【 花 満 月 −はな みちる つき− 】
素朴だが、力強さを感じさせる山桜が今を盛りと咲き誇る。季節が春だと告げ、それもまた直ぐに行過ぎるものだと如実に花の姿に映して。
……この時代にいると、『時間−とき』の流れが定かではなくなるような気がするとかごめは思う。現代での分刻みで流れる日常と比べれば、誰も時計など、時刻などという小さな単位の中では暮らしてはいない。
朝は朝で、昼は昼。日が暮れて、月が上れば夜だ。ゆったりとした大らかな時の流れの中に暮らしていれば、昨日も今日も明日もないような、全てが一つなのだという事を感じずにはいられない。
それでも……
その小さな少女の変化を見れば、確かな時の流れを見せ付けられるのだが。そう、あれから自分の上にも三年以上の時が流れているのだと。自分の周りにいた仲間達も、確かに変わって来ているのだから。
付かず離れずな関係のまま、相方然とした存在になっている犬夜叉や七宝は、その出自が『人』と異なるせいであまり外見上の変化は見られないが、その内面は随分と『大人』になったと思う。弥勒や珊瑚は既に所帯を構え子まで成しているし、自分たちだっていずれはと思うまでになっている。
だが、飛び抜けて大きく変わったのは、やはりあの二人だろう。
今では、この一行の訪れが新たな時を告げる ―――
* * * * * * * * * * * * * *
所帯を構えた弥勒と珊瑚は村内に仏堂を建立し、その側で堂守をしながら暮らしている。何かあれば楓の小屋に皆が集まるのは常(つね)の事。七宝も修行の為、あちらとこちらを行き来しているが、この頃になると必ず戻ってきている。今も変わらずここで居候を決め込んでいるのは、犬夜叉だけだ。かごめは今はまだ現代でしたい事、学びたい事があるから現代とこの時代を行き来しているが、先々ではこの時代に腰を落ち着けようと思っている。
「かごめ様、今日もお世話になります!」
狭い楓の小屋の中は、千客万来。近場の弥勒と珊瑚は囲炉裏の前に座っており、七宝はこの二人の間に産まれた男の子と遊んでいる。そろそろだな、とかごめも時期を見計らって楓の小屋を訪ねたのとあまり変わらないタイミングで、噂の少女が楓の小屋に現れた。
ぴょこんと、元気に可愛らしく頭を下げる。年の頃は、十二・三歳。普段の暮らしぶりが暮らしぶりだけに、村に住む同じ年頃の娘と比べるとどうしても幼く見えてしまう。明るく、屈託のない少女。僅かな陰りも見えないのは、今この少女がとても幸せだから。
「いらっしゃい、りんちゃん。そろそろだなって思って私も今さっき来た所なのよ」
「ありがとうございます、かごめ様」
かごめはにこやかに微笑みながら、目の前のりんを眺めた。人里から離れ、殆ど人と交わる事のない暮らしをしているりん。棲家である深い森や山奥を転々としながらの暮らしぶりながら、こざっぱりとした身なりや血色の良い顔色など、とても野育ち流浪の暮らしをしている者とは思えない。
