Myourei’s Diary





 


平成24年3月11日(日)


   

毎日新聞に掲載された震災で犠牲になられた方々のお名前を御法前にお供えして、
東日本大震災の一周忌法要と、追悼と復興を祈る鐘をつきました。

きっと日本中、世界中の人が悼み、祈りをささげたでしょう。
あるいは黙祷で、お念仏で、お題目で、キリスト教で、コーランで、ヒンズー教で・・・それぞれの形は違っても心は一つ。
あの日、テレビで映像を見ていてとても怖かった。映画のようにどんどん押し寄せてくる津波。
逃げている車も助からないのじゃないかと思った。市原のコンビナートの火災、夜中の余震、また来るのじゃないか、という不安。
世界中からの応援のメッセージと救援は嬉しかった。そして被災地の若い人たちの、僕たちが町を再興するという力強さ。
震災前と変わっていない、と言う人もいるけれど、日本人の意識の奥底はだいぶ変わったと思います。
一言では言えないけれど、原発も含めて、これでいいのかと、よく考えなくちゃいけない。
政治家がどうのと言うけれど、みんなが賢くなって
くだらない政治家を選ばないようにしなければいけないのじゃないか、と思ったりします。





平成24年1月13日(金)


スペインの猫その2
  

   

          パエリアを作っています       サラダ オリーブの実が大きくおいしい!                

   

出来あがったパエリア                 一人分によそえられた
  

バレンシアのパエリア発祥の地、アルブフェラ湖近くのレストランでパエリアをいただいた後、
帰り道に黒猫がいました
私が「クロちゃん」と呼ぶと撫でさせて、慣つこく着いてきた可愛い猫でした。
ずっとバスまでついてきてしまうのかと思ったら、いつの間にかいなくなっていました。
スリムなので、1,2歳ぐらいかなと思います。
行方不明になったクロちゃんとスペインで会えたような気がしました。






平成23年12月25日(日)


スペインの猫その1


スペインにも街角に猫がいました。

  

日本の猫とほとんど変わらない。クロちゃんもいました。

  



↓犬をおんぶしている人(カテドラルに入れないから)







平成23年11月11日(金)

大聖堂(カテドラル)



絵葉書のようなトレドの町・中央が大聖堂 




スペインで行くところ行くところ、カトリックの大聖堂(カテドラル)があった。

トレドの大聖堂、カトリックの大本山的な大きな大聖堂、とても権威的、力を感じる

クエンカにもあったし、バレンシアにもあった。そしてシッチェスにも海の教会があり、

バルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)、モンセラットの黒マリアの大聖堂と。

      
クエンカの大聖堂 
                       
シッチェスの大聖堂


     
       バレンシアの大聖堂内部                        モンセラの大聖堂      



クエンカの街



クエンカ・宙ずりの家


インドの仏蹟は、そこでお釈迦さまが生まれた、悟った、教えを説いた、亡くなった、という
その場所を標したシンプルな感じ。最も素朴。

カンボジアのアンコールトムは仏の世界を国にしたもの。仏教で国が栄えた。

インドネシアのボロボドールもしかり、仏の世界・仏教の世界をあの大きな遺跡で表した。

バリ島のヒンズー教の総本山ペサキ寺院にも行った。

 

そして今度は西の果て、スペインでカトリック教会の大聖堂に行った。

それはイエス・キリストの世界、聖母マリアの世界、そして聖書の世界を形にしたもの。

 

インドのタージマハルはイスラム教。王と王妃のお墓だが、その左側が僧院だった。
靴をぬがなかればいけないと言うので、入らなかったが、
後で思うと靴ぐらい脱いで入ればよかったと思うことしきり・・・
イスラム教のモスクに行けたのに。今度はイスラムのお寺に行ってみようかな。とか思ったりして。

世界の文化が違うことは面白い。異文化・異民族・異国・異宗教 
みんなちがってみんないい。どこが違ってどこが同じなんだろう。
どの花みてもきれいだなというように、きっとみんな面白い。


大変おおざっぱだが、マリア信仰は観音信仰に似ていると思う。マリア様は観音様と同じようなものと言ったら、
キリスト教からも仏教からも「違う!」と怒られるかもしれないけれど、そんなに違わないと私は思う。

 

でも何だかカトリック教会の力はすごいよね。ものすごい権力を持っていたのだろう。
それはなんか素朴な信仰とはかけ離れているような気がした。力を見せつけている。力で抑えつけている。
(まぁ、仏教も似ていないことはないけれど。とくに密教)

その中で、ガウディのサグラダ・ファミリアは、内部が明るくて楽しくていいなぁ。
夢のような場所。権威なんか感じさせない、楽しい、明るい、ずっといたい。
あの天井の明るさ、ステンドグラスの可愛らしさ。ガウディは本当に素敵・大好き。

一番行きたかった、ヨーロッパで。いつか行きたいと思っていた。サグラダ・ファミリア




平成23年11月8日(火)





10月24日(月)〜31日(月)、スペインに行っていました。
マドリッド、トレド、アランフェス、クエンカ、バレンシア、タラゴナ、シッチェス、バルセロナ、モンセラットです。
動画は、短いですが、あこがれのガウディ、バルセロナのサグラダ・ファミリア。
絶対行ってみたかった!!



そして夢のようなスペイン広場の噴水ショーです。






平成23年10月6日(木)

自分で自分をTVで見ると言うことはなんと恥ずかしいことでしょうか。
いやぁ、変な顔!というのが第一の感想で恥ずかしくってたまらない。
でも電話やメールで、よかったと言葉をいただいて、少しホッとし、録画を見ると
まぁ、そのまま、ありのまま。こんなものでしょうか。
実は自分でもっといいと思っていたわけで・・・笑っちゃいます。

でも、こちらを離れて体調が悪くお寺にこれそうもないお檀家さんから
お祖師様を拝めたので手を合わせた、と電話をいただき、とても嬉しかったです。
そういう方のためにもこういう機会を与えられて、とてもよかったんだ、と思います。
プロデゥーサーさん、ディレクターさん、カメラマンさん、音声さん、ADさん、運転手さん、
ほんとにお世話になりました。自僧会の皆さんも、ありがとうございました。



平成23年9月25日(日)



Myorei テレビに出る!


テレビ朝日の早朝番組「やじうまテレビ」の1コーナー
「そっとあと押し、僧侶の説法」の10月分に出ることになり
昨日、収録をした
前の家の建築工事が始まり、雑音が。飛行機の音、蝉の声。
でも音がないところはないそうだ。それはそうだ。
西日が左から当たったら、右にライトを持ってこられ、まぶしがったら、
「女優さんはもっとすごいライトです」だそう。
やはりきれいに映るためには、我慢するのだろう、まぶしいくらい・・・

放送は10月の水曜日(5・12・19・26日)朝5時42,3分から3分ぐらい
この月・金は美輪明宏さんです。

この為の原稿作りに苦戦し、鏡の前でストップウォッチで時間を計り何回も練習したが
本番はこれでいいんですか?というくらい意外とすんなりいってしまって、
本当に大丈夫なのか、心配。
でももう撮ってしまったんだからしょうがない。
どんなふうに撮れているのか、すごく不安だ〜〜
人に知らせたいような知らせたくないような・・・そんな感じ。



平成23年6月7日 全国日蓮宗女性教師の会による東日本大震災殉難之霊追悼法要



会津若松市の浄光寺に於いて全国日蓮宗女性教師の会による東日本大震災殉難之霊追悼法要が厳修されました。
未曾有の大震災から3カ月。私たちの全国日蓮宗女性教師の会では、総会と追悼法要を会長の会津若松市のお寺で
やろうと企画。午前中には、原発で避難してきている大熊町の幼稚園慰問に伺い、
紙芝居、お遊戯など一緒に楽しく過ごさせていただきました。















平成23年4月26日(火)

『千と千尋』のテーマ曲「いつも何度でも」にこんなに深い意味があったなんて・・・
ナターシャさんの歌う「いつも何度でも」で初めて知った。






呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ



 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに
 見つけられたから


悲しい。悲哀に満ちた歌。でもこの歌は教えてくれる、パンドラの箱のように
悲しみや苦しみやこの世の嫌なことすべて出尽くした後、小さな希望があることを。






平成23年4月8日(金)

