【 いまここにあるもの2 】



「ただいまっ、ママ」

 夕方、勢い良くかごめが帰ってくる。
 その勢いのまま二階の自分の部屋へ駆け込み、いつものリュックを抱えて下りてきた。

「お夕飯、どうするの?」
「うん、向こうで食べるからいいわ。暗くなる前に着きたいし」
「そう、向こうの皆さんによろしく言うのよ。随分長い間留守にしてたんだから」
「分かってるって。じゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい。気をつけてね」

 母親の声に送られて、家を出る。母親は、何事もなかったかのように夕食の支度を続け、かごめの足音が遠ざかる。

 隠し井戸の建物に入り、かごめは目を丸くした。井戸の側にはクーラーボックスが二つ、ダンボール箱が五・六個、小積んである。

 その上に母親からの短い手紙。

『皆さんへのお土産です。持っていって下さい』―――

「もう、ママったら…」

 目尻になぜか、涙が滲んだ。
 

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 辺りが朱(あけ)に染まる頃まで、犬夜叉は動かなかった。
 影はますます濃く長くなり、そろそろ限界だな、と弥勒が思った時、不意に犬夜叉が立ち上がった。

「…望まなければ、失望する事もない。信じなければ、裏切られる事もない。そう言う事だよな、弥勒」
「犬夜叉…」
「この世には、変わらないものなどない、ってのが唯一の真実だ。そうだろ?」
「…それでは、あまりにも哀しいではありませんか」
「哀しい事なんてあるもんか。今まで、そうやって俺は生きてきた。これからも、そうやって生きてゆくさ。俺は一人で十分だ」

 くるりと体の向きを変えると、井戸を覗き込む。

「でも、その前にこれだけは言っておく!」
「犬夜叉?」

 すうっ、と大きく息を吸い込むのが見えた。と、次の瞬間 ────


「か ご め の ば っ き ゃ ろ ー っ ! ! 」


 四里四方に響き渡るような大音声だった。
 二人の様子を心配して、こっそり覗きに来ていた珊瑚と七宝も、思わず耳を塞ぐ。
 ゼイゼイと肩で息をし、それから弥勒の方へ振り返る。

「じゃ、帰るか。」
「…ええ、あ、はい。」

 間近で聞いたあまりの声の大きさに度肝を抜かれ、固まっていた弥勒がようやくの事で返事を返す。
 …言葉程には荒(すさ)まないのは、それだけ犬夜叉自身が変わったからだろう。

 それも、全ては ────

 二人が立ち去りかけて、井戸に背を向けた時だった。
 突如、その背に突き刺さる殺気めいた視線。

「 ─── 誰が、バカですって」

 その声に、恐る恐る後ろを振り返ると ────

「かごめ…」
「かごめ様!」

 井戸の縁から白い手を見せ、上半身だけ薄闇に浮かばせるようにしてかごめが居た。

「かごめ様、お手を…」

 かごめを引き上げようと差し出した弥勒の手を、ぱしっと払いのけ、井戸の口からかごめが飛び出してくる。
 そのまま軽やかに着地を決めると、犬夜叉の前に立ちはだかった。

「帰ってくるなり、バカはないでしょ、バカは!! そりゃ、ろくに訳も言わずに二週間も留守にしたのは、悪かったけど…」
「…なんで、戻ってきやがった」

 押し殺した、唸るような犬夜叉の声。

「なんで、って…、ちゃんと行く前に二週間で戻るって言ったじゃない!」
「へっ、どーだか。本当はこんなとこ、戻って来たかぁねぇんじゃねーのか! 向こうでよろしくやってるみたいだしよ!!」
「何よ、向こうでって? あー、やっぱり犬夜叉、あんたこっそり覗いてたんでしょ、いやらしい」
「あんだぁ〜、いやらしいだと! この俺をそこの助平法師と一緒にするなっっ!!」

