【 夾竹桃 】





 ……だんだん、りんも変わってきたのかな?


 去年の春と、今年の春が違う様に。
 季節が春から、夏に変わる様に。

 


 ―――― 夜が短くなったな、ってそう思う。


 気が付くと、空が白くなっている事がよくあって。
 屋根のある所じゃ、気がつかない時もあるけど、半分は外だしね。
 朝の方が却って体がだるくて眠たくって、お留守番なら樹の陰で、何処かに行く途中なら阿吽の背で、うとうと眠っている事が多くなった。
 邪見様は、その方が静かで良い、なんて言うんだけれど。


 ……そうして、あたしはあまり昼間遊ばなくなったんだ。


 これが、『子供』じゃなくなるって事なのかな?


 
 ある日の事。
 ここニ・三日は珍しく、殺生丸様お一人でお出かけで夜になってもお帰りにならず、あたしと邪見様と阿吽でお留守番してた。
 そのお陰で、あたしは久しぶりにゆっくり夜眠る事が出来て、朝もちゃんと起きられて、ちょっと前までみたいな一日をすごしてたんだ。
 そう、日向を走ったり、お花を摘んだり、阿吽と遊んだり。
 やっぱり、お日様の下で遊ぶのは気持ち良いよね。
 あたし達が留まっている場所は、谷川の近くで暑くなったら水に入って遊んでもいいし、喉の乾きも癒せる。
 邪見様は、川の中の若鮎を狙っているけど、なかなか、ね。


( う〜ん、本当に久しぶり。こんな風に体を動かすのって )


 谷川を渡って、反対側の岸の竹薮の中を、はしゃいで走りまわって。
 そんなあたしの目の端に、なにか赤いものが飛び込んで来て、思わずあたしは立ち止まってしまった。


 そこには見た事も無いような、緋色や薄桃や白黄の八重や一重の花が見上げる様に、咲いていたんだ。『樹』にしては細っこい上に向かって伸びる沢山の枝は、鈴為す花々の重みでたわみそうに見える程。花の艶(あで)やかさ、茂る葉の艶(つや)やかさに、圧倒された。


「ねぇ、邪見様。この花知ってる? りん、初めて見たよ。なんだか凄いね!!」


 あたしの後を、ふうふう言いながら付いて来ていた邪見様が、初めて気付いた様にその花を見上げた。


「ほうぅ、こりゃ珍しい!! 良いか、りん。これはな、『夾竹桃』と言う唐の国の花じゃ。元々は更に遠くの印度と言う国に生えておったそうじゃが。まさか、こんな所で見ようとはのう」
「ふ〜ん、そんなに遠くの国の花なんだ。だからかな? なんだか凄い感じがするのは」
「……凄い。そうじゃな、確かにある意味『凄い』花じゃな。おお、そうじゃっっ!!」


 邪見様はいきなり大きな声を上げると、小さな手をポンと叩き、それからニヤリとあたしの顔を見て笑った。


「えっ、何々っっ!? 邪見様!」
「えっへん! りん、今日はワシがお前に腹いっぱい、美味い鮎を食わせてやるからの」
「鮎? さっきの川で泳いでいた奴? だって、邪見様昨日から一匹も捕まえられないじゃない」


 あたしはあきれたように、腰に手を当てそう言った。
 だって、ほんっとうにそうなんだもん!


「なんの、ワシを馬鹿にするでない。この邪見様に任せておけっっ!!」


 そう言うと邪見様は阿吽を呼び寄せ、竹薮の竹を沢山切り出した。それを阿吽の背に乗せ、それから今度は、夾竹桃と言った花の枝も竹と同じ様に切り出した。


「ほれ、りん。手にこの花の汁がつかぬよう、気をつけて運べ」


 そう言って、前が見えなくなる程の花の枝をあたしに渡した。


「さぁ、これで準備は万端。後は仕上げをごろうじろ!!」


 手ぶらの邪見様を先頭に、花の枝を抱えたあたしと、背中に小山程の竹を積んだ阿吽とで谷川に戻る。
 邪見様は谷川の、川幅の少し狭まった所に大きめな石と竹を交互に投げ込み、簡単な堰みたいなものを作った。


「りん。お前の持っている花の枝を川に投げ込め」
「え〜、これ 綺麗だから、そんな事したらもったいないよ!」


 あたしは、ぶー、とふくれて花の枝をぎゅっと抱え込んだ。


「良いから、ワシの言う通りにせいっっ!!」


 口から泡を飛ばしかねない勢いで、怒鳴りつける邪見様。
 あたしは、もうっっ!! と思いながら、花の枝を川に投げ込んだ。
 川の流れに洗われて、枝から無数の花びらが川面に舞い散る。


 真紅に緋色、薄桃・黄白に真っ白な花びら。


 流れに舞い沈み、浮かんではくるくると渦を巻き、やがて先程作った堰に散り積もる。


「ほぅれ、もう直じゃ。よ〜く見とれよ、りん」


 いつにない自信に満ちた声で邪見様がそう言う。
 何を見てろって、言うのかしら?