ふと、かごめの目が見慣れない柄のりんの着物に留まる。橙色の市松柄に花と輪の重ね柄の着物も良く似合っていたが、今 着ているこの柄もりんの明るい性格に良く似合っている。暖かな色見の山吹の花の枝垂れ柄。花影に隠れて色を添える若葉色が利いていて、春らしい柄。帯はそのまま無地の濃緑。単の着物の時には着てなかった襦袢も着込み、その襦袢にかけた半襟が淡い朱赤なのが、またお洒落。
「良い着物ね、りんちゃん。とっても似合ってるわ」
「えへへへ♪」
嬉しそうに笑うりんにつられ、こちらも笑みが零れる。艶やかな光沢に魅せられて、そっとかごめは着物の生地に触れた。ひんやりとした、すべらかな心地よい手触り。
「上物の絹ね。着心地が良いでしょう?」
「はい、とっても! 前のお着物もりん、好きなんだけど、こっちのお着物はもっと好き。だってね、似てるんだもん」
「似てる?」
「はい、このお着物の触り心地が殺生丸様の御髪に似ていて……」
ぽっと頬を染めるりんがふと、大人びて見えて。
「…りんはもう子どもじゃないから、いつまでも子どもっぽい着物は可笑しいって、殺生丸様がおっしゃって。それから邪見様に言いつけて揃えて下さったの」
( ふ〜ん、そーゆー所はちゃんとしているみたいね、あの朴念仁でも )
並みの女以上の美貌の妖だけに、それなりの美的感覚はあるようだ。倫理感覚は一欠片もなかったが。
「でもね、このお着物だと……」
と、りんが言い募ろうとした時、小柄なりんの右の腰の辺りからひょこっと白銀の犬耳が見えた。
「へっ! あの親父の嫌がらせに決まってるだろ!!」
「…そうは言うな。確かにりんに良く似合っているではないか」
今度は左の腰の辺りからふわりと優雅に尻尾をゆらめかせ、みょーに落ち着いた声で片割れを諫める。かごめが時期を見計らっても、七宝が厳しい親族の目を掻い潜り、修行の場を抜け出してもここに戻ってくる理由。
それはりんが初めてこの子らを連れてきた夜から始まった、月に一回の歓談の宴。最初はりんと子ども等と邪見だけの訪れであったが、二月(ふたつき)ばかり前からは、村の外れで殺生丸もりん達の帰りを待つようになっていた。
りんの両脇には見た目四・五歳くらいの…、それはもう殺生丸と犬夜叉を小さくしたような二人の男の子が立っていた。双子で生まれたこの子らは、やはり殺生丸に似た子が兄で名を、天生丸。犬夜叉同様犬耳を付けたやんちゃそうな顔をしている弟の名は、夜叉丸。
殺生丸とりんの間に産まれた、半妖の双子。
「ぷっ、くくくく〜っっ!! あ〜ん、可愛すぎ!!! 犬夜叉や殺生丸が本当にちっちゃくなったみたい!」
「ちっちゃい、言うなっっ!! 待ってろよ、かごめ!! すーぐ、大きくなって見下ろしてやるからな!」
向こう意気が強いのは、夜叉丸。そんなところまで、そっくりで。
「あ〜、誰に向ってそんな口叩いてやがる!! チビはチビだろうがっっ! チビっっ!!!!!」
かごめへの憎まれ口を聞き咎めて、ぽかりと愛の鉄拳を見舞う犬夜叉。そうしていると、まるでこの二人こそが親子のよう。その犬夜叉を……
ぱっしーんっっ〜〜〜〜!!!