 びしっ、と指を差され、あたふたと弥勒は珊瑚達の隠れている物陰へ避難した。
 このまま側にいたら、どんなとばっちりを受けるか分からない。

「弥勒〜、早うあの二人を止めてくれ。せっかくかごめが戻ったんじゃ。このままじゃ、また国に帰ってしまう」

 毛を逆立てて噛み付き合っている犬夜叉とかごめ、こそこそと物陰に隠れている弥勒と珊瑚の両方を、おろおろと見比べながら七宝が哀願する。

「…しかし今、二人の仲裁に入るのは、石を抱いて水に飛び込むようなものですよ」
「じゃが、のう珊瑚〜」

 弥勒じゃ当てにならぬと察し、珊瑚に哀訴する。

「もう少し、様子を見ようよ。確かに今の二人じゃ、聞く耳なんて持っちゃいないよ」

 息をひそめ、成り行きを見守る三人。

「無理しなくていーんだぜ、かごめ。お前が四魂の玉を砕いた事や、それで楓ばばぁに集めるように言われた事なんて、これっぽっちも気にしなくていいんだからな!」
「…犬夜叉、あんた何が言いたいのよ! 遠回しな言い方なんかしないで、もっとはっきり言えばいいじゃない!!」

 …出掛けに母親に言われた事など、すっかりかごめの頭からは吹き飛んでいた。

「ああ、じゃあ言ってやる! もう、こっちへは来るなってんだっっ!!」
「どうして…、どうしてよ! 前にも、無理やり向こうへ帰して、こっちに来られなくした事があったけど、今度の理由(わけ)は何!?」

 かごめが更に詰め寄る。

「…思いっきり、楽しそーだったじゃねーかっ! 勉強とやらにもあんなに真剣で… 大事なんだろ? 俺は、お前の大事な時間を邪魔したくねーんだよっっ!!」
「犬夜叉…、何言ってるの」
「お前の居場所は、向こうなんだ! こっちに来ちゃいけねえんだよ、お前は…」
「犬夜叉…」
「後の事は、俺たちでなんとかするから ──── 」

 そこまで犬夜叉が言った時、かごめの右手が思いっきり犬夜叉の左頬を打った。
 強い光を宿した黒い瞳からぽろぽろ涙を零し、拳を握りしめて。

「――― 一体、何を見てたの!? 私が何故、あんなにも向こうで頑張ったと思うの! 全部、ここに帰って来るためじゃない!!」
「かごめ…」
「…私が、戦国時代と現代を行ったり来たりして、皆に迷惑かけてるのは知ってる。だから、割り切ろうと思ったの。こっちに居る時は、四魂の欠片を集める事だけ考えようって。そうしたら急に不安になって、向こうに帰って今の私にどれだけの事が出来るのかって」

 言葉を探し、一生懸命に思いを伝えようと足掻いている。
 確かに向こうの世界の事は、手を貸してやりたくとも手出しは出来ない。

「…ここでの事を、向こうで上手く行かなかった時の言い訳にしたくないの! だから、頑張ったの!! どっちも私には大切で大事だから! どちらか一つを選ぶなんて出来ないから!!」

 泣いているのか怒っているのか、おそらくその両方の迫力に押されて犬夜叉は何も言えなくなった。

「見つけちゃったんだもん、私の居場所。犬夜叉の側に居たいって! だから、欲張ったの!! 悪い!?」

 悪い!? と開き直られ、そのまま犬夜叉は固まっている。

「…のう、珊瑚。かごめのあれも『二股』と言うのではないじゃろうか?」
「まぁ…、そーだねぇ、究極の『二股』かもね。でも、ああまで言い切られちゃうと…」
「さすがは、かごめ様。まったくその通りです。必ず、どちらか一方に決めなければならないと言う事も ──― 」

 ばしっ、という鈍い音がして珊瑚の裏拳が弥勒の顔面に決まる。

「 ─── あんたが言うと、違う意味に聞こえるんだよ」

 珊瑚が弥勒に構っているうちに、とっとと七宝が隠れていた物陰から飛び出してゆく。

「やめじゃ、やめじゃ、もうケンカは終いじゃ。犬夜叉、お前の負けじゃからな」
「おい、何言って…」

 七宝のこの一声で、固まっていた姿勢からようやく開放される。
 何か一言いってやろうと声を出したが、もう七宝の耳には入ってはない嬉しそうな顔をして、かごめの胸元に飛び込んでゆく。