 そう思っていたあたしの目の前で ―――――


 乱れ舞う花びらの中に、生白い色が浮かび始める。
 ぷかり、ぷかりと。
 花の白とは違って、生々しい白。
 陽の光を受けて、時に鈍い銀色の光を返す。


 
「ほれほれ、りん♪ 取り放題じゃぞ!!」


 
 邪見様は着物の裾を捲り上げ、川の中に入る準備をしている。


「……どうして? どうして、魚が浮いてくるの?」


 邪見様はくるりと振り返り、さも当然のように言い置いた。


「中ったのじゃ。この花はとても美しいが、『毒の花』じゃからの」
「……毒の、花…?」
「ああ、そうじゃ。お前も後で、よ〜く綺麗な水で手を洗っておけよ」


 もう、ばしゃばしゃと川の中に入って行き、珍しく自分の思い通りになった事で、ご機嫌な邪見様。でも、あたしは……。


「何をしとる、りん! 早よう、こっちに来て手伝わんかっっ!!」
「あっ、う、うん……」


 邪見様の声に、あたしも着物の裾を帯に挟み込み川の中に入る。
 川面に映る自分の足もやっぱり生白いやと思いながら、足の付け根の内側に残る薄青い痣には気付かない振りをした。

 
 邪見様は堰に使った竹から笹の付いたままの小枝を折り取り、それに浮いてきた鮎の頭を刺していた。


「ねぇ、邪見様。これ、食べられるの?」


 あたしは、嬉しそうに魚を採り続けている邪見様にそう聞いて見た。


「あん? どう言う事じゃ?」
「ん、だって…、『毒』なんでしょ? 食べても、お腹壊さない?」


 一瞬、邪見様は只でさえ大きな目玉を更に大きくして、それからりんを馬鹿にしたような、ふんぞり返った態度を取る。


「やっぱり、馬鹿は馬鹿じゃな、りん」
「ひっど〜いっっ!! りん、馬鹿じゃないもんっっ!!!」
「では、この魚に毒なぞない事は知っておろう?」
「ふんっっ!! そんな事くらい、りんだって知ってるもん。でも、今は『毒』を持ってるんでしょ?」
「……やっぱり馬鹿じゃ。この魚達は中っただけじゃ。体が痺れて動けんだけで、毒なぞあるものか。時が経てば、また元の様に泳ぎ始めるわい。その前に、取れるだけ取るぞ!」


 思わぬ大漁にほくほく顔の邪見様。
 無駄にならないくらいに魚を取ると作った堰を壊し、まだ泳げない魚達や花びらもいっしょくたに下流に流してしまった。


「……下の方は大丈夫なのかな? 毒の花、流れちゃったけど」
「過ぎてしまえばの。水の流れが清めてくれるから、心配はいらん」


 火を熾し、獲ったばかりの鮎を焼きながら濡れてしまった手足や、着物の裾を乾かす。
 焼けた鮎は若草のような良い匂いがして、とっても美味しかったけど……。


 りんには少し苦いような気がした。

 

 


 次の日も、邪見様はまたあの方法で鮎を獲ろうと言ったが、あたしは気が乗らなくて、昨日一杯食べたから今日は要らないと言って断った。
 その日は一日、竹薮の辺りをぶらついて草の実やまだ食べるには早い木の実などを齧り、飽きもせず夾竹桃の花を見て過ごした。

 


 ―――― そして夕刻には、殺生丸様もお戻りになった。

 


「邪見」


 
 そう一言、呼ばわって。


「はい。心得ております」


 邪見様もこの頃では、すっかり慣れてしまわれて。
 阿吽を伴ない、夜のお使いに出掛けて行く。


 
「お帰りなさい、殺生丸様」


 
 どこへお出かけしたのかとか、何をなさっていたのかとかは、どうでも良い事で。
 こうして帰って来て下さるだけで、りんは嬉しくて。


 
「りん」


 
 低く静かに響く綺麗なお声でそう呼ばれて、差し伸べられた手をあたしは取る。


 ここからは、殺生丸様とりんだけの ――――

 


 さらさら、さらさら
 笹の鳴る音 ――――


 
 さらさら、さらさら
 りんの上にも流れる、銀の糸の音 ――――


 
 ひんやりと、火照った肌に気持ち良くて。

 


 いつも思う。

 


 夢みたいだ、って。


 
 すごく苦しい時だってあるよ。
 物凄く痛い時だって。
 りんがそんな顔をしたって、殺生丸様は変わらない。
 いつもと同じ涼やかな眸で、その綺麗なお顔にはどんな表情も浮かばない。


 
 だから ――――


 
 夢かと思っちゃう。


 
 りんが、痛いような気がするだけで。
 苦しいような気がするだけで。
 本当は、そんな事はないんだって。


 
 それでも ――――


 
 こんなに間近に殺生丸様のお顔が見られるのが嬉しくて。
 抱きしめられてる感じが嬉しくて。
 その金の眸に、りんの姿が映っているのが嬉しくて嬉しくて。


 ふと、見上げるとりんの瞳に映るのは、夾竹桃の色取り取りの花とそれを覆う竹の緑と、その笹の葉越しの三日月。


 笹の音は、水の流れにも似て ――――


 
「……何を笑う」


 
 りんは気が付かなかったけど、いつの間にか笑っていたみたい。
 本当はいつだって笑っているんだけどね、殺生丸様のお側にいる時は。


 
「ううん、なんでもない」

 


