【 報春花 −福寿草− 】


 年が改まり、見慣れた冬の景色もいつになく清々しさを増して見える。少し前のりんの急病騒ぎが、もう随分と前の事のように思える。俺はあの時作りかけていた出湯の脇の脱衣場兼俺や邪見様の寝床の竹床に寝転んで、今は静かな庵の方に目を向けた。

「……りんもあれ以来夜更かしをする事はなくなったし、殺生丸様も夜を空ける回数も減ったし」

 数日来の悪天候がおさまり寒さは厳しいが、不思議と明るさを感じさせる辺りの空気にぼんやりと、俺はあの後顛末を思い返していた。『居場所』の無かった殺生丸様がりんを庵に残してお留守にされるものだから、その帰りを待ちわびてとうとうりんは風邪をこじらせてしまった。軽い苛立ちを覚えた俺の前に、りんの様変に気づかれたのか殺生丸様が戻ってこられ、りんの病の元凶となった殺生丸様にあの時りんの看病を頼み俺は風邪に利く葛の根を取りに先に山に入った邪見様を探しに。俺より先に山に入っていた邪見様が小さな沢の崖っぷちで顔を真っ赤にして、うんうん言いながら蔓を引いていた。

「邪見様!」
「おお、琥珀!! こんな細い蔓じゃのになかなか根が抜けぬ! お前も手伝え」

 葛の蔓はその丈夫さで、編めば日用使いの籠や笊などを作る材料になる。そのまま根を抜こうと言うのが無理な話。俺は邪見様の見つけた葛の蔓の根方を腰の鎖鎌で掘り始めた。

「琥珀、根を掘るなら蔓が邪魔じゃろう。先に鎌で蔓を払ったほうが良くはないか?」
「いえ、ある程度掘った後は蔓ごと引いたほうが抜きやすいので。それに蔓は蔓で役に立ちますから」

 そう答えると俺は、せっせと土を掘り続ける。掘り出した土が周りの雪に混じって、まだら模様になっていた。このくらい掘れば行けるだろうと鎌の切っ先を土の中に何箇所か打ち込み、葛の根を途中で断ち切る。


「邪見様、蔓を引いてみてください!」
「よし! では引くぞ!!」

 ぐぐっと蔓が伸び、根が引き出されてくる。俺はもう大丈夫だと判断して、鎌を腰に戻すと邪見様と一緒に蔓を引いた。ぶるぶると震えて力試しをしたような感触の後、ぼこっと葛の根が抜けた。勢いあまって尻餅をついた邪見様をそのままに、引き上げたそれを俺は葛の根と蔓に切り分けた。そのまま沢に下りると俺は沢の水の冷たさも忘れて、泥だらけの根を細い蔓を丸めたもので洗い始めた。

( えっと確かこの後は根の皮を剥いて粉々に刻んで、湯に溶かすんだったな。その時溶け残りはそのまま残して、湯を別の器に移して粉が下に沈んだら上澄みを捨てて…。何回か同じ事を繰り返して精製してゆくんだけど、そんな暇はないな )


 退治屋の里で薬師のお婆の手伝いをした時の事を思い出しながら、そんな事を考える。取り敢えずはりんの熱を下げる事が大事。多少飲みにくかろうが、そこは我慢してもらおう。泥を落とし終わり、ついでに根の皮まで鎌の刃で剥いてそれを手拭いに包む込む。

「どうじゃ、琥珀。使えるかのぅ」


 尻餅をついた時についた雪を払いながら、邪見様が沢の崖の上から声をかけてきた。

「はい、邪見様。これでりんの熱を下げられます。急いで戻りましょう」

 凍るような沢の水の冷たさで俺の手も足も真っ赤だが、今はそんな事に構っている場合じゃない。崖を上りもと来た道を戻ろうとして、肩に触れた側の木々から雪が落ち青々とした葉と艶のある黒い実をつけた細い木の枝が現れた。確か、この木は……。

「うん? どうした、琥珀。そんな所で立ち止まって」

 足を止めた俺を、俺の足元から邪見様が見上げてくる。

「いえ、確かこの木も薬木だったと思い出しまして……」
「薬木?」
「はい、ネズミモチと言う名前だったと。樹皮は熱に、その実は体を丈夫にして血の道に利くと俺の母上が薬用していたのを覚えています」
「そうか! それならば、その木の枝も実をつけたまま何本か持ってゆこう!!」

