【 月の光 】


= ご注意とご案内 =
下に置いてあります拙文は、故星新一氏のSS「月の光」より想を得て、設定・ストーリーの骨子などはなるべく原文に添わせ、それを殺りん文に脚色したものです。
が、気をつけていた筈ですのに殺りん変換の為か作者の嗜好性の顕れか、かなり原文からかけ離れた物になってしまいました。
これもまた二次創作ならではのお遊びと、読み流して頂けますと幸いです。



 



 

 ――――― どうしたの? やけに静かじゃない。彼女にでも、振られたの?

 


 行き付けのバーのボックスに納まり、時折グラスを揺らすだけで、いつもの陽気さを潜めた弥勒がそこに居た。


 彼女? ああ、珊瑚とのデートは楽しかったよ。ただ、ね……。



 ただ? どうしたのよ。気になるじゃない。


 
 世話焼き型の、お世辞にも美人とは言い難いホステス相手に何を話せと言うのか。
 酒の肴になるような話でもあるまい。



 だけど ――――


 
 そう、こんな何でもない相手になら、却って話してみても良いかもしれない。明日になれば、泡沫のように忘れてくれているだろう。
 聞いて欲しいのは、私なのかも、知れない……


 ねぇ、話してよ。


 ああ、そうだな。今夜は三日月が綺麗だから、な……。


 


   * * * * * * * * * * * * * 


 

 
 ……そう、これは人間嫌いだったあいつの話。


 
 俺とあいつ。


 
 女好きで遊び好きな俺に対して、もともと整い過ぎた容姿の醸し出す威厳と冷淡な眼差し、それゆえに孤高の影を纏っていたお前。
 まるで水と油のような俺達だったが、お互い早くに家族を亡くし、正真証明の天蓋孤独な者二人。
 ましてや方向性と質は異なるも、潜った修羅場は数知れず。



 だからこそ、何か通じるものがあったのかも知れない。



 仮にも俺にはまだ他にも友人と呼べる者がいたが、あいつには俺だけだったと思う。
 親類遠縁など、なまじ血が繋がるだけに忌々しいものはない、と吐き捨てていたお前。俺など想像もつかない程の財力を持ちながら、それ故にその財を狙う輩の暗躍で両親を亡くし。
 浅ましく、卑しいそれらの者どもの中で育ってきたお前。天涯孤独と血縁を切り捨てて生きてきた。
 自身の身に危険が及ぶ事もあったが、自分の命と引き換えにそれらの財が全て国に行くと手を打ち、守りとした。


 既に生きる事に倦んでいた、お前。


 これは、そんなお前の話。

 

 


 ――――― 気晴らしになるからと弥勒が誘うものだから、顔を出してみた集まりだが、やはり居心地の悪さはどうしようもなく。
 引き止めるあいつを無視すると、私はその店を後にした。


 
 そろそろ白いものが落ちてきても良いような季節に差しかかろうとしていた。どこにも、そう自宅さえも安らげる場所ではなく、気まぐれに路地から路地へと、細い道を見つけてはそちらへそちらへと歩を進めた。
 今の己の気持ちのように、迷路へ迷路へと。


 袋小路で行き詰まるまで。


 何本めかの路地を突き当たり、やっている事の馬鹿馬鹿しさに我ながら呆れ返り仕方なく自宅に戻る事にした、その時だった。


 ―――― そう、それを見つけたのは。


 誰も覗きそうにない、路地裏の暗がりの中。
 道端の襤褸の塊がもぞりと動き、中から小さな手が出てきた。
 何事かとそのまま様子を見ていると、それはどうやら幼児らしい形を取り始める。私の顔を見て、一生懸命に手を伸ばす。
 声が出ないのはまだ喋れないのか、声を出す元気もないのか。
 まるで、ゴミのような子供だった。


 関り合いになるのも馬鹿らしいと、踵(きびす)を返す。
 この寒さの中、こんな所に捨て置かれたこの子供の命は、それこそそこらあたりの紙切れのような軽さなのだろう。
 誰にも顧みられず、誰にも知られず、在った事さえ掻き消されてしまうような『命』。


