶ門である。典型的な天平様式の三棟造りの手法で建立された門として評価されている。国宝。 |
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東大門をくぐると西院伽藍への広く長い石畳みの道に出る。左には宗源寺などの塔頭が並び、右手には聖徳会館がある。先に見えているのが夢殿だ。 |
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夢殿
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鐘楼
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夢殿は東院伽藍の中心を成す八角の堂である。夢殿とは聖徳太子が瞑想のためにこもった堂として伝えられ有名であるが、この夢殿はその夢殿ではなく天平11年(739)に、聖徳太子の住まいである斑鳩宮跡に聖徳太子の遺徳を偲び僧行信が建立した。
なお堂内には聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像(奈良時代作)が安置されている。国宝。 |
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夢殿を囲む廻廊の北西に隣接して建つ鐘楼である。この鐘楼は鎌倉時代に建立されたもので、中につるされた梵鐘には中宮寺と刻印されている。国宝。 |