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2.釈迦如来の手の中
悟空は玉帝からの勅令を受け斉天大聖となって天界にとどまった。府内で宴を開いては騒ぎ、暇を見ては天宮を駆けめぐった。短気を起こさなければ元々人懐っこいサルであるから、様々な天王や神々と会って、言葉をかわしては笑わせた。
仕事といったら、隣にある蟠桃園<ばんとうえん>の管理であったが、面倒なことは部下に任せきりだった。
あるとき斉天府から園を見渡せば、桃がいい具合に熟れているのがわかった。ひとつ、つまみ食いをしてやろうと園内に入ると、見回りをしていた土地神が呼び止めた。
「どんなご用で?」
「おれは斉天大聖だ。ここの管理を任されている」
「左様ですか。一度もお目にかかったことがなかったものですから」
「まぁいい。ここを管理するものとして、よくできているか味を見ようと思うのだが」
「いけません。これは西王母さまの特別な桃でございます」
西王母といったら仙女を統括する女帝であった。
「特別?」
「はい。ここには三千六百株の桃の木がありますが、手前の千二百株は実が小さくて三千年に一度熟し、食べると仙人になります。中の千二百株は六千年に一度熟します。食べれば不老長寿を得るのです。奥の千二百株は種が小さく肉厚で実も甘く、九千年に一度実を結びますが、食べれば天地と齢を等しくするのです」
そのように特別な桃だったらたいそう美味であろう。すぐにでもほおばりたかったが、悟空は土地神を出し抜くぐらいわけなかったので、その場はおとなしく引き下がった。
すると、今度は部下が仙女を引き連れてやってきた。
「ああ、大聖。ちょうどいいところへ。この者たちが桃をつみたいと」
七人の仙女はそれぞれ色の違う衣を着ており、頭の上には摘み籠をのせていた。籠を腕に抱えてうやうやしくお辞儀をすると、ひとりの仙女がいった。
「わたくしは西王母さまの使いの者です。瑤池<ようち>で蟠桃大会<ばんとうだいえ>が催されるので、みなさまに振る舞う桃をつみに参りました」
「蟠桃大会?」
悟空は眉をひそめて不機嫌になった。
「きいてないぞ。西王母が主催なら大きな会であるはずなのに。その集まりには誰が招かれているのだ?」
「釈迦如来から観世音菩薩、星宿の神々に、幽冥界の君主など、各界の神や仙人はみなお招きになっています」
「そこに斉天大聖の名は?」
「いえ、なかったように……」
悟空の形相が変わるやいなや、仙女は急いで付け足した。
「それは例年のことでありまして、今年のことはよく存じ上げません」
「よくわかった。きみたちにはなんら悪気のないことだろう」
悟空は印を結んで「定身の法」を唱えた。七人の仙女と部下たち、うろうろしている土地神までもが術にかかり、身動きひとつとれなくなった。
彼らの見ている前で目に付いただけ桃を平らげ、それでも腹の虫が治まらない悟空は蟠桃園を飛び出して瑤池へと向かった。途中、蟠桃大会におもむく捲簾<けんれん>大将にあった。先日、霊霄殿の近くへ出向いた際、酒をくべかわした間柄である。
「捲簾大将、どちらへ」
知りながらきいてみる。
「蟠桃大会の準備に借り出されましてね」
「それならおれがいきますよ。捲簾大将は通明殿へいってください。そちらも手が足らないそうですよ」
「そうですか。そちらの方が近くていい」
捲簾大将は乗っていた雲の向きを変えてそちらへと向かった。悟空はすぐに身体を揺すって捲簾大将の姿に成り変わり、なにくわぬ顔で宝閣へ乗り込んだ。(*6)
香がたかれ、上座には鳳凰の絵が入った屏風があり、宴席には珍しいもてなし料理や酒などが並べられていた。悟空は毛を抜いて「変われ」と吹きかけた。毛は眠り虫に変じて飛び回る。支度をしている仙女や仙童を眠らせ、酒や料理を食い荒らした。
上等の酒であったのですぐに酔っぱらってしまった。ぐずぐずしているとつかまってしまうので、ふらふらになりながら出ていった。