「逢いたかったぞ〜、かごめ!」

 その顔をかごめの胸にすりつけ、尻尾を大きく揺らしている。

「ただいま、七宝ちゃん」

 かごめも嬉しそうだ。そんな二人の様子を見て、犬夜叉はすっかり怒気を抜かれ足元の小石を一つ、蹴っ飛ばす。

「 ─── お前も素直になれば、あのようにかごめ様の胸に飛び込めたものを」
「まったく、あんたも『二股』かけるんだったら、かごめちゃん位の気概を持たなきゃ、話になんないよ」

 事態は収拾しつつある、安全だと見て取ったのか、いつの間にか弥勒と珊瑚、この二人が後ろに立っていた。

「お前ら〜」

 新たな怒りの矛先をこの二人に向けようとしたが、二人はさっさとかごめの側に歩み寄り相手にもしない。

「お帰りなさい、かごめ様。帰られた早々、災難でしたな」
「かごめちゃん、お帰り。もう、向こうの事は片づいたの?」
「ただいま、弥勒様、珊瑚ちゃん。まあね、一応私なりの決着は付けてきたわ」

 その言葉をきいて、七宝の顔がぱっ、と明るくなる。

「じゃ、かごめはずーっとここに居てくれるんか?」
「ん−、必要があればまた向こうにも帰るけど、今までみたいにあちらの世界の事は持ち込まないでおこうって。こっちでも、やらなきゃいけない事はちゃんとやらなきゃね」

 …二つの時代を行き来する者としてのけじめを、かごめはかごめなりに付けてきたのだ。


 ともすれば、ふたつに引き裂かれそうな思いを、その強い心で。


「…それで、今回は土産はなしなのか? かごめ」

 七宝が、がっかりしたような顔でかごめを見上げる。
 それで、かごめは気が付いた。

「ああ、そーゆー意味じゃないのよ、七宝ちゃん。向こうの世界の物でも、必要な物は持ってくるから」

 そう言うと回りを見回し、目的の人物を視界に捉える。
 皆の話の輪の中に入って行けず、一人ぽつねんとしていた犬夜叉に、かごめは帰ってきて初めてにこやかに微笑んだ。

「な、何だよ。その、うすっ気味わりー笑顔はよっっ!」

 加えて、かごめは手を合わせ拝む。

「 ─── お土産、向こうなのよね。ママが用意してくれたんだけど、物凄く沢山あって重たかったから…、置いてきちゃった。犬夜叉、取ってきて」

 それだけ言うと、くるりと犬夜叉に背を向け、みんなと一緒にスタスタと村へ向かって歩き出した。

「あ── 、おい、待てこら。どーして俺なんだっっ」

 夕闇に紛れ、弥勒の声だけが返ってくる。

「どーして、ってお前しか行けぬでしょう。かごめ様はお疲れですし…。土産、楽しみにしておりますよ」

 そうして、井戸の側には犬夜叉だけが残される。

 ─── 夕べ、二度と向こうの世界には行くものか! と、悲痛な思いで見つめていたこの井戸。それなのに…。

 日はとっぷりと暮れ、空に登った三日月が、柔らかな光を落とす。
 しばらく考え込み、それから大きくかぶりを振る。
 長い白銀の髪が、月の光を弾いた。

「おーし、行ってやろーじゃねーか!!」

 一際明るい声。久しぶりの心からの。
 月が優しく微笑んでいた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 日暮家、夕食時。