( ……拾ってみようか )


 それは、気まぐれ。
 何をどうしようかとかは、思いもしなかった。
 振り返り、近付く私の姿をその子供はただ見詰めている。
 腕に抱き上げその軽さに、本当に紙切れのようだと思った。
 抱き上げた子供の、幼さ故の茫洋とした大きな黒い瞳。
 まだこの世のどんな汚れにも染まってはいない、無垢な瞳。


 面白いかもしれない、とそう思った。


 
 人間嫌い故に、セキュリティだけは厳重にかけている。
 昔からの老執事が一人居るだけの人気のない広大な屋敷はまるで亡霊屋敷のようだ。
 そこに住まう私は、さしずめ人界をさ迷う幽鬼のようなものか。
 だがそれも今、この胸に兆した企みを遂行するには丁度良い。


 この子供を、薄汚い人の世から隔離して育ててみようかと思い付いた。


 どうやらこの子供は、まだ言葉を覚える前らしい。それならそれで好都合。言葉など、人を欺き偽る道具だからだ。この子供に与えるのは衣服さえ要らないような快適な環境と、耳に優しい極上の音楽。目を楽しませ香りに酔わせる美しい花々。


『けがれなきもの』と言う糧で、育ててみよう。


 私が欲しかった全てで、育ててみよう。
 どんな者に育つのか。


 
 ……その期待は、初めて見つけた蝶の卵を観察する熱意にも似て。


 
 幸い半地下にある、今は誰も使う事のない室内プールを温室に改装し、この子供の住まいとする。プールサイドに季節の花を植え込み、空調を効かせ、程よい温度の清純な水を循環させる。『外』の騒音を絶つ為に防音装置を施し、しかし完全な無音は精神に異常をきたすので常に美しいを音を流し……。
 外光さえも絶ち、室内には人工の太陽灯で昼夜の別とする。


 その工事が終わるまで、私は付きっきりでその子供の面倒を見た。
 誰にも触れさせず。
 どうせ大学など、行っても行かなくとも大差ない。単位など、家にいても十分事足りる。
 弥勒などがこの様を見たら、きっと目を剥く事だろうと心密かに含み笑いし。


 拾った子供は、娘だった。
 よほど過酷な状況だったのか全身に折檻の痕と思われる痣があり、ろくに食事も与えられなかったのだろう、極端にやせ細っていた。
 自然治癒したと思われる骨折の跡も、二・三じゃきかない。
 何よりも、汚かった。


 連れ帰ってまずした事は、とにかくこの娘の腹を満たす事だった。
 未だ乳児と幼児の境にいるようなこの娘に何が良いかと思案し、取り敢えずミルクと果物ならば大丈夫だろうと取り寄せる。


 ふと昔読んだある本の一節が頭に浮び、ミルクと蜂蜜、それと果物。
 人はそれで生きて行けるのか、試して見ようかと言う気にもなり。
 娘の腹を満たしてやると、次はその汚れそのままの体を洗ってやる事だった。少し温めに湯を張り、そこに娘を漬ける。始めはびっくりしていた娘だが、どこかで聞いた通りすぐその湯の感触に馴染み、楽しそうに遊び始めた。
 その反応に、私も満足した。
 幼い時から、おそらくこの様子を見れば生まれた時から、この娘は一片の愛情も思いやりも与えられた事はないのだろうと思われた。
 その環境が、この娘の精神に歪みを生じさせてなければ良いが、と思っていた矢先だったのだ。
 すでに変質し、歪んだ者など育ててみても面白くもない。
 また、小賢しい知恵なども要らない。


 純粋に、『無知』で『無垢』なものを育ててみたいのだ。


 
 言葉を掛ける事無く、その分手を掛けて私は娘の世話をし続けた。
 震える小さな体を抱きしめてやり、私の手から食事を取らせ、胸に抱いて眠りにつかせる。
 唯一、この娘が今までの環境で学んできた事は、される事に逆らうなと言う事だったらしい。それはそれで、また都合が良かった。
 体中の痣が薄れ、ガリガリだった体に僅かずつだが柔らかく肉がつき始め、毎日磨く肌が幼子特有の肌目(きめ)の細かさと滑らかさを取り戻した。
世間が知れば非難は免れない動機で育て始め、得るものなどない酔狂な真似。
私がかけた労力の対価は、私を見る時に見せる娘の笑顔。