斉天府へ帰ろうとして、どこをどう間違えたのか、兜率天宮<とそつてんきゅう>(*7)と書かれた宮殿に来てしまった。太上老君のおわすところだ。こっそり入ってみると、ちょうど談を講じているところで、弟子たちは聞き入っていた。
悟空は奥へいき、丹を練る部屋を見つけた。かまどのそばに金丹の入ったひょうたんが五つおいてあった。酔っている悟空は水でも飲むように、ひょうたんを逆さまにして平らげてしまった。
少し落ち着いてみると酔ってはいるものの、しでかした悪行に自分のことながら青ざめてしまい、玉帝の制裁を恐れて「隠身の法」を使って西天門から花果山へ逃げ帰った。
術が解けると皆はこぞって玉帝に上奏した。斉天大聖が蟠桃園の桃を食べ尽くし、何者かが会場を荒らし、兜率天宮では誰かが忍び込んで練り上げた金丹をすべて食べてしまったと。
玉帝は今までになく怒りをあらわにした。
「あのサルか。もう我慢ならぬ。どれだけの兵を動かそうと構わない。化けザルを捕まえて処刑するのだ! 今後一切あのサルの不届きは許さぬ! 悪知恵が働かぬうちに引っ捕らえてしまえ!」
黙って待ち受ける悟空ではない。七十二洞の妖王に申し渡し、ありったけの兵を引き連れて水簾洞に集まらせた。悟空は陣形をとって待ち受けた。
ナタを叩きのめしたときより遙かに多くの天兵が押し寄せてきた。
「来るぞ!」
「おうっ!」
花果山のサルと妖魔は武器を握りしめ、戦いに備えた。天から襲いかかる兵士は彼らにとってやりにくい相手であった。だが、主峰の悟空が如意棒を振り回し、天将を打ち負かす勢いなので、妖魔たちは調子づいた。
天陣は一度退いて体勢を整える。そして出てきたのが二郎真君<じろうしんくん>(*8)だった。
「我は玉帝より命を受けて貴様を捕らえに来た二郎真君だ。これでケリをつけてやる」
「ほう、珍しい人が来たもんだ。玉帝の妹が下界でつくったという子供だろう? なるほど、父譲りの色男だ。女のケツでも追いかけていなよ。おれさまの相手をするのは荷が重いだろ」
「無礼もたいがいにしろよ!」
真君にとって両親は地雷であった。怒りにまかせて身をふるうと、山ほどの身の丈になって、三尖両刃の神鋒で襲いかかった。
「どれだけ大きくなろうが同じこと!」
悟空も身を揺すって真君と同じ背丈になり、如意棒で受け止める。まさに山がぶつかり合っているようなもので、悟空の部下たちはすっかり肝をつぶして戦力を失った。天兵がちょっと刀を振るえば方々に逃げ散っていく。
さすがに天軍をひとりで相手にできないと悟った悟空はすずめに化けて森に隠れた。
「李天王!」
真君が叫ぶと托塔李天王が出てきて照魔鏡で森を照らした。この宝物は真の姿を現す鏡だったのだ。
真君は枝にとまっている悟空を見つけると、鷹になって爪を広げた。悟空は素早く逃げて川に飛び込んで魚になる。すると真君は鵜になって悟空を狙う。水面に飛び出すと今度は水蛇になって草むらに逃げ込む。真君は跡を追って丹頂鶴となって突っついた。悟空はたまらなくなってツバメに変わって飛び立つ。「しめた」とばかりに真君は元の姿になって弓矢を放った。見事足に命中して悟空は墜落した。
「行け!」
真君の袖から黒犬が飛び出して足にかみついた。
「イテェー! くそ。離せ、コラ!」
「ナタ! 縛妖索だ!」
ナタが縄を放ると悟空の身体に巻き付いて動きを封じた。
「こんなもの!」
悟空はハエになってすり抜けようとしたが、真君に素早く琵琶骨(鎖骨)へ針を刺され変化の術も封じられてしまった。
ナタは悟空の前に下り立って、足に刺さった矢を乱暴に抜いた。その矢を悟空の目の前に突き刺す。
「どうだ。天軍の連係は。戦はひとりでやるものではない。よく覚えておけ」
「命拾いしたガキが、生意気な」
身動きひとつできない悟空を見下ろし、ナタはそのあどけない顔をほころばせたのだった。
悟空は斬妖台に祭り上げられ、刀や斧で斬られたが、金属のように刃が立たない。
「護身の法を修得したうえ、仙桃と金丹を平らげたゆえに、まったく傷が付かない」
それをきいた真君はあきれると同時に困り果てた。
