【 いまここにあるもの1 】




「じゃ、私 実家に帰るわ」

 妖怪達との大立ち回りにひとまず決着(けり)をつけ、昼過ぎに村に戻ってきたばかり。
 だけど、そう言うと私は、そそくさと荷物をまとめ、引き止めの声が掛かる前に楓ばあちゃんの小屋を出ようとした。
 部屋の奥には、ぶすっ−とした表情の犬夜叉が、横目使いで睨んでいる。

「……ったく、お前は何かってとすぐ実家に帰ってばっかりだな。で、今度は何日だ?」

 以前に比べ、私が実家に帰る事もまた仕方がないと認めてくれつつある今日この頃である。しかし、今度ばかりは……。
 顔を合わせないようにして、後ろ向きに指を二本、差し出す。

「二日、か。まあ、仕方ねえな。かごめにも都合ってもんがあるだろうし、学校ってとこにも行かなきゃなんね−しな」
「……違う、二週間。ごめんね! 犬夜叉!!」

 犬夜叉が日数の計算を終える前に、私は小屋を飛び出し井戸へ向かう。

「ん〜、なんだ、その二週間っての?」
「かごめの国の日にちの数え方じゃ。なんでも七日で一括りにして一週間と言うそうじゃ」
「て事は、それが二つあるって事か? じゃ……」

 井戸に飛び込んだ瞬間、犬夜叉の怒声が頭の上を響き渡った。

「十日以上もこっちには来ないってのかっっ、かごめ〜っっ!!」



  * * * * * * * * * * * * * * * * * 



 井戸を通り抜ける時の、あの感覚。
 闇の中、光の粒子が自分の体を取り巻き、ふわりと中空を漂う、あの感覚。
 その浮揚感が消える頃、私の足はしっかりと井戸の底の土を踏みしめていた。
 同じ井戸の底に居ても、あの時代とは空気の匂いも風の音も全然違う。
 帰ってくる度、いつも思う。

 あれは、あの世界の出来事は全て夢じゃないのかと。

「……でも、夢でも何でもないのよね。どっちも現実なんだから」

 二週間、と自分で期限を切って無理やりこちらの時代に帰ってきたのだから、やるべき事はやらねばと強く心に思う。
 そして私は、井戸を覆う建物の格子戸を開け、外へ歩きだした。

「ただいま〜、ママ」
「お帰りなさい。お昼は食べたの? それとも、お風呂にする?」
「うん、先にお風呂。お昼はあるものでいいから。あ、それからしばらく私、こっちに居ようと思うの」

 お風呂の用意をしようと行きかけていたママが、ゆっくりこちらを振り返る。

「……どうしたの? 犬夜叉君とケンカでもしたの? そんな風には見えないけど」

 ……我が母親ながら、まったく物事に動じない性格だと思う。

 戦国時代と現代とを行き来しているだけでも十分異常事態だと思うのだが、犬夜叉の存在さえ、当たり前のように受け入れている。

 まるで、学校の友人達の一人のように。

「自分のしなきゃいけない事を、ちゃんとしておこうと思って。本当はまだそんなに長くこちらに居られる状態じゃないんだけど、でもこっちの世界じゃ私、中学三年の受験生な訳だし…。出席日数とある程度の学力はキ−プしておかなきゃ、向こうに行っても落ち着かないから」
「……あちらはあなたが居ないと、大変なんじゃないの? 大丈夫なの?」
「うん…、大変、かも……」
「かごめ…」

 ママの呼びかける声。優しくて、だから大好きなこの場所。

「あのね、ママ。上手く言えないんだけど、こっちの世界の事もちゃんとしておかないとみんなに悪いような気がするの」
「みんなって…?」
「…犬夜叉や、弥勒様や珊瑚ちゃん達。みんな、色々な想いを背負って、それこそ命懸けで頑張ってる。でも私には、ママやおじいちゃんや草太や学校の友達、そういう当たり前な日常が、帰れる場所があるの。なんだかそれって、ずるいような気がして……」

 まだ自分でもよく言葉には出来ない、この思い。
 犬夜叉達と死闘をくぐり抜ける度に感じていた、現代生活における自分とのギャップ。

「どっちも大切だから、いい加減な事をしたくない、って…」
「でもね無理をして体を壊しては、元も子もないのよ、かごめ」

 心配げにママの顔が曇る。
 安心させるように、私は笑って見せる。

「向こうで鍛えられてるから、結構体力には自信があるのよ。それにあいつに命懸けで頑張れば、大抵のことはどうにかなるって教えてもらったし…。だから、大丈夫!!」

 まだ心配げなママを残し、私は自分の部屋へ向かった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「どうした? 犬夜叉。かごめを迎えに行ったのではないのか?」

