【 藤袴 −ためらい− 】


 歩く野山は赤や黄色の色に染まり、足元は金の稲穂と銀の薄が風に揺れる。

 夏のような艶やかな花の色はないけれど、白や薄紫の冷ややかな色合いの花がそれらの色に混じってひっそりと咲いている。危なげない人里近くに俺達がいるのは、ここでの留守番を言いつけられたから。
 俺にその気がない事をどうにか信用してもらえたらしく、りんの護衛として俺もここに残る事に。本当はそんな必要もない事に、俺は気付いていたけれど。時折何も無い空間が、傾き始めた陽の光を受けてきらりと紫金に煌く。

 金の稲穂の縁を、赤い彼岸花が縁取る。
 久しぶりに目にした人里を眼下に見下ろし、りんが懐かしそうな顔をした。

「りん?」
「あ、うん。あの赤い花は彼岸花だよね。まだおっ母が生きてた頃は、あの花を持って墓参りに行ったよ」
「そうか、りんも二親亡くしてたんだな」

 何も言わずりんは俺の顔を見て、それから少し笑って見せた。

「どうしようもない事だから…、時々思い出してしまうけど。だけど、今はあの頃よりずっとマシだもん!」

 思い切るように元気な声でそう言い、しっかりと笑顔を見せる。
 こんな時、俺はりんの強さを思う。

 りんの強さは、『出遭う事』で生まれた強さ。
 りんが一人でいた時には、りん自身それに気付いていなかったのだろう。初めてあった時に聞いた話では、村の厄介者として孤独に暮らしていた頃はこんな風に話す事も出来なかったと言っていた。そしてこの強さは、周りの者にも伝わってゆく強さ。

 戦国一と謳われる殺生丸様でさえ、さらに強くした『りんの存在』。
 俺もその影響を受けている。つかの間でも、こうして心を和ぎさせる事ができるのはそのお陰。

「殺生丸様達、そろそろお戻りになるかなぁ」
「そうだね、夜までにはお帰りになると思うよ」

 お天道様が西に寄り、影が銀色のすすきの穂に長く伸びる。風がもう少し強く吹いて、そのすすきの原を分けていった。

「あっ!」
「どうしたの、りん?」
「うん今ね、物凄く美味しそうな匂いがしたの。ずっと前に邪見様にもらった薄桃色の塩漬けの葉っぱに包まれた、あのお餅と良く似た匂い」

 俺は軽く首を傾げる。ここはそんなものなどありはしない、落ちてはいないだろうすすきの原。路傍のお地蔵様でもあれば、誰かがお供えした供物の匂いかもしれないと思うけど……。
 俺がそんな事を思っている間にも、りんは鼻をくんくんさせてすすきの株の間を探している。

「りん、葉に気をつけて。手や足に傷がつく」
「そんな傷くらいへっちゃら。ずっと野山を旅してるんだよ? 擦り傷や切り傷の一つや二つくらいあっても当たり前だよ」

 よほどその匂いに惹かれたのか、りんには俺の言葉など右から左へ。

( ……いや、そりゃりんは平気だろうけど。側にいる者が後から大変なんだ。そう、後からがね ―――― )

 止めても無駄だと、俺はりんのしたいようにさせる。これもりんの言葉だけど、「自分の食い物は自分で探せ」と殺生丸様に言われてるんだと言われれば、それを止めるなんて出来る訳もない。どこか放任しているくせに、その放任のツケでりんに何かあればとばっちりは周りの者が蒙る。

「あ〜、え〜、これの匂いなんだぁー」

 がんばってすすきの株を藪かきして見つけたものに、落胆の声を上げる。
 そこにはすすきの株に隠れて群生していた白紫の花。小花が茎の上の方に集まって咲いている。言われて見れば少し桜の葉に似た甘いような香りもするけど、俺には食べ物の匂いには感じられない。

「そりゃそうだよ、りん。こんな所にそんな食べ物が落ちてる訳ないよ」
「あ〜ん、お腹すいた〜。柿の実でも探しに行こうかな? それとも銀杏でも」
「わわわっ、りん!! 柿は良いが銀杏は止めとけ! 銀杏はっっ!! あれは殺生丸様が好まぬ臭いじゃっっ!」