 これほどの笑顔を向けられる者は、おそらくこの世に私一人だろう。


 こうして私と娘の、『神話の時代』は始まった ―――――



 娘の為の改装が終わり寝床が出来上がると、私はそこに娘を順応させる為、眠っているうちに移動させた。ここに来れば、もう身に纏う衣服は要らない。
 室温は常に二十八度を保ち、肌を乾燥させないように湿度を七十パーセントに設定する。代りに寝床には、特別に取り寄せたベルベットのような手触りの柔らかな苔を厚く敷き詰め、花影が太陽灯の光を優しく遮る様に配慮した。
 喉を潤す清純な水と、その幼い体を優しくあやす羊水のようなプールの水と。娘の手の届く所に幾つも果物籠を置き、いつでも食べられる様にした。籠の側には、蜂蜜とミルクの壷を置き。
 娘がここで暮らして行く為の術を、私は身を持って教えた。


 難しい事ではない。
 生まれたままの姿で、心のままに自然に過ごせば良い。
 眠たくなったら眠り、腹が空けば果物を食み、水やミルクで喉を潤し。
 水と戯れ花に埋もれ、まだ小さいその手で私に触れ。


 娘が日に日に、伸びやかに育って行くのが良く判った。
 私がこの娘に与えた言葉は、私の『名』だけ。
 日がな一日この娘と過ごし、どうしてもこの部屋から出なくてはならない時だけ、娘に薬を盛って眠らせ必要な時間を作り出していた。


 ……しかし、それでは娘の体に負担を掛けると思い直し、私はこの『部屋』から出て行ける者だと教える事にした。


 娘の見ている目の前で、隠し扉のようになっているそのドアから出て行く。初めての事に娘は驚愕に瞳を見開き、狂乱し私の名を叫ぶ。


「…せっ、せしっっ、せし…まっ! せし…まるっっ!!!!」


 快感だった。
 娘の必死な顔が、声が。
 これほどに、『私』だけを求めてくる者が在る事が。


 元の更衣室で身支度を整えると、そこに控えている邪見に言い付ける。


「……あれの様子をよく見ておけ、邪見。良いか、あれの命に関わるような事態が起こらぬ限り、手出しは無用だ。姿も声も、あれには晒すな!!」


 老執事・邪見は低く頭を垂れて、了解した。

 


 ……そうだ。あれには私だけでいい。私だけで ――――


 まだ三つにもならぬ幼子が一人。親から引き離されたような心細さで、さぞかし哀れな様だろう。それを見ているしかない邪見の渋面が目に浮ぶ様だ。愉快で仕方がなかった。私が戻った時、あれはどんな顔をして私を迎えるのだろう? 置いて行かれたのを恨むのか、愚かにもそんな仕打ちをした私を喜んで迎えるのか。
 或いは……。


「どうした? 殺生丸。珍しく愉しそうだな」


 久しぶりの大学の構内で、そう声をかけて来たのは弥勒だった。


「ああ、今面白い実験をしていてな」
「実験? 自宅でか? 最近は殆どこっちには顔を出してないじゃないか」
「ああ、教授には了解済みだ。詳細なレポートの提出と、最低限の出講とで単位は取れる」
「……そのレポートも、どーせメールだろ? 人間嫌いなお前らしいやり方だな。で、その実験のテーマはなんだ?」
「……そうだな。不確定要素を排除した条件下でのコミュニケーションの成り立ちと推移、と言う所か」
「コミュニケーション? また、お前らしくないテーマだな。珍しい動物でも飼ってるのか?」
「……珍しいと言えば、珍しいか。まぁ、雛のようなものではあるな」


 まだ、何か聞きたそうな顔をしている弥勒を残し、私はさっさとその場を後にした。


( ……まさか、人間の娘を飼っているなどとは言えぬからな )