 邪見様にすれば、薬になるものならいくらあってもかまわないと思っている風だった。俺は鎌を振るい、細い枝を何本も落として邪見様に抱えてもらった。

 俺達が庵に戻った頃、りんは殺生丸様の傍らで殺生丸様のもこもこに包まれてぐっすり寝入っていた。熱はまだ冷めないままだったけど、具合の悪さは随分と落ち着たように見える。

(  ……病は気から、か。りんに取っては殺生丸様が一番の薬なんだな )

「琥珀」

 殺生丸様は余分な言葉は一切口にされない。俺の名を呼ぶその一言で、俺に言わんとする事を瞬時に察する。

「すぐに熱冷ましの葛湯を作ります。もうしばらくのお待ちを!」

 俺はその場で葛の根を刻み、囲炉裏にかけていた鍋の中へと入れた。一煮立ちさせ、囲炉裏から下ろす。刻んだ葛の根の粉が鍋の底に沈み始めたのを見定めて、少し早いが別の器にまだ白濁色の湯を空ける。鍋の底に残った粉を湯のみに入れ、鍋を下ろし待っていた間に汲んで来た温泉の湯で溶かし、それを冷まして殺生丸様に渡す。

「これは人間が熱を冷ます時に用います葛根湯といいます。熱を下げ、体の強張りを解いて病人を楽にする効き目があります」
「……………………」
「これからの事にも備えておきたいと思いますので、この残った分で携帯しやすいよう葛粉を作ってきます」

 俺は二人の邪魔にならないよう鍋と器を重ねて庵から持ち出し、その時はまだ作りかけだったこの脱衣場の側で葛粉を精製し始めた。俺が庵の外に出てきたので、邪見さまもネズミモチの枝を抱えたまま俺の後についてきていた。

「琥珀、これはどうするのじゃ?」
「ああ、それはそのままじゃ使えませんから実は実だけで、枝からは皮を剥いで乾かしてください」

 器の中の葛の根汁が沈殿して上澄みが出来るまでの間、俺は今夜からでも必要になるだろう自分らの塒作りに戻った。邪見様はネズミモチの枝から黒い実をぷちぷちと千切りながらぽそっと呟く。

「のぅ、琥珀。殺生丸様は薬の飲ませ方などご存知であろうか? りんも薬湯を飲んでから寝ればよいものを、ああもぐっすり寝てしまっていては無理に起こすのも躊躇われるわ」

 りんを咎めるような口調でも、その実は本当にりんの事を気遣っている。


「……起こさずに飲ませる方法もありますから、多分大丈夫でしょう」
「はて? そんな方法が?」

 邪見様がネズミモチの実を千切る手を止めて俺の顔を見る。それ以上口にするのは野暮な話。俺は脱衣場の竹床をせっせと組み始めていた。

 もともと寝不足が原因の風邪だったのか寂しい気持ちからのものだったのか、その両方が満たされた結果、二杯目の葛根湯は必要なかった。一刻程のちに殺生丸様が俺を呼び、りんの為に食事を用意するように言いつけた時、最初の葛根湯は空になっていた。それを目の端で確認し、りんの様子を伺う。熱で真っ赤に上気していたりんの頬の色はいつもより少し赤いくらいに落ち着いていた。薬を飲んだのは確かだろう。殺生丸様のもこもこの中のりんはまだぐっすり眠っていて、起き出す気配もなかったけど。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 陽は中天をやや過ぎ西に傾き始めた。俺はこの長閑な物思いを一旦区切り、大きく伸びをしながら床から起き上がる。俺の隣で冬とは言え良い天気に出湯のそばの温かさで転寝をしていた邪見様があわてて飛び起きる。

「な、なんじゃ! 殺生丸様からなにかご用命でも?」
「そうじゃないですよ、邪見様。でも、そろそろ食糧の確保に出かけようかと」

 そう言いながら、朝餉の支度をした時に食材の在庫が少なくなっていた事を邪見様に説明する。あまりに良いお天気で、長閑だったものだからついこんな刻限までゆっくりしてしまったが、悪天候で何日も閉じ込められる事もあるから、本来ならこんな時にこそ食糧や薪などの生活に必要なものを集めるべきなのだ。