音もなく犬夜叉の背後に回った者が、そんな気配さえ感じさせずにたった一撃で大の男の犬夜叉を張り飛ばした。
「な、何しやがるっっ!! この……」
楓の小屋から叩き出され、地面にどうぅと音を立てて倒れこんだ犬夜叉が小屋の中を獣目で睨み付けると、それ以上の迫力を持った金の眸が睨み返す。
「殺生丸……」
あんぐりと口を開けて、二の句が継げない犬夜叉。そう、ついさっきまでは、小屋の中には居なかった筈。大抵りんが子ども達と人里に遊びに来る時は、近くまで来ても顔を合わせようとしなかった殺生丸である。つかつかと、外でまだ地べたに座り込んだままのの犬夜叉の元へと歩を進める。
表情も気配も読めない相手だけに、この常ならぬ行動の意味も判らない。いや、まさかあの殺生丸が、『子』の為にその手を挙げたなどとは…、それも『りん』の存在ゆえかと思うと、犬夜叉としては ―――
( 俺ぁ、信じねーぞっっ! そんな、殺生丸は殺生丸じゃねぇ!! )
その殺生丸の背後から、すたすたとまたどこかしたり顔で弥勒が付いて来る。奇妙な緊迫感が漂い出そうとした次の瞬間に、犬夜叉は今度は弥勒に草履で思いっ切り引っ叩かれた。
「な、何するんでぇ、弥勒!!」
「何をするとは、こちらの言い草です! 大の男が他所様の子に手を挙げるとは、同じ『父親』として許せません。よって私からも……」
はぁぁ、と今度は拳を固め息を吐きかけている。
「そうは思いませんか? 殺生丸殿」
弥勒らしく、含みを持ったその声音。ちかりと意味深な光を瞬かせて、弥勒と殺生丸の視線が絡んだように犬夜叉には感じられた。すっと殺生丸が呆気に取られたままの犬夜叉の側を、相も変わらず一言も声を掛けずに通り過ぎる。それをやはり呆けたような眸で見送る犬夜叉。犬夜叉の背後で堪え切れない、でもここであからさまに笑ってしまうと瞬殺される事もありえるので、必死で笑いを堪えている弥勒がいた。
一方、楓の小屋の中では ―――
「へぇぇぇ、あんな奴でも、一応父親は父親なんだね。我が子に手を挙げる者は許さないって……」
「珊瑚ちゃん、あんな奴なんて言っちゃ、りんちゃんに悪いわよ」
その場には、かごめと珊瑚とりんの三人。子ども達は楓に呼ばれて囲炉裏端で焼餅を食べている。一番お兄さん格の七宝が他の子を取り仕切り、あれこれ世話を焼く様は見ていても微笑ましい。
物を食べる所を見た事はない殺生丸と違い、天生丸・夜叉丸は半妖。その母がこのりんであれば、物を食することに否はない。やはりどこか犬夜叉を思わせる豪快さでお代わりをねだる夜叉丸に、これまたある意味見物かも知れない天生丸の澄ました顔で焼餅を食べるその仕草。この四人の中では一番小さな珊瑚の子に、餅を喉に詰まらせないよう七宝が付きっ切りで餅を小さく千切っては口に運んでやっている。その七宝の口には、乱暴だが時折夜叉丸が餅を丸ごと放り込んでやり……。
「ああん、いいな〜v 私も、早く子どもが欲しく成っちゃう!!」
まだ、その予定はないかごめの素直な言葉。
「ああ任せときな、かごめちゃん。その時には、あたし達が色々面倒見てやるからさ、ね? りん」
「あ、はい。りんでお手伝いできる事があれば、是非!」
にこやかな笑顔のりんを見て、和む気持ちと裏腹にかごめと珊瑚は互いの顔を見合わせた。
初めてりんが我が子を連れてきた時、その子らの姿は仔犬の姿だった。その訳は言わずとも知れる。りんを孕ませたモノが人外の者であったから。人外の者であるが故か、はたまたそう運命(さだめ)つけられたものなのか、りんは蕾のうちに手折られた。『母』になるのには幼すぎて早すぎたりんである。
かごめや珊瑚だとて、『幸せ』の形が一様ではない事は知っている。己の『幸せ』は己が決めるもの。そう言い切れるだけのものを、かごめも珊瑚も今までの時間の中で培ってきた。だからこその犬夜叉の存在であり、弥勒の存在。