  ……そう、判ってはいる。
 私の行為が、社会の良識に反している事くらいはな。

 


「お帰りなさいませ、殺生丸様」
「あれはどうしている?」


 一瞬、邪見の顔色が翳る。


「……泣き疲れて、あのままあの場で眠ってしまいました。後を追おうとして、閉じられた扉を叩き続けて、小さな手を血だらけにしたまま……。見ていて、辛ろうございました」
「そうか……」


 あの部屋に入る前の事でも思い出したのだろうか?
 もし、そうならば……、この『実験』はここまでだ。
 『閉じ込められている』と判って、まともな精神でいられる者はまずいない。私がこのままあの部屋に入り、あれがどう迎えるかで、その結果であれに服を着せ警察に引き渡そう。


 私が欲しいのは、純粋に無垢で無知な者。
 その魂に傷のない者。


( ……束の間の夢、と思えばそれも悪くない。あの娘は、全身全霊で私を求めてくれた。それが例え、雛が親鳥を慕うものだとしても )


 決めるのは、お前だ。


 
 かちゃり、と微かに音がし。
 着衣のまま、その部屋に入る。
 その気配に娘は泣き濡れて腫れぼったい目のまま起き上がると、私の顔を見た。


 その時の、娘の表情!!

 全身で喜びを表し、私が与えたたった一つの言葉と笑顔で私を迎える。


「せっせっしょ! せっしょう…まるっっ!!! っまるっっ!!!」


 飛び付いてきたその小さな体を抱きしめ、私の胸は歓喜に震える。
 ああこれほどまでに、私の魂に染み込む存在があろうとは。


 もう、手放せぬ。
 そう、お前が私から離れぬ限りは。


  ―――― それから私は、度々そのようにして『部屋』と『外の世界』とを行き来した。娘は私が出て行く事を嫌がりはしたが、自分も外に出ようとはしなかった。
 この『部屋』の中だけが、私と娘の世界である事を知っているかのように。


 泣きそうな顔で私を見送り、戻ると弾けるような笑顔で私を迎える。
 この笑顔の為に、私は日々を過ごしていた。
 俗世の多少の煩わしさも、この笑顔で昇華される。


 こんな私の変化を一番驚き、そして喜んでくれたのは弥勒だった。既に大学も卒業し、職を得た今でも時折思い出した様に連絡を取ってくる。


 
「おい、どうだ? 久しぶりに飲まないか?」


 そう誘われて何気にその気になったのも、そんな心境の変化だったのかもしれない。


「いいよな、お前は。株、やってるんだって。元手があれば、俺もやってみたいもんだ。それで暮らせるならありがたいしな。宮仕えは辛いもんだぜ」


 酒を飲むには少々早い時刻で、待ち合わせのカフェに先に着いて待っていると、弥勒は着いた早々愚痴とも嫌味ともつかない台詞を吐く。
 ちゃっかりと要領良く定時に上がって来ておいて、良く言うものだと思う。この要領の良い男なら、さぞかし仕事も捌ける事だろう。
 ふと、その気になって出て来たのは良いが、やはり気になる。


( ……あれが、待ってるかもしれんな )


 ちらりと、手元の時計に視線を走らせる。
 その様子を、抜け目なく弥勒が見咎めていた。


「なんだ、俺との約束は次までのつなぎか? さては……」


 女好きな弥勒の考えだ。
 まったく、下世話な事に。


「……飲む気が失せた。帰る」
「ったく。相変わらずだな、お前」


 店を後にし、夕暮れ時を楽しもうとする人の群れに逆らいながら足を速める。後ろから、ニヤニヤ笑いの弥勒が付いて来ていた。
 ふと足を止めたのは、こじんまりとした宝飾店。
 ショーウィンドウに飾られていたものに目が止まり、なにも考えずに店に入る。
 いよいよもって弥勒の笑いは弾けそうだ。
 店員に言って、ショーケースから目的のものを取り出させる。


「……なんか、お前の雰囲気が変わったと思ったが、やはり女でも出来たんだな?」
「下らん世話だ」


 取り出されたのは金と銀の鈴をあしらった、ペンダントだった。
 その鈴を手に取り、振ってみる。
 大きな音ではないが、ころころと柔らかい音の金の鈴。澄んだ少し固い音の銀の鈴。