( まぁ、それでもどーしようもない場合は殺生丸様が手を回されるだろうけどな )

 あの時まで、どうりんに接したら良いか判らなかったのだろう殺生丸様も、ご自分なりの位置を見つけられたようだ。漂泊を常とされ、孤で在る事を己とされてきた殺生丸様。それが今、こうして一つ処に留まり、りんや俺のような者がお側にいる勝手の違いに慣れてこられたのだろう。りんの病気騒ぎからこちら、あの庵に殺生丸様が居られる時は出来るだけ自分たちは近づかないようにしている。りんが自分からこちらに来る分には仕方が無いが、自分たちからはある一定の距離を置くように。その方がきっと、殺生丸様の為だろうと俺は思っている。


  「おお、そうじゃな。では、殺生丸様のお許しを頂いて阿吽を借り受ける事としよう」

 今では何かご用のある時と、食事の時だけ訪れる庵へと俺達は足を向けた。それは平時であれば、当たり前の暮らし。庵の中の事はりんに任せ、外向きの事は俺たちで。薪を集め、狩りをして兎や山鳥を捕まえ魚を捕り、雪の下の山菜などを探してくる。そんな俺達の中心に、殺生丸様がいらっしゃる。

「遅くなりましたが、今から食糧の調達に出かけたいと思います」
「阿吽を使いたいと思うのですが…、宜しいでしょうか? 殺生丸様」

 一枚檜の板戸を引き明け、俺達は外からそう声をかけた。庵の中では小さいながらも、りんが手拭いを姉さん被りに袂をたすき掛け姿で、庵の床を磨いていた。りんはこの庵がとても気に入ったのか、こうして良く手入れをしている。もともとの素材の良さもあるけれど。りんの愛情こもった手入れのお陰か、ますます居心地の良い空間になっている。
 その中で庵の大黒柱ともいえるような年輪の詰まった柱に背を預けて、そんなりんの様子を見るともなしに過ごしている殺生丸様には違和感を感じるが。

( ここはりんの為の場所だから、殺生丸様にはそぐわないと感じても仕方がないんだろうな )

 『人ではない』お方だから。

「………………………」

 いつものように殺生丸様からの返事は無い。返事は無いが、僅かにその気配が冷たくなったように俺には感じる。返事が無いのが肯定と受け取っている俺達は、すぐにその場を下がろうとした。

「あっ、待って! 今日はお天気も良いし、りんもお手伝いしたい」

 りんが手拭いを取り、たすきを外しながら俺達の方へ近づいてきた。

「りん……」
「ね、いいでしょ? いつも外の仕事を琥珀や邪見様ばっかりに押し付けてるのは悪いもん」

 にこにこと笑いながら、りんはもう外に行く気満々で話を続ける。

「そうじゃのぅ、今日は確かに天気も良いし冬にしては暖かいしのぅ。人手はあったほうが良いかも知れぬな」

 りんの申し出に乗ったのは、邪見様。俺は背後の物言わぬ圧力を感じ、話を逸らせる。

「だめですよ、邪見様。今日はお天気が良いからこそ少し遠出してでも、食糧を沢山調達しようと思ってるんですから」
「琥珀?」
「ごめん、りん。お天気が良いと言ってもどこで崩れるか判らないから、出かけた先でそうなったら大変だろ? もう少し暖かくなって、近場でも沢山食糧が探せるようになったら一緒に行こう」

 俺の言葉に、りんの表情が少しがっかりしたものに変わる。でも直ぐ気を取り直したのか、にっこり笑って次の提案をしてきた。

「それもそうだね。この前みたいに風邪引いちゃ、皆に迷惑かけちゃうもんね。それなら、この近くで薪を取るくらいのお手伝いなら良いよね?」

 もともとが一人でも頑張って暮らしてきた子だから、体を動かす事を惜しむような子ではない。自分に出来る事なら、進んでやるような働き者。

「おお、それぐらいなら……」


 またも乗るのは邪見様。再びの無言の圧力を、俺は軽く邪見様の足を蹴っ飛ばして気付かせる。

「ああ、いや……。お前は、中の事だけしておればよい。薪もワシらが取ってくるから任せておけ」
「りんがせっかく磨き上げている庵だから、あまり煙や煤の出ない薪をさがしてくるよ」

