私は天井に向かってそう呼びかけてみたが、当然のことながら返答はなかった。それどころか、しばらくの間、誰も言葉を発することはなく、空間全体が静まり返っていた。くだらないことを話すぎて、彼らが腹を立ててしまったのではと思うようになった。大それたことをやってしまったかと思い、私は首をすくめた。
 今思えば、一度目の人生のさなかでも、私は調子に乗ると羽目を外してしまうことが多く、それで重要な交渉が失敗してしまったことも多くあるのだが、まさか死後の世界でまで、自分の性格のせいで損をすることになるとは思ってもいなかった。このままでは、創造主が怒りのあまり私の存在を永遠に消してしまうか、そうでなくとも、このまま何の音沙汰もないまま次の世界に飛ばされてしまうかもしれなかった。眼前に座る女性も、あの嫌味な笑いを浮かべるだけで口を開こうとはしなかった。いつまでも静寂の中にいても間が持たないので、私は自分から先ほど話したことについて謝罪することにした。
「あのう…、創造主様、聞こえていますか? 先ほどは少し言い過ぎました。たかが人間の分際で神に質問をするとは不作法にもほどがある、何事か、とお怒りになられていますかね。申し訳ありませんでした。取り合えずお怒りを鎮めて下さい。決して悪気はありません。いや、先ほど召使いの女性から聞いたところでは、何か…、あなた様ほどの人が、私から直接に事情を聞きたいということでして…、それは捉え方によっては、何を話してもいいとも取れるわけで…、いえ、決して、全能なるあなた様や、この召使いの女性に不手際があったと申しているわけではありません。すべては私の責任です。そして、悪意のない思い違いです。私の方もですね、創造主自らがここまで来られまして、この私の、こんな私の話を聞きたいとおっしゃって頂けたので…、少し調子に乗ってしまいました。先ほど話したことは、すべて心にもないことでございます。最初は真面目に話せねばと思っていたのですが、話しているうちに言い知れぬ高揚感を味わってしまい、つい、ぺらぺらとくだらないことを喋ってしまいまして…、本当に申し訳ありません」
私はそう言ってしまってから深々と頭を下げた。何か、こうしていると、生前、酒飲みの席で飲み過ぎて酔っ払ったあげく大暴れをしてしまい、後日、上司に謝りにいったことを思い出してしまい、情けない気分になった。しかし、審問官の女はきわめて冷静だった。
「どうやら、勘違いをされているようですね。あなたの供述に対して我々の方から意見を述べたり、叱責したりということはありません。人間の感情などあまりに軽薄すぎて、我々がそれを汲み取って、いちいち意見を述べるほどでもないと申した方がよいでしょうか。我々の知能は事実を見据え、結果を追いかけていくだけでして、地球人のように他人の話を聞いて怒ったり悲しんだりするような、繊細な感情はありません。ただ、地球の俗語を、主に理解できるような言語に翻訳するのに多少の時間がかかってしまいます。地球は宇宙の一番はずれにあるような、無名な星ですから、通常のものではなく、一番高性能な翻訳機を使わないといけません。そういうわけで、この先も、こちらからの反応は少し遅れるかもしれませんが、構わずに供述を続けて下さい」
その言葉を聞いて私はかなり安心した。それにしても、一般の地球人である私との面会に、それほどの投資をするとは驚きだった。どうやら、神様はお手製の翻訳機まで使用しているらしい。いったい、私の心のどこにそれほど有益な情報が隠されているのだろうか? しかし、こうなったからには、ささやかな恩返しに、よほど彼らの利益になるような情報を与えてやらねばと思った。