東日本大震災から4週間がたった。
昨日も大きな余震があった。
新聞を見ると、海底基準地が宮城沖で最大24メートルも東へずれている!!
平安時代に貞観の大津波があったそうだが、今回はそれ以来の最大30メートル超の大津波。
余震は400回。1年以上たった後でも、大きな余震はあるかもしれないとのこと。
更に原発の不安・・・
でも、世界中の人たちからの温かいメッセージに涙するこの頃。
有難い。日本の国をこんなに応援してくれるなんて・・・
Tvで見る子供たちの笑顔が救いだ。「負けるもんか」って頑張っている、みんな。



平成23年3月21日(月)

と書いていたら、余震あり。書くのを止めた。
あれから余震は日に50回ぐらいあったようだ。
揺れているのは気のせいじゃなく、余震だったんだ。
それでも東北の比ではないが、怖くて3,4日眠れない夜が・・・
でももう何かあっても仕方ない気がしてきた。
原発だって、最悪の場合は爆発。
想定外とか想定内とかって、想定内の最悪の場合は爆発だ!
別に脅すわけではないが、事態は良くなると思えない。
このまま留まるとも思えない。
どんどん悪くなるということはわかる。
地震はこれ以上のは来ないように思うが、原発はもっと悪くなる。
でも、消防、自衛隊、頑張ってくれている。それは本当にすごいと思う。
アメリカ任せにしなくてよかったと思う。日本人を信じてる。その方がいい。


平成23年3月15日(火)

未曾有の大地震。大震災。3月11日(金)



平成23年3月3日(木)


今日発売の『週刊新潮』の見出しに

大増税の前にやることがある!
4兆円の財源が飛び出す「宗教法人」に課税せよ!

▼会館は1200カ所で固定資産税ゼロという「創価学会」総資産10兆円
▼お布施は年間300億円で「幸福の科学」は大川家住居も非課税
▼“脱税”「金閣銀閣」住職が青山に持つ50億円の“豪華別荘”
▼2000万円台で手に入る「休眠宗教法人」4200の闇取引
▼欧米諸国もびっくりする日本の「非課税枠」が緩すぎる』

とあった。
宗教法人に課税するなら、こういうところ、創価学会や幸福の科学や、金閣銀閣その他の
いかがわしいところだけにしてもらいたい。
普通のお寺、特に田舎のお寺なんかはキツキツなのだから、そういう対象にはならないということを
ぜひとも理解していただきたいものだ。
広い敷地や墓地に税金をかけられたらたまらない。
大概のお寺は問題ないと思う。
でも、脱税している宗教法人からはぜひとってほしいものだ。



平成23年2月17日(木)


ソロの更紗工場を見学


 


ボロブドールで銀細工の工場を見学

作っているのは16歳の少年。銀を細い線にして細工している。
右が出来上がったペンダント

   

 




平成23年2月15日(火)
  


左上から、ワンヤクリのしおり、ジャワティー、ジャスミンティー、
コーヒー、ティーバッグの入れ物、オレンジと緑はえびせんの入れ物、赤は塩
ジャワ更紗のチーフとスカーフ、ブレスレット、線香、猫の置物



やはりHPにUPしてみると、また思いだして楽しい。
ボロブドールの遺跡にはもっといてもっとよく見たかったなぁ、と思う。
各階を丁寧に見ていたら、1日では終わらないぐらいの感じだ。

インドの遺跡は本当に素朴で、でも確かにここにお釈迦さまがいた、という証がある。
それが中世になって、北と南に仏教が伝来して、出来たのが
アンコールワットやタイやこのボロボドールの遺跡、日本だと東大寺の大仏や法隆寺他の五重塔など。
そういうふうにちゃんと来ているのだなぁと思うと、繋がりを感じる。


平成23年2月8日(火)


やっと、去年6月に行ったインドネシア、ボロヴドールをUPしました!!
これから徐々に、ブランバナン、バリのプサキ寺院などをUPしたいと思います。
立春が過ぎ、昼間は暖かになってきましたが、きょうはまた寒の戻り。
まだまだ2月、寒いです。


平成22年5月21日(金)

半年ぶりのDiaryです。
此の間いろいろなことがありました。実に…
“自殺対策に取り組む僧侶の会”に入って活動しています。去年の6月末から。
それに関して書きたいことはいっぱいあるのですが、ありすぎて書けないほどなのでそれは次回とします。


平成21年11月26日(木)


マザー・テレサの『生命あるすべてのものに』(講談社現代新書)という講演集を読みました。
これは私に、目から鱗、以上の衝撃、感動、心からサビが取れたぐらいのものを与えてくれました。

マザー・テレサの言う神、イエズス、愛はそのまま、仏、法華経に等しいと私は感じます。
キリスト教(テレサはカトリックでしょうか)と仏教と何の違いがあるでしょうか。
訴えることは同じです。
さらにもっと感動したことは、
テレサの言う、最も貧しい人に、神は、イエズスは形を変えて現れる、ということです。
これはちょっと考えが及ばなかったことです。
そうなんだ、そうだったんだ、という思いです。

お釈迦様の前生譚(ジャータカ物語)では、追われるウサギに身を変えた帝釈天とかが出てきますが、
ああいう物語は嘘じゃない。事実ではないが、真実を伝えているとあらためて確信しました。
神が仏さまが、形を変えて現れたものなのです、まさしく。

そして貧しく苦しむ人たちに尽くすこと、そのために毎日の祈りが必要だとのことは、
仏教を信じる私たちと全然変わらないじゃないか、そういう思いです。

法華経は釈尊の魂。
それは何かと言ったら、愛なのです。

愛、これはおそらく全宗教変わらない究極の教えだろうと思います。



平成21年10月19日(月)

東儀さんその後。
あの(↓)あと私は東儀さんを見たからもういいや、と夕方だったし家に帰ってしまったのですが、どうなったのか気になり
追いかけていけばよかったかな〜などと思ったのですが、翌日の房日新聞に、あの後北条海岸に車が集まったとのこと。
やっぱり追いかけて行くんだったー、と少し後悔。でももういいけど。
きょう郵便局に行ってその話をしたら,局員の人が、私はあの車の列に挟まれちゃって〜というのでびっくり!
それは大変だったでしょうね。それにそれじゃあ東儀さんにも会えない。動けないし。



平成21年10月13日(火)

東儀秀樹さんに会う!!


なんと、近所のセブンイレブンの交差点を通った東儀さん
実は、10月10日から13日までの「ラ・フェスタ・ミッレミリア・クラシック・カー・レース・2009」で走行中を
お待ちしていました!
「あ、東儀さん」発見。追いかけて「東儀さんですよね、ファンです、ファンクラブ入ってます。」なんて
ふつーのことしか言えなかったが…、でも嬉しかったーーー

   






東儀さんに頂いたピンバッジ





平成21年9月30日(水)

   


私の大好きなくろちゃんが家を出てしまってから早2週間がたつ。
近所の猫好きの人の話によると(うちのばあちゃんがクロちゃんを捜しに行きながら聞いてきたのだが)
オスは去勢をしてもさかりの時期が来ると出て行ってしまうそうで
1週間して帰ってこなかったら帰らないと・・・
それが本当なら仕方無い。
だって猫は自由なんだから、それをだれにも止められやしない。
くろちゃんに、ずっとうちにいるんだよ、といつも言って聞かせていたのに、
新顔のしろみがあまりにしつこくくろちゃんにまとわりつくので嫌になって家出したのかと思っていたが
そうでないなら、それも(サカリ)なら仕方ないか、だってそもそも猫は自由なんだから。
それもくろちゃんの生きる道・・・・
私もくろちゃんがいないのは淋しいけれど仕方無い。



平成21年8月16日(日)

先日TVでも放映されていました。英訳が完成し、もっともっと世界中の沢山の人に読まれることでしょう。
原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを漫画ですごく身近に伝える「はだしのゲン」
原爆を落とした事は正しかった、と思っているアメリカ人にぜひ見て、そんな考えを改めてほしいと思います。