 そう叫んだりんの声に重なるように、いつの間にか戻られた邪見様の声。その背後には阿吽だけ。

「邪見様、いつお戻りに? 殺生丸様はどちらですか?」

 主の帰還に迎えに出ぬようでは従者失格。俺はきょろきょろと辺りを見回した。

「あ〜、いや殺生丸様は次の塒の下見に出ておれらる。ワシは用意の出来た今宵の塒にお前たちを連れてゆけとのお言い付けでな」
「そんな、塒探しなど俺がやります! わざわざ殺生丸様が下見などと……」

 慌てて俺はそう言った。そんな仕事は俺やせめて邪見様の仕事。主たる殺生丸様自らが動かれるなんてあってはならぬ事。

「ああ、ワシもそう申し上げたんじゃ。じゃが、四魂の欠片絡みで奈落に目を着けられているお前を一人で下見に出すなど、愚の骨頂と言われての。より正確にまた迅速に塒に相応しい場所を選ぶのであれば、ご自分が出るほうが早いと申されてな」
「でも、今までならその日の夕刻までについた場所で、野営なさっていたのに……」
「今まではな。ワシやお前だけなら、こんな事はなさらぬわ!」

 そう言いながら、りんへ視線を向ける。

「……これからは野山は冷えてくる。毎日塒を変える事もそうそう出来なくなるだろう。りんが数日の間、なんの障りも無く過ごせる場所を選ばなならんでな」
「なるほど。あの殺生丸様が……」

 本当の強さと優しさは、相反する事はないと俺は知った。優しさのない強さや、優しい事を理由に切開かねばならない闘いから逃げるのは、どれも本物じゃない。

「邪見様、りんのせい?」
「いや、誰かの為にご自分の意思を曲げて動かれるお方ではない。殺生丸様がそうなさりたいのだ」

 ふと、りんの背後の白紫の花の群生に邪見様は目を留めた。

「ほう、雅な花じゃ。この花はその香りの良さから、人間の貴族の女どもが湯に浮かべ楽しむ花。これから行く場所は、丁度出湯の側じゃ。その花を手折って行こう。りん、お前は姫には程遠いが気分だけは楽しめるぞ?」

 邪見様も、と俺は思う。いつもりんの事を口うるさくあれこれ言ってるけど、本当はりんの事が可愛いんだなって。

「ねー、邪見様。この花の匂いって、いつか邪見様がりんにくれたあのお餅に似た匂いだよね?」
「餅?」
「うん、ほら! 葉っぱに包まれた薄紅色の」
「さくら餅か!? ったく、りんにかかっては雅やかさも食い気に負けるのぅ」

 あきれたような邪見様の声。あまり遅くなってはまずいと急かされて、俺たちは阿吽の背に乗り山間の実り豊かな出湯の側に移動する。秋の実りが鮮やかな色合いで俺たちを迎えてくれた。柿や栗やあけびに山葡萄。きのこの類も山ほどあり、その傍らに山鳥が何羽か置かれていた。

「うわ〜、ごちそうだ!! ねぇねぇ、この山鳥は焼くの? りんも手伝うよ!」

 嬉しそうなりんの笑顔が一番のご馳走で、もうそれだけで俺たちの胸は温かくなる。

「りん、お前はあまり暗くなる前に湯に入ってさっぱりしてこい。ここにはしばらく滞在なさるそうだ」

 邪見様が火を熾しながら、そうりんに言い付けた。
 ここにもすでに殺生丸様がご自分の結界を施してある。俺たちの他、害を成すものは近づけない。

「うん。じゃりん、ちょっと行ってくるね」

 邪見様に言われた事をやって見る気になったのか、両手にいっぱいのあの花を抱えて。


  * * * * * * * * * * * * * * * 


 殺生丸様がお帰りになられたのは、りんが出湯から戻り豪勢な夕餉をたらふく食った後だった。

「お帰りなさい、殺生丸様!!」

 夜目にはっきり判る、りんの笑顔。ここに着いて、たくさんの食糧を見つけた時よりも嬉しそうに。りんが殺生丸様を心底慕っているのは、誰の眼にも明らか。ただそれが、どう言う種類のものかは定かではない。また何ごとにも無関心・執着されなかったらしい殺生丸様が、なぜりんにだけ常ならぬお顔を見せるのか、それがどんなお気持ちなのかは俺には判らない。