「そうでしたか、地球ではどんなに意地の悪い人間との対話でも、一言話すたびに、これほど間が開くということはありませんで、それで、これほど長い沈黙があるからには、もしや気を悪くされたのかと勘繰ってしまいました。取り乱してしまいました、面目ない。さて、ではどこから話そうかな…。聞いての通り、私は地球という星に生まれた者なんです。そこの女性が先ほど言っていた通りですと(言われた瞬間は、他のことを考えていたので、簡単に聞き流してしまいましたが)、この広い宇宙には、地球の他にも生命を宿している星が無数にあるということですが…。これは非常に重要な情報ですね。まあ、我々地球人もですね、もしかしたら、自分たちの他にも生命体がいるのではないかと思ってもいまして…、私が生存していた頃は、たいそうな予算をつぎ込んで、大国が競って巨大な望遠鏡などを作成していまして、近場にある星から順々に、派手に捜索したりもしたのですが、自分たち以外の生命体は結局発見できずに未確認のままでした。死んでしまった後も、気にはしていましてね…。それで、地球という星に長年生きてみてその感想なんですが、まあ、こう言っちゃなんですが、神様、あなたにしてはずいぶん雑というか、荒っぽい仕事をされたな、という印象ですね。つまり、何と表現すれば良いか…、作りっぱなしと言いますか、地球という星は率直に言ってしまうと出来損ないですよね。なぜって、地球人というのは、生まれた地域によって、あるいは血統や境遇によって、才能や思想がまったくバラバラなんですな。優れた人種とそうでない人種がはっきり分かれている。神様、これはいけません、公平じゃないですよ。先ほど聞いたところでは、この世に生まれてくるチャンスはたった二回しかないとか。それでしたら、もう少し全員の外観や能力を揃えて頂かないと困りますよ。地球では、技能にしても知性にしても、各々の得意なことが違うっていうんで、みんながみんな勝手なことをして生きていますよ。才能のない人間は最初からあきらめてます。汗水流したところで、どうせ、自分はいい仕事に就けない。いい女に出会えない。裏通りの路上にたむろして金持ちを睨みます。そういった貧困層には、人生の意味なんて考える人はほとんどいない。労働と浪費と苦悩の連続です。日々の生活を送ることで精一杯です。高尚なことを考えるには、仕事の合間の休憩時間にコーヒーぐらい飲める人でないと無理ですね。ある程度の能力を持っている人達も二極化していまして、金のためだと割り切ってきちんと働いている人間もいれば、人生などどうでもいいと、サボって歌っている人間もいる。向上心を持って詩を書いている人間もいる。他の人間を喜ばすために台所で料理をしている人間もいれば、腹をすかせた家族のために、毎日のように金策に走り回っている人間もいる、という具合ですね。いわば好き勝手に生きています。まるで統率もとれていない。周りの人間の才能を覗き見て、とりあえず安心して、歌って、誰かが通り掛かれば心の奥に刻み付けるほどの恋をして、トウモロコシや蜜柑を育てて、他人の創ったものを大袈裟に賛美して、あるいはけなして、酒場で集まっては胸倉をつかむほど熱く討論をして、次の日には仲直りをして、暇さえあれば好きなだけ眠って、難しい本を読んで何かを悟って、自分には力があるとすぐに勘違いをして、大きな事業の失敗に落胆して、ウイスキーを飲んでそれを忘れて、先に力尽きた友人の死を悲しんで、一人ぼっちになると遠い昔を思い出し、夜空を見て涙して、そして死んでいきます。やってることがみんな違うんですな。
 これでは誰が優れているのか、正しい評価が出来ません。私の意見を言わせて頂きますと、例えば、思想や言語は一つに統一してしまえば、ずいぶんとわかりやすかったと思うんですよね。同じ言葉を使っていれば意思統一もとりやすいですし、思想も統一して、全員が国家に忠実に従うように仕組んでおけば、必然的に争いごとも起きない。逆らう人間がそもそもいないんですから当然ですけどね。地上に国家が一つしかなければ、権力構造も今よりずっと単純化してわかりやすかったと思うんですよ。しかし、地球にはいろんな国があって、みんながバラバラなことを考えている。