北山十八間戸
(きたやまじゅうはっけんこ)


Contents
1.所在地
2.北山十八間戸とは何か
3.特記事項
4.現在の状況
5.古寺巡訪MENU

1.所在地
 奈良市川上町454
2.北山十八間戸とは何か
(1)北山十八間戸は病棟
北山十八間戸は、ハンセン氏病等の病者を収容し治療する病棟として使用されていたことがわかっている。

(2)現在の建物は江戸時代に再建されたもの
建物は間口約38m、奥行き約3.9mの細長い棟割長屋で、約2畳程度の病室が18戸(一戸は仏間)に細かく区切られている。建築年代は、鎌倉時代の様式を踏襲しているが、江戸時代に再建されたものであることも判明している。
北山十八間戸見取図
(同朋舎出版 文化庁文化財保護部監修「図説 日本の史跡 第6巻 中世」を参考に作成)
(3)それでは誰が、いつ頃、何を目的に創建したのかであるが、これは現在のところ大別して二説ある。
  • 一つ目は、光明皇后が様々に行った貧窮者の病人救済事業の一環として建立したというもの、
  • 二つ目は、僧・行基に深く帰依していた西大寺の僧・忍性が大乗仏教の菩薩道である利他行を実践することを目的に創建したというもの、である。
(4)忍性創建説が広く流布されているが真相は不明
現在のところ、この二説の内、後者の忍性創建説が広く流布している。しかし、いずれの説も確たる史料が無くどれが正しいのか不明だ。ただ、忍性も光明皇后も貧窮者、病者、非人の救済を実践したことは事実である。特に忍性はこの北山十八間戸から約500mほど北にある般若寺を拠点として活動し、般若寺の北に北宿という病者の収容棟を設け、こうした救済事業を実践したことがよく知られるところである。

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>3.特記事項
(1)北山十八間戸は、明治初年の廃絶まで連綿として人々に受け継がれてきた
以上のように、この北山十八間戸は誰がいつ創建したのか残念ながら確実な史料がなく不明である。しかし、そうした忍性等の活動を受け継ぐ拠点の一つとして明治初年の廃絶まで連綿として人々に受け継がれてきたのは紛れもない事実である。

(2)根源的な問いかけをされている現代社会
過去、仏教界が犯した負の遺産は多々あるが、果たして仏教が根源的に問うているものは何か、これをこの北山十八間戸は、あらためて問うている。しかしこれは仏教界にのみに問われているのではなく現代社会、即ち私達が今一度問われているのではなかろうかと思う。

(3)北山十八間戸は東大寺や法隆寺に勝るとも劣らない貴重な遺産
その意味でこの北山十八間戸は、東大寺や法隆寺に勝るとも劣らない貴重な先人の遺産として、今後も大切にしていきたい建造物である。

(4)北山十八間戸に関連する当サイトのページは以下のとおり、ご参照下さい。
 般若寺   西大寺   法華寺   行基   喜光寺   竹林寺

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4.現在の状況
北山十八間戸
(西から撮影)
  北山十八間戸(東から撮影)
一壇高くなっている部分は仏間
北山十八間戸   北山十八間戸仏間

 上の写真2枚の通り東西に約37mもある細長い建物である。ここには各室間口一間の18の部屋と仏間があり、収容された病人の世話をした。なお、白壁と白壁の間にあるのは裏戸である。
 
 北山十八間戸 裏戸   左の写真はその裏戸を撮影したもので、全ての裏戸には「北山十八間戸」と銘記されている。
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5.古寺巡訪MENU
 
<更新履歴>2011/10作成 2015/12補記・改訂 2018/9改訂 2020/11改訂
北山十八間戸