「はだしのゲン」英訳 全10巻、米で出版

 広島で被爆した少年を主人公にした漫画「はだしのゲン」の英訳版「BAREFOOT GEN」完結編となる第10巻が完成し、
今秋に米国から出版される。翻訳は金沢市の市民グループ「プロジェクト・ゲン」が手がけ、第1巻が出てから5年の歳月を経て全巻が出そろう。
プロジェクト代表の浅妻南海江(なみえ)さん(66)は、「核廃絶を掲げるオバマ米大統領に贈り、2人の娘さんにも読んでもらいたい」と話している。

 第10巻は米サンフランシスコの出版社「ラストガスプ社」から10月、既に完成していた9巻と同時に発売される。

 作者の中沢啓治さん(70)が参加する「出版応援会」が26日、広島市で開かれる。
中国やウクライナなどで、母国語訳に取り組む翻訳家も出席する。浅妻さんは「この素晴らしい作品が世界中で読まれることが願い」と話している。

 英訳は主婦ボランティアら9人が「戦争の悲惨さを、世界中に伝えていきたい」と2000年から取り組み、04年に全巻の英訳が完成。
同年9月に第1巻の出版にこぎ着けた。英語版での出版では、ページの開きが逆になるために画像を反転させたり、
横書きに合うようにセリフの吹き出しの大きさを変えたりするなど、翻訳完成後も膨大な編集作業が続けられてきた。

(2009年7月27日  読売新聞) 』



平成21年8月2日(日)


今朝のサンケイ・エクスプレス紙にこんな記事があった。以下引用します。

ミャンマーよ、お前もか

■豪紙「亡命者が核開発計画を証言」

 1日付のオーストラリア紙「シドニー・モーニング・ヘラルド」は、ミャンマーの軍事政権が北朝鮮の協力を得て5年以内の核爆弾保有を目指し、
極秘に原子炉とプルトニウム抽出施設を建設中だと報じた。北朝鮮の核開発技術は、これまでにイランシリアに流出したとみられているが、
さらにミャンマーにもわたっていたとすれば、世界の核不拡散体制はさらに揺らぎ、安全保障の現状を根底から変えてしまう可能性すらある。

 ■2人とも「同じ内容」

 ミャンマーの核爆弾保有計画は、ミャンマーからの亡命者2人がタイ国内で、オーストラリア国立大学のデズモンド・ボール教授(62)=軍事戦略=らに明らかにした。

 2人のうち1人は、核関連の部隊に所属していたミャンマー軍将校で、核技術を学ぶ目的で2年間、モスクワに派遣されていたことがある。
もう1人は軍事政権のビジネスに関与していた人物だという。

 証言によると、施設の大半は、ミャンマー北部の山に掘られたトンネル内に造られている。
2人から個別に話を聞いたボール教授は「証拠を検証する必要はあるが、
会ったことのない2人が細部にわたってほぼ同じことを話しており、信憑(しんぴょう)性は高い」としている。

 ■北が技術供与?

 ミャンマー北朝鮮は、1983年10月にラングーン(現ヤンゴン)のアウン・サン廟で起きた全(チヨン)斗煥(ドフアン)韓国大統領(78)暗殺未遂事件によって断交したが、
2007年4月に国交回復で合意。交流や協力を深めている。昨年11月には、ミャンマーの軍政ナンバー3のトゥラ・シュエ・マン陸海空軍作戦調整官(62)が訪朝し、
軍事協力に関する覚書に署名している。

 タイに拠点を置くミャンマーの反軍政誌「イラワジ」によると、覚書には「北朝鮮が、
ミサイルや航空機、艦船でさえ隠すことができるトンネルや洞穴など、ミャンマー軍のための特別な施設を建設するか、
建設の監督を行う」といった内容が含まれていた。

 さらに、6月17日に北朝鮮の港を出発し、米イージス艦の追尾を受けたために
引き返した北朝鮮の貨物船「カンナム」は、ミャンマーが目的地だったとみられている。

 米国のヒラリー・クリントン国務長官(61)も7月下旬のテレビインタビューで「核技術の移転が懸念され、
北朝鮮とミャンマーの危険な接近には強く憂慮せざるをえない」と話していた。』



北朝鮮が、イラン、シリア、さらにミャンマーにまで核を。北朝鮮こそ悪の根源、恐ろしい、こんなこと許せない。




平成21年7月18日(土)

脳死が人の死と法律で決まった。
それに喜ぶ人、悲しむ人。
その両方あることでこの問題を表していると思う。

脳死は人の死か?
聞かれたら私はNOと答える。
何故なら、心臓が止まった時が「死」だからです。

赤ちゃんを妊娠する。その時に一番はじめに作られる臓器が心臓。
小指くらいの赤ちゃんでも、その心音を確かめて生存を認識している。
心臓が動いているうちは生きているんです。
脳死はそのまだ動いている心臓をその人から奪って他の人に移植するのを是と認めること。
私はそれをどうしても認めるめることができません。
脳死であっても生きているんだ、そう思います。
その人の生きている心臓を取るならそれは殺人行為ではないでしょうか?

でも、脳死〜心臓移植を願う人、そうする人がいてもしかたがないと思います。
賛成ではないけれど、反対することはできない、、、



平成21年5月15日(金)

インドに行ってよかった、本当によかった。
あの、何にもない仏跡。
ケサリアの仏塔の上で確かに聞こえた「イシヤキイモ〜〜」確かにそう聞こえた。
私だけじゃない、隣を歩いていた添乗員さんもそう言ったもん。「今、いしやきいも〜って言ってましたよね?」

何にもないからいいんです。
仏塔、それは仏舎利塔で、そこには確かにお釈迦様のお骨が埋まっている。
そこでお釈迦様やお弟子たちが瞑想をしたり、お話をしたり・・・・

タイの信者はお釈迦様を金ぴかに塗ったりして、それを悪趣味とか非難する人もいるけれど
私はそうは思わない。金色、七色に光る豊穣な仏さまの世界を、その人たちは
表したかったんですよ、そう思う。だから、そういう風に表現したっていいじゃない。

どこのホテルだったか、朝早く、イスラムのコーランのような歌が・・・
でもどう聞いても「ヤーレン、ソーラン、ソーラン」と言っている。
厳粛なのだろうけれど、なんか可笑しくて仕方なかった

楽しかったインド。何もない仏跡。恐ろしい道。着く時間に出た列車、豆カレー、毎日飲んでたチャイ
(帰ってから、紅茶はいつもチャイにして飲んでいます)
またいつか行きたいな。
お釈迦様のインド。




平成21年4月24日(金)



食事は、ほとんどホテルですがカレーがほとんどです。
豆カレーがおいしかった。
↑は買ってきたカレーパウダーです。
お肉は豚や牛は食べません、チキンだけです、時々マトンも出ました。
野菜はいろいろ出ました。ホウレン草やキャベツ、ニンジン、なす、などなど。おいしいです。
魚も出るんだけれど、なんて名前の魚が聞いているのに、ガイドさんも「川の魚」というし、ボーイさんに聞いても
「リバーフィッシュ」というだけです。日本だと、マグロだとかカジキだとかいうのに、
細かいことは気にしないみたいです。
お茶はチャイです。煮出した紅茶とミルクのカフェオレならぬ紅茶オレというか
帰ってきてからほとんど紅茶は自己流チャイにして飲んでいます。

下(しも)の話で申し訳ありませんが、大事なこと。
トイレ事情はよくありません。それでもカンボジアよりましだと思います。
仏跡から仏跡は、車で6時間ぐらいかかるところが多く
ドライブインとかGSがあればいいですが、なければ自然のトイレです。
草むらとか農家の倉庫の浦とか小さい丘の裏とか。
1番最初、草むらをあまり行きすぎると人が作業をしていたりして。
ほどほどのところで済ませないといけなく、落ち着きません。
また、女性3人が道路に帰ってくると、道端に自転車を止めてこちらを見ている人たちがいて
驚きました。300メートルぐらいは離れていて、まさかだれも見に来ませんが。
星空の下もあったし、いい思い出です。