「ふむ。悪くはないな」


 それを求め、包みましょうか? との店員の言葉を無視して金を払う。


「それ、彼女へのプレゼントではないのか? 中身が剥き出しのままじゃ、あんまりだろ?」
「……女、ではない」
「ん〜、じゃぁペットの首輪にでもするのか?」


 呆れたように言い捨てる弥勒にちろっと、視線を投げ、そして落とす。


「……そのようなものかもな」


 もう一度、手にしたそれを見詰めた。
 これを渡したら、あれはどんな顔をするだろう。

 


 
 ―――― あれと暮らすようになって、六年近くが過ぎようとしていた。


 
 拾った当初はまだ乳児に近かったその姿も、今では豊かな黒髪、薔薇色の頬、濡れたような艶で私を見詰める大きな瞳。健康の事も考えて、適度に運動をさせた甲斐もあり、小柄で華奢ながらも健やかに、伸びやかな少女に変貌していた。


 言葉さえない世界で、想いだけで繋がり ――――


 金と銀の鈴をあれに渡すと初めはびっくりしていたようだが、その音が気に入ったのか、嬉しそうな笑顔を見せる。付け方が判らないでいるので、首に掛けてやるとなんだか息苦しそうにする。
 一糸纏わぬ生活をさせているので、肌に付くと違和感がしてだめなのだろう。
 さてどうしようかと思った時、娘の細い足首が目に付いた。
 試しに鎖を何重にもして巻いて付けてやると、こちらはそうでもないらしい。何よりも自分が動くたびに、りん、りんと音がするのが面白ろく、まるでウサギのように跳ね回る。


 娘は今だ穢れを知らず、無垢のままで。
 無知ではあったが愚鈍ではなく、私が手本を示すとすぐ理解した。
 言葉はなくとも思いは伝わり、娘の好みも判るようになっていた。
 ミルクは好きだが、蜜は甘過ぎて苦手だとか、果物もあまり好き嫌いはないが、パインだけは舌を刺すようでダメだとか。
 花はどれも満遍なく好きなようだか、殊の外、百合が好きだとか。


 ふと思いついた事で、娘にミルク以外の動物性蛋白質を取らせなかった所為か、それとも年中絶やさない百合の花の所為か、娘の体からは花のような匂いがした。


 男でも女でもなく、私達は過ごし ――――


 戯れに私が花びらを食めば、真似をし、顔をしかめ。
 水に遊び、疲れれば肌を寄せ合い、苔の褥で午睡(まどろむ)。


 
 私と娘だけの、ここは聖域 ――――

 



  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 


 勤務中の携帯が突然鳴り、慌てて取ったのはあいつと最後に会って、半年後くらいだった。
 滅多に掛かってくる事はない、あいつからの電話。


 雑音が多く、良く聞き取れないその電話を俺はどうにかして聞き取ろうとした。


 「おいっ! どうした!! 良く聞こえないぞっっ!」


 
( …の…む……。あれ…、を……… )


 
 辛うじて聞き取れたのは、それだけで。
 あいつの携帯のバックグランドに、近く遠く近付くサイレンの音。

 

 


 ―――― あいつらしい、野辺だった。

 


 見送ったのは、俺とあいつの家の老執事だけ。
 街に出る事の方が珍しいあいつが、なぜそんな所に居たのか。
 そこは、あの半年前にあいつが金と銀の鈴のペンダントを求めた店で。
 手には同じ様な鈴を握り締め、折悪しく凶悪で粗暴な強盗に遭遇し、胸を撃たれた。