だから、だからである。
りんが無心に殺生丸を慕っている事は、誰の目にも明らか。では、殺生丸は? 殺生丸はどうなのだろう。かの大妖は何を思って、りんを手折ったのか? それがこの月日の中で妹のように思うようになった、『姉』としての危惧。
いつまでも笑っていて欲しいと思うから。
「ねぇ、りんちゃん。さっき夜叉丸が何か言いかけたでしょ? 嫌がらせだとかなんだとか……」
子どもの口は正直なもの。りんがそうは思ってなくとも、傍目にはやはり非道な事があるのではないだろうか。
* * * * * * * * * * * * * *
「良いのう、子ども等の声が賑やかなのは」
好々爺と言う表現があるが、女である楓の場合は何と言おうか。村治めの巫女であったが為に、誰に嫁ぐ事もなくそれ故に子も無く、この歳まで生きてきた楓である。いわば村の子全てを我が子のように愛しんで過ごしてきた。
今、楓の目の前いる子らはそれぞれ出自の異なる子ばかり。直(じき)二歳になる弥勒と珊瑚の子を常とするならば、形(なり)は子どもでも、実際にはもうどのくらいになるのか判らぬ七宝。はたまた四・五歳位に見えるりんの子等も、実際には生まれてまだ半年にも満たぬ。
それでも、『子は宝』。
もぐもぐと口を忙しそうに動かしながら、七宝が夜叉丸に話しかける。
「…まぁ、お前等も半妖とは言え、あの殺生丸が父親だからじゃろうか? 僅か一月(ひとつき)で、ようもまぁここまで大きくなったもんじゃ」
ふん、と鼻を鳴らしながら夜叉丸が答える。
「いつまでも子どものままでいるお前と違ってな。俺にはりんを守る役目がある。いつまでも子どもでいる訳にゃいかねーんだ」
「…りんなくしては、我等はおらぬでな」
子どもらしくない口調で天生丸も言葉を繋ぐ。
「りんを守ると言っても、りんの側には殺生丸がおるじゃろう? これ以上の『護り』はなかろうに」
「だから、お前は子どもなんだ。七宝!」
「なんじゃと〜!! お前等のような赤ん坊に言われたくはないわ!」
「殺生丸は父とは言え、完璧な妖怪。それに引き換え、りんはただの人間だ。そして、俺たちは半妖。それがどういう意味か、判るか? 七宝」
一瞬、ひんやりとした空気が流れた。かごめも珊瑚も、そして楓も耳をそばだてる。
「夜叉丸、それは……」
と七宝は言いかけて、もう一人を見やった。視線の先にいた天生丸は、黙して語らず。
「……やっぱり、どこか気に入らないんだろうな。俺たちに冷たく当たるし、すぐりんを取り上げるし、取り上げたりんを虐めるし」
聞き捨てならないと、かごめや珊瑚ばかりではなく、楓の小屋に入ろうとした犬夜叉や弥勒にも殺気にも似たものが走る。
「……夜叉丸、それ以上は言うな。我等の恥ぞ」
「そうは言ってもな、天生丸! 目の前でりんを虐められて、黙ってられるか!!」
「父上には父上のお考えがあっての事。我等が口出す事では……」
がばっと夜叉丸の肩を掴み締め、血相を変えた犬夜叉が覗き込む。早くに母を亡くした犬夜叉は、不器用ながらとても母・十六夜を愛慕していた。それだけにその母と同じ立場になってしまったりんに対しても、心中穏やかならぬものがあるのは事実。
「おいっ! 何があった!! 何をされたんだっっ!!」
その眸の真剣さは、あの折幼すぎて母を守れなかった自分を繰り返したくないとの思いに満ちていた。父・闘牙は大妖怪ではあったがその生の終焉で、十六夜と産まれたばかりの自分を守ってくれた。
同じ大妖怪である殺生丸も、『りん』と出会い変わったかと思ったのに…、やはり根は冷酷非情・残虐無慈悲な人間嫌いなままなのかもしれない。
