目が覚めたとき、私の魂はすでに現世から遠く離れて、このすべてが凍りついたような亜空間にたどり着いていた。私の意識は朦朧としていたが、少なくとも、このつかみどころのない世界が現世ではないことをすぐに悟った。そうか、私は死んでしまったのだ。ここは死後の世界なのだ。自分の人生をつつがなく終えてしまったのだ。そう悟った瞬間に、病院のベッドの上で多くの人に見送られながら死んだときのことをすべて思い出したが、本題とは関係のないそれを詳しく語ろうとは思わない。ここは生前に周囲の人間と酒を飲みながらでも、天国とか地獄とかと語っていた死後の世界だった。信仰心に溢れた私の叔母が、生前にこの世界のことをしきりに語っていたのを思い出したのだが、それによると、私の地方に伝わる神話の中では、人間の死後とは、まず冥府と現世の間に漂う、この審問の世界に落とされることから始まるのだという。
 それは子供の頃に聞いた話だった。あるいは、やんちゃでじっとしていられない私をおとなしくさせるために、叔母が自分で考え出した物語だったのかもしれない。私は物置などの狭い一室で黙ってその話を聞いていた覚えがある。しかし、地上には蟻のように数え切れぬほどの人間が住んでいるというのに、あの世では、個人個人に対して神から直々の審問があるなど、あまりにも馬鹿げていて、想像を越えた話だったので、叔母を怒らせぬ程度に相槌を打ちながら、話も半分に聞いていたのだが、自分の死後の話というのは、聞いているうちに、段々と理由もなく、その叔母の口調までもが恐ろしく感じられるようになるものであり、物心ついてからは、そんな話は聞かなかったことにして忘れ去っていた。あるいは、それが私の死に対する恐怖の芽生えだったのかもしれない。
 それが今、自分の死という現実を通り越して、目の前に展開されているのである。人間は誰しも、どんなに気丈に振る舞っていても、心のどこかでは死という概念を恐れているが、実際に死後になってしまうと、どういうわけだろうか、それほどの恐怖は沸いてこなかった。心の中は不思議とモヤがかかっているようにぼやけていた。死というものが本当に恐ろしかったのは、それを眼前にした病床の一瞬一瞬のことであって、それが過ぎ去ってここまで来てしまった以上は、どんなに恐ろしいことが待ち受けているにせよ、すべてを受け止める以外にないと覚悟が決まっていた。
 叔母に聞いた話では、人間には二回の人生が準備されている。一度目の人生を終わった後に訪れるのが、この審問の世界で、ここで人間界で起こった様々なことを質問され、それに滞りなく答えて通行の許可を受けた者は次の一生へと向かうのだが、二度目に死の苦痛を味わった後には、強制的な無の世界が待っているということである。それこそが、生けるものすべてが恐れている魂の消滅という現象である。しかし、逆に考えれば、この狭間にある世界に落とされたということは、つい先ほど終えた私の人生は、まだ一回目だったということである。考えようによっては、存在を消されるまでには、まだ幾らかの時間があるということだろうか。
 この世界は二度目の人生のためのいわば通過点だが、ここに降り立ったときの姿形は一回目の人生のときのそれを借りている。性格や記憶や思考能力も一回目の人生のときのものである。ただ、まだ死の直後であるためか、生前に自分がとった行動の記憶はかなり薄れてしまっていた。生前、どんな世界にどのくらい長く生きていたか、どんな死に方をしたか、ということくらいはなんとなく思い出せるのだが、自分の友人知人や職業のことなどを思い出すのは難しいようだった。食べ物や人間関係の好みや問題が起きたときの対処方法といったものは、ここでも生きていた。いわば、脳みそに制限がついた状態でこの世界に生かされていた。
 この世界に重力が存在しないためか、それとも私に実体のないせいか、身体は宙に浮きそうなくらいにふわふわとしていた。地面をぽんと蹴った足が再び地面につくまで、地上に生きていた頃よりも、相当に時間がかかるようだった。青春時代に見た映画のスローモーションのようで、あまり気持ちのいいものではなかった。
