第六章 名物妖魔との戦い

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 烏鶏国を出てからたいぶ時が経った。秋が過ぎ、初冬の冷たい風が吹き抜 ける季節。またも大きな山にさしかかった。その頂は天まで届きそうだが、 谷は冥府へと続いてそうなほど深い。
 ふと、山の中腹から赤い煙のようなものがのぼり、天空でひとつの火の固 まりとなった。
「出たな。妖怪」
 悟空は耳から如意棒を取り出し、身構えた。
 八戒と悟浄も武器を持って三蔵を囲む。

 一方、火の中の妖怪は三蔵を見つけ、あの例の噂を思い出した。唐からや ってくる僧侶は金ぜん長老(*3漢字表記)の生まれ変わりで、その肉を食えば不老長寿 だといわれていた。
 だが、三蔵に侍っている3匹の妖怪じみた者たちが邪魔であった。ここは 三蔵の慈悲につけこんで、情に訴えかければ隙が見えてくるかもしれぬと、 妖怪は7つぐらいの稚児に化け、裸に手足を括り付け、松の木の枝に吊り下 がって一行を待ち伏せることにした。

 下から見上げていた悟空たちは、火の固まりがすぅっと消えてしまったの で、武器をおろした。
「逃げちまったか?」
 悟空がいうと、
「どこかで罠を張ってるんじゃないでしょうか」
 と、慎重な悟浄がいう。
「とにかく、ここで待ってるだけじゃ日が暮れちまう。行こう。どっからで もかかってくるがいいさ」
 と、悟空は馬の手綱を引いて再び歩きはじめた。すると、遠くの方から 「助けてぇ!」と舌っ足らずに泣きわめく子供の声が聞こえてきた。
 嫌な予感を察知した悟空は三蔵にわからないように道をそらして行こうと するが、
「子供の泣き声が聞こえないか?」
 と、三蔵の耳にも届いてるようで、三蔵はそちらへ行くように悟空を促し た。
「お師匠さん、あれは妖怪ですよ。ほっておいたらあきらめて帰りますよ」
「だけど、子供かもしれぬ」
 融通のきかない三蔵に、悟空はしぶしぶ声のする方へ歩き出した。
 行ってみれば案の定、子供に姿を変えた妖怪であったが、三蔵はそんなこ とわかるはずもない。また殺生をしたと悟空を非難するだけで、とても面倒 なことになりそうだ。悟空は隙を見て妖怪の本性を暴けばいいかと、ここは 知らぬふりをすることにした。
 子供は「助けてぇ」と大声で泣いている。
「悟空、早く助けておあげなさい」
 悟空は木に登り、ロープをほどいてやった。稚児を小脇に抱え、飛び降り る。
「こんな山ん中でなにしてたんだ」
「強盗に襲われたんだ。とうちゃんは殺されて、かあちゃんはつれさられて、 ぼくはここに3日間しばられてるんだ」
「3日? それにしては元気がいいじゃねぇか」
「……」
「無事で何よりです」と三蔵はいい、「どこに住んでいるのです?」と聞い た。
「ぼくはこの山の西にある枯松澗<こしょうかん>っていう谷のそばにある 村に住んでます」
「心配しなくてもいいですよ。わたしたちもそちらへ向かうところです。一 緒に帰りましょう」
「ぼく、もう疲れて歩けない。おんぶして」
 と、子供は悟空が腰に巻いている虎の毛皮を引っ張った。
「いいだろう。八戒は馬を引いてくれ。おれは後からこのガキを背負ってい く」
 三蔵の目から離れた悟空はどう料理してやろうかと考えていたが、先に手 を打ってきたのは妖怪の方だった。悟空の背中に息を吹きかけ、重身の法で 千斤(約600kg)もの重さでのしかかる。
 悟空はそれを鼻で笑った。
「おれから始末していこうっていう目論見<もくろみ>まではいいが、そんな術でおれ さまを負かそうっていうのか?」
 足取りの軽やかな悟空に、妖怪も一筋縄ではいかないと、解屍の法で抜け 殻を残し、上空に舞った。抜け殻はますます重くなり、腹が立った悟空は背 負ったものを投げ飛ばした。
「無駄な体力使わせやがって!」
 拳で殴りかかると、それはこっぱみじんに砕け、石のようなかけらが残っ ただけだった。
「どこへ行きやがった」
 ふと前方を見れば、白馬の上の三蔵は消えていて、突如赤い煙のような突 風に襲われ、皆吹き飛ばされてしまった。
「くそっ! 師匠はどこだ。お前、ちゃんと見ておけよ」
 悟空は砂まみれになっている八戒を叩いた。
「なんだよ。兄貴が妖怪を先に逃がしちまったんだろっ!」
 当を得ているだけに、悟空は奥歯をギリギリと噛んだ。
「仕方ねぇ。枯松澗の村で話しを聞こう。あれだけの神通力を持ってるなら 誰かしら知ってるだろう」

 悟空らは山を越え、村で情報を得た。
 妖怪は谷にある火雲洞に棲みついているらしい。牛魔王と羅刹女のあいだ に生まれた息子で、幼名を紅孩児<こうがいじ>、号を聖嬰<せいえい>大 王というらしい。火焔山で300年の修業を積み、三昧の真火(水でも消せな い火)をあやつり、父から与えられたこの山を支配しているという。
「牛魔王か……」
 悟空は500年も前のことを思い出していた。
「牛魔王とは兄弟の契りを交わした仲だ。そいつのせがれならなんとかなる だろう」
「何百年もあってないやからの息子なんて、あてになんないなぁ」
 八戒はまたも面倒なことに巻き込まれたと、うんざりとしていた。
「だいいち、兄貴のこと、悟空だってわかってなかったじゃないか。言って も通じる相手とは思えないなぁ」
「覇気のない声でいうな。行くぞ。お師匠さんが食われる前に助け出さない と」
 悟空らは火雲洞へと向かった。