「嫌がるりんを押し倒して、自分のでかい体でちっちゃいりんを押し潰そうとするんだ、あいつは!! …りんが、苦しそうにうんうん言っているのに、そんなのお構いなしでぎゅうぎゅう押し付けやがって ――― 」
* * * * * * * * * * * * * *
――――― はあぁぁぁぁ〜? ――――――
お子ちゃま達を除いて、その場にいた者みんなの頭が一瞬、真っ白になった。って、つまり、その… 夜叉丸が言わんとしている『それ』は……。
( あ〜、そーゆー奴よね。殺生丸って! その気になっちゃえば、ギャラリーがいようがいまいがお構いなしだったわ!! )
( ふ〜、りんも大変だね。あんな奴が旦那じゃ、身が持たないんじゃないかい? )
かごめと珊瑚は二人の前で、顔を赤くして固まっているりんに同情の眼差しを向けた。
「それになっ! あいつはりんにそんな着物を着せて、俺たちから、…を取り上げたんだ!!」
「えっ…? 何? 何を取り上げたの???」
肝心の部分を聞き損って、かごめが問い返す。問われた夜叉丸も、それに澄ました顔をしている天生丸も、どこか顔を赤らめている。親子そろって顔を赤くして……。
かごめの問いかけの答えはりんの口から零れた。
「……お乳です。かごめ様。もうお乳を断っても良い頃だって仰って、この着物を下さったんです。これ、昔あたしが着ていた着物と違って胸が肌蹴難くて……」
( ……つまり、子どもの前でもヤル事やって、そのくせ自分の子どもなのに焼餅焼いてるって事!? で、他人が子どもに手を挙げると、すかさずああ言う事もする訳ね )
ギロリ、と身内である犬夜叉を思わず睨みつけてしまうのは、殺生丸とりんの関係を知ってからの条件反射のようなもの。また犬夜叉自身も、殺生丸のやっている事はかなりマズイ事だと認知しているので、肩身の狭い赤面の思いを味わっている。
「う〜ん。乳離れ、か。そうだね、確かに今のあんた達の形(なり)なら、もう乳は要らないね」
「なっ、何を言いやがる!! 俺たちは、産まれてまだ半年にも成らないんだぞ!」
「乳をねだるような赤ん坊は、そんな口は利かないよ! ここは、殺生丸の判断の方が正しいと、あたしは思うね」
流石は、経験者。きっぱりとした言葉に重みがある。
「じゃがのう、珊瑚。先月までは、まだ一誕生くらいの母親の乳を飲んでいてもおかしくないような二人じゃったぞ?」
子どもは子ども同士という事か。お兄さん役でもあり、おもちゃでもある七宝がそんな助け舟を出す。
「そうよね、私もびっくりしちゃったんだけど…。ねぇ、犬夜叉。半妖の子どもって、そんなにいきなり大きくなるものなの?」
先程までの険しさをひそめ、そうかごめは犬夜叉に声をかけた。
「あっ? いや、俺も良くは判らないけど…。俺の場合は、そう周りの子どもと変わらなかったぞ」
そうは言っても、見掛け十五歳。実年齢は二百歳を越えている犬夜叉だ。仮定で物を言えば、『周りに影響される』という事かもしれない。母が生きている間は、犬夜叉は人間の中で育った。だから、『人並み』。その後、一人で生きてゆくために半妖としては妖力の強い方でありながらも、割と早く今の姿まで成長したものと思われる。
動物などを考えてみれば判る。体の小さな、力の弱いものほど成長が早く、寿命も短い。現にこの子らの父である殺生丸を見てみれば実年齢は既に亡き闘牙王と変わらぬ年齢に達している。犬夜叉とも実に二百年の年齢差があるにも関わらず、見た目は(…精神的にも)四つしか違わない。それも、その身に蔵する妖力の大きさゆえ。
殺生丸とりんの間に産まれたこの子らは、通常の半妖とは異なっていた。半妖でありながら、その妖力は並みの妖怪どもを押しのけて、父・殺生丸に次ぐほどに。何よりも、『朔』を持たない子らである。
見た目ほどには『小さくも弱く』もない子らなのだ。ならば……?