 日も暮れて、村の家々の戸口から炉の明かりがチラチラと漏れ入れだす。
 夕餉の支度をしながら、そう楓が声を掛けたが返事はない。

 あの後、かごめが逃げるように井戸へ飛び込んだ後で、また犬夜叉も井戸へ飛び込んだのだが、手ぶらで戻って来たなりむっすりと黙り込んでいる。
 そんな犬夜叉の様子を横目で見ながら、弥勒達は小声で話し合っていた。

「かごめ様が、こんなにも長くこちらを留守にされるのは初めてですね?それも、訳も話されずに」
「うん…、でも、かごめちゃん、随分悩んでいたようだよ。自分の国の学問書を見ては、ため息ついてたし」

 かごめの悩みなど、この時代においては些細なものかもしれない。

 この時代に生きる者ならば。

 だから、それが自分にとってどんなに大事なものであっても、話せなかったのだ。
 黙り込んでいる息苦しさに耐えかねたのか、ぽつりと犬夜叉が口を開く。

「……俺のせいかな。俺があいつが帰る度ぐだぐだ言うから、そんな風に思っちまったのかな」

 みんなの視線が犬夜叉に集まる。

「……何か知ってますね? 犬夜叉」

 にこやかに微笑みかけながら、弥勒が声にドスを効かせる。

「かごめちゃんが帰ったのって、またあんたのせいなの!」
「…オラの知らん所で、またケンカでもしとったのか?」

 回りの態度は、まるで犬夜叉が元凶だと言わんばかりに畳みかけてくる。
 自分でも思い当たる節があるのか、何時ものようには反論もしない。

「あいつ、かごめの奴、自分の家に帰るのに気が咎めて仕方ないような…、そんな風に俺が思わせたのかなって……」

 かごめが特別だ、と言う事はここの皆は良く知っている。
 時の彼方よりの客人(まろうど)、いつか本来在るべき場所に帰らねばならない者だと言う事を。
 その事に思い至った時、底無し沼のように、犬夜叉は落ち込んだのだ。
 夕餉の碗を配りながら、今まで口を挟まなかった楓が諭すように話しだす。

「……かごめが期限を切って出掛けたのなら、自分から戻ってくるじゃろう? 何をそんなに暗くなっておる?」
「かごめが後の時代で平安な生活をしているのは、あいつにとっては当たり前の事だし、あいつのせいでもないのに、それでも自分の事をずるいって言いやがる」

 そこで一旦、言葉を区切る。

「…俺、そんな風に思わせたくない。だけど、どうしてやればいいのかなんて、理解(わか)んね−んだよ!」

 経験を経た、思慮深い光をその隻眼に湛えて、楓はかぶりを振る。

「かごめは、あれはそのような事で自分を貶(おとし)めるような娘ではない。今度戻ったのも、何か考えがあっての事じゃろう。信じてやれ、犬夜叉」

 夕餉の碗をかき込んでいた七宝が箸を置き、ぽつりとつぶやく。

「……オラも行けるものなら、かごめの国に行ってみたいぞ。旨い物が沢山あって暖かい家もあるし、なにやら便利な物が色々あるそうじゃ。夢みたいじゃの」
「七宝……」
「じゃが、きっとここに帰りとうなる。ここは、オラが生まれ育った所じゃからな」
「……かごめちゃんも、そう…思ってるのかな。そうだね、そう思っても仕方がないよね」

 犬夜叉はそう言った珊瑚を睨み付けるなり、小屋を出てゆく。重苦しい、くらーい雰囲気が辺りを漂う。

「……やれやれ、仕方ありませんね。ちょっと行ってきましょう」

 弥勒もそう言うと、立ち上がる。

「法師様、行くってどこへ?」
「あのバカの所へですよ。こんな暗い気を押しつけられてはたまりません。どうして他の皆は理解っているのに、あのバカには理解らないんでしょうね」

 ……いや、理解ってはいるのだ。犬夜叉にも。だけど…。

 弥勒は小屋を出て、夜空を見上げる。
 降るような星空だった。



 御神木の張り出した太い枝の付け根に隠れるように、犬夜叉は蹲(うずくま)る。
 犬夜叉もまた、星を見ていた。

「やはり、ここでしたか。犬夜叉」
「……弥勒、おめ−知ってるか? あの星の中には、大昔に死んじまって光しか残ってない奴もあるんだってよ」
「……かごめ様に聞かれたのですか? お前が心配しなくとも、必ず戻って来られます」
「そんな事、おめ−に言われなくても理解ってる。あいつは、約束を違(たが)える事は絶対しね−からよ」
「なら、何故そうまで……」
「…いつ、までだ? いつまで、あいつは俺の側に居てくれる? 俺は、あいつの大事な時間(とき)を奪ってるかも知れね−んだぜ!」