国家よりも家庭や恋愛を重要視する者、家庭よりも上に国家を置いて日常を疎かにする者、すぐに才能をひけらかして心に愛情を持てない者、様々な思想の人間がいるから、すぐに混乱が起こるんですよ。生涯、人類のために働きたい人間と、自分のことしか考えられずに遊び歩く人間が、政治の問題で意見の一致を見るわけがありませんからね。利害が違うなら話し合うだけ無駄です。まあ、もちろん、あなたにしてみれば、多種多様な人間がいたほうが、多くの異なった個性が生まれ、社会構造が複雑化して様々な事象が誘発され、自動的に解決されるための手段が考案される。そして、次々と考案される発明品を巡って事件が起きる。あなたはそういった混乱が引き起こされる様子をほくそ笑みながら眺めて、それがどうやって解決されるのか、解決した人間が舵をとってどういう未来を作り出すのか、想像しながら楽しんでおられる。楽しいもんですよね、上から見ているだけってのは、そうでしょう?」

長く話し続けても、自分の声ばかりが響き渡り、次第に気まずくなるので、私はそこでいったん話を止めて、相手に話を振ってみた。しかし、今度もかなりの時間に渡って場は静まり返り、何も聞こえてくるものはなかった。自分が話した後に何も反応がないと、こうも不安になるものなのか。調子に乗って話し続けているうちに、またしても神を侮辱するような発言をしてしまったかと思い、身が縮こまる思いだった。全能の神ともなれば、私が何を述べたところで、『そんなこと、わかりきっているわ!』と言われることになるのではないか。やはり今回も謝ろうかと、そう思い始めたとき、目の前の女性がようやく口を開いた。
「お待たせしましたね。たった今、主があなたの意見への回答を下さいました」
「なんと! 創造主自らがこの私に返答をくれるというのですか?」
私はわざと大袈裟に驚いて見せた。ある程度、感動を装って彼らの機嫌をとっておいた方が、これからのやり取りがスムーズに進むような気がしたからだ。
「まず、人生の長さについてですが、我が主も人間の人生の長さにつきましては、60年・70年、その辺りが妥当だと思われているようです。あなたも人生に満足したとおっしゃっていましたが、ここへ来られると同じようなことを言われる方が多いようです。生きている期間がこれ以上長くなりますと、例えば、200年・300年生きられるようにしてしまいますと、まあ、主は他の惑星の生命体でそれを試してみたそうなんですが、やはり、うまくいかないようですね。必要以上に長いこと生きてしまいますと、大抵の人間は、それまでの半生での失敗を糧にしまして、何か良からぬことをたくらむ傾向にあるようです。時間をかけて得た秘密を誰にも打ち明けなくなり、自分の利益になることばかり考えるようになり、周囲の人間と協力する心を失ってしまうようです。それがために、やがて種族全体で共食いを始めてしまいまして、結果的にその生命体は長生き出来ないそうです。あなたの生きてきた地球という星が、小さいなりに、あなたのおっしゃられたように不十分なところが多いなりに、一応は長年に渡って発展を続けているのも、その辺りに要因がありそうですね。70年という人生の長さは、人間が各々の力量を遺憾無く発揮するのに丁度よい長さだと言えるのかもしれません。どんな優秀な人間も一つや二つ偉大な事業を成し遂げて力尽きる。どんな出来損ないでも、あまり長い期間に渡って恥を晒さずに済む、というわけでしょうか。
