昔のノートをひっくり返していたら、「役満記録」と書いた紙が出てきた。(お、懐かしい)と思わず見入った。初めてアガった日時やら、珍しいアガり方などがおおざっぱに記してある。
○○役満をアガったことがあると行っても、いつアガったかなんて覚えていない。そこで紙を無くさないうちに、こっちへup しておくことにした。そうすれば、σ(-_-)が紙を無くしたとしても、あるいはパソコンをクラッシュさせたとしても、誰かが保存しといてくれるかも....なんて事、あるわけないな(笑)
役満歴といっても、国士無双と大三元、四暗刻の初アガリについては何も書いてない。たぶん麻雀覚えて1,2年の内ではないかと思うが、とにかく分からない。そこでキリのいいとこで、ご三家役満の初アガリは、全部「昭和40年」ということにしておく。(-_-)
で、国士無双については、それ以後何回アガったか覚えがないが、記憶に残る国士は最近やった純正国士。
大三元で記憶に残るのは「海底ツモ」、紙には、「昭和42年、東京の水道橋。海底でツモ」とある。雀荘名は書いてないが、水道橋となれば、当時行きつけの「アイウエオ」に決まっている(当時、小島武夫さんがフロアマネージャーをしていた雀荘)。
大三元については、もう一つ。「昭和54年6/27、四暗刻、大三元。於、○雀連本部」とある。よっぽど嬉しかったのか、そのときの配牌からアガるまでの手筋まで書いてある。(笑)
南の2局、南家。プラス約1万点。
ドラ
なんだか国士にでも行きたそうな配牌。第一ツモが、打。う〜ん、本来なら切りだが、この時点ではドラに未練を残して国士を見切ってる。(笑)
同巡、対面が打。オタでもあるし、とうぜん見送る。すると数巡後、ツモ。さらに数巡後、 を引き、手牌はこうなっていた。
ここへをツモって、対々狙いで打。次のツモが、なんと。(フン)と鼻をならして、打。続いてツモ、打。ついに高め大三元をテンパった。もうそのころには、σ(^-^)の強打、爆打にみんなが戦々恐々。
それでも終盤間近だったので、このまま流れかと思ったが、めでたく流れ寸前で「ツモ」
於、○雀連本部とあるように、このときアガったのは競技麻雀。要するにダブル役満など認められていない。そこで「どっちの役満をアガったことにしとく?」と聞かれ、「四暗刻は門前に決まっているが、門前の大三元は珍しい。だから大三元」と返事したのを覚えている。
あと四暗刻には「混一四暗刻。昭和40年、於、富寿司2F」というのがある。こっちは牌姿が書いてない。富(とみ)寿司というのは、当時、住んでいた近所の寿司屋。ここの板前さん達と、毎週のように卓を囲んでいた。
混一四暗刻は、この後も数回アガっているが、ま、混一では珍しくもない。しかしちゃんと清一四暗刻もある。
「清一色四暗刻。昭和43年、於、新小岩」
新小岩は、同窓会麻雀にでてくる橋場(仮名)が住んでいたところ。橋場の部屋が2Fにあって、ここでも毎週のように麻雀をした。あんまり麻雀していたので、ついに階下の住人から「いい加減にしてくれ」とクレームが来た。
そんなある日、3日3晩の徹夜で意識朦朧(もうろう)。1枚切ると、隣り(下家)をつついて起こす。そいつが頭をもたげると、次に自分がつつき起こされるまで寝る。(笑) そんな風だから、誰かが「ツモっ。○○点っ」というと、半寝状態で言われるままに点棒を払うだけ。
もう思考力のカケラもなくて、手牌を見るのも面倒くさい。そんなある局、手牌をみたら万子が多かった(といっても6,7枚)。そこで(とにかく万子を集めよう)と考えた。別に清一がやりたかったわけではない。何も考えなくてもいいからだ。
で、摸打を繰り返しているうちに、手牌が全部万子になった。そこへまたを引いてきた。(う〜ん、なんだかが3枚ある)、いずれにしても何か切らにゃいかんが手牌がバラバラ。アガる気がないから揃えてもいない。そこで眠い目をこすりながら理牌してみたら、清一色四暗刻をアガってた。
そこで「おい、起きよ!四暗刻だ、四暗刻!、はよ起きて払え!」と叫んだ。しかしみんな、「うぅ...うん....むにゃむや....」、「なに....なにがどうしたって....」とつぶやくばかり。
そいでみんなをつつき倒し、「ほらぁ、四暗刻だってばぁ。お前が○万○千点、お前とお前が○万○千点」と請求したら、みんな点棒を適当にほうり出し、「もういいから、寝かせてくれ〜」 もう清一四暗刻の感激なんて、カケラもなかった。
九連宝灯は「昭和45年、於・中津川市、K本宅」
正直言って、これもドキドキ感ゼロのアガリだった。
配牌で万子が7,8枚あったので、(食い散らかして清一をやってやろう)と心に決めた。ところが大口開けて待っているのに、上家が万子をぜんぜん切らん。そのたんびに万子をツモる。そのうちとうとう12枚が万子になった。
しかし方針が「食い散らかして」なので、ぜんぜんドキドキせんかった。この期の及んでも、とにかく(上家がなにか切ったら食ってやろう)と、そればかり考えていた。
そう思いながらヒョイとツモったのが。なにはともあれ要らないを切りながら、(え〜と、待ちはと...)と考え出したとたんに下家のK本兄がをツモ切り。
とっさに「ロンッ」といって手牌に手をかけた瞬間、九連宝灯だと気が付いた。そのまま「九連宝灯っ」と言いながら手牌を倒すと、K本兄が「まいったまいった」といいながら、箱ごと点棒を投げ出した。
しかしあのとき、K本兄がで、対面がだったりしたら、大チョンボをやっていた可能性大。ああ、K本兄がでヨカッタ、ヨカッタ。(笑)
他人の役満話など聞きたくもないのは重々わかるけど(~-~;、年末でもある。この機会に記録を整理しときたい。あともう少しだから勘弁しちくれ....(^-^;
え〜と、小四喜の初アガリが昭和57年7月10日。名古屋市中村区の永田氏宅。こっちもご丁寧に摸打まで書いてある。東の4局の東家。配牌が次のよう。
ドラ
ロン(神野)
字一色初アガリが昭和59年1月、雀荘・騎士。
ロン(日比野)
あと、どこかで小四喜の字一色をアガったことがあるけれど、なぜかこいつが書いてない....いずれにしたって、この頃の話だ。
最後が大車輪。ローカル役ではあるけれど、σ(-_-)にとっては大事な思いで。こいつぁ昭和45年の夏。
ツモ
mtk52「役満話」でも書いたけど、現在までアガってないのは、天和・地和(子の第1ツモ)・人和(親の第1打)・清老頭・四槓子・大四喜・緑一色。
天和・地和・人和などの偶然役満、あるいは超難度の四槓子はともかく、「緑一色をアガってないとは珍しい」とよく言われる。う〜ん、そう言われると一言もない。なにせ積み込みがヘタだもんで....(笑)
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