 ……普段はがさつで乱暴な犬夜叉が、ひどく小さく見える。
 まるで親にはぐれた迷い子のように。

「……ずっと、側に居て欲しいってのは、俺のわがままか?」
「……男は、わがままなものです。かごめ様はその答えを出すために、ご自分の国に帰られたのかも知れません」

 ふうっ、と弥勒は深いため息を漏らした。
 かごめがどんな答えを出そうと、それは受け入れるしかないのだから。

「待ちましょう、犬夜叉。だけど、お前にはお前にだけ与えられた特権を、使う事も出来るのですよ」
「特権、って……」
「…却って酷な事かも知れません。かごめ様が何を見、何をし、何を考えるか。お前なら知る事が出来るでしょう。勿論、かごめ様に気付かれてはなりませんが」
「俺に、向こうへ行けって…?」

 弥勒は無言で頷く。

「お前だからこそ知らなければならないと、私はそう思います。さて、私は楓様の所へ戻ります。夕餉の途中なので」

 古拙(こせつ)な笑みを残し、振り向きもせず夜道を去ってゆく。
 それからしばらくして、御神木の樹上から一つの影が消えた。



   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「〜んっと、じゃ数学は百十三ページまで進んでるのね。英語のリスニングは英単語がポイントか。後はどうにかなりそうだけど、要は記憶力と理解力の勝負よね。うん、じゃ月曜日に学校でね」

 夕食後、学校の友達に電話をかけて、授業の進行状態を確かめる。
 帰って来たのが金曜日の昼過ぎだったので、土・日を家族と過ごしながら勉学に勤しむ事に決めた。
 ふと、何かの気配を感じ辺りを見回すが、気のせいだったのか何もなく、いやいやと首を振る。

「……迎えに来る気にもならない程、怒ってるのかな。普段だったら、もうとっくに怒鳴り込んで来ている頃だもんね」

 自分の部屋の窓から御神木を眺め、呟く。

「ちゃんと言えば良かったのかな。でも、自分でもよく説明出来そうにないし…、説明しても、今までやって来た事と変わらないって言われればそれまでだし…、あ〜あ、もう。何やってんだか」

 窓を閉め、机に向かう。

「とにかく勉強しよ。その為に帰ってきたんだから。この時代で、私に出来るベストを尽くす為に」

 御神木の梢近く、赤い影が一つ。
 何時までも明かりの消えないその窓を見つめていた。


 次の日、朝食も済み一段落ついた頃、いつもの友人三人組がかごめの家を訪れた。

「あ−、みんな来てくれたんだ。上がって、上がって。色々聞きたい事もあるし」

 友人達の訪れに、かごめの顔が輝く。

「……かごめ、体の具合はもういいの? いつもなら、テストや模試の前だけ、無理して学校に来てたでしょ。まだ中間テストには、一週間以上あるけど」
「あはは、まあ大分良くなったかなって。無理してた訳じゃないんだけど、やっぱりそ−ゆ−風に見えるんだ」

「だって…、模試やテストの後は二・三日もしたら休んでたじゃない? 最近は、週末に居たためしがないし」


 ……向こうに行っている間の言い訳を祖父に頼んだら、いつの間にか病気のデパ−ト、超虚弱体質の可哀相な少女になっていた。今では、言い訳する気にもならない程の決定事項になっている。


「あ、そうだ。これ、かごめが休んでいた間の数学のノート。それと英語の授業で使ったリスニングのテープ。テープは他にも何本か持ってきてるの。聞き流す感じで耳に慣れさせておくと、聞き取り易いから」
「わあ−、いつもありがとう。夕べも頑張って数学やってたんだけど教科書や参考書だけじゃね、ちょっと自信がなくって…。見てもらえるかな?」
「……北条君、呼ぼうか? 彼、数学得意だし」
「え〜、いいよっっ! 休みの日の朝っぱらから呼び出したりしたら、悪いもん」
「そーかなー、喜んで飛んできそうだけど」
「もう! とにかく見るだけ見てよ。遅れてる分、取り返そうって思ってるんだから」
「はいはい、かごめがこんなにお勉強が好きだったなんてね」