「このままにしておいてはいつ逃げ出すとも限らない」
「ならば、八卦炉の中に閉じこめるのはどうじゃろうか」
といったのは、金丹をすっかり食べられてしまった太上老君だった。
「丹を練るかまどで火あぶりにすれば、かやつもたちどころに溶けてしまうであろう」
悟空は兜率天宮に運ばれ、八卦炉の中に放り込まれた。決して耐えることのない猛火が、鋼鉄をも溶かしていく。ところが、悟空はすぐさま通気口に逃げ込んだので煙にいぶされながらも、再び炉が開けられるのを待った。
外では毎日五人以上の番人がつけられ監視された。ある日、老君は「もう、いいころじゃろう」と、仙丹を取り出すことにした。悟空は扉が開くと同時に飛び出し、身を奮って毛についた火の粉を振りとばした。老君初め、弟子たちは逃げまどった。悟空は煙で赤くなった目を擦り、如意棒を取り出して八卦炉をなぎ倒す。あたりは火の海になって兜率天宮は焼け落ちた。
怒りにまかせて如意棒を奮い、あちらこちらの天宮を打ち壊し、玉帝のいる霊霄殿へ向かった。
と、目の前に金色の塊が立ちはだかった。悟空は斛斗雲に乗って上昇すると、その大きな体躯の持ち主は釈迦如来であった。
「ずいぶんと勝手をしておるようじゃのう。西王母の招待を受けて蟠桃大会に来てみれば、一介のサルが桃を食べ尽くしてしまったとのこと。それにも飽きたらず、まだ悪さを働くか」
「もとはといえば、玉帝が仕掛けたことだ。おれさまを天界へ呼んでおきながら、ひどいことをする。あの老いぼれを倒して天界を乗っ取らなければ気が済まない」
「愚かな奴だ。たかが妖猿になにができる。あのお方は千五百五十劫<こう>(*9)の苦行を積まれたのだ。種族の浅いサルごときに務まろうか」
「下克上の世の中、強い者が上に立つ。なにが道理でない!」
しばらく無言の睨み合いをつづけた後、如来はいった。
「そこまでいうのであれば、私と賭をしよう。私の手のひらから抜け出す腕前があるのなら、玉帝にお願いしてここから出ていってもらうことにしよう」
「そんな簡単なこと。不服だがまぁいい。さっさと手をだしな」
如来の大きな手のひらに乗り、悟空は「行くぜ!」と声をかけた。宙返りして斛斗雲に乗って飛び出す。
一瞬のうちに十万八千里も遠くへ行けるのだ。負ける気がしなかった。
いくらか飛んでいくと、厚い雲の上に金色の柱が五本立っていた。きっと天界の最果てであろうと、悟空は毛をむしり息を吹きかけて墨を含んだ筆に変えた。来た証拠に
斉天大聖至此一游
と、書き記し、ついでなので端っこに小便をひっかけた。後ろを振り返れば如来の姿はない。きっと見失ったのだろうと元の場所へと帰っていった。
行ったときと同じような格好で待っているので、悟空は手のひらに下り立った。
「捕まえられませんでしたね。さぁ、一緒に玉帝のところへ来てもらおうか」
「行儀の悪いサルめ。よく見てみなさい。お前の乗っている手を」
悟空は手のひらを見下ろして仰天した。さっき自分が書き留めた文字が中指に書かれていて、小指には小便のあとが残っていた。
「なんだよこれは! そんなはずはない。おれは天の最果てまで行って来たんだ。そうだ。もう一度見てこよう」
悟空は如来の手のひらで宙返りをしたが、如来はその手を返して悟空をつかんだ。五本の指を金・木・水・火・土の五連山に変え、下界へたたきつける。悟空は逃げだそうと岩山の下でもがいた。山がグラグラと揺れるので、如来は袖から札を取り出し、山に向かって投げた。金字で「オンマニハツメイウン」(*10漢字表記と意味)と書いてあり、岩にぴったりくっつくとぴくりとも動かなくなった。
「しばらくそこで反省しておれ。そなたが心から改心したとき、おのずと道は開かれるであろう」
こうして狼藉をはたらいた孫悟空は誰の救いもなく、五行山と名付けられた岩山に封じられることになったのである。
五百年もの時が過ぎ、高僧を探している南海観世音菩薩が悟空の前を通りかかった。その者を助けて天竺へ行くよういいつかわされたのだが、それらしき人物は未だ通りかからない。