 深い谷間にその洞窟はあった。流れる川は穏やかで、青い空と白い雲を映 している。入り口の前の石碑には『号山 枯松潤 火雲洞』と書いてあった。
 門の外で小さな妖怪どもが剣を振り回して遊んでおり、悟空らがやってく ると警戒心をあらわに身構えた。
「紅孩児を呼んでこい。叔父がきたと伝えるんだ」
 と、悟空は雷神のような形相でいった。
 子分どもはすっかり怖じ気づいて洞に戻っていった。そしてすぐに紅孩児 が姿を現した。両方の耳の上で髪を結い上げた生意気そうな子供だった。背 は低く、少しぽっちゃりとして、身には鎧も付けていない。
「紅孩児か?」
「気安くその名前を呼ぶな」
「おれは孫悟空。お前の親父の牛魔王とは兄弟分だ。やつは平天大聖と名乗 り、おれは斉天大聖と名乗っていたんだ。お前がさらったのはおれの師匠だ。 師匠を帰してくれればなにもしない。縄張りを荒らすつもりはないから安心 しろ」
「岩の下敷きになっていたと聞いてたけど、やっと出てきたのか。だけど、 500年も時が経てば時代は変わんだよ、オジサン。そんな義理であのお坊さん を返してもらえると思ってるあんたは、相当甘いな」
「なに?」
「相手してやってもいいよ」
 紅孩児は身の丈よりも大きな火尖槍で、悟空のあごをしゃくるように槍の 先を向けた。
「天界の暴れザルも僧侶の護衛とは笑っちゃうね。すっかり腰を落ち着けち ゃって、あー、年はとりたくないよね」
「おい、ガキ! そのへんにしておけよ」
 悟空は如意棒で打ちかかった。紅孩児は火尖槍で払い、雲に乗った。悟空 も斛斗雲で追う。悟空の攻撃はことごとくかわしていたが、反撃に出る余裕 がない。ずっしりと重い如意棒の攻撃を受け、紅孩児は腕がだるくなってき た。手のひらがひりひりすると思ったら、皮がむけている。
 紅孩児は隙を見て一歩引き、指の先でマッチをこするように鼻を撫でた。
すると、一瞬にして火が起こり、龍のように炎を吐き出した。体全体が炎に 包まれ、火尖槍の刃先からも炎があがる。
 そばで見ていた八戒と悟浄はたまらず逃げ出したが、悟空は八卦炉の炎に 燻されただけあって、火には強い。(兜率天宮で太上老君の金丹を平らげてしまい、丹を練るかまどである八卦炉に放り込まれたことがある →第2章の2参照すぐさま避火の印を結んで炎の海へと飛 び込んだ。
 だが、その火の勢いは想像以上で、悟空は炎の中で迷子になってしまった。 火の元がどこかもわからず、熱風が吹き荒れ、炎が渦巻く。辺りは燃えさか り、煙が悟空の目を刺激した。
「これじゃあ、らちがあかねぇ」
 悟空はなんとか火の海から抜け出して、休戦することにした。

「援護もしねぇで、とっとと逃げるってどういうことだよ」
 悟空は八戒と悟浄に当たり散らした。
「兄貴だって結局避難したんじゃないか」
「避難じゃねぇ。作戦を立てんだよ。悟浄、なんかいい案はないか?」
「あの妖怪、腕っ節はたいしたことないようだったが、火の術は修業を積ん だだけのことはあるな。苦し紛れにあれを出されたんじゃあ……」
 悟浄は言葉を濁し、「悟空の兄貴も手が出せない」という言葉を飲み込ん だ。それを頭をひねっているようにごまかす。
「……だが、五行の相生相剋の理<そうしょうそうこくのり>をもってすれ ば」
「ふむふむ五行……水は火に剋つ。なるほどな。水の使い手といったら……」
「ええ、海を統治する龍王だったら」
「まかせろ。龍王の四兄弟とは知り合いだ。ちょっといって話をつけてこよ う。お前らはここで待っていてくれ」

 悟空は斛斗雲でひとっ飛び、東海の上空にやってくると、避水の法で海に 飛び込んだ。水晶宮はすぐに見つかり、悟空は東海龍王敖広に謁見した。
「悟空か。あなたが来ると、ろくなことがない」
「ずいぶんな言いぐさじゃないか」
「なんの用かね? 微力な私に出来ることがあるのなら、力を貸そう」
「嫌味な奴だ。誰にだって得意なことは1つくらい持ってるもんだ。あんた は大量の雨を降らすことぐらい、どうってことはあるまい?」
「降らせることは出来るが、それは私の一存ではない。天界の指示を仰ぎ、 風や雲や雷と共に雨を降らすのだ」
「融通の利かない奴だ。おれがいってのるは天気じゃなくて、ちょっと力を 貸してくれるだけでいいんだよ。お師匠さんがつかまって、火の術を操る妖 怪に手こずってるんだ。奴に火がなければ、ことは簡単なんだが」
「まぁ、誰にでも得意なことはある。だったかな?」
「……ああ、そういうことだ」
 悟空は舌打ちしたくなった。あんな小僧、どうってことないのに。
「いいだろう。兄弟を呼ぼう。三蔵法師を助けるためとあれば火消しの雨を 降らせてもかまわぬ」
 敖広は金の鈴を鳴らし、兄弟たちを呼び集めた。西、南、北の龍王が集ま り、悟空に協力してくれることになった。


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