 同じ年頃の少女達の華やいだ声、弾けるような笑顔。
 その輪の中に居るかごめ。
 それは、かごめの本来あるべき姿。

 決して半妖の自分などが、近づける世界ではない。

 ……かごめを迎えにきて、時折見かけてはいた世界。
 物珍しい物品に目を奪われる事はあっても、自分とは相容れない異質なものを、五感の全てで感じていた。
 勝手を知る、かごめの部屋に少女達の声が移る。

「ちょっと、すごいじゃないかごめ。これ、ぜんぶ正解よ。この辺りの問題って、授業聞いててもなかなか分からなくて、先生も力(りき)入れてたとこよ」
「かごめ、これが解けるんだったら遅れてる分取り返すの、そんなに難しくないかも」
「本当! 良かった〜!! 気合入れた甲斐があったわ」
「もともとそんなに頭悪くないもんね、かごめは」
「ねえねえ、久しぶりだし、かごめも一緒に出掛けようよ。今度、新しいお店が出来たからみんなで行くところだったの」
「…う〜ん、どうしようかな。今日と明日は家で勉強していようと思ったんだけど……」
「みんなで手伝ってあげるから、ね。大丈夫、追いつくわよ」

 思案気な顔。その顔がぱっと輝く。

「ん、決めた! たまには、自分にご褒美あげなきゃ。私って、結構頑張ってるよね」

 わっ、と少女達の歓声が湧く。
 外出用に着替えたかごめの姿は普段よりずっと女ぽっく、小鳥のように囀(さえず)りながら、いつもとは違う煌(きらめ)きを見せて通り過ぎて行く。

( かごめ、楽しそうだな… )

 取り残された寂しさ。
 それはかつて、いつも自分の傍らにあったもの。

 ふと、御神木の側を通り過ぎようとしていたかごめが立ち止まり、御神木の梢の方を振り仰いだ。

「どうしたの? かごめ」

 ……俺の姿は見えない筈だ。
 張り出した枝々、まだ落とすには早い生い茂った葉の影に、気配を殺して潜んでいる。

「ううん、何でもない。ちょっとね…」

 かごめは頭(かぶり)を振ると神社の長い階段を下りてゆき、やがてその姿は見えなくなった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 夕暮れの校舎の屋上。

 全てが金色に染まるその中で、かごめを見つめる金の瞳だけが、暗い翳を揺らめかしていた。
 あれから幾度こちらの世界に来て、こうしてかごめの姿を伺い見た事か。

 朝、顔を洗う順番を争っての弟との口ゲンカ。
 学校での、友達同士のおしゃべりや真剣に聞き入る授業中。
 今までも何度か『てすと』とやらを受けているかごめの姿を見かけたが、あんな紙切れ一枚に、唸ったり、顔をしかめたり、百面相をしているのをせせら笑ったものだ。

 だけど、二・三日前に受けていたそれは、破魔の矢を番(つが)えた時のような気迫を感じさせ、それだけでどれ程かごめに取って大事な事なのか思い知らされた。

 夕餉の後の、母親と二人並んで洗い物をしている、何気無い時間さえも愛しんでいるのがよく分かる。
 腹立たしいほどちっぽけで、些細な事柄をまるで宝物のように。

 大事な、大切な、それがかごめの世界。

( もういい。もう、理解った )

 もう一度、微笑みあう母娘を瞳に留める。
 娘を見る母親の屈託のない笑顔。

 ……俺を唯一慈しんでくれたお袋でさえ、見せた事のないような笑顔。

 あの人は、いつも儚げに笑っていた。
 断ち切るように視線を外すと、夜陰に紛れ、疾風(かぜ)になる。


 ──── 二度とここには、来るものか!


 そう、思いながら。
 風を切る耳に、微かにかごめの声が届く。

 ──── 先生がね、出席日数が厳しいけどこの成績なら志望校、大丈夫だって。
 ──── 良かったわね、かごめ。


( 勝手にしやがれ!! )


 己の胸の内にわだかまる闇の中に飛び込むように、目の前にある自分の時代へ続く闇に身を踊らせた。



「……なあ、姉ちゃん。やっぱり犬夜叉の兄ちゃんとケンカしてんじゃないの。兄ちゃん、ちっとも迎えに来ないじゃないか!」

 朝食も終わりがけ、最後のお茶を飲んでるところへ、そう草太が声を掛けてきた。

「…そうね、まだ怒ってるかも。無理やりこっちに帰って来ちゃったから」
「えっ−、ど−すんだよっ! もうあっちには行かないつもりなの、姉ちゃん!!」
「まさか行くわよ。こっちに帰って来た目的は達成したし、今日学校から帰ってきたら行くつもり」