マハさんの話では
インドは人口11憶、でもはっきりした数字はわからない。村役場とかあるけれど
届けていない人もいる。

バスや車には、目いっぱい人が乗っています。
車の屋根の上にまで乗っている。違反じゃないんですか?と聞くと
違反だけれど、見つからなければいいみたいです。
写真を撮る間がなかったけれど、軽トラみたいな乗合自動車に
客に倒れこんでいるように体を曲げて乗っている人がいて
その人は車掌で、ただ乗りしないか見張っているそう。

道や鉄道、空港も建設中です。労働力もたくさんいるみたい。
若い人が多く、皆スリムです。寿命は60代ぐらい。


   
          マハさんと              運転手さん助手さんと               





平成21年4月22日(水)

↓に“心のこり”と書きましたが、それでもインドの旅はすごく楽しかったのです!
楽しかったことが95%で、心残りは5%ぐらいかな?
現地ガイドのマハジャンさんがとても面白い。
マハさんはネール大学で日本言語学を学んだそうで、日本語は勿論、日本の文化や経済などもよく知っていて
ユーモアもあって、10日間ガイドをしてずっと一緒でした。
私たちの代表のE上人との掛け合いが可笑しくて・・・
たとえば、ドライブインにお茶に入ったとき、私たちの後にインドの家族が席につき
直に何か飲み物が運ばれてきたとき、E上人が「あの人たち、何を頼んだんだろう?
何か来たよ。」と言ったら、マハさんが「何も頼んでいませんよ、ただの水ですよ。」と言って
可笑しかった。旅行者には生水は来ないのです。
それからE上人は写真を撮るのが好きで急いでいる時でもつい長居をしてしまうので、
「どんどん行きましょう、写真なんか撮っていないで」と言われていました。
ニューデリーのインド門のところでは、車が止められないので「1分ですよ。」と言われ
私も急いで撮りました。

ヒンズー教のお祭にも遭遇して道を迂回して予定より遅れ、日没に遭った時
夕日がとてもきれいで日本で見るより大きかった!インドの夕日は大きい。
写真に撮りたいぐらいだけど、ちょうど林があって車を止める所を探している間に沈んでいく、じっと見て記憶に残す。
写真に撮ってもあの大きさは撮れないと思う。

マハさんは最後に、インドはいろいろな人種・宗教があるけれど、
インドが今日あるのは神様がいるからですよ、と力強く語った。
アメリカでさえ、女性の大統領が生まれなかった。インドでは、大統領も首相も女性。
実力があれば、男女は関係ない、ということです。
日本でもまだちょっと、女性の総理大臣は無理でしょう。
田中真紀子だって小池百合子だって、総理大臣の器じゃない。まだまだだと思う。
それを考えると、インドは進んでいる。
やはり、ガンジス・インダス文明の地。
インドは英国に支配されて、英国の作った服地を買わされてインディゴ(インド綿)が衰退しそうになった時、
ガンジーが英国の製品を燃やす運動をした。
だから他国に侵入される失敗をもうしない。
日本は便利を追求していつの間にか
人間が機械に取って代わられてしまったように思う。
昔は、バスには車掌さんがいて乗車券を切っていたし、バックや危ない時に車掌さんが誘導していた。
ちゃんと仕事があったのに、ワンマンカーにして人間を除外した。
駅には駅員がいて窓口で切符を売り、改札口で切符を切っていた。
今では、自販機に自動改札にして、人間の仕事は無。
人間が自分たちで自分たちの首を切っているよう。
インドは、そういうことをしない。メイド・イン・チャイナの偽物なんかない。
全部しっかりとしたインド製。浮ついていない。
たかが10日間の旅行者にすぎないけれど、そういうふうに見えました。

便利になりすぎた日本はこれからどうなるのだろう。
後戻りは、たぶん出来ない。今さら昔の不便な生活に誰も戻ろうとはしないだろう。
靴下だって、昔は穴があいたらつぎをしてはいたものなのに、今そんな事をしない、買った方が安い。
電化製品なども、直すより買った方が安いですよ、と言われる。
それは進歩した、いいことなのだろうけれど、なんだかなぁ、いいのかなぁ、ほんとに??と思ってしまう。
でも簡単に手に入るものもあるけれど、手間暇かかるものもまだまだある。
お金さえあれば手に入るものもあるけれど、お金じゃ買えないものもたくさんある。
そのどちらもある、いろいろあるってことは、いいことなのじゃないかな。




平成21年4月9日(木)

今日は”上総五十座”で勝浦の本行寺さんに行ってきました。
後座は横浜の辻本学真上人です。
”上総五十座”は4月6日から12日まで、1週間で、今日はなか日です。
1週間ってすごいです!!
今日は大事なお話でした。
法華経の肝心かなめ=如来寿量品=自我偈
お釈迦さまと私たちとは、等しいということです。
でも、普通そう見えない、と皆言うと思います。でも、ほんとのほんとはそうじゃない。
お釈迦様の心を私たちも持って生まれてきている。
そう見えないのは、そんなこと信じられない、というのは私たちの心が曇っているから。
お釈迦さまから見たら、私たちは皆かわいい”我が子””愛し子”・・・
ではその曇りを除くにはどうしたら?
それは磨かなければ曇りは取れない。法華経の明鏡に照らして
初めて、曇りが明らかになる。自分の浅はかな間違いに気づく。
磨くとは、すなわちお題目を唱えること。
南無とは帰依する。法蓮華経に帰依すること。
法華経はお釈迦様の御心そのものなのだから信じて戴くこと。
 
インドに行って、お釈迦さまを感じることができました。
法華経はお釈迦様の心そのもの。インドに仏教徒は少ないけれど、
インド人は仏教の教えを実行しているように思えます。
ストゥーパというのは、仏塔すなわち仏舎利塔のことで、
お釈迦様の死後、そのお骨はインドの8つの国に分けられたけれど
アショカ王がそれをまた掘り起こして集め、6万9千3百84の法蔵=お経があるといわれている、その数の
ストゥーパをインド各地に建てたという。
だからあらゆるところに、本当にお釈迦様の遺骨=仏舎利があるわけです。
だからきっと、お釈迦さまを感じることができたのじゃないかと思います。

でもインドに行って、もっと仏跡で拝みたかった。観光客みたいに素通り、というわけではないけれど、もっとゆっくり
ほかのアジアのお坊さんたちみたいに、もっとずっといたかった。そうすべきだった。
ベナレスの法輪寺と霊鷲山とクシナガラの涅槃堂ではお経と唱題を唱えられたけれど、
他の、サルナートでもブッダガヤ・祇園精舎・竹林精舎でもルンビニでも、そうしたかった、そうすべきだった。
それが心残りです・・・でもそれは今度行った時に!






Myourei.インドへ行く


タージマハル 

ムガール帝国シャージャハン帝が愛する妃・ムムターズ・マハルのために作った
大理石の世界一美しいお墓です





インドラジギール・王舎城壁跡のヤギの親子

インドではいたるところに山羊がいました
黒い子山羊はうちの黒猫みたいでした
でも山羊たちはイスラム教のお祭りのいけにえになるそうです
野生ではなく誰かが飼っていて1頭1万円から10万円くらいになるそうです






インド霊鷲山の御来光


2009年2月9日から21日まで、なか10日間インド7大仏跡巡拝とタージマハルの旅に行ってきました。
何から書いたらいいのか、まだ混沌としていますが、インドはとてもすばらしいところです。
インドでは、人も車もオートバイも自転車も人力車も、田舎では牛や馬やその車が
皆一つの道を走っています。道ばたにヤギがいます。ヤギや牛追いの子供たちがいます。
ガンジス文明を生んだ、お釈迦様のインド、ガンジーのインド、マザーテレサのインドは心豊かで肥沃な国です。

つづきは、こちら





平成21年1月10日(土)


Kiseki "ROOKIES"主題歌  GReeeeN

去年見ていました、面白かったです。


平成21年1月8日(木)

Beautiful Days 「流星の絆」主題歌 嵐

これも面白かった!