続いて、地球人についてですが、主も地球という星につきましては、残念ながら朧げにしか覚えておられないそうです。一つ、大きなため息をついて申されますには、『大宇宙の中でそれほど重要な星ではない。だが、星としての一応の機能は備えさせたつもりだ』ということです。先ほど、あなたの方から、地球人は能力も思想もバラバラだという意見がありましたが、その点につきまして主から回答がありまして、地球に近い他の箱庭では、思想も統一され、一つの系統だった組織に支配されている生命体も多くありまして、むしろ、そういった『一つの王とそれ以外のしもべ』というような箱庭の方が星の性質としては一般的でして、存在する数も遥かに多いようです。一人の権力者が法や制度を作り上げ、それ以外の人民はそれに従って黙々と働くだけ。こういう性質の方がわかりやすいですよね。ところが、主はあえて際だった権力者の存在しない箱庭を創ってみたかったそうで、それは神懸かった能力を持つ人間を一人または一族に固定するのではなくて、大多数の人民にも同じ力を持たせ、互いに競い合わせたら、生命体の発達はどういう方向に向かうのか、という発想から来ているようなのですが、そういう思惑から創られたのが地球だそうです。地球を誕生させた当初は、主もある程度の興味を持って、その成り行きを見守っていたそうなんですが、地球に住む生物たちの、あまりの進化の遅さと、単純な行動ばかりとる知性の低さにいつしか飽き飽きしてしまったらしく、ついには目を離してしまったそうです。何しろ、大宇宙には、他に主の興味をくすぐる星がいくらでもありますのでね。放置されてしまった後の地球は、あなたもご存知の通りの経過をたどっているわけです。どうやら、戦争と破壊の連鎖になってしまっているようですね。私の知るところ、地球人というのは、他に例を見ないほど学ばない種族です。私としましては、地球という星が特に駄目だと申しているわけではありませんで、実は、新しい試みを取り入れて誕生させた星というのは、大抵失敗に終わるそうです。地球という星も立派な失敗作ということで、主にも大変苦い思いをさせたようです。けれども、それでも主は腹一つ立てることなく、『せっかく創った星だから』と寛大に申されまして、あえてこちら側から操作して発展を妨害したり、途中で歩みを止めて消し去ったりということは致しません。すでに主の興味からは外れてしまっていますが、滅亡するまでは好きなように活動を続けてもらって良いということです。次に主への直接の質問、自分の創った箱庭を眺めているだけで楽しいのか? などという質問がありましたけれど、まあ、非常に大胆と申しますか、無礼極まる質問とも思えるのですが、主は寛大な方ですのでね、それにも回答を下さっています。
 まず、主は自分は全知全能であると申されまして、まあ、その辺りは誰でもとっくに理解できていることなんですけれど。続いて、万物のすべての行動を理解していて、すべてのことに興味を持ちながら日々暮らしている、と申されました。これを解説しますと、あなたがた人間の単純な脳の構造ですと、何かを学ぶにも物を創るにも、一度に二つのことを考えるのも難しいと思いますが、主は一度に無数のことを考えられ、無数の事象に興味を持たれ、無数の裁定を下し、無数の行動を起こし、無数の発見をなされ、無数の発明をなさるわけです。このことを詳しく説明して差し上げることも出来ますが、主の能力をいくら語って聞かせたところで、あなたのような凡人の脳には何も理解出来ないばかりか、こちらの説明に小さな不備を見つけ、反論さえ言いたくなるのでしょう。主のお取りになる一つの行動にさえ、俗物には到底理解できない、深い、謎めいた意味が隠されていることもございます。
 私も時々、この館に訪問者があるたびに、今のように、主の部屋と自分の館を結びまして、恐れ多くも主の独り言などを耳にしてしまうことなどがありますが、『最近、退屈だなあ』とか『いい加減、この生命体にも飽きたなあ』などという声が聞こえてきますと、一般の人間の脳には、神様も大して働いていない、暇そうにしてると考えられるかもしれませんが、実はそうではなく、主は次の瞬間、ほんの一瞬、瞬きの途中でまぶたが半分も動いていないくらいの瞬間に、実に百万を越えるほどの新しい生命体を生み出してしまうというようなこともございます。ええ、驚かれるのも無理はありません。