 あの電話は、あいつの遺言だった。

 
「……ワシではどうして良いか判りません。力を貸して下され」


 そう言ってきたのは、あいつの家の老執事。


「……力を? 俺に出来る事なら……」
「お願いします。お願いします、お願…い……」


 懇願され焦燥し切った老執事に連れて行かれたのは、半地下の温室のようなプールだった。


 そこには ――――

 生まれたままの姿の一人の少女。
 丹精込めて育てられたのが判るような、この世離れした『人』ではないような少女。


「……これ、は?」
「……殺生丸様が、長年育てて来られた少女です」
「あいつが……」


 俺の気配に、その少女が顔を上げた。
 が、その顔は困惑と悲しみに彩られている。
 その少女の表情とは別に、俺の脳裏と神経に稲妻のように走った戦慄。


「ど…、どうして、こんな所に閉じ込めているっっ!! 早く出してやれ!!」
「ワシもそうしたいのですっっ!! ですが、あれは『言葉』を解しません! 今まで、殺生丸様のお姿とそのお名前の『声』しか聞いた事がないのです!!」


 なにか、酷く『異常』な事なのだと思った。
 あいつが変わった様に見えたのは、この少女の存在か。

 


 りん、ちりりん ――――

 


 僅かに身動いだ弾みに、少女の足元で鈴の音が響く。
 俺は、あいつがそれを手に取った時の情景を思い出した。
 あの時、あいつはとても幸せそうな顔をしてはいなかったか?
 少女の足元には銀の鈴が一つきり。
 あいつが手にしていたのは、金の鈴が一つ。


 
( …そう言う事、か…… )


 
「……ワシの老いぼれた姿では、しわがれた声では、あれが恐がってしまうのです。殺生丸様と似た年恰好・若々しい声の貴方様なら、或いは言う事を聞くかも知れません」 


 あいつだけが、この少女の『世界』の全て。
『言葉』すら知らないこの少女に、どうやってこの『部屋』の外で起こった事柄を伝えれば良いのか。
 今際の際に、あいつが伝えて来たのは、この少女の事。


 
( …頼む。あれを…、あ…れ……を… )


 
 あいつが何より大切にしてきた、この少女。
 この少女が、あいつの存在意義。
 あいつ亡き今、せめてこの少女だけでも!!


 
 俺はそっとその少女の側に寄り、姿勢を低くした。


「……いいかい。よく聞くんだ。君の待っている殺生丸は、もう…、帰って来ないんだ」


 言葉が通じるとは、思わなかった。
 殺生丸自身がもともと話す方ではなく、言葉すら疎んじている節があったから、そう言う風に育てられたといえば納得してしまえるのだ。
 少女は『殺生丸』の名に反応し、俺の表情を読む。
 黒く大きな瞳に涙が溢れ、誰が教えた訳でもないだろうに、嫌々と首を横に振る。


 無知であっても、聡明な子であった。


 
 そう、何が起こったのか、この少女はもう全て知っているのだ。

 


「君は、『ここ』から出て普通に暮らすんだ。幸い君はまだ幼い。今からなら、まだ間に合う。さぁ、おいで」


 差し出した俺の手を避け、少女は温室の壁に擦り寄り身を小さく縮める。
 全身で、俺の言葉を否定し、ただただ頑なに ――――


「……弥勒さん。あの子をここから出す事は出来なくとも、せめて食事を取らせる事は出来ないもんじゃろか?」


 疲れ切った声で、老執事がそう言う。


「食事? まさか……」
「……殺生丸様が亡くなられてから、何も口にしとらんのじゃ。もう、五日になろうか。ここ、一日・二日はろくに水さえも飲もうとせん。このままでは……」


 深く嘆く老執事の声。
 どう表し様もない怒りにも似た衝動で、俺はその少女の腕を取った。
 渾身の力で逃げ様とする少女を押さえ、老執事が用意した食事を素手で少女の口許に押し付ける。


「 ―― 痛っ!!」


 少女は口に押し込まれた物を吐き出し、小さな牙のような歯で噛みつくと、俺を圧倒する迫力で睨み据えた。


 
( ……獣(けもの) )