 叔母に聞いた話の通りであれば、この審問の世界には音という概念が存在しないはずだった。自分の肌で感じた限りでは、風や大気も無かった。空を見上げても、真っ青な天空に無数の天体が浮かんでいるのが見えるだけだった。星々は静かな夜空に身動き一つせずに整然と浮かんでいて、時々光の加減でちかっちかっと瞬くだけだった。生前はあれほどに目立った存在だった太陽の姿も、どうやら、この世界には見えなかった。私が生前に住んでいた地球からは相当に離れてしまったらしい。漆黒の闇の中に半透明の自分の姿がぼんやりと映し出されていた。私は何かに脅え、しばらく立ち尽くしていた。どれだけ時間が経っても明るさには変化がなかった。ここには朝と夜の概念もないようだった。星々からこぼれ落ちる微かな光によって足元だけはほのかに照らされていた。全力で走ったり踊ったりすることは無理だったが、ただ真っ直ぐにゆっくりと歩くだけなら出来そうだった。

 目の前には、小さな庭園のような穏やかな風景が拡がっていて、まるで地球でも見た片田舎の農園の景色のようだった。真横にある花壇には赤と白のバラが十数本植えられていた。興味を持って花びらに触ってみても、指は何の感触も伝えてくれず、揺り動かすことは出来なかった。ここにはただ、私がバラに触れようとしたという事実があるだけだった。これは魂だけになった自分に力がないせいか、それとも、ここはマイナス40度で凍りついた世界なので、バラの花もその例外ではないのかもしれない。
 私が今立っている一本道は背の高い潅木によって外の世界と仕切られていて、遠くに見える黒い大きな館までジグザクになりながら続いていた。私は何か行動を起こす前に、まず自分の身体はどうなってしまったのかということと、今後どうするかということを、考えなければならなかった。しばらく立ち止まって考えたあげく、私は取り合えずあの館まで行かなければならないと思うようになった。何しろ、視界に見える限り、私のこれからに何らかの意味をもたらしそうなものは、あの無気味な館以外には考えられなかった。私が無気味だと表現したのは、黒い館の雰囲気が、まるで蝙蝠でも飛び出して来そうなほど陰欝に見えたからだ。しかし、そこまで行くことが義務であるにせよ、ないにせよ、それをしないうちは、この次の世界で生きる権利を得られそうになかった。館の中にはどんな人物が待っているのだろう。どんな厳しい質問が待っているにせよ、それに正直に答えてしまえば、少なくとも、次の世界への展望は開けると思っていた。
 私は宙に浮かぶような軽い感覚に苦労しながらも、ゆっくりとたどたどしく一歩ずつ道の上を歩いた。意識は遥か前方へと先走っているので、次第に、なかなか前に進まない自分の身体にもどかしくなった。しばらく歩いていると、暗がりの中、道の向こうから黒い猫がこっちへ向かって歩いて来るのが見えた。この世界で出会った初めての生き物だが、私にはこの猫が自分に興味を持っているようには見えなかった。その猫は視線を下に向け、腹がすいているのか、何か獲物でも探すようにふらふらと歩いていた。この世界は何者かに支配されていて、その何者かが私にこの猫を差し向けたとは考えにくかった。見ているうちに、その猫は何の意識も興味もなく、ただ前に進むという意志だけを持っているように感じられたのだ。その猫は私の眼前まで来ると、突然、ニャアンと一つ鳴き声を発して立ち止まった。顔はこちらを見上げていて不思議そうに首を傾げていた。ここは人間の支配する世界ではないから、地球での常識は通用しないのではないか。こんな猫にも何かの意味があるのかもしれない。ひょっとすると、彼はここから前に進むための案内人なのかもしれない。私は試しに館の方を指さしてみたが、猫は顔を一度そちらに向けただけで、やはり私には何の興味もないのか、少しの間を置いて、そのまま歩み去ってしまった。

 私はかなりの時間をかけて道なりに進み、ようやく館の門前までたどり着くことが出来た。私よりも背の高い、真っ黒な鋼鉄製の扉はしっかりと閉められていて、誰の力で押したとしても、容易には開きそうになかった。私はコンコンと二回門を叩く振りをした。実際は私の身体は存在せず、魂だけで動いている身なので、この硬そうな門に触った手応えというものはなかった。
「もしもし」
私はもどかしくなって、何かに呼びかけるようにそう口に出したつもりだったが、実際に声にはならず、その言葉はただ心の中に響いただけだった。
「そのまま、しゃべってもらって構いませんからね」
どこからか、そういう返事が聞こえてきた。どうやら、この音のない世界では、心に思ったことがそのまま世界全体へ響き渡る仕組みになっているようだ。
