【 この白い花のように −梅鉢草− 】


 暦ではそろそろ秋の声を聞く頃だとしても、暑さは今が盛り。
 日盛りを長い時間移動するのは、自分はまだ良いとしてただの人間であるりんには、かなり体に堪える。それに気付いていらっしゃるのか、殺生丸様は最近良くりんを一人残し留守番をさせる。

 勿論そのまま本当に一人でと言う訳ではなく、殺生丸様が安全だと見極められた場所にご自分の妖力で強い結界を張られ、その中にりんを入れての事。
 未だ俺たちは、あの奈落の後を追っている。本来なら殺生丸様と奈落との間に、里の者を殺された俺や姉上、一度ばかりか二度までもその手に掛かり命を落とした桔梗様や、その因縁から奈落討つべしと追う犬夜叉やかごめ様ほどの繋がりなどなかった。奈落が干渉して来なければ殺生丸様もなんら関心を払わなかったものを。
 度重なる干渉と、いつしか変わられた殺生丸様の内面からの声に応じる為に、殺生丸様は殺生丸様で奈落を追う事を旅の目的の一つと定められたのだ。

だけどそれは、とても危険な事。

 本当ならりんの様なただの小さな娘が、四魂の力で生きながらえているような俺や、強大な妖力をお持ちの殺生丸様や長年その殺生丸様に仕えてきた邪見様と一緒に、旅を続ける事の方が無茶なんだと思っていた。

「いってらっしゃいませ、殺生丸様! 琥珀も気をつけてね」

 そのりんはすっかり一人で留守番をする事にも慣れたのか、殺生丸様の選ばれた場所からにこにこと笑いかけ元気に手を振っている。夏の暑さを避ける為、殺生丸様の選ばれた場所は山間の日当たりの良い沼沢地。少し行けば冷たく清い泉もあり、木陰を渡る風も清々しい。明るい日差しの中には夏を彩る花々が咲き誇っている。花が好きなりんには、うってつけな場所。

「良いか、りん。ワシはお前の塒と食い物を探さねばならんから、殺生丸様が琥珀ごときを供にせねばならん。ワシらが戻るまでここより遠くに行くではないぞ!!」
「うん! 分かってるよ、邪見様。りん、ここで大人しく待ってるから」

 阿吽を借り受け、空をゆく邪見様。
 俺は殺生丸様と共に妖雲に乗ると、その場を後にした。
 空の上から見ると、りんの姿が芥子粒のように小さく見える。りんは俺たちの視界から消えるまで、いつまでも手を振り続けていた。

「殺生丸様……」
「………………」

 俺はその姿に何とも言えないものを感じて、恐る恐る殺生丸様に声をかけた。

「あの…、俺なんかの言う事じゃないのですが、りんはどこか安全な場所に預けた方が為ではないのでしょうか?」
「安全な場所?」
「はい。安全な場所と言うか…、りんを一人で待たさなくても済むような場所と言うか、その……」
「……山の中で一人は、りんが哀れか?」
「あの年頃の子が、遊ぶ相手も話す相手もなく一人なのは心細いかと」
「だから、りんを人の中へ返せと…?」
「いえっ!! そうではありません!」

 ゆらりと殺生丸様の気配が冷たいものに変わるのを感じた。
 俺だって殺生丸様がりんの事を大事に思っている事は知っている。冥界の底での事は、今でもはっきりとこの胸に焼き付いている。
 そこまで大事に思うのであれば今だけでもりんの身柄を安全な所へ…、そう、あのご母堂様の所へ預ける事は出来ないのだろうかと思ったのだ。

「……琥珀、お前はりんを知らぬ」
「殺生丸様……」

 殺生丸様は空高く渡って行く雲を地上に降ろし、俺に言った。

「ならば今日の供はいらぬ。ここより、りんの元に戻るが良い」
「あっ、殺生丸様!!」

 言い置くが早いか殺生丸様は、雲を消し去りご自身は眩しい太陽の残光のように俺の眼に光の痕だけ残して疾く翔け去ってしまった。こうなってしまうと、もう俺に殺生丸様の後を追う術はない。俺は殺生丸様に言われたとおり、りんの所に戻る事にした。


 しばらく山の中を駈け、りんを置いてきた山間の沼沢地の近くまで戻って来る。
 ふと、りんが一人でいる時はどんな風に過ごしているのだろうかと気になり、気付かれぬよう様子を伺う事にした。

 そう、りんは一人でいるからと寂しいなんて言ったことは無い。俺たちが夕暮れにりんのもとに戻れば、それは賑やかに小鳥が囀るように俺たちが留守にしていた間の、なんでもない事を楽しそうに話して聞かせる。りんが聞いて欲しいのは殺生丸様にだろう。そしてそれを聞いているのは俺だけだとしても。

 りん自身、気付いていない寂しさがあるのかもしれないと ――――

 木の陰に隠れながら、りんの姿を探す。りんは少し湿った柔らかな土の上、夏の日差しを浴びながら草むらの中にいた。辺りにはすらりと伸びた姿の良い白い花が無数に咲いている。草丈はそう高くは無いが、葉の数が少ないので、花の形が良く見える。五弁の星のような形の花。ふっくら膨らんだ花芯は、見ようによっては春先の梅のようにも見える。ただただその白い花の中で、笑みを浮かべてりんは佇んでいた。