「……いきなりでかくなった理由は、お前たち自身にあるんだろう? えっ、そうだろ!?」
「ふん、仕方ねーだろ。俺達が早く大きくならないと、りんがあいつにどんな目に合わされるか……」
「りんを守るは、我等の役目ゆえ」
真顔で、そう言い切る双子達。こうしてみると、あの親にして、この子達ありかもと。この状況を、当のりんはどう捉えているのかと窺い見れば、困惑気な中にも幸せそうな色が読み取れる。
* * * * * * * * * * * * * *
( ふ〜ん。それなりの幸せ、か。 )
ぽつりと、かごめは心の中で呟いた。何かの折に聞いた事がある。りんが殺生丸達と同道するようになる前の話。野盗に襲われ、両親・兄弟を目の前で殺されたと。声も無くし、それこそみすぼらしい捨て犬のような境遇で村人達の僅かな情けに縋って生きていた。
初めてりんと殺生丸が出会った頃、その場で何があったのかはりんも喋ろうとはしなかったが、『命を助けてもらった』りんは、そのまま殺生丸達の後について行ったのだと言う。
( ……そっか、りんちゃん。りんちゃんは無くしたものを、また手に入れたんだね。 )
亡くした両親の代わりに、今では自分が母となり、慕ってやまない妖を父に、その兄弟達をも。りんを取り巻く、大きなそして不思議な輪が見えたような気がしたかごめだった。ふっとりんと子ども達の姿に、もう一つの姿が重なる。それは……。
「あんな感じだったのかもしれないね、犬夜叉?」
「あん? あんな感じって、何がだよ?」
暖かな春の風に乗って、山桜の薄紅の花びらがひとしきり降り注ぐ。時を廻るように。
「あんたのお父さんって、殺生丸に似てるわよね。あっ、と逆ね。殺生丸がお父さんに似てるんだ」
「……だから?」
「……りんちゃんは、あんたのお母さんにはちっとも似てないけど…。でもね、あの子達、まるであんたと殺生丸の小さな頃みたい。もし、あんたのお父さんが生きていたら、こんな情景もあったかもしれないな、って」
「…………………」
どこかで薄々感じていたその感傷。あまりに有り得ない事で、そう思ってしまうと女々しいような気がして、心の片隅に追いやっていた『それ』。
「ねぇ、犬夜叉。あの子達の名前って誰がつけたんだろうね? りんちゃんかな? それとも殺生丸?」
「何…?」
「ん、夜叉丸って名前だけじゃなく、見た目もあんたに良く似ているよね。だから、さ……」
かごめと犬夜叉の会話を横で聞いていたりんが、控えめな声で答えた。
「あの子達の名前は、あたしがつけました。天生丸は殺生丸様に生き写しだったから、お名前から一字頂いて。夜叉丸は、犬夜叉さんにそっくりだったから、もうそのままに」
「……よくあいつがそんな名前、許したな」
ほんのりと微笑むりんの姿は、とても十二・三歳の少女のそれとは思えず、幼くとも『母』だと感じずにはいられない。
「殺生丸様は、何もおっしゃいませんでした。だから……」
「りん! いつまでそんな奴と話してんだよ! 外に遊びに行こう!!」
自分達の話をされるのがどこか恥ずかしく感じられたのか、天生丸はもう小屋の外に出ている。犬夜叉の頑張りのお陰で、この村は害意のないものであれば妖怪や半妖にも大らかな村。夜叉丸や天生丸にとっても、この村は居心地が良いのである。もともと七宝や弥勒達の子どもやこの村にいる蓬莱島よりの子たちと遊ぶのが目的。どれほど大人びた口を利こうが、まだまだ『子ども』なのだ。そしてりんもまだ、本来ならその範疇。
「りんちゃん、行ってらっしゃい。折角の良いお天気だし、子ども達も待ってるわ」
かごめの声に促され、りんもまた一人の少女に戻る。
「……本当に夜叉丸って、あんたにそっくり。で、その夜叉丸を叩いて、あんた殺生丸にぶっ飛ばされたんだよね? それって、どう言う事なんだろうね?」
