【 柘榴 −ざくろ− 】
肌に当る日差しが少し柔らかくなり、山の中で朝晩は寒さを感じるようにもなってきた。空の青が澄んできて、かかる雲も薄くなる。
あれから ――――
りんが一人で留守番をする事はなくなった。季節が変わった事もあるだろうけど、俺の言葉が殺生丸様に何らかの影響を与えたのかもしれない。いや、やっぱり一番の原因は……。
( 野の花を摘んで、りんにやろうとした事かな? 俺、言っておきますが年上が好みなんです。りんは本当に妹みたいなもんですからね、殺生丸様! )
言葉に出されることもなく、表情を変える事もない。それでももし、俺のそんな行動を面白くないと思われているなら、それは『嫉妬』と呼んでも良い感情なのだろうか?
それは妖怪としての感情なのか人間慣れしない故の食い違う感情なのか、山の中を歩きながら俺はそう胸の中で考えていた。
「あっ、あの赤い実! あれ、食べられるのかな?」
阿吽の背中に揺られていたりんが、何かの実を見つけ指差した。その実は丸い形をしており、厚い果皮の裂け目から赤い実が木々の間を抜けて差し込んだ陽の光にきらりと光って見えた。
「へぇ珍しいな、柘榴の実だ。この辺りは、土が肥えてるんだ」
俺は退治屋の里に何本かあった柘榴の木を思い出してそう言った。
「知ってるの? 琥珀」
「あああれは柘榴って言って、勿論食べられる。皮は干して煎じて飲むと下痢止めや虫下しになるしね」
「りんの村にはなかったな、あんまり作物が実る村じゃなかったし……」
「俺も昔、母上が召し上がっていたのを少し分けてもらった事がある。種が多くてちょっと食べにくい実だけど、甘酸っぱくて美味しいよ。うん、それに柘榴の実は女の人を綺麗にするって言ってたな」
「うわぁぁ、りん、食べてみたい!!」
りんの歓声に、俺は思わずその柘榴の実に手を伸ばした。と、同時にその手に突き刺さる冷たい視線。あわてて俺はその手を引っ込めた。その間合いを見計らい、殺生丸様が柘榴の実を取りりんに投げ与える。
「ありがとう! 殺生丸様!!」
惜しみない笑顔に投げ与えられる実の数が増えてゆく。
「わっととと、殺生丸様、もう両手にいっぱいだよ、持ち切れないよ」
更に投げようとしていた手の中の一つを珍しく御自分の袂にしまうのを、俺はちょっと不思議な思いで見ていた。りんは自分の手の中の柘榴の実を見ている。
「本当にきれいな実だねぇ。食べてもいいのかな?」
「いいさ、ほらりん。他の分は俺が持っててやるから一つ食べてごらん」
殺生丸様はもう既に歩き出されており、その後を邪見様がちょこまかと付いて行き、その場に残っている俺たちに振り返り何か叫んでいる。
「何をしておる! そのまま置いて行くぞ!!」
聞こえてきたのはいつもの小言。
「怒られちゃった」
「うん、阿吽の上で食べれば良いよ。俺が手綱を取ってやるから」
本当なら同乗してりんの体を支えてやった方がりんも食べやすいだろうなとは思ったけど、そんな命知らずな事をするほど俺も子どもじゃない。
「食べにくいかもしれないけど、半分に割ってそのままかぶりついたらいいよ」
俺の言葉どおりりんは手にした柘榴を半分に割り、片割れを着物の懐にしまうと残りの半分を口元に持っていった。片手で柘榴の実を持ち、もう片手で阿吽のたてがみを握り締める。俺は急ぎ足で先に行かれた殺生丸様の後を追った。
「ん〜、すっぱい! でも、さっぱりしててちょっと甘くて美味しいね」
「良かったね。そう言えば母上はまだ何か仰っていたな……」
「ふ〜ん、なんて?」
「いや、あんまり俺には関係ない事だったみたいで、良く思い出せないや」
俺がそう言っている間にもりんは柘榴の実を食べ続け、あっという間に半分を食べてしまった。
「この皮、薬になるんだっけ?」
「ああ、後でこの前の『現の証拠』と同じように俺が干しておいてやるよ」
「うん!」
そんな会話を続けていた俺たちは、また邪見様に怒鳴られた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
夜営の焚き火に照らされて、りんが阿吽のお腹を枕にぐっすりと寝入っている。
りんの周りにはここに着いてからまた食べた柘榴の種がいっぱい落ちている。いっぺんに食べてしまうのは勿体無いと、食べかけの半分と俺が預かったうちの一個だけを食べて、今は残りの実を両手の中に抱え込んで、幸せそうな笑顔を浮かべて眠っている。
「お〜お、嬉しそうに笑いおって! 食い意地の張ったりんの事じゃから、夢の中でもたらふく食っておるんじゃろうな」
「邪見様、りんが嬉しいのは殺生丸様から頂いた実だからですよ」
「どうじゃろか? こやつは食い物なら何でも嬉しいんじゃなかろうか」
ああ邪見様もやっぱり判ってないなぁと、俺は苦笑する。
ふと視線を巡らすと、殺生丸様はいつものように俺らとは少し離れた大きな古樹の根元に座ってらっしゃる。
そして ――――
袂から柘榴の実を取り出し一口だけ口にされると不機嫌そうな表情を浮かべ、そのまま夜の藪の中に投げ込まれてしまった。俺は以前りんから、殺生丸様は人間の食べ物は口になさらないと聞いていたので、その光景はあまりにありえない事のように思えて……。
( あっ! 思い出した!! あの時、母上が言っていた言葉の続きを ―――― )
……柘榴の実の味は、人肉の味。
昔、人の子を攫っては喰らっていた鬼の母子。
ある時お釈迦様が母鬼の子を皆隠してしまい、子を探し半狂乱になった母鬼に、「人も鬼もわが子を思う気持ちに変わりなし。お前たちに食われた子の親達の嘆きはいかばかりか」と教え諭し、代わりに与えたのが柘榴の実。
故に柘榴の実は、人肉の味と。
幼かった俺にはその話が恐くて、だから忘れようとしたんだろう。
その後の母上の言葉まで。
( 悔い改めたその鬼神は、今では子ども達の守りの神。柘榴はその種の多さから、子宝を授かりたいと願う女人達の願いの象徴。確かにそう言う薬効もあるようだけどね )
改めて苦々しげな表情を浮かべた殺生丸様と、幸せそうな寝顔のりんを見比べる。
今の殺生丸様は、闘う守護神。
この話を殺生丸様はご存知だったのだろうか?
知っていて、りんに柘榴の実を与えたのだろうか?
りんに女人らしくなって欲しくて……。
そしてご自分は、人の肉を食む忌まわしさを思われたのだろうか?
人の子を喰らう。
人の子の肉を食む。
それはもしかして、今のりんを殺生丸様が『望む』事と同じ意味なのかもしれない ――――
【終】
2007.8.30
= あとがき =
花言葉:円熟の美。子孫の守護 果実の花言葉は、おろかしさ
久しぶりでちょっとダーク系なSSになりました^_^;
お題から話を起こすもので、この柘榴の実には他にも有名な所ではギリシャ神話の冥界の王、ハーデスに攫われた女神の娘の話があります。冥界の食べ物である柘榴を四粒食べたせいで、あとで連れ戻しに来た女神のもとをその実の数だけ離れて冥界で暮らさなければならなくなったという話。
柘榴と冥界、私の中でシンクロした結果ですね。
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