【 名を呼ばれたところで何の意味もない −お題4− 】




―――― 名を呼ばれたところで何の意味もない。


その名で呼ばれる事がなくとも、私が私で或る事は変わりなく。
そう…、いっその事、この名などなくとも良いかも知れぬ。

私が『何者』であるか、それを示すものさえあれば……


あの頃、求めていたものは『最強』の称号。
誰よりも、なによりも『強く』ありたいと。

父上、貴方を超える為に。
貴方に与えられた、この『名』に恥じぬよう。


声さえ出せぬ娘だった。
名を教えるつもりも、名を聞くつもりもなかった。
娘の声を聞く事無く、終る関係だったかも知れない。

( 殺生丸様 ――― )

噛み裂かれた肉の薄い体。
枯れ木を折るより容易いだろう、その手足。
魂消えた骸を己の血潮に浮かべて。

思い出してしまったのは、あの笑顔。
歯は欠け、痣を作り、醜く腫れあがった顔で。



今でも、判らない。

あの時、この胸に兆したものが何であったのか。
それでも初めて天生牙を『使おう』と思ったのは事実。

そして ―――

「殺生丸様っっ!!」

……娘の声は、姦しく。
失っていた声を無くした『生』とともに取り戻し。
お前は私の側で、再び『りん』という生を歩み始めた。

……姦しさがやがて、野を行く風や葉ずれの音と調和してゆくのにそうかかりはしなかった。


 
「…せっ、殺生…ま……るっ…さ…ぁぁ……」

私の腕の中で、お前は何度も私の名を呼んだ。
他に口にする言葉を知らぬように。

苦しいとも
辛いとも
恐ろしいとも

一言も口にはせず、ただ我が名を呼ぶ。

どう呼ばれようと、構いはせぬ。
お前はこの腕の中に在(い)る。

初啼きの時より、その声音に深まる艶を聞く。

「殺生丸様……」


お前が呼ぶ我が名は……、心地良い。



( 殺生丸様 ――― )

過ぎる花の翳にお前の声を聞く。
手折れば、枯れるは花の定め。
知りつつ、手折ったのはこの己。

時が満ちておれば、実を結ぶ事もあったかも知れぬ。
放してやれば、地に根を張り雑草なりの幸せを得たやも知れぬ。

そのどちらも選びはしなかったのは……

私だろうか?
りん、お前だろうか?
生まれ落ちた時より、知っていた事。


―――― 全ての存在は『弧』であると。


知っていたのに、束の間の繋がりを……
そう…だ、りん。

そう、お前がいなければ……



――― 名を呼ばれたところで何の意味もない。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


【神楽編へ】


――― 名を呼ばれたところで何の意味もない。


……あたしは、何処に行きたかったんだろう?
ずっと、ずっと自由になりたかった。

あんな奴の許を離れて。
空の高みまで昇って。
自分の心の思うままに ―――

あんな奴の分身だから、ろくな生き方が出来るなんて思っちゃいない。
遊び女(め)、うかれ女(め)、そんな性(さが)。
嫌気を払うように、男に抱かれ、あんな奴にも抱かれ……

……それでも、自由になりたかった!!

一番、『自』】になりたかったのは、こんな『自分』から!

心臓を掴まれていたからじゃない。
死ぬのが怖かったからじゃない。

本当の、本当は ―――

あたしが弱かったから……
そんな自分を認める事が出来ないくらい、弱かったから。

ねぇ、殺生丸。
あたしの眼には、あんたが眩しかったよ。
何者にも囚われないあんたの生き方がね。
あたしもなれるものなら、あんたみたいになりたかったのかな。
そう在(あ)れるだけの強さが欲しかった。

あんたは…、あたしにないものを全て持っているから。
もし、許されるなら……

はは、馬鹿な事考えちまったよ。
でもねぇ、あの人間の小娘を見てたらそんな夢を見ちまってさ……
あたしみたいな半端者でも、あんたの側にいられるかもってね。


やっと……

あたしは自由になれる ―――

あたしの心臓がこの胸にないばかりに、今まで死に損なっていたから。
今にも止まりそうな、この鼓動。
ああ、本当にあたし……


最期なんだ………


なんだろう?
この胸の苦しさは……
断末の苦しみって奴かな……


いや…、違う。

この胸の苦しみは ―――
この胸の切なさは ―――


殺生丸、あんたにもう二度と逢えなくなる……

その痛み。


あたしはここで、一人……

風になる。


「神楽!」
「殺生丸……」

馬鹿なあたし。
こんな時まで憎まれ口を叩いて。

だけど、あいつは ―――

あたしだって判って、来てくれた。
ちゃぁんとあたしの事、見ていてくれたんだ。
今まで、名前を呼ばれた事もなかったけど ―――

もう、それだけで良い。
あんたがあたしの為に、来てくれた。
ただそれだけで。

それだけが、意味のある事。


もう、去り逝くあたしには ―――


――― 名を呼ばれたところで何の意味もない。

【終】


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