「あなたはここへ到着したばかりです。まだ、中間の世界で生活することに慣れていないでしょう? ここでも人間界と同じように意志の疎通がとれますから、どうぞ、そのまま、感じたことを心に思ってみてくださいね」
門の内側からそういう言葉が響いてきた。人間の世界の感覚でいえば、それは女性の声のように感じられた。この世界では面と向かって話さなくても互いの意志を伝えられると言いたいのだろうか。
「こんばんは、あなたがこの世界の主人ですか。なるほど、ここは中間の世界というのですね。私は一度目の人生を終えた者です。死んだ途端に意識がこの世界へと飛ばされてきました。ここでは何を目的にして、どのように生活すればよいのでしょう?」
私は取り合えずそのように切り出した。まず、この世界の住民の意志を聞いて、私をなぜ呼び出したのか、何をさせたいのか、それを聞き出してから自分の要望を告げようと思ったのだ。
「長い間、人間の世界に行っておられたので覚えておられないかもしれませんが、もし、思い出しましたら、この世界での合言葉をおっしゃってくださいね。それで、門は自動的に開くようになっています」
「オープンMG」
私は今思い出したばかりのその言葉を心に念じてみた。すると、音も立てずに扉はゆっくりと内側に開いた。
「なるほど、こうすれば容易に扉は開くわけだ。しかし、人間界にいた頃、この合言葉を忘れていたこと、そして、再びこの世界に戻ってきてすぐに合言葉として思い出したことは、考えてみるほどに不思議ですね。どういうわけでしょう? 私は以前にも一度ここに来たことがあるのでしょうか?」
話す相手の姿はまだ見当たらなかったので、私は誰にともなく天空に向かってそう尋ねてみた。
「そうですね、あなたが人間界へ一度目の旅に出られている間、その言葉は使えないようにしておきました。人間界では一切必要のない単語ですのでね。あなたを送り出してから、再び魂だけになって戻って来られるまでの期間は、ここに住む者の感覚ですとほんの一瞬なんですが、あなたにとっては…、そうですね、流れ星が空に三万回ほども輝くほど長い期間に感じられたはずです。それは人間として生きる資格を与えられた者にとって不思議なことではありませんのでね。さあ、どうぞ、お通りください」
私は言われるままに門の内側に踏み込んだ。石の階段を三段も上がると館の扉はすぐそこにあった。
「それにしても、今夜は星がきれいですね。見渡す限り、右も左も、すべて色とりどりの天体の海ではないですか。地球ではこんなに美しい光景を見たことはなかったです」
私は扉の内側にいる何者かに向けてそう話してみた。
「門をくぐるのを躊躇されていたのは、ここの景色に感嘆されていたからですか? 申し訳ありませんが、人間でない私には、美しいという概念がわかりませんのでね。なるほど、地球人の目には、この景色は目新しいということでしょうかね。普段の生活が地上で行われていますと、天空というのは、思いの外遠い存在なのかもしれませんね。ただ、天体とか宇宙とかいう概念も私にはわかりません。それは人間の世界で創られた言葉でしてね。人間界ではどうやら宇宙も星も生命の存在と結び付けられるようですが、私にとっては星の光も一つの景色に過ぎませんのでね。この天体の集まりも、壮大な箱庭の一部と思うようにしております。では、扉の中にお入り下さい。中でお待ちしています」
女性の声でそう言われたが、私にはこの世界の中へと進む決心がなかなかつかなかった。それは、ここから先へと進んでしまうと、否応なしに自分にとっての次の世界、つまり二度目の人生、さらに言い換えれば最後の人生に踏み込むことになるのかもしれないからだ。私にはまだ最初の人生への名残があった。自分の一度目の人生を懐かしむ気持ちがあった。生前の記憶を消されることへの恐怖感も、この時点ではかなり強く感じた。しばらく扉の外で足踏みをしていても、内側からは入ることを催促するような言葉は聞かれなかった。なるほど、中にいる女性は時間の概念を感じていないのかもしれない。地球に生きてきて、時間というものの存在を知っている私にとっては、今躊躇した時間は20分にも30分にも感じられたが、この中間の世界とやらに住む生物にとっては、私の次の行動も、瞬きほどの間隔で行われているように思えるのかもしれない。
 しかし、私のすべての行動が彼女に見張られている以上、ここでぐずぐずとしていても仕方ないので、私は覚悟を決めて中へと進むことにした。