平成21年1月6日(火)

『流星の絆』より

♪[orion] 中島美嘉





平成21年1月5日(月)

去年の年賀状で出しちゃった、その後

「該当者でした」というメールを下さった親切なかたがいて、元旦に2枚の年賀状、
つまり、表が2008年のとあとから作り直した2009年の年賀状の2枚が着いた模様です。

どうなっちゃったかなぁ〜と心配だったんですが、これでわかりすっきりしました。

今便利ですね、メールですぐ教えてくれるんだもの。

2008年のは去年内に配達されなかった、きっと輪ゴムで止めていたその表が2009年のだったのかも。

そうそう、暮れにこの辺担当の配達の人が来たとき、
「この間2008年の出しちゃったんだって?電話がかかってきたから〜でもよくいるんだよね、そーいう人」と言われました。

私もさすがに去年ので貰ったことはないけれど、差出人不明のとか「様」が抜けているのとか、結構珍賀状があります。
今年は自分がポカをやってしまったわけでした(苦笑)

でも今年のお正月は穏やかで暖かくてよかったですね!
そういえば去年は大晦日から荒れて、大風で三が日も曇ったり良くなかったです。

亡くなった父がよく、三が日の天気がよいといい年だと言っていましたが、本当です。

今年は良い年になるといいんですが、、、、





平成20年12月25日(木)


年賀状

昨日だいたい作って、今日の昼、残りを作っていた。 年賀はがきが足りなかったので買ってきて貰い、
印刷しだして、ふと見ると、ここにもあったわ、と何の疑いもなく、印刷。いえ、実は、少し昨日のと違うかな?と思うことは思ったんだけど、こういうのもありかな?とか思って印刷。 出しに行こうとしていたところに、ちょうど郵便配達の人が来たので、年賀状と封書の手紙を頼んでしまった。 ちょうど良かった、なんて思って・・・・それがお昼頃。
その後・・・ 2時頃まだ出したい人があるのを思い出して、年賀状を作っていて、はたと気がついた。
さっき頼んだ年賀状の中に、2008年のはがきで出してしまったのが、あったのだ!!!! が、が〜〜〜〜ん。 ど、どうしよう。
とりあえず、郵便局へ行って回収しようと思った。 郵便の配達の人の名前は?わからない。 でも私・差出人の名前と、ハガキの画を見せ、見て貰うと、どうもないらしい。もう年賀はがきはすべて県の局に行ってしまったらしい。 それを回収するには、1枚につき手数料550円かかるそうだ。 9枚出して、多分そのうちの5.6枚が2008年の。9枚の宛先はわかるが、誰のが今年のか来年のかはわからない。 2008年のだと今年中に配達されてしまうだろう、と郵便局の人に言われる。 うちへ帰って、考えて、しょうがない、4950円を出して回収しようか、と思っていたところ、主人に言ったら、それよりおわびのハガキを出した方が安上がりだと言われ、そうか、、、そのオッチョコチョイをわびる文面を考えて、出した。 そしてまた、その方たちには新しく年賀状を作って、と。
ああ、今日は、本当に何という日か、、 でもまぁ、二度とこんな失敗はすまいと固く誓った日でした。


平成20年12月9日(火)

『風のガーデン』より

♪カンパニュラの恋(平原綾香)




平成20年12月1日(月)


『風のガーデン』より

ノクターン(平原綾香)






平成20年11月29日(土)

『七瀬ふたたび』『風のガーデン』『流星の絆』

このところはまっているTVドラマです。

七瀬は、筒井康隆原作のSFというか、そういうあり得ない話。テレパス=人の心が読める、未来が見える超能力者。こんなあり得ないお話は大好きです。ファンタジーとか、タイムマシンとかって。だからバック・トゥー・ザ・フューチャーとかスター・ウォーズ、ロード・オブ・ザ・リング、ハリーポッター、パイレーツ・オブ・カリビアン、ナルニア国物語、ライラの冒険、
などなどちょっとお子様向きだけど、童心に返って楽しめます。

風のガーデンは、緒方拳さんの遺作。富良野に2年掛けて作ったというブリティッシュガーデンの花々がとても素敵です。
お話も親子の問題、末期医療のことなど、考えさせられます。

流星の絆も、サスペンスタッチで好きです。これからどうなるのか、どれも佳境に入ってきました。楽しみです。




平成20年11月24日(月)


      


チビ猫がいなくなってから、1ヶ月ちょっとたちました。
まだ帰ってきませんか?とその後を心配してくださる方あり、有り難うございます。
残念ながらまだ帰ってきません。
あれからご近所や裏の方に聞いて回ったのですが、見ないとの返事。
でも昨日、新たな情報が・・・
おばあちゃんが、ご近所の法事に他宗のお寺に行って似ている猫を見た、というのです。
明日にでも私が行ってみようと、今朝行ってみました。
そのお寺に行く道で、似ている猫と黒い猫の二匹が駆けていくをちらっと見かけ、追いかけてお寺を見たけれど
お寺にはいそうもありません。その前の家に、その猫らしいのが・・・
毛繕いをしていて、「チビ猫」と声を掛けたのですが、すっと行ってしまい人の家の庭ですが、
ちょっと通らせて貰って見てみましたが、もういませんでした。
背中の毛が、うちの猫の方がもっと黒いところが黒いような気がしますが・・・
ちょうど雨が降ってきて洗濯物が気になったので帰ってきました。また行ってみようと思います。
チビ猫は、うちに突然現れて、気がついたらうちの猫になっていました。
チビ猫が木登りをしていて、クロちゃんがちょうど下にいて、
チビ猫が木から落ちてクロちゃんの上に落ちてきました。
どうなるかな?と思ってみていたら、クロちゃんがチビ猫をなめてあげて、
二匹は仲良しになり、一緒にミルクを飲んだり、寝ていたりしました。
チビ猫はとても甘えん坊で私が抱くと顔でも手でもぺろぺろなめてくれました。
先月3日間私が家にいなかったので、お母さんがいなくなっちゃった、と思ったのかもしれません。
前からいるデカ猫が見るといじめるので、出て行ってしまったのかもしれません。

誰かにかわいがられているのなら、その方が幸せなのかも、と思ったりもします。
でもそうでなくて野良だったら、連れてこようと思っています。




平成20年11月13日(木)

『マディソン郡の橋』 
先日BSでやっていた。見るのはこれで3回目くらいだ。
初め見たとき、クリント・イーストウッドは老けたなぁ、おじいちゃんだ、おじいちゃんとおばちゃんだな、などと思ったが、なかなか佳い映画だ。今見ると、自分も老けて彼らの年に近づいたからか、もっと佳いと思える。イーストウッドとメリル・ストリープの二人はこの役にぴったりで本物の人物のように思える、さすが。
ヒロイン・フランチェスカが、最後、雨の車の中で、前のキンケードの車が出ようとするとき、車のドアをまさに開けなんとして、
ぐっーとこらえている場面が好き。行ってしまいたい、行ってしまおう、と思っているのだ。
だけどしない。ぐっとこらえて、その後嗚咽する。
やっぱりいつも思うことは、これでいいのだ、と言うこと。彼について行ってしまえばいいとは思わない。自分のこの恋を全うすれば16歳と18歳の子どもたちのこと、善良な夫のことを、生涯ずーーっと思って悔いて過ごさなければならないことを、彼女はわかっている。この4日間の恋を生涯の思い出として生きていくことを決心したのだ。
 恋を全うして夫と幼い子供を捨てて破滅したのは「アンナ・カレーニナ」
彼の所へ走ったけれど、彼の家族や周囲から非難され、彼も離れ、幼い子供への愛情にさいなまれ、後悔し、ついには鉄道自殺。
でもどちらを選んでも、仕方がないこと。傷つくことを覚悟で彼について行ったとしたって、それはそれでいいではないか、と思う。瀬戸内寂澄さんや宇野千代さんなんかそうだ。その行動の方が勇気がいると思う。
でも私は、このじっと我慢しているのが、すごく好きなところ、いいなぁ。
『マディソン郡の橋』のその後の物語が2002年に出てすぐ買ったのだが、読んでいないのを思い出し読み始めている。すぐ買うには買ったが、読む気がしなくてそのままだったが、映画をまた見て感動がまだあるうちに読みたくなったので。





平成20年11月11日(火)



