【 現の証拠 −げんのしょうこ− 】


 梅雨の長雨もあと少し。
 二・三日前に大きな雷が鳴った時に、邪見様がそろそろこの雨も上がると仰った。
 山の中じゃ、雨が降るとりんは動けない。
 本当にこんな時には、あたしって足手まといだなぁと自分でもそう思う。

 だから……

 我慢しなくちゃ。
 やっと雨が小降りになって、薄く陽が射してきたんだから今のうちに次の塒に移らなくちゃ。
 山道は歩きにくいからって、阿吽の背中に乗っているんだから。
 楽させてもらっているんだから。

 前を行く殺生丸様。
 阿吽の手綱を取る邪見様。
 その後ろを守る琥珀。

 その時りんの背中の方から、ひんやりとした風が前方に吹き抜けた。

 殺生丸様の足が、ぴたと止まる。
 ゆっくりあたしに向かって振り返り、一言。

「隠すな」
「か、隠すって…、りん 何も……」
「だますな。この私が判らないでいるとでも?」

 金色の眸を少し細められて、あたしを見る。
 少し怖くて。
 もちろん、殺生丸様をだますなんてそんな恐れ多い事は出来ない。

「……お腹が、痛いの。さっきまでは大丈夫だったのに」
「りん!?」

 そう言いながら駆け寄る琥珀。


「ふん! 山の中でなんぞ拾い喰いでもしたんじゃろう!!」

 そう言い捨てるのは邪見様。

「…そんな事ないよ。喉が渇いたから、さっき沢に下りて水を飲んだだけだよ」
「沢の水…。大雨でまだ濁ったままなんだ。殺生丸様、俺薬草を取ってきます!」

 言うが早いか琥珀は、もう山の中に駆け出していた。


「邪見。火の用意をせよ」
「は…? あの、なぜに……?」
「牛や馬のように生草をりんに食むさせるつもりか」
「あ! は、はい!! 承知いたしました!」

 邪見様は殺生丸様に蹴られる前に、火を起こせるような場所を探しに飛んで行った。

「…山の中で、少し体が冷えたか」
「大丈夫。長雨の時の蒸し暑さよりはずっと気持ちが良い」

 りんはそう言う。
 そう、ひんやりとして気持ちの良い風。
 それは本当、だからお腹が痛いのは冷えたせいじゃないと思っていた。
 それなのに殺生丸様はりんの言葉を聞いてなかったのか、阿吽の背からりんを抱き下ろすと、御自分のもこもこにりんを包んでしまった。


 殺生丸様のもこもこは不思議。
 寒い時はふわふわでとっても温かくて、暑い時にはひんやりとした、でも冷たくはないすべすべな手触りで気持ち良い。

「二人が戻るまで、こうしている」

 やっぱり不思議。
 ひんやりして温かくて、お腹の痛いのが少し和らいだような気がする。

「殺生丸様、こちらに火を熾してございます」
「分かった。じき琥珀が戻る。後は琥珀にまかせろ」
「あの〜、こちらへお越しには……」

ちろり、と殺生丸様の冷たい視線。

「具合の悪いりんを熱い火の側へか?」

 そう言いながら、さらにりんをもこもこで丁寧に包んでくれる。
 さすがの邪見様もこれ以上ここにいたら危ないと感じたのか、慌てて焚き火の側に戻って行った。


「邪見様」
「おお、琥珀か。なんじゃ、その手にしている花は?」

 琥珀の手には、丁度殺生丸が着ている着物の色合いに似た花が葉茎ともに摘まれていた。空いた方の手には、戻ってくる途中で切り倒した大竹で作った椀を持っている。

「げんのしょうこです。本当は天日で乾かしたものを煎じて飲ませると良いのですが、生葉でも大丈夫でしょう。とても良く利く腹痛の薬草です」
「そうか。ならば早く煎じてりんに持ってゆけ」

 邪見の熾した焚き火の周りに高さが同じくらいの石を二つ、向かい合わせに並べその上に少し大きめの平たい石を置く。その上にきれいな湧き水を汲んだ大竹の椀を置く。湯が滾り始めたころに葉の部分を軽く揉みこんだものをたっぷりと椀の中に入れる。たちまち椀の中の湯はとろりとした緑がかった得体の知れないものに変わった。

「もう、そろそろ良いのではないのか?」
「天日で乾かしたものを半時ほど煮詰めて、漉したものを薬とするのです。だから、もう少し煮詰めないとだめです」
「じゃがのう、琥珀。殺生丸様はああ見えても、とても短気なお方じゃ。はよせねば、またどんな責めを受けるやら」

 邪見の気の利かなさに、気付かれぬよう琥珀は溜息をついた。

「邪見様。そのうち馬に蹴られないよう気をつけてください」
「うん? なんで馬なんじゃ? 阿吽のまちがいじゃろ??」

 人間のことわざを、妖怪である邪見が知るはずもなかったが。


 半時も余裕で過ぎた頃、琥珀は飲み頃に冷ました煎じ薬を持って二人の前に出た。

「これ、なに?」
「お腹の痛みが取れる薬だよ。少し飲みにくいけど、すぐ利くからね」

 琥珀が渡してくれた椀の中には道具もなかった事で、生葉をそのまま煎じて漉されなかった濃緑の液体が入っていた。恐る恐る殺生丸様の顔を伺うと、いつもと変わらないお顔。

「殺生丸様……」
「飲め」
「これ、苦くない?」
「…………………」

殺生丸様からの返事はない。代わりに答えたのは琥珀。

「お腹を丈夫にするセンブリほどは苦くないから大丈夫だよ」

 殺生丸様の様子と琥珀の笑顔に、あたしは思い切ってその椀の液体を飲んでみた。その味わった事のないような、なんともいえない奇妙な味に思わずあたしは飲んだそれを吹き出しそうになり、そんな事をしたら殺生丸様のもこもこを汚しちゃうと、我慢して飲み下した。

「だまされた〜、これ、苦くはないけどすっごく不味い」
「うん、本当は乾かしたものを煎じるから、そんなにどろどろにはならないし、味もそこまでひどくはないんだけどね」

 その薬の後味がようやく消える頃、殺生丸様はあたしをもこもこから出した。琥珀の言ったとおり、あたしのお腹の痛いのは治っていた。

「りん、この花やるよ」

 琥珀が薬を煎じる時に別にしていたげんのしょうこの花をあたしにくれた。白地に薄紫の筋と濃い目の紫のしべのついた可愛い花。

「ありがとう、琥珀。この花、きれいでかわいいね」

 もう先にたって歩き出していた殺生丸様が立ち止まり、邪見様を呼びつけた。何ごとか言いつけられた邪見様は、一人その場に残る。

 その日の夜、塒に決めた古びたお堂で休んでいると両手一杯にあの花を持った邪見様が現れた。それをりんの膝の上に置き、殺生丸様の顔を見る。
 もちろん、そのお顔の上にはなんの答えも書いてはないけれど。

その頃、りんの為にたくさん摘まれたげんのしょうこを束ね、阿吽の鞍に吊り下げている琥珀がいた。その顔には、誰にも気付かれないよう隠された笑みが浮かんでいた。


【おわり】



= 現の証拠 −げんのしょうこ− =

花言葉は、「だますな・強い心」
昔からの民間薬として重宝されたげんのしょうこ。その効き目の速さからこの名前がついたとも言われます。いつも元気なりんちゃんですが、季節の変わり目などには風邪をひいたりお腹をこわしたりもあったかなと。
薬効の高さと、その花の素朴で可憐な美しさをイメージして書いてみました。


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