【 冬苺 −この先に− 】


 雪が降り、木々に氷の華が咲く。辺りは訪れた冬の使いに染め替えられ、白く気高く厳しい風情を醸し出す。秋の終わりに移って来たこの塒。いや、塒と言えばそこに洞窟や木の洞やらを思い浮かべるから少し違う。明らかに手を加えたのが判るこの冬の宿り。山奥のそれこそ人の踏み入らぬ場所を選んで作られたと判る庵が一つ。厚みのある檜の板壁造りで、同じ檜の一枚板で作られた引き戸が出入り口。庵の中を明るく、そして風を遮るために窓には貴重な白い紙を張った障子窓。
 中は土間と上がり框と囲炉裏を切った板の間一つの質素な作りだけど、その材料が全てお城や神社仏閣を作るに相応しい年季の入った上物だと、俺のような若輩者にも判るほど。板の間の片隅には夜、りんが眠る時に使う蒔絵に螺鈿細工の衝立と真綿の布団が置いてある。この布団も、滅多な事では手に入らない貴重品。だけど ――――

( ……あの布団が使われる事って、あんまりないんだよな )

 俺はここに来た当初のままの、特に敷き布団を見てぼそっと呟いた。


    * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 事の起こりは、殺生丸様のあの一言。

( これからは、お前の寝床はこれだ )

 そう言って、あの時りんをご自分のもこもこで包んでしまわれたから。そしてりんは、とっても素直にその言葉を、そのまま受け取ってしまったから。この一冬は、ここで過ごす事になる。食糧などは俺や邪見様が山の中で兎や山鳥を取ってきたりするし、どこからか知らないけど、この季節にはないはずの果物や野菜などを阿吽が積んで戻って来る事もある。誰が阿吽の背に積んだのかは、追求した事はないけれど。そして ――――

「……今夜も殺生丸様はお戻りにならないのかな?」

 りんはもう眠そうな目をこすりながら障子窓の引き戸を開けて、冴え冴えとした冬の夜空を見上げている。殺生丸様がりんの為に用意したこの庵。当然りんは、この冬の間は殺生丸様もこの庵で過ごされると思っていた。なぜなら自分は毎夜、眠るのだから。そして、殺生丸様はああ仰ったのだから。
 だから俺たちが眠たくなったのならちゃんと布団で寝るようにと言っても、りんは首を横に振る。うとうとと転寝をしているのを見つけてはそっと布団に運ぼうとし、そこで起こしてしまって振り出しに戻る。

「仕方有るまい、殺生丸様はお忙しい方じゃ。何か大切な御用がお有りなのだろう」

 と邪見様は仰るが、俺には殺生丸様の大切で忙しい御用の向きなど想像もつかない。しばらくこうしてお側につかせてもらえば、そんな些事とは無縁のお方だと十分判ってしまっていた。

( 嘘を言われた訳じゃないんだろうけど、俺達みたいに普段夜お休みになる必要も無いお方だけに、寝床の利用頻度なんてお考えじゃなかったんだろうな )

 眠そうなのに頑として言う事を聞かないりんに、腹を立てて小言を言う邪見様の声がだんだん大きくなる。その騒がしさを右から左に聞き流しながら、俺はある事を考えていた。考えた事を確認するように、庵を見回す。板敷きの間一つきりの狭い庵に、殺生丸様と邪見様とりんと俺。

( これじゃぁ、なぁ。さすがの殺生丸様も…。めぼしい場所を探しておくか )

 今夜はまたこの調子だろうなと思いながら、俺はこの辺りの地形を思い浮かべていた。雪深い山奥だけど、ここに庵を用意されたのは近くの岩場に温泉が湧いている関係で、雪の深さに比べてそう寒さが厳しくないのが好ましいと判断されたからだと思う。そこから出湯を節を抜いた太目の竹で庵の前まで引いている。日常使いの水源として、この季節にこれほど重宝するものはない。勿論そのまま湯に浸かる楽しみもある訳だ。りんもこの出湯が気に入ったのか、しょっちゅう浸かりに行っている。

( ふ…ん、まぁ、あの辺りの岩場に簡単な小屋でもかければ、一冬過ごせない事は無いだろうし。小屋をかける理由にりんをだしにすれば、問題は無いかな )

 俺は明日からの段取りを考えつつ、ふと秋の半ば、焚き火の側で躊躇いの表情を浮かべた殺生丸様の姿を思い出していた。殺生丸様がここを空ける訳には、それも有るのかもしれない。どうしても、りんは幼いから。

( …どうなるんだろうな、あの二人。成るように成るとしても、良い様になって欲しいよな )