 パリポリと沢庵をかじりながら茶を啜っていたじいちゃんが、口を挟む。

「で、次に帰ってくるのはいつじゃ」
「そーねー、向こうの状況次第なところもあるけど、週一か週二、ぐらいかなぁ。いろいろ要る物もあるから」
「ほらほら、かごめも草太も急ぎなさい。学校に遅れるわよ」

 片付け物の手を止めて、そうママが促す。そうして、元気良く玄関を走りだしてゆく姉と弟。

 どこにでもある、当たり前の朝の風景。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「……なあ、珊瑚。かごめは本当に帰ってくるんじゃろうか? オラはだんだん不安になってきたぞ」

 不貞腐れて部屋の奥に寝っ転がって背中を見せている犬夜叉を、恐ろしいものを見るように横目で見やり、小声で話しかける。

「七宝までなんて事を…。一体あのバカに何を吹き込んだんだか、ねえ法師様!!」

 状況を悪化させた原因であろうと思われる弥勒に、冷たい視線を投げる。

「いえ、私は受け入れなければならないものは、受け入れねば、とそう言ったまでで……」

 小声で話していても、耳の良い犬夜叉の事。
 何か勘に触る事でもあったのか、荒っぽく起き上がると最近稀に見る凶悪な目つきで三人を睨(ね)め付ける。

「……弥勒、ちょっと来い」

 そう言うと、さっさっと楓の小屋を後にする。
 否、とは言わせぬその語気に、仕方なく弥勒も犬夜叉の後を付いて小屋を出た。

「…大丈夫じゃろか? ものすごく恐ろしい顔をしとったぞ」
「多分…。やばくなりゃ上手く逃げるさ。あの法師様なら」

 そうして、二人は顔を見合せため息を付く。
 かごめが国に戻ってから何を思ったのか、犬夜叉もちょくちょく様子を見に行っていたようだ。
 だが、帰ってくる度にその機嫌は悪くなる一方で、そんな様子を見ての先の七宝の言葉となる。

「帰ってくるさ。かごめちゃんは、約束を守るからね」
「かごめが帰ってくれば、犬夜叉の機嫌も直る。オラ、もうあんな犬夜叉と一緒に居るのはいやじゃ!!」
「本当にねぇ。早く帰ってくればいいのに、かごめちゃん」


 犬夜叉は後ろも見ずに歩きつづけ、村はずれのあの井戸の傍らに、どっかと足を組んで座り込んだ。
 少し遅れて着いた弥勒を、下から金色に底光りする眼で睨み付ける。

「 ─── 今にも引き裂かれそうな目つきですな、犬夜叉」
「ふん、出来るものならそうしてやりてーよ!!」

 持って行きようのない怒りを、目の前のこの男にぶつける。
 怒りの激しさは、知ってしまった哀しみの深さに比例する。

「犬夜叉……」
「なあ、弥勒。俺達、かごめ抜きでどれだけやれるだろう?」

 声の調子を落とし、そう問いかける。
 とどのつまりはそういう事なのだ。

「…そうですねぇ。かごめ様のお力がないとなれば、四魂のかけら集めは至難を究めましょうな。かけらの気配を察知する力、浄化の力、破魔の力、どれも得難いものでありますれば」
「そうか…。それでも、やるしかないんだよな」

 俯き視線を足元に落とす。鋭い眼光が消えただけで、犬夜叉の姿はひどく小さく見える。
 その犬夜叉の顔を覗き込むようにして、弥勒が腰を落とした。
 そして、意外だと言う様に言葉を継いだ。

「…お前、どうしてやらないのです? お前なら、かごめ様の国に行ってかごめ様を引っ浚(さら)い、この井戸を潰す事など造作もないでしょう」

 …人当たりの良い、柔和な顔だちに騙されがちだが、根が不良な弥勒らしい言葉だ。
 一瞬、呆気に取られ、やがて哀しげに首を振る。

「…そんな事をしたら、かごめがかごめじゃなくなる」

 そう言ったきり犬夜叉は黙り込んでしまい、弥勒ももうそれ以上、掛ける言葉を見つけられなかった。

( …そこまで理解ってしまったのなら、仕方がありませんね)

 井戸の側で動こうとはしない犬夜叉に、気が済むまで付き合ってやろうと弥勒は思う。

 人の心を思う事を知ってしまった事を、憐れに思いながら。


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