 扉の内側には二畳ほどの古めかしい雰囲気の玄関があって、その先に女性の姿があった。これはどうしたことだ。異世界に来た以上、当然、そこの住人も宇宙人のような姿だろうと想像していたのだが、私を出迎えたのは、ブロンドの長い髪で肌が白く鼻の高い、地球でも散々見かけたようなタイプの女性だった。女性は薄ピンクの絹の上着に長いスカートを履いていた。背は私と同じくらいだった。女性の顔はずっと穏やかに微笑んでいて、これからどんな会話をしても一切の変化がなかった。
「この世界でも、人間は、いや生物は、そういうカジュアルな姿で生きているのですか?」
私は不思議に思ってそう尋ねた。考えてみれば、異星人が地球人と同じ姿で動き回っているという偶然があっても何ら不思議はないのだが、それにしても体型まで地球人と同じとは、偶然の一致が過ぎるような気もした。
「いえ、普段はこんな格好はしていません。私は人間のように、胴体に顔面と手足が付随しているというような、わかりやすく便利な形態をしていませんからね。この世界では、魂はいわゆる意志の力だけが存在していますので、普段の姿のままですと、あなたの目にはまるで映らないはずなのです。人間の目は、私の透明な魂を捉えられるようには出来ていませんからね。このような人間の姿をしているのは、来客が地球人のあなたであったからで、私の姿があなたの目に不自然に映らぬように、地球人女性のような姿になっています。私の姿が目に映らなかったり、異形であったりしますと、あなたに不快感や恐怖感が沸いてしまって、これから会話がしにくくなってしまうと判断したのです。それと、先ほど、我々のことを生物とおっしゃいましたが、この中間の世界に生物は住んでおりませんで、ここに置かれているのは、正式には私の魂一つだけですのでね。あとはすべて見せかけだけの飾りなのです」
「なるほど、言われる通り、ここには他に魂は来ていないようですね。もし、死んだ人間がすべてここを訪れるのであれば、この狭い世界はあっという間に人間で埋め尽くされてしまうでしょうからね。それでは、私だけに何か特別な用件があるということですか?」
おそらく、地球上で私だけがここに呼ばれたという現実に、くすぐったいような、小躍りしたくなるような感覚も覚えたが、この段階ではなるべく平静を保つことにした。ただ、来客として、これだけ丁重に扱われる以上、この先もそれほど酷い目には遭わないような気がしていた。
「あなただけをお呼びした理由は、これからお話しますので、取り合えず中にお進み下さい」
女性はそう言って背を向けると、廊下の奥の方へと歩んでいった。私は促されるままに彼女の後に続いた。館の内部の見た目は、地球でいえば、中世紀の欧米のたたずまいのような木製の古めかしい造りになっていて、棚にはカーネーションなどの色鮮やかな花が生けてある花瓶なども置かれていた。まあ、女性の姿も地球人を模倣しているということなので、この館さえも、私の来訪に合わせて整えられたのかもしれないと思った。元の世界からこれだけ外観を変えるということを、この世界の住人には一瞬で容易にできるといっても、私の来訪のためにわざわざ整えてくれたということは、ある程度歓迎されていると、そう考えても良さそうだった。
 玄関から十数歩も中に進んだところに、飾り気のない螺旋状の階段がついていて、それは地下へと続いていた。女性の手元でほのかにきらめくランプの明かりだけが頼りで、廊下は薄暗かった。廊下の隅に小さな丸いテーブルが置かれていて、その上に明らかに異星の生物と思われる、八本足で角の生えたカエルのような、けったいな形をした彫刻が飾られていて、私の興味をひいた。もしかすると、この世界にも芸術という概念はあるのだろうか。
 私はまだこの世界で活動することに慣れていないので、歩む速度がどうしても遅かった。女性は私が遅れていて、少しずつ二人の距離が開いていっていることに気づかない様子で、あるいは気づいているが、それをたいしたことではないと考えているのか、どんどんと先に進んでしまった。
 螺旋階段の途中の壁には、金縁の額に囲まれた、高さ4メートルほどもある大きな絵画が飾られていた。描かれているのは深海の絵だが、奇妙な形態をした深海魚や貝や珊瑚などを、巨大なタコのような化け物がひとのみにしているという不思議な絵柄だった。これは彼女の趣味で飾られているものなのだろうか? 人間の絵を模倣して描かれたものなのだろうか? 私は特にその絵に興味を惹かれたわけではなかったが、速過ぎる彼女の足を止める目的で、「これは何という絵ですか?」と自分の焦りを感じ取られないよう、さりげない口調で話しかけてみた。