あなたの鼻息が、空気中の水素原子を微動させる瞬間にも、主はいくつもの行動を起こされています。光の粒子で創られた虹色の蝶が、この空間を美しく羽ばたきながら光速で移動していく瞬間も、我々の目には、それを一直線の光の筋としてしか捉えることは出来ませんが、主はしっかりとそれを凝視され、それを見て楽しむだけではなく、『右羽の上から三番目の色合いがちょっと淡いな』などと独自の感想を漏らすことすらございます。ですから、退屈だとか、飽きたなどという言葉を、地球人のそれと同じように単純には捉えられません。主は永遠なる時と空間に住まわれて、すでに達観しており、超越されており、自分の脳の動きすら遅く感じるほどの行動力を持っていながら、自分の行動力がまるで追いつかないほどの速さで脳みそを動かされ、次々と発明をなされます。考える前に行動をなされ、寝息をたてる前にはすでに眠られており、瞬間的な眠りにすら後悔を感じ、口から息を吸われる前に息を吐かれます。発明と実験の結果はすべて瞬時の出来事であり、誰の目にも留まることはなく、誰にも理解されることはなく、結果も反省も自分の身体のみで消化され、還元され、それを元にして再び行動を起こされ、自分の行動が完成する前に次の行動をなされています。
 私が耳にした『退屈だなあ』という言葉は、いったい主のいつの状態にあるときの言葉なのか(何しろ、主の時間は無限ですからね)、そして、その言葉はいったい何を意味しているのか、まさか、本当に暇で退屈してしまったということはありますまい。主がそう言われるには、膨大な意味があり、自分の無限の能力からすれば、たった百万の星しか生み出すことが出来ない今の状態は、自分の力量からすれば、取るに足らないもので退屈に感じるということかもしれません。それとも、何か他のこと、もっと大きく複雑で色々な事情が混在した状態での、退屈という意味なのかもしれません。主はそれ程のお方ですから、あなたがどんなに努力してみたところで、世話しなく脳を動かされたところで、計り知れないお方であるわけです。主はそんな生活をお送りになられながら、あるとき、ふと自分と同じくらい優秀な脳を持つ生命体を創り出すことは出来ないかという考えに至ったそうです。自分の力を同程度の能力を持つ他人の目から客観的に見ることができたら、どのように評価されるのかという興味が働いたのかもしれません。あるいは、自分と競争しうる相手を作り出すことで、永遠の星の海の中で、すでに冷めきった心に嫉妬にも似た熱情を呼び起こし、自分のさらなる限界、究極の中にある究極、誰も目にしたことのない閃きを手に入れようとしているのかもしれません。しかし、万能の主と言えど、自分と同じ能力の人間を創るという作業には苦労されたようです。しかし、近頃はかなり安定して優秀な種族を創作出来るようになったそうです。主も自分の研究の成果に喜ぶ…、いえ、主は超越した存在ですので、喜ぶなどという安っぽい感情はお持ちになられていないでしょうが、それに似たようなある種の満足感は得られているようです。最後になりますが、地球という未完成な星に生まれながら、その人生は充実していたと言われたあなたの言葉に、主は満足しておられるとのことです」
自分にとってあまりおもしろくない、長々としたくだらない話だと思われても、それを表情や感情に表わしてしまうとどんな目に遭わされるかわかったものではないので、私は素直に驚き、感動したように見せかけた。