 そう言ってりんを納得させ、俺達は出かけた。二人だけの時を過ごせるように。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「あ〜あ、行っちゃった。もう少し中を磨こうかな」

 一旦懐にしまったたすきや手拭いを取り出し、先ほどまでの作業に戻ろうとしたりんが、自分を見ている殺生丸の視線に気付く。

「殺生丸様?」
「……自分も磨け」
「?」

 普通の娘ならその一言は下手をすれば最大の嫌味ともなろうが、りんに関してはそれはない。そんな事を思うほど、りんはまだ『娘』でもない。

「……自分の手を見ろ」

 言われて見てみれば、確かに薄汚れている。天気の良くない日が続いたので、折角近場に出湯があり寒さ避けの脱衣場まであるのに、しばらく湯に使っていなかった事に気付いた。

「じゃ、りんお湯に浸かってくるね!」

 屈託の無い元気の良さで、そのまま庵を出て行った。
 りんの想いの大きさは、いまも未分化で全ての良き想いに繋がる『大好き』と言う感情。側に居てくれると嬉しい、楽しい、元気になれる。自分に取って、とっても大切で大事なもの。だから自分も精一杯頑張る。相手の事を絶対裏切らない。

 どこまでも疑う事の無い、前向きな『力』
 全てを受け入れ、肯定できる大らかな『心』

 りんの波動が清々しい空気の中、光の粒子を弾けさせにこやかな余韻を残す。その様を、僅かに眸を細めて殺生丸が見ていた。

 琥珀が作ってくれた脱衣場のお陰で、湯に浸かるまで寒さに晒される度合いが格段に低くなったとりんは思う。ここの方が温かくて休みやすいからと、脱衣場の右手側には一間半四方くらいの竹作りの琥珀達の寝床が作られていた。竹の壁に樹皮が張ってあり、一応戸口らしいものもある。屋根も竹で張った上に萱を葺いていた。壁の上と下の方に明り取りの切り出し窓がある。
 反対側が脱衣場。こちらにも戸口はあるが作りは背の高い竹垣のようなもので、りんのように小さいと足元しか見えない。急に降り出した雨や雪で脱いだ着物を濡らさないようにする為に、着物を脱いで置いておく所にだけ屋根を掛けたような作りになっている。
 竹垣はそのまま出湯の上にまで張り出されていて、竹の梯子を使って冷たい風に晒される事なく湯に浸かれるよう配慮されていた。

「あ〜、良い気持ち。こんなに良いことばっかりで、良いのかな? こういうのを幸せって言うのかな?」

 ……決して、本当に『良い事』ばかりではなかったりんの過去。それを今、『良い』と言ってしまえるのは、殺生丸がいてくれるから。

「あっ!」


 りんが間違う事の無い気配が揺らぐ。
 りんの顔に最上の笑みが浮かぶ。




 脱衣場の床の上。
 りんの赤い市松模様の着物の上に、白紫の振袖が重なる。

 竹垣の側、白い新雪の中の福寿草。
 太陽を思わせるその花は、りんの笑顔を思わせた。



  【終】
2008.1.15



花言葉・福寿草:幸せを招く、永久の幸福



= あとがき =

正月(この話の場合は旧暦で)と言う事で、おめでたい花の代表のようなこの花を持ってきました。
華やかさはないですが、寒さにも負けず雪の中から明るい黄色の花を咲かせる力強さはりんちゃんに似ているような気がします。
りんちゃんは私の中ではずっと『野の花』なので、このまま野育ちで行きます。
恋人同士の幸せ感と言うよりも、恋愛感覚すらいまだ幼い二人です。(…若干殺兄の方が意識して始めてるかな^_^;)
この花も薬草ですが、使い方を誤ると毒にもなる花です。
西洋では日本での花言葉とはまるで反対の意味を持つ花で、それもまた殺りん的ですね。


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