池上お会式

平成20年10月12日・13日と千葉県南部和讃会の皆さんと一緒に、東京池上本門寺のお会式に参籠しました。
12日は新宿神楽坂の善國寺さんと円福寺さんをお参りして和讃を奉詠しました。

神楽坂 善國寺

毘沙門様で有名です。開基は徳川家康公。
初代住職・佛乗院日煌上人は二条関白昭実公の実子で、徳川家康公と
親交があり、日煌上人が池上本門寺の第12世貫首として迎えられてから9年後の天正18年(1590)に家康公は江戸城に移られました。
上人は父祖伝来の毘沙門天像に天下太平のご祈願をし、それを聞いた家康公は日本橋馬喰町に寺地を与え、鎮護国家の意を込めて、手ずから「鎮護山 善國寺」として開基となられました。

その後、水戸光圀公が、寛分10年(1590)に焼失した当山を麹町に移し、再建されました。
この縁由により、徳川本家、分家のうち田安家・一橋家の祈願所となりました。

毘沙門様は、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に生誕された
と言われることから、寅は毘沙門様の化身、お使いとも言われています。
本堂正面には狛犬ではなく寅の石像が左右一対鎮座しています。

TVドラマ『拝啓、父上様』の舞台になった所でもあります。

お会式とは、日蓮聖人のご命日をお祀りする、日蓮宗の最大の行事です。全国各寺院でお祀りいたしますが、
なんといっても池上本門寺、ご臨終の間のある大坊・本行寺が本家おおもとであり、
一晩で数十万人の人出、全国からの万灯行列、まとい、参道は駅から境内まで屋台がびっしり、
お寺では通夜説法、唱題行・読経が行われそれはにぎやかです。

名物のくず餅を買いに、駅までこの混雑の中もみくちゃになりながら行って、万灯と一緒にまたお堂まで戻ってきました。
大堂の唱題行に参加、元気を頂いて、大坊の通夜説法を聞きたかったのですが、夜中12時からでは、明日があるのでとても起きては居られないと諦め、朗峰会館に戻って休みました。次は大坊にお籠もりすれば、通夜説法は聞けるかと思います。

myourei world

駅前の参道から、次々に万灯とまといが・・・・

龍口法難の画

本門寺大堂の前

 日蓮大聖人は今より七百余年前の弘安五年九月八日、九カ年の間住み慣れた身延のお山をあとにされ、病めるお身体を
栗影の馬にゆだねられ同月十八日、ここ池上宗仲公の館にお着きになられました。
病重く療養に努められましたが、一時小康を得られるとお弟子信者の方々に「立正安国論」のご講義をなされましたが、
病いよいよあらたまり、十月八日には、本弟子六人(日昭、、日朗、日興、日向、日頂、日持)を定めて、後事を託し、十日には
お形見を分けられ、翌日には十四歳の経一丸(後の日像聖人)へ京都開教を遺命され、枕元に大曼荼羅本尊を掛けさせ、
十三日の辰の刻(午前八時)、お弟子、信者一同が静かに法華経を読誦する中、後入滅なさいました。御年六十一歳であります。
この時、大地は揺れ動き、庭の桜が時ならぬ花をつけたと伝えられます。
 大聖人の滅後、宗仲公は館を寄進して寺とし、「長崇山本行寺」と称し、大坊と通称されました。〔大坊 本行寺縁起より〕

 本門寺は、池上宗仲・宗長ご兄弟が大聖人に寄進された山上のお堂で「長栄山本門寺」と命名、開堂供養をされました。
十三日午前七時よりお会式特別説教の後、臨滅度時法要が厳修され、午前八時〔辰の刻〕には臨滅度時の鐘が打たれます。
(この法要はインターネットで生中継されました・池上本門寺のHP

本門寺の方が撮った動画<YouTubeで他にも沢山見られます>