「主よ、お言葉をありがとうございます。私の言葉に感動して下さいましたか。非常に光栄です。ただ、正直に申しますと、私は生前はそれほど信仰の厚い人間ではありませんでした。いえ、もっと言えば、人間を越える存在を、その対象が何であれ信じたことはありませんでした。ええ、正直に申しますとも。どうせ、この場で嘘をついたところで、あなた様の目にはすべて見抜かれてしまいますからね。私にはまだ二回目の人生が控えています。嘘は自分の身を危うくするだけです。どうか、そこまでお導きください。『神への信仰を持たぬ、くだらない人間だ』そう思われるのも、もっともです。その通り、あなた様が見破ってしまわれた通り、私には神への信仰がありませんでした。それと申しますのも、私はいわゆる労働者階級に生まれまして、母も父も貧しい家の出でした。もちろん、そのこと自体を非難するつもりはありませんが、日曜ごとに熱心に教会に通うような暇は、とてもありませんでした。ああいうことは、まあ、多くの人間は、先祖代々の習慣で、あるいは見せかけだけで祈りを捧げに行っているわけですが、それでも、実際にやっているだけマシですがね。私は教会や神社など内部に入ったこともありません。いえいえ、全く信仰心がなかったわけではありません。私のような信仰のかけらもない人間でも、心のどこかでは、『神様、今の苦境を何とかしてください』と祈っているものです。もちろん、これは叶うわけありません。今、創造主の実態を知ってしまいますと、当のあなた様にちっぽけな人間などを助ける気などなかったわけですからね、へへへ。神様を慕っていたのは人間の側だけで、肝心の創造主は我々のことなどまるで気にかけずに、そっぽを向いていたわけです。人類が天災に追われていても、あなた様は朝食のコーヒーをすすっておられたわけです。へへ、今のは軽い冗談です。私はただ日々金策のために駆け回っていて忙しかったのです。未来のことを祈る暇さえなかったのです。言い訳をするなと叱責を受けそうですが、これは仕方のないことなのです。
 低い身分に生まれてしまいますと、教育者や友人の質も総じて悪くなっていきますのでね。類は友を呼ぶです。私の担任の教師は神の教えとは程遠い下級大学出の語学専門教師でして、自分の若い頃の努力をひけらかして、すぐに偉ぶるような人間でして、『生まれたことを神に感謝して生きろ』なんて一言も言いませんでした。食事の前の祈りも欠いていて、何の祈りの言葉もなくスープをがぶ飲みする始末です。あなた様のことをずいぶん見くびっています。さらに酷い教師になりますと、『頼れるのは自分だけだと思え』などと不純極まったことを言う有様です。ええ、信仰のないところに愛はありません。おかげで私の性格は今のようにすっかりねじ曲がってしまいました。友人にはもっと酷い連中が集まっていまして、先に言っておきますと、友人などというものは選べませんからね。自分の生れついた家の隣に住んでいるのが必然的に友人となります。選択肢などありません。上流家庭の隣の家も上流家庭、親戚も知り合いもすべて上流家庭、逆もまたしかりです。神に祈るどころか、最低限の道徳すら守れない連中です。休みの日になりますと、全員で神社の祭壇によじ登って賽銭箱をあさるのです。教会の募金箱の錠前をこじ開けたこともありました。ああ、神様、もちろん、私は関与しておりません。そそのかされ、反対できぬまま、のこのこと付いていったことは何度かありますが、分け前は貰っていませんし、そんな小銭を受けとっていたところで、子供のすることです。ろくな使い道をするわけがありません。路地裏の汚い商店の鶏肉の唐揚げや黒砂糖などの貧乏臭い食べ物に浪費され、すぐに右から左です。悪銭身につかずというやつです。ええ、もちろん小銭であろうと神から金を奪うという行為そのものが非難されるわけですよね。あなたは何でもわかっていらっしゃる。私も同感でございます。もし、悪友の誰其がここを訪れることがありましたら、厳しく罰してやってくださいまし。遠慮はいりません。