これも鈴木秀子さんの本『奇蹟は自分で起こす 幸せになる1ミリの法則』から
ダウン症で生まれた子供さんのお話です。

”智子さんはダウン症で生まれてきました。三十年以上も前のことでしたから、そのときお母さんはダウン症の子供を見たことも聞いたこともありませんでした。
赤ちゃんが生まれても、なかなか看護婦さんが連れてきてくれません。そして、初めて看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれたときに、看護婦さんはベッドのカーテンを引きました。大部屋でしたが、今までそのような事はありませんでした。

お母さんはおかしいと思いました。赤ちゃんは不思議な感じのする子どもでした。赤ちゃんはおっぱいを飲む気力もなく、泣き声もあげず、また看護婦さんが黙って連れて行きました。カーテンをしたままでしたが、それは一人で泣けるようにと配慮したのだと思いました。泣きたくても涙も出ません。何か起こったのかわからないので、心の中であの子は私の子どもではありませんと言いました。

 そのあとで、ご主人とお医者さんから、赤ちゃんは障害を持って生まれてきたと聞かされました。

 心臓に欠陥があるから、一年生きていられたらたいしたものだ、一年生きていたら恵み以外の何ものでもないというのです。ダウン症は遺伝ではなく、染色体の組み合わせが不備だったため生まれるのだということを説明されました。そしてお医者さんから「この子はお宅の宝ですよ」と言われました。お母さんはそれを聞いて、あの子がうちの宝だなんて、普通の子をもらいたかった、普通の子どもだったらどんなに宝になるかわからないのにと思いました。

 家に帰ると、おっぱいもよく飲めない子どもを、お母さんは今日一日生きていてほしいという思いで、 一生懸命育てました。ひと時でも赤ちゃんから目をそらすと、大変なことになってしまうので、お母さんは必死で世話をしました。ある日、親戚の人が部屋の外で、「あの子は家では育てられないから、施設へ預けたほうがいいのではないか」と言っているのが聞こえてきました。

 その瞬間、お母さんは、親鳥が小さい小鳥を抱きしめるように赤ちゃんを抱きしめ、「この子は私の子、絶対に誰にも渡しません。私が育てます」という決心が、自分の中にはっきりと芽生えてきました。自分の中に辛さや恨みがいっぱい渦巻いていたのに、この子のために生きなければという母としての気持ちが、深い所から湧き起こってきました。そのとき胸に響いてきたのが、「この子はお宅の宝ですよ」というお医者さんの言葉でした。

 「この子は命が短いですから、愛を注ぎ続けてください」とお医者さんは言いました。一年経たった時、お母さんは智子が一年生きられたのは、いつも智子が私なしには生きられないと教えてくれたからだと思いました。小さい手を突き出して、自分を必要としている、それがどんなにうれしく自分に生きがいを与えてくれているかということに気がつきました。それから、ご両親は智ちゃんを家の宝として大事に育ててきました。お父さんは大きな事業をしていますので、障害者が働ける工場も作りました。 
智ちゃんは養護学校を卒業して、今はその工場で他の障害のある人たちと一緒に働いています。智ちゃんは子どものように、本当に無心です。周囲にいる人が、ついそばに寄っていきたくなるような雰囲気があります。そしてなぜか手を握りたくなります。
 
数年前、私はアメリカの大きな客船のクルーズで、セミナーを指導したことかありました。それは豪華な客船でしたが、夜のうちに航海して、朝には観光地に着きます。そこで上陸して一日観光をし、夕方は帰ってきて、船上で私かセミナーをしました。ご両親は智ちゃんにきれいな場所を見せてあげたいという希望から、智ちゃんと一緒にそのクルーズに参加されました。

仏教では、一人ひとりの中に仏性があるといわれます。一人ひとりの中に神おわす、

といいます。人間は神の命を分け与えられていますから、神の命が一人ひとりに宿っています。それは宝物であり、光であって、一人ひとりを内から輝かせています。それが人間の本質です。 一人ひとり宝石の光を輝かせながら、赤ちゃんは生まれてきます。しかし成長するにつれ自分を守るために、自分の周りに岩石のような殻をつけ始めます。人目を恐れたり、自分を責めたり、もっと良く完璧にと叱咤激励したりしながら岩石の殻を強めていきます。岩石の中には光がありますが、なかなか出てこられません。頑張りなさい、しっかりしなさいというと、ますます殻を硬くします。

 こうした現実の中で、あなたの周りの人に生き生きしてもらうためには、その人の良さを慈しみのまなざしでじっと見つめます。岩石を通り越して、その人の中にあるダイヤモンドにあなたのまなざしを注ぎ続けると、中から光が溢れてきます。
あなたのまなざしが岩石を通り越して、通路を作ってくれるからです。そうするとその人の内側から光が溢れてきます。

 智ちゃんはこの岩石を作りません。智ちゃんはいくつになっても、子どもの純真さそのものです。

クルーズの観光で、ストックホルムヘも寄りました。その時、町のレストランで昼食をとることになりました。私たちの一行は同じレストランに入りました。

 そこには同じセミナーのグループで韓国から来た人たちが、先に座っていました。それを見ると、智ちゃんは走ってその人たちのところに行き、あるご夫妻のそばに座りました。その奥様は韓国の大学でフランス語を教え、ご主人も社会的に立派な仕事をなさっています。智ちゃんは自分の頬を奥様の頬にくっつけて、じっとしていました。次にご主人を抱いて、頬をくっつけました。しばらくすると、智ちゃんは私たちのテーブルに戻ってきました。
私たちはいったい何をしているのかと、智ちゃんを目で追っていました。すると、奥様の方はさっとレストランを出て、前にある海辺へ走って行きました。
それをご主人が追いかけました。

 その夜、皆がそろった勉強会のあとで、その奥様が次のような話をしました。
私たちには子どももいるのですが、どうしても仲良くやっていけなくなりました。ですから最後の話し合いをする場として、いい思い出を作るためにクルーズに参加しました。

これを二人の最後の旅行にしようと出てきました。

 船に乗って以来、毎日、二人で話し合って、どこかで和解できないだろうか、許し合えないだろうかと努力しました。

 けれども、話し合えば合うほど事態はこじれてしまい、昨日の夜は「もうだめだから別れよう」ということになりました。今朝からは食事も別々にしていたときに、智ちゃんがレストランにきてくれました。智ちゃんが私のところに来て、私を抱いてくれました。

そのとき、まず感じたのは、こんなひどいエゴだけの私でも許されているということです。智ちゃんがこうして許してくれている、自分を認めていてくれる。

自分の存在が大宇宙から認められ、許され、受け入れられているのだと感じました。智ちゃんの頬の温かさが伝わってきて、それが体中に広がって、自分の永のような心が全部解けました。

 智ちゃんが夫に寄り添ってくれたとき、夫も許されているのだとわかりました。自分が許すことができなかった夫も、大宇宙が許してくれている、私たち二人はこの大宇宙の中で許されているのだ、ということをとても強く感じました。

 そして私は海辺に行って、自分の冷たさ、エゴ、頑固さが解けるほど涙を流しました。すると、夫は黙って私の隣にぴたっと座って、同じように号泣していました。
二人の涙が涸れはてたとき、二人で何も説明しないのに、「許してください」と同時に言いました。

 「結婚したときのように、お互いのよさを認め合って生きていきましょう」と言いました。

 以前に感じた相手のよさが胸の中に蘇ってきました。それ以上に、今は人間同士のいとおしさを感じて、二人は思わず手を取り合いました。「新しい結婚だね。今が新しい人生の始まりだね」と言って、私たちは手を取り合って、新しい人生を初めようということになりました。

 智ちゃんがどうして私たちのことがわかったのか、私たちにはわかりません。智ちゃんは私たちのところに来て、本当に心から和解させてくれたのです。”

  
  鈴木秀子さんは、このようないいお話を沢山知っていらっしゃいます。ダウン症の智ちゃんはすごいですね!