 もしかしたら……、と思わぬではないけれど、でも出来ればこのままの二人を見ているほうが俺は好きだ。今のままで、恋とか愛とか関係なく。

「……出湯に浸かったのか。花の香りがする」
「あ、うん。邪見様がね、貴族の姫様が好むと言ってこの花を湯に入れてみろって。りん、美味しそうな匂いがする?」

 りんが無邪気に、残った花を殺生丸様に差し出しながらそう言った。言い間違えた言葉は、取りようによってはヤバいような気がするのは俺だけだろうか? いやいや、それよりも殺生丸様は犬妖だけに匂いの好みにうるさいお方。この花の香りがお気に障らぬなら良いのだが。

「ああ、そうだな」

 いつもと同じような、感情の見えぬお声。少なくとも気に障る事はなかったのだなと、ちょっとほっとする。だけど、ふと見た殺生丸様の眸に一瞬浮かんだあの光は何だろう? 何か激しいものが瞬いたような、そんな光。

 りんは殺生丸様が戻られた事で安心したのか、湯に浸かり腹いっぱい食べたのも手伝って、すでにとろとろと眠りの国へ入りかけている。俺は急いで枯れ草を火の側に集め、その上に大き目の麻布を広げてりんの寝床をこしらえてやる。りんはにっこり微笑むとそのまま夢の国。
 その様子を見届けられてから、殺生丸様は少し離れた大木の根方に落ち着かれた。俺と邪見様は焚き火を挟んでりんと向かい合わせ。今夜の火の番は邪見様、俺も久しぶりにゆっくり眠れそうな気がした。

 それからどのくらい経ったのか、くしゅんと言う小さなくしゃみの音で俺は半分目が覚めた。肌に当たる焚き火の熱さもあまり感じられなくて、薄目で俺の横を見てみると、火の番をしているはずの邪見様はいびきをかいて爆睡中。りんを湯冷めさせたら風邪をひくかなと思い、邪見様のかわりに火を熾し直そうかと思った時、夜気が動いた。
 薄目で見ていた邪見様から視線をそっとりんの方へ向けてみる。

 りんの背後に、中腰の姿勢で佇む殺生丸様。消えかけた焚き火の火影でもはっきりと判る金の眸の強い視線。その視線がりんの上で ――――


 りんの上に伸ばされた手が、ためらい戸惑って見えたのはきっと俺の気のせい。


 数多の敵を、なんの躊躇なく一閃のもとに切り捨ててきた殺生丸様。迷うなど、戸惑うなどあるはずもない。伸ばされた手がりんに触れ、抱き上げるとその場でご自分の妖毛に包まれた。その間、りんはなされるがままで。
 りんは決して鈍い子ではない。例え寝入っていても、その身に触れられ抱かかえられて身動ぎしない事などありえない。それだけに、自分に触れている相手を心の底から受け入れていた。  その証拠にりんの寝顔に、あの笑みが浮かぶ。


 殺生丸様は花の残り香に惹かれたのか、それともりんの匂いに魅かれたのか、腕の中のりんの黒髪に顔を埋めた。すっかり焚き火は消え、辺りは真っ暗闇。りんの黒髪越しに殺生丸様の金の眸の色だけが強く光る。その光は俺を射抜き、俺は寝返りを打つ振りをして二人に背中を向けた。



 この情景は、俺なんかが見てはならぬもの。
 今 この時は、二人の為の ――――



 ……いつか、俺はこの日の事を思い出すのだろう。


 ちっぽけな、何の力もない人間の娘であるりんが、この世で一番怖ろしく強大な妖をためらい戸惑わせたのだと。
 何かが生まれ、育まれてゆく、その道程を俺は見てたのだと。


 【奇跡】と言う名の、何かを ――――




【終】
2007.10.4


藤袴の花言葉 = あの日のことを思い出す・ためらい・躊躇・遅延



= あとがき =

この季節の殺りん的イメージの花は彼岸花なのですが、今年は趣を変えて「藤袴」を使ってみました。まぁ、その理由も彼岸花ではもう幾つかSSを書いていると言う事もあり、この花で書くSSの方向が固定されている感じもあるので^_^;
万葉の頃から、妻を恋いうる花なのでとてもらしいのですが、ね(汗)
藤袴の方もかなり古くから朝廷に仕える女官たちに愛用されてきました。今風に言うと、入浴剤なんですけどね〜v シャンプー効果もあったようです、っていうか「香り」を楽しむのがメインですね。もう一つの効用は「虫除け」なんですが、このSSの場合は逆に引き寄せてしまったかもしれません♪





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