 いつものように俺はまだ小言を言い続けている邪見様にりんのお守りをまかせ、衝立のこちら側の土間に近い板の間の端で筵にくるまり、背中を囲炉裏の火に炙る。このじりじりした感じは、殺生丸様の胸の中に近いのかもしれないと思いながら眠りについた。

 次の日の朝、俺はまだ寝ているりんと邪見様に布団をかけてやり簡単な朝餉の支度を整えると、温泉の近くの岩場に足を運んだ。りんが湯に浸る時は、りんの姿を見ないように気を付けながら見張りについている。今更言うまでもないけど、当然この辺りには殺生丸様の結界が施されているからそうそう危険なものが近づく事は出来ない。それでも、念の為。

 しかし、今のままじゃ俺の眼のやり場に困る事もままある。特にりんが湯に入る時と上がる時は。

( 脱衣所と視線を遮る竹垣くらいはあってもいいよな。そのついでに、俺たちが夜眠る場所を少し足しても )

 よし、それではと俺は近在から小屋の材料にする竹と蔓の切り出しに出かけた。こんな時は鎌の使いに慣れている事に感謝する。この鎌も本当はこんな使われ方をする方が望みかもしれない。昼近くまでそうやって竹を切り出し、蔓を揃える。まず特に太くて丈夫な竹を二本ずつ蔓でしっかり括り止め、それを六組作る。それを柱にして四組は岩場の脇の土に深く埋め、もう二組は出湯の湧き出している湯の中へ一尺半ばかり突き出すようにして湯の底に打ち込む。床を張る為の梁を柱と柱の間に平行・垂直に渡してゆく。ようやく全体の骨組みが出来た所で、邪見様が血相を変えて走り寄って来た。

「た、大変じゃ琥珀! りんが、りんがっっ!!」
「りんがっ!? どうしたんです、邪見様!」

 はぁはぁと息せき切って駈けてきた邪見様は、一息大きく息を吸込むと今の窮状を俺に訴え始めた。

「りんが、りんが変なのじゃ! 朝起きてもよう飯も食わずに寒い寒いと言いおって、ならば火の側に居れと言うて、ワシももう少し暖かい着物でも見繕ろうかと出かけておったんじゃ」
「それで!? どうなんですかっっ!」

 りんの具合の悪さへの心配と、もう一つの心配と言うより恐怖の方が勝ってか、邪見様の狼狽振りは尋常ではない。

「ワシが戻った時には、火の側で倒れておった。今度は、熱い熱いとうなされておるのに体は氷のように冷たいんじゃ! お前も戻ってワシを手伝え!!」」

 俺はしまった、と思った。殺生丸様のお留守の間、りんはいつお戻りになるかと夜もろくろく眠らずにいた。それが、この病を呼び込んだのだろう。俺の胸に湧いたのは、恐れ多くも殺生丸様への怒り。りんを俺たちに預け、ご自分はどこの空を行かれているのか! 俺達では、とうてい殺生丸様の替わりにはなれないものを!!

「判りました、俺が庵に戻ります。邪見様は葛の木を探してきてください」
「葛の木など、どうするのじゃ?」
「人間には葛の根は風邪の薬です。りんの病にはそれが必要ですから。細々した事は俺がやります、願いします邪見様」
「う、うむ判った! 葛の根じゃな!!」

 俺の頭はりんの体をとにかく温める事、それから頭だけを冷やしてやる。それで暫く様子を見み、それから……、と看病の手立てを考えていた。

( 薬…、俺も探しに行きたいけど、今りんを一人にする訳にはいかない! )

 邪見様に葛の木を探してもらいその根を取ってきてもらうよう頼んだあと、俺もその場を離れようとして岩場の影の雪の下にきらりと光る赤い実を見つけた。この辺りは出湯の湯気で暖かいせいか、遅い時期に関わらず今が旬の冬苺の群生。

( 熱で乾いた口を湿すには丁度良いな )

 俺は手荒に蔓ごとその冬苺の実をむしりとった。
 りんは庵の中で、囲炉裏の側に敷かれた布団の上に沢山の上掛布団と邪見様が調達してきた直垂衾までかけられて寝かされていた。

「りん…、大丈夫?」

 返事はない。そっと触れたりんの額は、びっくりするくらい熱い。なのに手や足はまるで氷のよう。顔は熱で上気し汗に濡れて、やつれもあるのかいつものりんより大人びて見える。なんと言うか……。赤く乾き始めたりんの唇の色が妙に目に残り、俺は頭を軽く振って表に出た。庵を蒸気で満たして暖かくする為の湯と、りんの額を冷やす為の雪を取る為に。そんな俺の目の前に ――――