 
 その返事が、何故か苛立たしかった。
 幼い背を起こし、強く引き寄せると更に深く楔を穿つ。
 もとより、女にさえ成り切ってはいないりんの身体。
 男を迎え入れる事など出来ぬ身で、強いる私の行為は拷問にも等しかろう。
 時折顔を顰める事はあろうとも、泣き叫ぶ事もなく、悲鳴を上げるでもなく……


 そしてどこか遠く見ながら、お前は笑う。


 
 ……それに気付いたのはいつの事か。


 
 どれほど抱きしめ様と、交わろうとお前は『遠い』。
 求め、求め続けて、いつかお前を壊してしまいそうだ。
 お前は、儚く脆い『人間』だから。


 
( ……結局は、同じ事か )


 
 ……りんの身を気遣い、側にいては衝動を抑えられず、一人離れた。


 しかし、所詮は只の誤魔化し。


 離れた夜の数だけ、またこうしてお前を刻めば。
 己の上に仰座させ、骨が軋む程に力を込めて深く引き寄せる。
 華奢で幼い首筋に舌を這わせ、耳朶を噛む。
 その全てを喰らいたいと、妖の性(さが)が雄の衝動が猛り狂う。
 凍てついたような、その眸の下で。


 常と変わらぬ、怜悧な面の陰で。

 


 ―――― そしてその猛る想いを汲み取るには、りんは…、幼過ぎた。

 


 幼さ故に、妖は狂う。
 想いを伝える術を知らぬ妖故に、娘は遠い。


 互いが互いを己が内理(うち)に絡め獲っている事にも気付かずに。
 これ以上はない程に、深く深く繋がっていても、何故か遠い。


 
 ―――― そう、哀しい程に。


 
 抱えられ、突き上げられてそのあまりの痛みに気が遠くなる。
 そうやって気が遠くなりそうになると、更なる痛みで呼び戻される。
 ……薄く開けた瞳で、りんはそれを見ていた。


( ……ああ、やっぱり。りんのお腹も白いや )


 膝の上に座らされて、殺生丸様のを呑み込まされたりんのお腹。
 勝手にひくひく動いてる。
 それはまるであの毒の花に中った、魚達の生白い腹のように。


「………みたい」


 りんの呟きを、獣の耳が捉える。
 その呟きに、りんの顔を覗いて見ると夢見る様に微笑んでいる。
 欲して、欲して、止まない笑顔であるのに ――――



 何故か、苛立たしい。



「……何を、笑っている」


 二度目の、問いかけだった。
 ……多分、次はないだろう。


「……お魚、食べたの。邪見様が獲って下さったの。お花を川に流して、そうしたらお魚が、ぷかりぷかり浮いてきて。お腹をぴくぴくさせながら。りんも、お魚みたい……」


 咥え込まされたものにひくつきながら、背を反らせ、息も絶え絶えにそう呟く。
 半分虚ろな瞳は、頭上の花を見上げながら。


「……夾竹桃、か」
「……とっても綺麗で、殺生丸様みたい。りん、大好き」


 りんの言わんとする事を悟り、殺生丸の苛立ちは怒りに変わる。


「りん…」


 殺生丸が一度大きく身を引く。
 そして ――――

 


「ひぃぃぃっっ ―――― !!!」

 


 りんの華奢な身体を引き裂かんばかりに、突き殺さんばかりに、表し方を間違えた想いのまま突き上げた。
 肉が裂け、骨が鳴る。
 そのままりんは、悶絶した。

 


 
 ……痛々しい程の様で、りんは殺生丸の腕の中で昏睡していた。
 


 妖と人では、その性(さが)は違い過ぎる。
 交われば交わる程に、その溝は深くなるばかりで ―――――


 ましてや歳経た大妖と、年端も行かぬ小娘では。


 
 それを承知で犯した『禁忌』だ。


 
 例えこの手でりんの身体を引き裂こうと、喰らい尽くそうと、もう手放せぬ。  
 それほどに、狂おしいほどに、私はお前を ――――



( ……私などより、りん。お前の方が、この花には似つかわしい )

 


 はらはらと落ちかかる、赤い花びら、白い花びら、色取り取りに。

 


 夾竹桃 ――――

 


 どのような荒地であっても過酷な状況でも、逞しく根を張り枝を繁らせ、真夏の太陽の光にさえ負ける事無く、誇らしげに花を咲かせる。
 滴る花の蜜には、『毒】を含み、狂気を孕ませ ―――――



 狂気を孕ませ……



 ああ、そうだ。


 
 りん
 私は、疾うに  



 お前に……
 狂っている ―――――





 いつか私は
 お前を ―――――





 
【終】
2004.6.7 



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