「…姉ちゃん、向こうへ行ったの?」

 食事をしながら、草太があちらこちらと視線を走らせる。

「草太、食事時じゃ。きょろきょろするでない」

 食事の手も休めず、祖父が一言。

「ええ、学校から帰るなり、そのまま飛び出して行ったわ」

 ご飯のお代わりを要求する祖父の手から茶碗を受け取り、お代わりをよそいながら、そう答える。

「ん〜、分かってるんだけど、姉ちゃんが居なくても居ないって気がしないよね、この家って」
「そうね、かごめ頑張ってるもんね」

 柔らかく微笑む、その笑顔。



  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 井戸と楓の小屋を二・三度往復し、犬夜叉がかごめの母が用意した土産を全部運び終えるのに四半時程かかった。
 その頃には、もうすでに小屋の中は宴会状態で、疲れ切って犬夜叉は土間にそのまま座り込む。

「犬夜叉、はよ来い。旨いものがたんとあるぞ」

 すっかり上機嫌の七宝が手招きをし、かごめの隣を空ける。

「 ─── 俺はここでいい」

 今までの事があるので、手放しで喜ぶのは気が引けて皆と離れている。
 その様子に気づき、楓が土間に下りてきた。

「聞いたぞ、犬夜叉。かごめがお前に切った啖呵(たんか)、見事だったそうじゃな。だから言うたんじゃ。信じよ、と。さすれば、お前も痛い目に逢わずに済んだものを」
「 ─── うるせー、ばばぁ。せっかく俺が気を使ってやったのに、かごめの奴、無にしやがってよ」

 ほっほっほっ、とこれ以上はないと言う程破顔して楓は笑う。

「のう、犬夜叉。お前に必要なのは、こう言う強さかもしれんのう。お前、そうは思わぬか?」

 ぷい、と顔を赤らめ横を向く。
 視線の先には皆に土産を配っているかごめの姿。

「はい、これは弥勒様に。中学生じゃお酒なんて買えないから、ママが買っておいてくれたの」

 弥勒の手には二十四本入りワンカップの箱が二箱。
 弥勒がそのうちの一本を取り、不思議そうに言う。

「…これは、酒ですか? まるで、岩清水のようですが」
「ああ、そっか。この時代、まだ清酒ってないのよね。まあ、騙されたと思って飲んでみて」

 かごめに勧められ一口含んだ途端、弥勒の目の色が変わる。

「なんと言う美味さでしょう。仏典にある甘露もかくやと ─── 」

 喋るのももどかしく、残りを一気に呷る。

「のう、かごめ? こっちのもう一つ蓋の付いた箱には、一体何が入ってるんじゃ?」

 二つあるクーラーボックスのうちの一つは、今みんなで食べているお弁当が保温されていた。それで、まだ開けていない方のボックスを興味津々と言った感じで七宝が見ている。

「開け方分かる? 開けていいわよ」

 ぱちん、とロックが外れ中に手を入れた七宝が、慌ててその手を引っ込める。

「これはどうした事じゃ。えろう冷たいぞ」

 びっくりしたような七宝の声にかごめが覗き込み、中から何やら取り出すと七宝の手に渡した。

「はい、七宝ちゃんの好きなウィンナーよ。後で、蛸さんウィンナーにしてあげる」
「ねえ、かごめちゃん。このきつね色をしたふわふわしたものは、一体何だい?」

 横から覗き込んでいた珊瑚が、初めて見る得体の知れぬものを指先でつつきながらかごめに尋ねる。

「あー、嬉しい! シュークリームが入ってる。これね、すっごく美味しいのよ。お夕飯が済んだら、一緒に食べようね」


 ─── かごめが居るだけで、こんなにも明るい。不思議な気もするが、納得もしていた。


「さすがはかごめ様の母君だけの事はあられる。ありがたく、頂いておきます」

 両腕に酒を抱え、出来上がりつつある弥勒が何やら叫んでいる。
 その言葉に、犬夜叉の瞳がふと、翳る。

「犬夜叉、そんなとこに居ないでこっちに来たら?」

 かごめが手を後ろ手に組んで、犬夜叉の顔を覗き込む。

「…かごめ、お前はいいかも知れねーけど、お前のおふくろは、お前がこっちに来るのは嫌なんじゃねーか?」
「えっ、どうして?」
「どうしてって、お前こっちでの事話してないのか? 妖怪どもに追っ掛けられたり、殺されそーになったり…、ふつーの親なら絶対嫌がるぞ」
「ちゃんと話してるわよ。だから、今度だってみんなの好きそうな物をお土産に用意してくれたんだし…」
「でもなー、って モゴッ」