 しかし、彼らが不道徳だったのは、家柄のせいではあらず、親教師たちの教育のせいにあらずです。ひとえに神の存在というものが誰の心の内にもあやふやだったからです。宗教に熱心な人でさえ、心のどこかでは神という存在を信じきれない部分もあったでしょうし(もし、人間世界を見限り、純粋に神の世界のみを信じる人がいるとしたら、その生活様式や言動からして、その家を訪ねてきた人が目を疑うほど、一般人のそれとは大きく異なるはずです)、人生で何度かは信仰よりも物欲や肉欲を優先させたことがあったはずです。聖職者を名乗っている者ですら、その多くは信仰などかなぐり捨ててその身を金銀で飾り立て、金儲けに走る有様でした。他人の信仰心を利用して、寄附だ葬儀代だと要求して、腹のうちでは庶民を嘲笑い、老人たちのなけなしの金を、すべて自分の儲けに変えてしまうだけの宗教者を何人も見てきました。信仰は遠い未来への保険、金儲けは現実への保険ですからね。現実的な人間であればあるほど後者を選ぶかもしれません。神という名前を利用する者、される者です。どちらを取ればいいのか、地球の人間は常に板挟みでした。ところが、生前はあやふやだった死後の世界というものが、今、一度死んだことにより明らかになったわけですね。本来ならば、人間は死んだ瞬間、すぐに存在を消されても文句は言えないところです。死後の世界がただのお伽話であるならば、です。心に思い続けていたのとは程遠い結果、それは消滅。気づかないうちに取り返しのつかない病に冒され、病気が日に日に重くなり、医者はさじを投げて首を横に振る。ベッドの横に親族が集まりだしたら、命の炎が消える秒読みだ。みんなが自分を励まそうとするが、もう長くないことは彼らの方が知っている。彼らは内心笑っているのか? それともめんどくさがっているのか? 俺には遺産などないぞ、こんちくしょうが。やがて死ぬ直前、漫画や映画の世界で優雅に描かれていた天国というものを思い出して、恐怖に乱れた心をなんとか落ち着けようにも、それはアテに出来ない。どうせ、どんな夢想も同じ人間が考えたことだ。教会の天井のステンドグラスに神秘的に描かれた宗教画も疑わしい。神や天使が筆をとったわけではない。描いた人間もとうに死んでいる。誰もが病床で考える。『私はもうすぐ死ぬ。この先の道は二択だ。先の世界があるか、それとも灰となって消えるだけなのか』ここに至っては消えないことを祈るしかない。人生は大きな失敗もなく比較的まともだったが、神の評価はわからない。自分と似たような境遇の人間たちも、天界の審判者からは低い評価を受けているかもしれない。今頃、地獄の釜の底で悶えているかもしれない。『おまえも早く来い。来れば教えてやる』呪いの声が聞こえてくるようだ。言われてみれば自分も俗人だ。小金を手にして他人を見下したこともあった。仲間を蹴散らして儲けに走ったこともあった。つまらない人生だったのかもしれない。しかし、神に認められるほどの施しをできた人間など、ほんの一握りではないか。救われるのはほんの数人か? 天国より地獄の方が収容人数は多いのか? 地獄の門の前には果てなく続く行列ができているのか? 考えていても仕方がない。悩んでも時計は止まってくれない。秒針が進むほどに身体の力は抜け、視界はぼやけてくる。あきらめが肝心だ。さあ、死のう。見送りにきた家族よ、さらば。長年付き添ってくれた我が肉体よ、今までありがとう。銀河鉄道の車輪はギシギシと動き出す。走り出した先に駅はあるのか。それともどこまでも続く荒野か。無機質な鉄路は無限の世界を暗示する。意識は少しずつ薄くなって、煙のようにたなびいて消えていく。医者に告げられると家族は一斉に泣き出した。さあ、俺は死んだぞ。果たしてどうだ? 天使は迎えにきたか? サイコロはどっちに転がった? 天国か地獄か、あの世かそれとも虚無か。今、私が座っているここがそう! 間違いない、やはり死後の世界は存在した。バンザイ、俺は消えていない! ってなわけですよね。