かごめの言葉が優しく、そのくせやたらと胸に染み渡る。
「かごめ……」
鼻の奥が何故か熱い。目頭につんと来るものがある。
「ねぇ、犬夜叉?」
「お、俺が知るか! 多分、あいつの気まぐれだろうさ!!」
照れか慣れない感情ゆえか、つい声を荒げ、その場から逃走してしまう犬夜叉。確かに、この兄弟の上にも『変化』と言う時が流れたのだ。
* * * * * * * * * * * * * *
「気まぐれ、か……」
逃げ出してしまった犬夜叉の後姿を見ながら、ぽつりとかごめが呟く。
「かごめ様…?」
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき」
唐突に、かごめが歌を詠する。それを聞き、首を傾げる珊瑚と含みのある笑みを浮かべた弥勒。
「兼明親王(かねあきらしんのう)の詠まれた歌ですね。八重山吹は花を咲かせても、実はならぬ。山中の家に雨具を貸してくれるよう頼んだ武将の手に持たせた山吹の枝の逸話ですか? かごめ様」
「さすがは、弥勒様。博識ね。実を付けない山吹と雨具の蓑をかけた遣り取りなんだけど、りんちゃんの着ていた着物の柄がね…」
「あっ、八重山吹!」
「あの柄を選ばれたのが殺生丸殿なのか、邪見なのかは判りませんが、この歌を知っててそれならば、その真意の程は何なのでしょう?」
「真意もへったくれもないわよ!! あんなに可愛い子ども達がいるのに『実(子)』もない、なんて冗談でも言わせないわよ!」
「かごめちゃん…?」
かごめの鼻息は荒い。何にしろ、どうにも考えの読めぬ相手だけに、またそんな相手についているりんが純朴なだけに。
「はっきりさせたいのよ、私。殺生丸がりんちゃんや子ども達の事をどう思っているのかって事を!」
今のりんが幸せだからこそ、いつまでもそのままでと思いたいかごめ。『妖』と『人間』でも、幸せになれると言うお手本のように。だけど……。
良く取れば、自分が犬夜叉に言った事。悪く取れば、それは夜叉丸の言葉と重なる。
相手は、戦国一の大妖怪。
人間嫌いの、二つ名を『戦慄の貴公子』と呼ばれた者。
『りん』が特別だとしても、その子らは?
半妖である犬夜叉を、あれ程までに忌み嫌っていたのだから……。
「……かごめ様の考え過ぎかも知れませぬよ? あの柄はりんに良く似合った、と言う事だけかもしれませんし」
「判っているわ、弥勒様。私も自分の考え過ぎかも知れないって。でもね、一度で良いのよ。私がそれを聞いて、安心したいの。りんちゃんを任せても大丈夫だって」
「かごめちゃん……」
「…だってねりんちゃん、月に一度、ここに来る以外は殺生丸や邪見、あの子ども達の他、誰とも逢わずに過ごすのよ? 女の子で人間で、誰にも言えない胸に溜まるものもあるんじゃないかと思うと……」
かごめの胸にあるのはそれぞれ少しずつ立場の違う、でも良く似た『場所』に居る、犬夜叉の母である十六夜やりんや自分。りんの姿を鏡に、自分や十六夜の姿を映している。
「うん、確かに。あいつの気まぐれなんかでりんを扱われたんじゃ、ちょっと許せないものがあるね。かごめちゃんがはっきりさせたい気持ちも良く判るよ」
「珊瑚ちゃん…」
「大抵さ…、この人ならって思って、そいつの子どもまで産んでも、何かあって泣きを見るのは女の方だからね」
ちろっ、目の端で弥勒を見る。今の弥勒は自他共に認める愛妻家だが、女好きなのは変わりは無く、珊瑚の目が厳しいからこそそちらの方はとんとご無沙汰。でもかつて浮名を流していた時代、そういう修羅場に遭遇しなかったのはひとえに神仏の加護かもしれない。
「丁度良いわ! 私、ちょっとあいつに聞いてくる!!」