 これは私の話ですが、ずっと前にダライ・ラマが来日して、TVでどこかのホールでの公開の悩み相談のようなものを放送していたのを見ました。
その時の相談者は、中学生の女の子でいじめの相談でした。女の子の話を聞いて、どう答えるのかと見ていたら、ダライ・ラマは、
女の子を抱き寄せたのでした。何も言わずに。それがとっても暖かい感じで、私は涙が出てきました。
何かアドバイスを言うのじゃなくて、こうなんだ、抱いてあげることなんだ。と思ったのです。それはすべてをありのままに受けとめていました。普通だったら、いじめている子にも何か事情があるのだろうとかそんなことを言いそうですが、言葉で、ごちゃごちゃ言うよりもずっと説得力がありました。なんにも言わずに、大きな手で抱き寄せてくれました。そしてその女の子の顔が明るく輝いたのです。彼女はきっともう大丈夫、そう思いました。

      
    





                             平成20年11月10日(月)


シスターでもある鈴木秀子さんの本『仏教・キリスト教 死に方・行き方』という玄侑宗久さんとの対談集のあとがきにとてもいいお話が載っていました。皆さんに是非読んでいただきたいと思い、引用します。

”この対談の直後、アメリカで聞いた話を鮮明に思い出した。
それは、小学五年生の少年と受け持ちの女の先生の話である。
 先生はクラスの子どもたちに向かってよく言っていた。「みなを平等に愛している」。と。
しかし、心のなかではもう一つの声が響いていた。「みな同じように愛するなんて不可能。
特にあの一人の男の子は服装が汚いし、しつけもなっていない。だらしがないうえ、無気力で勉強する意欲がない。
あの子を見るたびにイライラしてしまう」
 五年生の中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入することになった。
その後、少年の一年生からの記録が目にとまった。「ほがらかで、友達が大好きで、人にも親切。勉強もよくし、きちんとしていて、優秀で将来が期待される」と記されている。「これは間違いだ。ほかの子の記録に違いない」と先生は考えた。
 二年生になると「母親が病気で、世話をしなければならず、学校に時々遅刻する」と書かれてあった。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、クラスでも居眠りする」とあった。三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失って悲しんでいる」とあり、四年になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力を振るう」とあった。
 この記録を通して読んだとき、先生の胸に痛みが走った。クズと決めつけていた子が、突然深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に現れたのである。今まで目の前に見てきた世界が音をたてて崩れ、考えもしなかった世界が現実に存在していることに気づかされたのであった。先生にとって目の聞かれた一瞬でもあった。
 その日の放課後、少年に声をかけた。
 「先生はこれから教室で夕方まで仕事をするから、
よかったらあなたも教室で勉強をしていったら? わからないところも教えてあげるら」
 少年は初めて笑顔を見せた。それから、毎日自分の机で熱心に予習復習を続けた。きちんと鉛筆を持っている。先生は「何も言わずに一緒にいるだけでいいんだ」と感じた。
彼が教室で初めて手をあげて答えたとき、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後、学校は休みだったが、先生は気になって教室に行ってみた。
いつもと同じように勉強していた少年は先生を見つけると飛んできて、しわくちゃの紙に、よれよれの紐で縛った小さな包みを先生の胸に押しつけた。彼からのクリスマスプレゼントであった。
 家に帰って開けてみると小さな香水の瓶だった。これはきっと亡くなったお母さんが使っていた香水に違いないと感じた先生は、香水を一滴つけて、日暮れ時に少年の家を訪ねていった。
想像以上に汚く、雑然としている部屋で、少年はしょんぼりと本を読んでいた。
 先生が戸口に立つと驚いて飛んできて、先生の胸に顔をうずめて叫んだ。
 「あー、お母さんのにおい! 今日はすてきなクリスマスだ」
 クリスマスの飾り一つない部屋だった。
 この少年に特に目をかけてくれるようにと頼み、先生は担任を六年生の受け持ちにゆずった。
 小学校至竿業するとき、少年から一通のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出逢ったなかでいちばんすばらしい先生でした」
 それから六年後、先生のもとにまた一通のカードが送られてきた。次のように記されていた。
 「明日は高校の卒業式です。生、僕は五年生のときに先生に担任をしてもらって、とても幸せでした。教室に残って先生と一緒に勉強させてもらって、とてもうれしかったです。そのおかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」      ’
 十年の年月を経て、またカードが届いた。
 「先生は僕にとって最高の先生でした。先生は僕を人間としてよみがえらせてくださいました。生き返らせてくれました。今、僕は医者としてたくさんの人々の痛みや苦しみに直面しています。
 僕は父から叩かれたとき、今の患者と同じ痛みを感じたものです。
この患者がどんなに背中が痛いか、どんなに頭が痛いかわかるのです。
 僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を神さまのように感じます。大人になり、医者になった僕にとって、最高の先生は五年生のとき担任してくださった先生です」
 その一年後、さらにもう一通、カードが届いた。結婚式の招待状であった。
 「母の席に坐ってください」と一行、書き添えられていた。
 披露宴のとき、医師になったかつての少年は先生を「母以上の方」とみなに紹介し、
先生を抱くと、「ああ、ほんとうにお母さんのにおいがする!」とつぶやいた。
 先生は長い年月、蒸発しないように、大切に保存してきた香水の最後の一滴をつけて結婚式に出席したのだった。”

 私はこの本の中でこのあとがきのお話が一番感動しました。
涙が止まらなくなってしまいました。
はじめはだめな子、と思っていた子が、実は家庭の事情(お母さんの死)から傷ついていて、そのことに先生が気がついたからこそ、その子を蘇させ、生き返して本来の良さを引き出すことが出来た。その子も先生の愛情に応えたのです。
本当にこんな先生ばかりだったらいいと思います。







平成20年10月24日(金)

チビ猫が帰ってこない

最後に見たのが先週の17日。18日に見ていなくて、19日から21日まで出かけていたから、私がいないので
お母さんがどこかへ行っちゃった、と思ったのか、全然見あたらない。
家出しちゃったのかなぁ。
どこかでかわいがられていればいいのだけれど・・・・チビ猫ちゃんが居なくて寂しい。



平成20年10月14日(火)


平成20年10月12日・13日と千葉県南部和讃会の皆さんと一緒に、東京池上本門寺のお会式に参籠しました。
 日記より先に、池上お会式のページに書きましたが、いつも留守番ばかりで参籠するのは初めてでとてもすばらしかったです。
”すごい!”と言うことは前から聞いていましたが、想像以上です。一度は行ってみないといけません。
神社のお祭りがどうも好きになれない私ですが、お会式は違います。
やはり、お経をあげたり唱題をするからいいのだと思います。
大堂での大勢での唱題は、本当に参列者全員の心が一つになった、というか
何とも云えない感激を味わわせていただきました。
やはり池上本門寺さんならではの感激だと思います。
すごいパワーを頂いたように思います。また皆を誘って行きたいと思いました。

 また、池上に行くより先に、12日は新宿神楽坂の善國寺さんと円福寺さんをお参りして和讃を奉詠致しました。
これも皆の心が一つになったようによかったのです。
身延や清澄、京都で沢山の人数で和讃を奉詠すると本当にすばらしいのです。
やっている自分自身で、美しいな〜と感激、ウルウルして来ちゃいます。
それは声がそろっているとか綺麗な声だな〜とか上手に出来たとか、
そういうことだけでなく、スーっと、詠じて居る全員の心が一つになった、という瞬間があるのです。
その時思わず涙が出てくる程でこの感激もまた忘れられません。
読経も唱題も和讃も、きっと私たちの心を洗ってくれるのだと思います。
日々の生活で垢だらけになっている私たちのこころを。





平成20年9月29日(月)

今日の平和は、戦争で犠牲になった方々のたまものであると思います。

私は右寄りでも左でもなく真ん中(中道)ですが、硫黄島や「KAMIKAZE」の映画や、特攻隊を世話したなでしこ隊のドラマを見て、また自分も沖縄戦没者行脚に参加してみて、沖縄の道が戦争犠牲者を埋めて出来ていることなどを聞いて、今の日本の平和は、戦争で犠牲になった、まさしくお国のために死ぬと行って死んでいった方たちのおかげの上にある平和なのだと思うのです。