 そういう経過を辿って、人はこの世界に到着するわけです。普通なら、いや、地上の常識なら、ここで信仰心を問われるわけですよね。『汝は本当に神を信じ、悪行をせず、家族を愛し、日々、心からの祈りを捧げていたか?』と、こう聞かれるわけです。いや、 少なくとも、地上の人間は、死後の世界とはそういう世界だと思っていたわけです。人生の結果を問われる世界。法でなく道徳によって裁かれる世界。ところが、実際来てみたらどうだ。地球であんなに祈りを捧げていた宗教家たちの祈りは役に立ったか? ろくに飯も食えなかった修行僧たちは、天国で暴飲暴食か。逆に、神を信仰せず、教会や寺院に背を向け、仏像のお供え饅頭を奪ったり、坊さんに石を投げた連中にはお咎めがあるのか? やはり、神の怒りに遭い、地獄の番犬に身を引き裂かれ、ラミアの鋭い牙に噛み付かれ、ゼウスの杖から放たれる裁きの雷で全身を焼かれるのか? ところがどっこい! 無神論者にもお咎めなし! ですよね。先ほど、聞いた話では、どんな人間にも死後の評価は平等ということでして、へへ、これは助かった。それを信用させてもらいます。つまり、宗教というのは、人間が創り出した壮大な演劇だったわけですね。地球の大多数の人間が信仰していたのに! 礼拝だの正餐だの忙しそうだったのに。やっぱり、はったりだったのか! 坊主どもをさげすんでいた俺のやり方は正しかった! 頭をまるめなくて良かった! めんどくさがって神社を素通りし、絵馬に願いを書かなかった人間にも次の世界は開かれた! ってことですよね。いえ、私は神を信仰していなくて、得をしたと言っているわけではないですよ。ただ、この死後の世界が、信仰心の少なさを厳しく責めたてるような、そういう場所でなくて良かったと、そう言ったまでです。そう、人間は信仰でなく行動によって評価されねばなりません。大事なのは良識の積み重ねです。創造主様、私は信仰こそ持っていませんでしたが、規律は持っていまして、己の中の規律というやつです。それは酒・煙草・女に金を使わない、ということなんです。これだけは一生守り抜きました。なぜ、これを守ることが大事なのかと申しますと、これらは、のめり込んでいくと必ず悪行や犯罪に結びつきますからね。心の中でどんな悪どいことを考えていようが、この3つの規則を守っていれば、少なくとも他人に迷惑をかけることはない。そう考えていたわけです。社会全体でそれらの行為、酒をたらふく飲んで暴れだし、他人に迷惑をかけたり、日夜煙草を吸いつづけ、幻想をみる違法な薬を吸い、街角で裸同然の姿で媚びをうる女たちに金を渡したりする行為、こういうものは国によっては認知されていますが、私はやりませんでした。周囲の人間が誘ってきてもそれを断りました。それは己の作った規則だからです。自分に嘘をつく人間は、やがてはどんな大罪も平気でこなすようになります。自分の行った些細な行為、詐欺や暴力や窃盗などで他人が苦しむ羽目になっても、それを笑って見ていられるようになります。新聞に書かれた悲惨な事件に心が動かなくなります。学校帰りの無邪気な子供たちに挨拶を返さなくなります。背を曲げながら重い荷物を持ち苦しむ老人に邪魔だと言い放つようになります。どんな出来事も自分の意識の外でしか捉えられなくなります。さらに、進行すれば、他人が破産しても、それはめぐりめぐって自分の利得になると考えます。他人を殺しても、それを人殺しと思わなくなります。大罪のどこかに必要性を見出だすようになります。『俺の方が不幸なんだから仕方ない』『誰だって同じことをするはずさ』他人の家族が持っている愛情が、自分の心には暖かな音楽として響かなくなります。それはやがて妬みや恨みを発生させることになり、誰もが涙する美しいストーリーに呪いの言葉を吐きかけるようになります。赤ん坊の誕生に、友人の結婚式に唾を吐きかけるようになります。私は少なくともそういう人間ではなかった。誓って言えます。私は人間界でどんな悪行も行わなかったと。私は真面目に人生を終えました。あなたがたに詮索されるようなことは何一つありません」



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