「お目に付きましたか。それは運命という名の絵です。私も人間が描いた絵画などには詳しくないのですが、それはどうやら、この館が建てられた時に、主によって持ち込まれた物のようですね。何しろ、館を建てた後では、大きすぎて、入り口の扉から入れられませんからね。私のような感情のない魂には装飾など必要ありませんが、寂しくないようにと、主のお気遣いかもしれませんね」
女性はそう答えながらも、少し足を止めてくれたので、私は彼女の近くまで歩み寄ることが出来た。
「なるほど、運命ですか…。思えば、私が志し半ばで地球を去ることになったのも運命、いや、それ以前にこの魂が地球という星に生まれることになったのも運命なんですが、私とあなたが、この世界で今夜出会ったのも運命です。運命という概念はこの世界にもあるんですか?」
親しみを込めて気の利いた言葉を贈ったつもりだったが、それでも、女性の顔に喜びの感情が浮かぶことはなかった。
「ええ、あります。実は、ここの世界も創造主が遥か昔に試みにお造りになられた箱庭の一つに過ぎませんが、先ほどあなたはたくさんの天体が見えたと言っておられましたが、もちろん、あの中にも生物の住んでいる箱庭は無数にあるのですが、この領域の外にも、つまり星々の世界の外側にも箱庭は無数にありまして、主は自分の住まわれている領域内に無数の箱庭を所持していらっしゃいますし、それをすべて運命という言葉で管理されております。主に言わせますと、どんな生命体にも等しく運命があるというのが、実は一番公平な考え方のようでして、ここにも無数にある箱庭の中から、自分の世界での役目を終えて、選ばれた魂が時々参られますが、終わったばかりの人生の境遇に不平を唱える魂は中々ありませんでね。どの世界の魂も、人生が長いか短いかの差こそあれ、自分はとりあえず一つの魂として運命を授けられたのだ、ということに満足しているようですね。生前はどんな不平不満を漏らしていた魂も、一つの死を迎えますと、自分が主によって生み出された時のことを思い出すからでしょうか、とても謙虚で落ち着いた心持ちになるようです。この中間の世界も同様でして、そうした運命を授けられて生まれた箱庭の一つには違いありません」
私たちは地下の廊下を歩きながら話を続けた。
「なるほど、地球にも人間が創造した小説や映画などというものがありまして、いや、これは少し余計なことかもしれませんが、その中で、運命によって定められた人生だからどうしたこうした、なんていう話が結構あるんですが、なるほど、ああいうのは聖職者の世迷い言葉ではなくて、本当に存在するわけですね」
私はなんとか話を続けなくてはという幼稚な思いに駆られてそんな言葉を口走っていた。
「各々に運命が定められていないと、主の方でもさすがに魂の管理が大変なようでして、あなたもご存知のようですが、天空に浮かぶ星と申しますか、私どもの言葉では箱庭と言いますが、そこで実体を持って生きる権利は二回しか与えられませんのでね。二回の生命が終わった魂は速やかに消していかねばなりません。魂はこの星の海の中に無数に存在しまして、その中の無数の魂が毎日死んでいきますので、偉大なる主としましても、その作業には少し手間取るようですね」
女性はそこで不意に私の方を振り返った。その青い冷たい瞳が私の顔を凝視した。
「ところで、あなたの魂は一度目でしたか? それとも人生を二度終えたところだったかしら?」
彼女の声が急に冷たくなったように感じられた。
「冗談じゃない、私はまだ一度目ですよ。先ほども言いましたよね? 私はまだ一度しか死んでいないのです」
この女性が主とやらにどれほどの権限を与えられているのかはわからなかったが、これを間違えられてしまうと、大変なことになってしまうので、私は大慌てで反論した。
「そうですよね。ここへ来られる方は、一度目の人生が終わったところの方が多いんです。たまに、二度目の方も来られますが、さすがにこの世界での過ごしかたにも、相当慣れておられるようですけどね…」







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