 まだ何か言いそうな犬夜叉の口を封じるのに、後ろ手に持っていたものを犬夜叉の口に放り込む。

「好きでしょ、これ。この前のお弁当の沢庵ね、あれママが漬けた沢庵だったの。犬夜叉が美味しいって言ってた、て言ったら喜んじゃってね、沢山食べてもらいたいからってまた山程漬けたのよ。まあ、私もちょっと手伝ったんだけど…。どう、お味は?」
「ん、美味い…」

 大きめのタッパーいっぱいに詰めた沢庵を見せながら、にっこり微笑むかごめの笑顔に、その母親の包み込むような笑顔が重なる。

 そして、あの人の面影も。

 儚い笑顔しか知らなかったけど、もしかしたら、こんな笑顔も持っていたのかも知れない。


 ───― 敵わない。


 このかごめを産んで育てた母親(ひと)だけの事はある。
 かごめに手を取られ、みんなの中に座す。
 いつの間にか、一人で居る事も出来なくなっているようだ。
 なんだか、嬉しいようなくすぐったさを感じていた。



  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 ─── やがて、夜も更け七宝が寝入り楓も休む、と言いだしたのを合図に、時ならぬ宴会を切り上げる事にした。かごめと珊瑚がてきぱきと後片付けを始め、こんな時、男は役に立たないわよねー、と言う声を聞きながら犬夜叉は小屋の外に出た。
 いつの間に消えたのかと思っていた弥勒が、小屋から少し離れた木立の下で、まだ酒を飲んでいる。

「 ─── おい、この生臭坊主。いつまで飲んでんだ。いい加減に酔いを醒ませ」
「なにを仰る。せっかくの美味い酒です、この美しい星月夜を愛でながら飲まねば、いつ飲むというのです?」
「ったく、どーしようもない奴だな。なにが、星月夜だ」
「三日月の光は優しいので、小さな星の光まで良く見えるでしょう? 一夜の夢です。明日はどうなるか分からぬ身ですから」
「弥勒…」
「…かごめ様の仰る通りですよ。今あるこの時を、悔いなく過ごさねば、過ぎてしまった時は取り返しようがありませんからね。その事はお前が一番身に染みて知っているでしょう」
「…………」

 弥勒が何の事を言っているのか、痛い程良く分かっている。

「犬夜叉、お前も飲みますか? 良い酒です。この酒は良い夢を見せてくれそうですよ」

 抱え込んでいたうちの一本を差し出す。
 それを無言で受け取り、弥勒の隣に腰を据える。
 蓋を取り、香りを効く。
 嗅覚の発達した犬夜叉には、少々刺激的すぎるが、確かに芳醇な香りだ。
 一口、口に含みゆっくり喉に流し込む。
 胃の腑がかっと、熱くなる。

「ああそう言えば、お前が忙しく走り回っている時に、かごめ様が言ってましたよ。大事な時間を、お前に邪魔されたつもりはない、と。かえって勉強の効率が良くなった、とも言ってました」

 二口目を口に含み、弥勒の顔を見る。

「確かに、勉学に必要な要素は集中力と理解力、記憶力とかカンもありますから…、ここで暮らしていれば、日々それらの力は鍛われる訳です。特に理解力に至っては、お前のような訳分からん者と四六時中顔突き合わせていれば、おのずと深まる訳で…」

 ごっくんと勢い良く飲み下し、思わずむせる。
 弥勒の目が笑ってる。
 どうやら酒の肴を、空の星々から犬夜叉をからかう事に変えたようだ。

「兎にも角にも、良かったではありませんか。かごめ様がああ言い切る以上、お前がどう足掻こうと、お前の側を離れることはありますまい」

まだ少し咳き込みながら、返事を返す。

「ふん、どーだか。またすぐに『てすと』だ『もし』だ、ってあっちに帰るんだぜ」
「それもこちらに心置きなく戻って来られる為の、試練のようなもの。気になるなら、お前も付いて行けば良い」
「そんな金魚のフンのような真似、出来るか!」