国のため、愛する親や兄弟姉妹を守るためと=本当にその通りですよ、あなた達の死は無駄なんかじゃありません、命をかけて日本を守ってくれたんですよ、と言いたいです。それなのに、日本の指導者(?)たちで、「集団的自衛権を国外にも行使する」とか「テロとの戦いを他の国にだけやらせて、日本は何もしないでいいのか」とかまたぞろ言い出す人たちが居るのはなんということでしょうか!!(怒)(麻生とか石破です、大っきらいです、早く辞めて欲しいです)

絶対反対です!いかなる理由があったとしても。戦争をしてはいけません。軍隊を出すのは反対です。テロとの戦いなんて偽物。イラク戦争なんて、9.11の報復です。アメリカが撤退しないのは石油の利権が欲しいから.さっさとイラク戦争を止めればいいのです。撤退しないからいつまでも終わらない。ベトナム戦争の泥沼と同じ。先日もTVでイラク戦争に行って帰ってきた米兵の人たちの精神疾患を扱った番組をやっていました。それを見るともう、こんな事はやめればいいのだ、としか思えません。


平成20年9月24日(水)

 最近、動画にはまっています。ちょっとしたマイブームです。
YahooビデオキャストやYouTubeなど面白いです。簡単に貼り付けも出来ます。こんな具合です。

  Imagine              Eric Clapton - Tears in Heaven  
      

 

 ねこがすき””my favoriteimagine””GOD”のページにUPしていますので、ご覧になって下さい。




平成20年9月10日(水

『国僧日蓮』童門冬二 その2

蒙古襲来について 

日蓮聖人のとらえ方は、こうである。

日本の仏法が念仏信仰をはじめとして間違っているので、日本を守るべき諸天が去り蒙古が攻めて来て日本が滅びて、初めて人々が日蓮聖人の「立正安国論」が正しかったことを悟り、日本国一同に「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるであろう、ということ。

しかし現実には、二度目の来襲のとき、弘安4年(1281)蒙古の東路軍と高麗の数万の軍は隠岐の島で、日本軍と激しい戦いをした後、蒙古の江南軍と合流するが、二十日も五島方面に漂流したまま博多湾へ向かうつもりであったようだが、閏七月一日、前夜から吹き始めた北西の風が夜に入って強くなり、次々に蒙古の船を沈没させた。数万の軍勢は波に呑まれ、近くの島や岸辺に数千の者が漂着したという。蒙古の諸大将は先を争って沈まなかった船に乗り移り退散したという。大将が引き上げてしまったので、部下たちはあきれ、自分たちで指揮者を選び残った船で引き返したと、『元史』にあるという。このとき未曾有の国難に鎌倉武士たちは「一所懸命の思想」で国を守った、と童門さんは書いている。

日蓮聖人の予測通り、蒙古は攻めてきたが退散してしまった。これはどういうことか。

 童門さんは、善神は去ったのではなく地下に潜った、と考えた。そうすると、「地湧の菩薩」=釈尊滅後の末法の世の中に法華経を弘めることを約束して、地より湧き出る菩薩たち=その先駆けとしての日蓮聖人であることに合点がいく。

 『立正安国論』で予言した他国侵逼難と自界叛逆難の二つが当たったということが最大事である。ただ日蓮聖人の考えたように、日本が滅びる、ということはなかったが、未曾有の国難であった。日蓮聖人だって日本が滅びてしまえばいいと考えたわけではない。

石川教張氏の『人間日蓮』には、「蒙古の襲来にあたり、急ぎ鎌倉より鎮西に出陣していった人たちは、生皮を裂くように今までの生活をふり捨て、妻子・家族と泣きの涙で別れていかねばならなかった。(中略)人々の悲嘆や不安はひとしおであろうと日蓮は思いやり、武蔵国の池上宗仲にこう書き伝えた。『文永11年10月、隠岐・対馬の者たちが一時に死人になりし事。どうして人の身の上と思えようか。討手に向かって行った人たちの嘆きはいかばかりであったろうか。老いた親、幼い子、なつかしい我が家をうち捨てて、今まで見たこともない筑紫の海で、雲を見れば敵の旗かと疑い、釣船を見れば敵船かと肝を消す。一日に一二度と山にのぼっては見張り、夜もおちおちと眠れずに、三度四度と馬に鞍を置いて戦に備えねばならない。誠に、生きた身で修羅道を感じるとはこのことである。』」とある。

もし日本が滅びてしまったら、その時にこそ法華経がある、とお考えだったのではないか、と私は思う。

 国が滅びる、といえば先の太平洋戦争=第2次世界大戦での敗戦こそその通りである。

この時、日蓮宗も浄土宗も仏教界は、軍部に迎合し、率先して戦争賛美、文学も芸術もしかり。そうしないと宗教も文化も生き残れないからだし、自分の国を守るのは当然のことでもある。

結果は、欧米の圧倒的な物量と力に沖縄陥落、広島・長崎に原爆が投下されて日本は壊滅した。

負けて良かった、と言うことではないが、もしも勝っていたら、軍部が正しいことになってしまったら、絶対に良くなかった、と思う。
ものすごい、尊い犠牲を払って得た平和であることを思う。







平成20年9月4日(木)


『国僧日蓮』童門冬二・その1

これはお坊さんや宗教者が書いた日蓮聖人とは違って、もっと社会的は観点から見た日蓮聖人が描かれている点がとても面白い。

お坊さんや宗教者が書くと、内側から見た日蓮聖人はよく伝わるけれども、全く宗教とは関係のない時点から見るとどうなのかは、今までよくわからなかったように思う。

童門さんは、それを「国僧」ととらえた。

鎌倉時代、『立正安国論』を執権北条氏に突きつけ、国家諫請をした日蓮聖人は、私利私欲無く国を思うが故の行動であった。他宗の間違いを指摘するが故に誤解されがちであるが,仏法が誤れるが故に、政治が乱れ国が乱れ、やがて自壊本逆=同士討ちがあり、他国侵逼があると一切経を調べた上での『立正安国論』。やがて蒙古大襲来という未曾有の国難を迎える。

仏法の誤りとは何か?

@  念仏無間

法然は釈尊の第一義の正法である法華経を「一人として成仏できない」「捨・閉・擱・放」と、正法を誹る、謗法であること。しかも、法然の念仏宗の規範となる「弥陀の四十八願」には「正法をそしる者は成仏できない」とある。これによれば法然は無間地獄に堕ちるのは必定であること。そして「南無阿弥陀仏」の阿弥陀仏とは西方浄土の仏であって、この私たちの住む娑婆世界は釈尊の御領であるから、釈尊こそが我々の父、主・師・親の三徳を備えた仏なのである。それを擱いて他方の仏を頼んでもなんにもならない。

A   真言亡国

「大日経」は中国で造られた偽経であり、従って釈尊の真意を伝えていない。

天台宗も大乗戒檀を得た伝教大師当時の天台宗は、正しいが,慈覚以後真言密教を取り入れ間違っている。

 

そもそも、日蓮聖人が仏法を学ばんとしたのは,承久の変で臣下である武士に上皇が隠岐の島や佐渡に流された下克上の世相や、地震、大風、飢饉といった天変、社会不安は,どうして起こるのか、と言う幼少の頃からの疑問を解くためなのだ。それを鎌倉・比叡山などで学び、釈尊の本懐は法華経にあることを究明したのである。

 

仏法−信仰−心という点において

信仰が正しくないから、心が正しくなく、したがって世の中が乱れる、というのはいつの時代においてもそうだと云える。現代においてもしかりで、つい昨日も、福田総理の突然の辞任があった。政変。その他、この暑さと局地的な大雨やらの異常気象、ガソリン、食料品その他の値上げ、派遣社員の問題や、年金問題、介護・医療、教育等の様々な不正、乱れに乱れている。すべからく、正しくない。

仏法は間違っていないが、仏教者が間違っているのでは無かろうか、と思う。間違っている仏法と言ったら、創価学会だが、創価学会は池田大作と公明党なのでもはや仏法ではない。(「禅天魔」〜禅宗は「不立文字」と言ってお経(仏の教えであるお経)を立てないので仏教ですらない、と同じく)

 

『国僧日蓮』に戻る。

面白いと思ったのは、2点ある。

1つは、蒙古大襲来の日蓮聖人のとらえ方。

もう一つは、四条金吾の「頼基陳状」に関することである。(次回に続く)

 

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