 空からふわりと舞い降りたお方。
 りんの待ち人、俺の主。

 殺生丸様 ――――

「……どうした」

 どうしたと尋ねる、いつもと同じ響きの声が俺の意識を逆撫でする。

「……りんが、病気です。殺生丸様のお帰りを待って幾晩も夜更かしをしてしまったので」

 殺生丸様の眸が険を含んで、眇められる。俺はぎりぎりで抑えた声音で、本当はもっと色々言いたかった事をその一言に含ませた。殺生丸様は「人ではない」から、ご自分の発された言葉でどれほどりんが喜び待ち焦がれ、そして寂しい思いをされているかなんて判らないのかもしれない。りんが幼いから殺生丸様が戸惑われるのも判る。判るけど、それでも貴方はりんの手を取られたのだ。

  「………………………」

 どんな叱責を受けるかと身構えていた俺を無視するように、殺生丸様は庵の中へ入って行かれた。俺もその後を追う。何も言われぬまま、りんの枕元に佇みりんの様子を眺める。

「あ、殺生丸様……」

 俺が額に触れた時には、声さえ出せなかったのに。

 そう…、判っている。
 りんに取って何が一番かって。

「りん……」

 りんの小さな手が伸びて、殺生丸様のもこもこに触れる。熱っぽいりんの顔ににこっと笑顔が浮かぶ。

「へへ、ひんやりしていて柔らかく良い気持ち…。もう少し…、こうしていて良い?」
「ああ、構わん」

 りんはようやく安心したように、そしてもこもこの端をしっかり握り締めて数日ぶりの安らかな眠りに落ちた。俺はその様子を見て、席を外す事にした。


「風邪に効く葛の根を邪見様に探しに行って貰ってます。俺も今から手伝いに行きますから、りんの事を頼みます。庵を暖める為に囲炉裏でどんどん湯を沸かしてます。額は熱いので、そばの桶に雪を入れてます」
「……………………」

 殺生丸様のような大妖怪に人間の子どもの看病を頼む方がおかしいのだろうと、俺も思う。でも今、この場に俺のいる場所はない。

「……手足が氷のように冷たいので、どうか温めてあげてください」

 俺はそれだけ言うと、庵を出て邪見様の姿を探した。これからの予想に胸を震わせながら、それでもあの二人の思いを大切にしたい気持ちと、妹のようなりんへのそうとは言い切れぬ思いにほろ苦いものを感じながら。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ……普段は決して過ぎた口をきかぬ者の、あの物言い。よほど私の振る舞いが、腹に据えかねたのか。いつしか漂泊こそが我が生と思い、何者にも捉われる事無く生きてきた。物にも場所にも血縁にも。一所に留まる事の、何と落ち着かぬ事か。ましてや傍らに侍る者を置こうかという、今は。

 ―――― どう、振舞えばよいのか。
 ―――― どう、接すればよいのか。

 下僕でもなく、女でもなく、強く抱き締めればぽきりと音を立てて崩れ折れそうな生き物を。

「りん……」

 私の妖毛を握り締めたまま、赤い顔をして満たされたような笑顔で眠っている。
 確かにあの時、これからはこれがお前の寝床とそう言った。そう言った後で、お前にはまだ時期が早いと気がついた。寒さを凌ぐものであれば、私はそれで十分とこの庵と夜具を与えた。
 だけど、それらはお前を温めるものではなかったのだな。琥珀の言葉に触れてみた手や足の冷たさにそう思う。そしてその言葉のままに、私はりんの体を自分の妖毛で包み直し体温を分け与える。熱のせいかりんの匂いが一層際立つ。りんの熱さに乾きを覚える。

 甘い、甘い、幼い香り。
 野に咲く花のような、山に実る果実のような。

 ふと視線を逸らせば、そこには蔓ごと持ち込まれた冬苺。
 甘酸っぱい香りと鮮やかな赤が私を誘う。

 私を惑わせあざ笑う香りが、この腕の中の者のものなのか野趣味の果実か判らない。今、自分が何を考えどうしようとしているのか判らない。赤い実の妖しい鮮やかさと、熱に染められ赤くひび割れて半開きのりんの唇に誘われ、冬苺の実を摘む。


 それを口に含み、りんに与える。
 渇きを癒したかったのは、どちらだろう?


 桶の中の雪が崩れる音が聞こえた。
 庵の中は立ち込める蒸気で熱く霞んでいた ――――



【終】


2007.12.2



冬苺の花言葉 : 未来の予感 尊重と愛情 誘惑 甘い香り


= あとがき =

花言葉のキーワードを全て文中に織り込んだら、こんな艶笑小話とも少しテイストの違うものになりました。
傍観者・語り部である琥珀から見れば、どちらもまだ幼いような感情の住人です。琥珀自身も分を弁えてはいますが思うところはあるようで、主共々悩みが尽きないようです。


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