 その様子を見て、さらに笑う。犬夜叉はアルコールに弱い体質なのかほんの二口・三口でかなり酔いが回っている。
 それで、近づいて来る小さな足音に気がつかなかったのだ。

 そして、気づいたのは弥勒。

「さて、お前に最後の一本をあげてしまったので、小屋に戻るとしますか。犬夜叉、お前はどうします?」
「もう少し、ここに居る」

 先程まで弥勒がそうしていたように、空の星々を眺めている。
 弥勒は立ち上がり衣の草を払いながら、すれ違うかごめに目配せをした。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 かごめは今まで弥勒が座っていた所に座り込み、頬杖をつく。

「ねえ、犬夜叉」

 かごめに声を掛けられて、びっくりしたように自分の横を見つめる。酒の匂いと酔いとで、今まで気づいてなかったのだ。

「かごめ…」
「私ってけっこーワガママだし、こんな性格だから振り回しちゃうけど、でも、さっき言った事は本当よ。私、犬夜叉の側に居てもいいよね?」
「あ、ああ…」

 そっと、かごめの手が頬に触れる。

「…まだ、赤くなってる。私が叩いたとこ。ごめんね、犬夜叉」

 赤くなっているのは酒のせいなのだが、それには気づいていない。

「お前、本当にいいのか? こんな俺なんかに関わっててよ」
「先の事なんて、まだどうなるか分からないから…。だから、今ここにあるものを大事にしたい。私は私らしく、鮮やかに生きたいって。思い出がこれからの糧になるように。それって、何よりも確かなものでしょう?」

 …向こうに行ってた二週間の間に、かごめは少し大人になったような気が犬夜叉にはした。
 コトン、とかごめの頭が犬夜叉の肩口に触れる。

「…さっきの犬夜叉の言葉、嬉しかった。私が上手く言えなかった事理解ってくれたんだなって。私の事、本当に心配してくれて、私の周りの事まで気に掛けてくれて。ありがとう、犬夜叉」

 肩口に感じるかごめの重さは、かごめを笑顔で送りだした、あの母親の信頼の重さでもある。

 それに応える事が、本当に強くなるという事だと犬夜叉は思った。

 そのまま二人は星の光の下、静かに時を過ごす。いつしか、かごめが安心しきったように、犬夜叉の傍らで眠りに落ちるまで。

( ─── そう言えばこいつ、出会って早々でも俺の側で寝てやがったよな。基本的に寝付きのいい奴なんだ。でも… )

 そう、かごめが向こうに帰っていた二週間。
 夜遅くまで、かごめの部屋の明かりが消える事はなかったのだ。


( …お前、本当に頑張ったんだよな )


 胸に満ちる、この熱い想い。
 良い夢を、と弥勒は言った。
 覚めて欲しくはない、夢だった。




 トクン、トクンと心臓の鼓動。かごめを包む犬夜叉の体温。
 夢現の中でかごめは、醒めた目をした、もう一人の自分を見た。


 その一人は知っている。
 必ず、その日が来る事を。


 ──── 出来ることならば

 ──── 呼吸ヲ止メタ星ガ ソノ光デ 旅人ヲ導クヨウニ


「………………」
「何か言ったか?」

 かごめが身じろぎ、何事か呟く。

「ううん、何でもない」

 珊瑚の呼ぶ声がする。

「小屋に戻ろう。こんなとこで寝ちまったら風邪ひくぜ」

 犬夜叉の差し出した手を取り、立ち上がる。
 二つの影が寄り添い、やがて淡い光の中に消える。


 二人が立ち去った後、月と星だけがその想いをみつめていた ────

                          

  ──── みかづきわらった ぎんいろまほう

          せかいをしずかに てらしてるよ ────






【終わり】
2002.11.28
BGM:ZABADAK − にじ そら ほし うちゅう −







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