 
 今まで人の手に触れられた事のない、小さな、そして高貴な獣。
 その迫力に怯んだ俺の腕を振り払い、少女は水辺へと走り出した。止める間もなく、水に飛び込み ――――


 はっと、我に返った俺は着衣のまま水に飛び込んだ。


 水の中で少女は、自らの意思でそこに留まろうとし、その姿は壮絶なほど美しく ―――――


 どうやって少女を水から引き上げたか、覚えていない。
 だが、俺の気持ちは固まっていた。
 目覚めた少女が、また水の中へと飛び込もうとした時、俺は静かに告げた。


 
 ―――― もう、君の邪魔はしない、と。


 
 そうして、殺生丸がそうしていたように、俺はただ少女の傍らに佇んだ。
 少女は俺の顔をその大きな瞳でじっと見詰め、それから少し離れた花影に、そう少女が好きな百合の影に座り込んだ。


 無理強いをすれば、壊れてしまうだろう。
 少女の心も体も。


 ならば ―――――


 見届けよう。

 


 お前とこの少女の絆を。


 これほど純粋で無垢な、そして……
 残酷な絆を綯った、お前の為に。

 


 ―――― 少女を見守り続けて、時が止まる。

 


 もう身動ぐ事も出来ぬ程衰弱し、瞳は艶を失い、薄桃色の肌に青白い翳が降りる。
 そう、この時点で病院にでも担ぎ込めば、少女の命は助かるだろう。
 だがそれは、この少女の望みではない。


 それでも、まだ俺の心のどこかには、この少女を助けたい気持ちがあったのだろう。せめて少女の闇を照らす『光』を。
 人工の太陽灯の明かりなどではなく、自然な光だけでもこの少女に届けたいと。
 それがもしかして、少女の心を変えてはくれないかと望みを託し。


 
 ―――― しかし、少女が反応したのは、月の光だけ。


 
 その銀の色に、あいつを想い。
 儚い程に、胸が痛くなるほどのその笑顔。


 月の光に、最後の力を振り絞り細い指を伸ばし ―――――

 


 ちりん、りん と鈴の音ひとつ。

 


 月の光に、百合の花びらが一つ、水辺に落ちた。

 



   * * * * * * * * * * * * *

 


 ――――― えっ、やだ。それ、本当の話?


 
 ――――― ん〜、どうだと思う?


 
 いつもの様に、相手に向ける柔和な如才ない表情。

 


 もう、そんな手の込んだ話をして、人を担ごうだなんて! はいはい、三流小説家くらいにはなれるかもね。


 おいおい、三流かい?


 さぁ〜てと、今晩はもうお客も来ないみたいだし、看板だわ。


 なんだ、追い出す気か?


 
 俺の話を聞いていたそのホステスは、まだ飲みかけのグラスを引くと、さっさとカウンターの中に戻っていった。それを機に、俺も席を立つ。


 
「じゃ、おやすみ」
「はい、またいらしてね」


 営業用の笑顔と声に見送られ、俺はその店を後にした。
 見上げた空には、綺麗な三日月。


 そう、あの夜のような。


 
 月の光に、朧な俺の影一つ。

 


 
 ――――― 月の光のその向こうで、お前達二人が笑っていた。

 


【完】
2004.7.17


 
 
【 あ と が き  】


…さて、何をどう後書きしたものか…? 

 
まず、星氏の原文はこんなにだらだらとした文章ではありません。
また内容も、これほど特殊な感じではありませんし。
殺りん変換の為、かなり偏向した脚色になってます。それよりも、何よりも異常な世界です。


今まで書いてきた物の中でも、これはかなり異質なものです。
内容もそうですが、文体・形式なども。
アダルト度で言えば、キス一つしてないプラトニックなものです。ひたすらに二人の精神面での繋がりのみを求めました。そう言う意味で言えば黒くもないし18禁でもありません。


が、他のものは悩みながらも一旦は表に出しましたけど、これは最初から【隠し】です。何故なら今まで書いてきた物と違い、りんちゃんの人間性を完全に踏みにじったものだからです。
読まれている途中で、気分を害された方もあったのではないでしょうか?
自分の名は教えても、りんちゃんには名づけさえしなかった殺生丸のエゴだとか、りんちゃんを結局見殺しにした弥勒だとか、余りにも反社会的な要素が多過ぎて…。


これがまた、【殺りん】だからこそ、書きたい要素でもあり…。
ここの管理人は、こんなものも書くような奴だとご了承くださいませ。




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