 花に手をのばし、花芯を覗き込んでは思い出したように空を見上げる。花に戯れる蝶の舞をあどけなさの残る瞳で追いかけ見失うと、また自分もその蝶になったように別の場所へと走ってゆく。それは自然の風景にとけ込むように。

( りん…… )

 人の姿をしているのに、その在りようはもう『ひと』ではないような気がした。例えて言えば、蝶のような野の花のような、何かの精霊。もっと良く見ていると、りんが動くたびに何か光の粒のようなものが辺りできらきらする。殺生丸様の張った結界自体が、りんの動きを追って光の風のような小波のような波動を発する。
 りんはそれを見つけては、嬉しそうに笑っている。

 俺は意を決して、木の陰から出るとりんに声をかけた。

「りん」
「あっ、琥珀! どうしたの? さっき出かけたばかりなのに、今日は殺生丸様はお出かけを止めたの?」
「いや…、今日は俺も留守番を言いつけられたんだ」
「ふ〜ん、そうなんだ」

 聞くまでも無い事だと気付いてはいたが、自分自身のけじめのつもりでりんに何気に問いかける。

「りんはいつも一人で留守番してるけど、寂しくは無いのか?」
「寂しい…? う〜ん、そうだなぁ…、最初の頃は寂しかったかな。そのまま置いてゆかれそうで、それが怖くてどこまでも連れて行ってもらいたかったよ」
「じゃ、今はもう寂しくないんだ?」
「そうだね、なんでだろう? りんも良く判らないんだけど、りんがどう思おうとお側に居られるなら居られる、そうじゃない時はそうじゃない。殺生丸様のなさる事に、りんなんかがどうこう思うことの方が畏れ多いって気が付いたからかなぁ」
「りんはそれで良いんだ」

 返って来る答えは、もう分かっていたけれど。

「うん! りん、信じてるから!!」

 にこにこと笑うりん。りんの周りで光が大きく揺らめく。
 この絶対の信頼ゆえに始まった殺生丸様とりんの絆。
 りんの事だ。もし殺生丸様がここでずっと待っていろと言えば、それが例え五年十年でもりんは待ち続けるのだろう。恨む事も無く不安になる事もなく、先ほどの光景のように花に戯れ蝶に身を映し、この自然の中で。

 いつかりんの体が自然に還っても、りんの魂はにこにこと光の中に溶け殺生丸様の事を想い続けてなくなる事はなく、殺生丸様のもとに在り続ける ――――


( そしてその事を、殺生丸様もご存知なんだ。殺生丸様とりんは、どれほど離れていようといつも一つなんだな )


 妖と人では交わる時は短くて、いつか独りになる時が来る。
 相手が大事で好きでなくしたくないと思えば思うほど、それはまたどれほど心を責める事か。

 それをこの二人は、乗り越えたんだな ――――

( ああ、だからこそ共に在ることの出来る『時』を惜しんでおられるのか。何よりもりんが、自分の身の安全の為とは言え殺生丸様のもとを離れる事を望まないだろうから、殺生丸様も良しとはなさらない )

 離れていても繋がる心と想い。
 矛盾する、いつまでも側にあり続けたいと思う気持ち。
 何が一番良いのか答えのない問い掛けの、これが二人の出した答え。

「りんは今が一番幸せなんだね」
「うん! りん、すっごく幸せだよ」

 りんよりも人の世の理を知っている自分から見れば、なんと不憫で不遇な日々かと思えるのだが、そんな想いなどりんの健気で変わる事の無い笑顔の前では不問になる。
 俺は足元の白い花を何本か手折り、りんに差し出す。

「りんはこの白い花のようだな」
「りんが?」
「ああ、名前も知らない花だけど真っ直ぐに頭を上げて、精一杯きれいに咲いて見ている者を惹き付ける。豪華でも美麗でもないけど、本当にきれいでけなげな感じがりんにそっくりだ」

 こんな暮らしをしているせいもあるだろうし、あの殺生丸様がりんにそれらしい言葉をかけるとも思えない。初めて自分にかけられた言葉に、りんの幼い女心にも何か感じるものがあったらしい。ほんのり頬を染め、照れたように小さく笑う。

「へへ、りんそんな事初めて言われたよ。なんだか照れくさいね、あっ!!」

 りんが大きな声をあげると、ぱっと俺の横をすり抜け駆け出した。そのはずみに俺は手にした白い花を下に取り落とした。

「りん…?」
「お帰りなさい、殺生丸様!!」

 いつもより随分と早い帰還の殺生丸様の姿を認めて、嬉しそうに駆け寄るりんの後姿。
 そのりんの頭越しに俺を見る金の眸、冷たい視線。


 無言の圧力。


 俺はもう二度と、りんに花を摘んではやらない方が良いのだろうなと、全身に突き刺さるような視線を感じながらそう思っていた。


【終】
2007.8.1



= あとがき =

花言葉:いじらしい、不滅 

お題を絡める関係でちょっと不自然な所がありますが、今の私の筆力ではこんなところです。久しぶりにシリアスモードになっていたので、最後だけ少しコミカル要素を入れました。
我が家の琥珀君はりんちゃとラブモードになるような要素の無い子です。むしろ、二人を応援するような立場ですが、りんちゃんに対して兄的立場&ある程度人としての社会性もあるので、この二人の関係が「あってはならないもの」と言う認識もある、ってことで^_^;



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