仏教は、仏陀の教えですが、文章に書かれたものではありません。

仏陀は、その教えを人々に説いてインドの国中を歩きました。

其れは悩める人に合わせて、同じこともさまざまに説かれたので

たくさん教えが在るのです。

お経は仏陀の死んだ後に、弟子達が集まって書かれたものです。

どれも正しく真実ですが、人に合わせて、浅い教え、深い教え、易しい教え、難しい教えがあります。

また、求める人のために説いた教え、そうではなく自らの悟りを説いた教えがあります。

 だからいろいろな宗派に分かれましたが、もとは一つ、釈尊=仏陀の教えです。

インドから中国、サンスクリット語から漢文に訳され、日本に入りました。


仏教は哲学です。

けれど、机の上の学問ではありません。

それが生活に生かされなければ、何にもなりません。ただの観念遊戯に終わってしまいます。

その実践の為に、行、修行が必要となるのです。

それは・・・



六波羅蜜

菩薩が仏になる為の修行に六波羅蜜があります

1、布施
2、持戒
3、忍辱
4、精進
5、禅定
6、智慧

この六つの行いにより、迷いの此岸から、悟りの彼岸に渡ります

1.布施とは、他に施すこと

六つの行いの中で、唯一、人のためにすることです
他の五つは、皆自分の行です。

釈尊が、仏になる前、前世においてたくさんの布施をしました

その功徳によって仏になったのです

そのお話は「ジャータカ」といって物語(お経)になっています。


たとえば・・・・

或時、傷ついた鳩が釈尊のところに助けを求めて飛び込んできました

その鳩を狙って鷹が来て、

「私の獲物だから渡してください」という。

渡せない、というと、

「私はこの鳩を食べなければ、死んでしまう。

鳩を助ける代わりに、同じ目方のあなたの肉をください。」

といわれ、腕の肉を切るが足りない。もう一方の肉でも足りず

全ての肉をその鷹に与えた話があります。

その鷹は、帝釈天の化身で、釈尊を試したのでした。

また、或時は、谷底で獅子が子供を産んだが、お腹をすかせて乳が出ない。

その獅子の親子の為に、身を投げてえさとなった話。

何度も何度も生まれ変わり死にかわって、

釈尊がしてきたことは、布施でした。

その功徳によって、仏陀となり真理を悟り、人々を教え導いたのです。

布施が、六波羅蜜のトップにあることは意味の深いものです。

布施行は、いらないものをさしだすのではなく、

してやったと思うのも違います。

また受けた人に負担を感じさせず、

自然に出来ることが大事でしょうね、さらりと・・・



2.持戒とは、戒をたもつこと

戒、とはいましめ、してはいけないことです

五戒
1.不殺生
2.不偸盗
3.不邪淫
4.不妄語
5.不飲酒

さらに、十善戒においては、語の行いについて、
5.不悪口
6.不両舌
7.不綺語
が、不妄語戒にわり

8.無貪
9.無瞋
10.正見(八正道)

があり正しい生活を送ることをいっています

小乗仏教では比丘(僧)に二五〇戒、比丘尼(尼僧)には三五〇戒とも五〇〇戒とも

いわれています

小乗戒は、僧団を維持するために必要であったと思われますが、

天台大師は、『経を持つことが、戒である。』と述べられ、

伝教大師も、『二五〇戒,、忽ちに捨ておわんぬ。』

『末法には、戒は市井の中の虎である。誰が信じようか。』

と述べられています。
 
それらを踏まえて、日蓮聖人も、『法華経を持つことが唯一つの戒である。』と述べられ、

この戒は、金剛宝器戒、

行者が破ろうとしても、破ることの出来ない戒なのです。


   3.忍辱(耐え、しのぶこと)
 4.精進(努力すること)
  5.禅定(心を静めること)

これらは、前述の八正道と同じです。

6.智慧

一切の法・真理を悟る力
智慧は、知識・学問とは違います。


しかし、日蓮仏教においてこれらはすべて、の一字にかわります。

南無妙法蓮華経のお題目を信じ唱え持つことが、行なのです。

釈尊の聖教の中で、法華経が第一であるからです。

其れは、天台大師によって明らかにされ、日蓮聖人によって、現実の証明となったわけですが

南無妙法蓮華経のお題目は、単なる言葉ではなく、

日本という文字の中に、日本が全て表わされているように、

法華経の全て、つまり釈尊の全ての教えの功徳をいただけるのです。



大乗仏教において、

仮・空・中の三諦は大切な真理です。

すなわち、

仮諦・・・この世の全てのものは仮の姿である。

空諦・・・この世の全てのものは空である。

であるから

どちらにも偏らない中道こそが、真実です。

たとえば、水は0度以下なら氷になるし、100度以上なら、気体になります。

常温であれば、液体で、どれも水の本質です。

このように全てのものは,とどまらず動いて、どれも真実の姿を現しています。

温度という縁によって変わります。

生と死も、善も悪も、コインの裏表のように一つのものです。

法華経以前の大乗仏教では、ここまでです。

この六波羅蜜の全ての行を収め、仮・空・中の三諦を悟り

中道に生きることが出来れば、それだけでも心は安穏でしょう。

しかし釈尊は最後の法華経に於いて、

今まで説かれなかった重大な真実を明らかにされたのです。

(つづく)


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