「あっ、かごめちゃん! あたしも一緒に行くよっっ!」
バタバタと、楓の小屋を出てゆくかごめと珊瑚。それを見送りながら大きく溜息をつく弥勒。そっと、心の中に言葉を落とす。
( …子を持つ男には『父親』の顔と、『男』でしかない顔と二つあるものですよ。それはかごめ様や珊瑚、貴女方女性(にょしょう)にもあるのではないのですか? )
花の嵐。
もう一荒れあるかな、と弥勒は空を見上げた。
* * * * * * * * * * * * * *
楓の村の村はずれ。ここを境と、一際大きな山桜の古木。その根方には降りしきる桜花の艶やかさと妍を競うかのように、白銀の人で無いもの。
「殺生丸様。ワシがりん達を連れて帰りますので、お休みになられるのでしたら、こんな人間臭い場所でない方が宜しいのでは?」
そう主人を思い、声を掛ける邪見。邪見に取ってはこの場所は鬼門の地。見つかれば、主人の子等を筆頭に七宝や妖怪退治屋の血を引く幼児や、その他の半妖・村の子お構いなしの、良いおもちゃ。その手加減のなさにすっかり恐れをなし、今では村の境目までしか足を運ばない。
日がな一日、阿吽の番をして夕暮れまでを過ごすのが常になりつつあった。そんな邪見の言葉を聞いていたのか、聞いてなかったのか。
「邪見……」
「はい、殺生丸様」
「塒(ねぐら)を探しておけ。今より、北で」
「塒? 場所をお移りになられるので?」
「……………………」
邪見の問いに、答えは無く。これもまた、いつもの事と邪見は阿吽を借り受け、北の空へと消えて行く。昼下がりの柔らかな陽光の下、汐の声のような葉鳴りを耳に殺生丸は眸を閉じた。意識は風に乗せ、姿は光に溶け辺りの景色と一体化してゆく。
風の中に感じる、傍らにあるべき者の芳しき匂い。耳を擽る、かつてはそうであったかもしれぬ幼き声音。それらのものが眸を閉じた殺生丸の身の上に積もる薄紅の花弁のように、殺生丸の心に積もる。
白銀の長き睫に止まった一枚の花弁。その微かな重さに眸を開く。その振動でその花弁はひらりと手の内に落ちた。
「……お前はこの花が事の外、好きだからな」
この村の桜はもう盛りを過ぎ、吹雪のように舞い散るばかり。
――― 留め置けぬ、『時』と同じく。
「花追い人、か。酔狂だな」
またひとひら、剣を握る右手に止まる薄紅。空虚な左の袂には、桜の花びらが吹き溜まる。全てをなくし、なくす為に生きてきた今までの永き時。なくしたものの数などもう覚えてはおらぬ。犬夜叉に切り落とされた左腕さえ、忘却の彼方。
だがなくして得るものもあるという事を、今実感する。
それは奇妙で、不快さに近い落ち着きのなさを伴い…。それ故に、こんな人間の村の境などで足を止めている。風に陽光(ひかり)にそれを感じ、また満たされて。
孤高に輝く夜の月。
今は花と陽光に満たされてしばし午睡(まどろむ)。
天上の楽の音のように、遠く幼子たちの声を聞きながら。
花 満ちる 月の 空の下 ――――
妖が浮かべた笑みを、誰も知らない。
【終】
2006.4.13
【 管理人あいさつ 】
サイト開設3周年記念作品ですv 記念日より10日以上遅れてのUP^^; この話もシリーズ化してきましたが、こういう殺一行&犬一行の交流を絡めた話、好きです♪ 4月の拍手SSはこの話のエピローグ部分になりますv →読んでみる?
今回は殺りん色よりも犬兄弟・姉妹色の方が強くなりました。それと、仔犬ちゃんたちも 色々がんばっていますv
書いていてこの話は楽しかっただけじゃなく、なんだかとっても気持ち良く書けました。
では、これからもヨロシクお願いいたします。
『花紋茶寮』 管理人 杜 瑞生 拝。
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