「ブッダの真理のことば」(中村元訳)より

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いを抱く人には、怨みはついに息(や)むことがない。

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことが無い。
恨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。



仏教について



仏教とは 哲学です
それが、キリスト教・イスラム教との、根本的な違いです

仏教は
インドのカピラ城の王子・ゴータマシッタルダが、29歳の時
四門出遊して、生老病死の苦に出会い、それを何とかすることは出来ないかと、
城を出て、さまざまな師につき難行苦行を重ねたが、苦行では何も得られず
35歳で自ら悟られた真理です。

その内容は、
如何に生きるべきか、生きるとは何か
どうしたら、生老病死などの苦から脱することが出来るのか
苦のもととは何か
であり、

それらを明らかにしたのが仏陀です

仏陀とは覚者・悟ったもの・完全なる人格者
大慈大悲をもって、衆生を哀れむが故にこの世に生まれた人のことです

ここが大切なところで
自分だけが救われたなら、もう生まれてこなくてよいのです
どこか天のよいところで暮らしていればいいのですが
仏陀とは
苦しむ衆生をかわいそうだと思い、自分と同じような悟りの境地になんとかしてあげたい
という大慈と悲願を持ってこの世にとどまっている人です


さて、とはなんでしょうか

四苦八苦とよく言いますが、四苦とは生老病死の四つの苦しみのことで
生まれる(生きる)苦しみ、老いの苦しみ、病気になる苦しみ、死の苦しみです

更に四つの苦しみとは
愛別離苦(愛するものと離れる苦しみ)
怨憎会苦(嫌いな人と会わなければならない苦しみ)
求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)
五蘊盛苦 (人間の精神・肉体の欲望が盛んであるところから生じる苦しみ)です

苦とはなんであるか
どうして苦が生じるのか
それをあきらかにし、滅するにはどうしたらよいか
その答えが仏教です


どうして苦が生じるか

それを仏教では十二因縁(縁起)で解明しています

無明(無知であること)によって.( 行い)があり、行によって(識別)があり、識によって 名識(名称と形態)があり
 名識によって、六処(六感・・・眼・耳・鼻・舌・身・意)があり、六処によって
(接触)があり、触によって (受ける)があり、受によって(愛する)があり、愛によって (取る)があり
取によって (有る・生存)があり、有によって(生まれること)があり、生があるから老死(老い死ぬこと)があるのです
この12のことがらの因果関係により、すべての現象が起きるのですが
一番初めの”無明”が苦のもとであるのです

無明とは、無知・無自覚であること
何を知らないかと言うと、仏陀の悟り=真理です
だから無明の闇に苦しむのです

では、どうしたらよいのか
それは、四諦八聖道を知り、実践することです

四諦とは

1.苦諦・・・・先にあげた四苦八苦です、迷いの元は苦であるという真理
2.集諦・・・・    苦の起こる原因は、むさぼり、渇愛にあるという真理
3.滅諦・・・・             苦を滅する、渇愛を捨てるという真理
4.道諦・・・・       苦を滅するための道についての真理→八正道
という四つの真理のことであり

八正道とは

 1.正見       (正しく見る)
 2.正思惟      (正しく思う)
 3.正語   (正しい言葉を使う)
 4.正業   (正しい行いをする)
 5.正命   (正しい生活をする)
  6.正精進  (正しい努力をする)
 7.正念   (正しい思念を持つ)
 8.正定(正しい精神統一をもつ)

の八つの事柄の実行です

それには、何が正しいか、ということをはっきり認識していなければ、ならないのです


あと、仏教で大事な真理があります

三法印の三つです

1.諸行無常・・・・あらゆる現象は、常ではない、変化する
2.諸法無我・・・・・あらゆる存在には、我(本質)というものはない
ではなにがあるかというと、で、すべてのものは因と縁で成り立っています
3.涅槃寂静・・・・悟りの境地は静かで穏やかである

仏教2 (つづき)

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