【 鬼灯 −ほおずき− 】





 ―――― りんが死んでも、りんの事 忘れないでいてくれる?



 あの時、お前は路傍の無縁仏に手を合わせながらそう言った。
 そう言った事さえ忘れさせる程、今のお前は屈託がなく。


 今でも思う。


 あの時、あの場に出て行かねば、りんはどうしただろうと。
 私を呼ぶ、あの声に応える事なく、あの法師達の手に委ねていれば……。
 幼い者特有の、環境への適用の良さからすんなりと『人の世』の暮らしに戻れたかも知れぬ。
 あるいは当ても無く私を捜し歩き、あの無縁仏のように路傍の土塊になるか。



 ……同じ、だ。



 お前の笑顔と、狼に食い荒らされたもの言わぬ姿。
 数多の命を散らして来た私。
 省みる事もなく。


 『命』など、思いを寄せるまでもない。
 『力無き者』は、生きるに値しない。
 ただ、それだけ。


 ……判らない。
 何故、出来ない?
 お前は……


 お前は、『人間』。
 私は、『妖−あやかし』。


 ……判っているのに、お前をこの腕に抱く。
 お前を食い殺した狼の代わりに、お前を貪る。
 早晩に尽きるだろう、お前の時。
 あの法師どものもとに在るよりは、はるかに薄いその命。
 私が拾い上げ、私が殺す。


 他に選択はなかったのか?


 何故、あの時 天生牙は鳴ったのか?
 何故、りん お前は私の後を追う?
 何故、私はりんを捨て置けなかった?



 ……何故、私はお前を抱いたのだろう ――――



「……様? 殺生丸様?」


 私の前に立つお前。
 胸から腹を赤い色に染めて。


「殺生丸様? どうかなさったの?」


 黒い瞳に私を映し、首を傾げつつ歩み寄る。胸の、腹の赤い色が揺れる。
 手には溢れるほどの、鬼灯(ほおずき)。


「………………」


「こりゃ、りん! どこに行ったかと思えば、そんな物を集めていたのか!?」


 足元に居た邪見が声をかける。問われて、答える答えなど持ってはいない。こんな想いに囚われたのも、こんな場所に留まった所為か。


「うん、ほら見て! 綺麗でしょ? さっきの仏様にお供えしようと思って」
「あの無縁仏にか? それにしては、少し多すぎるじゃろう。もしかしてそれ、喰えるのか?」
「やだなぁ、邪見様。これ汁は甘いけど、ほとんど食べる所なんてないよ。仏様のお灯明の代りなれば良いなぁって」
「灯明?」
「あのね、死んだおっ母がりんがまだ小さい頃言ってたんだ。灯かりを貰えない仏様はあの世の道行きも闇の中を彷徨わなきゃいけないんだって。それって、りんも判るから……」


 そう言って、りんは私を見る。


「……ここ、去年も来たよね。りんが御獄鬼に攫われて、迎えに来てくださった殺生丸様と妖怪退治の法師様方が闘って――」
「そうじゃったのか!? ワシゃ、あの時はお前を探して別の所に居たから知らんかったぞ?」
「その時ね、ここの仏様にお願いしたの。殺生丸様とずっと一緒に居られます様にって。あの時は何もお供え出来なかったから、今度はね」


 そう言ってりんは足元に屈み込み、手にした鬼灯の枝の何本かを名もない石の墓標に立てかける。
 りん、お前はまた同じ願いを願うのか。


「……そうか。それにしても無駄に枝を折りよって。どうせ喰えもせぬものを」
「うん…。うん、本当はね……」


 言葉を濁し、腕に溢れる鬼灯を見る。
 その胸の内は ――――


「……行くぞ」


 一声かけ、私はその場を後にする。
 何の気の迷いか。
 こんな場所に足を向けたのは。
 そして、今から赴こうとしている先は ――――


 りんと邪見を阿吽に乗せ、空を行く。
 行こうとする、その先は……



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 ……思い出させたくはなかった。
 思い出したくも無かった。


 この場所は……


 犬夜叉から風の傷を受け、瀕死の態でこの山奥の森に潜んだ。
 そう、りんの住んでいた村。
 りんが家族を亡くし、声を失くし、村人から虐げられ、妖狼どもに食い殺された、お前の最期の場所。


 ……私が、お前の骸を見た場所。


 そして、私とお前が出遭った場所。
 ここにはお前の家族も眠っている。すでに死に絶えた村の片隅で。
 ここはもう、お前の知っている場所ではないだろう。
 それでも、お前は……。


 村はずれの、路傍の石くれにしか見えない粗末な小さな石にりんは鬼灯を供え、一心に何事かを願う。あれから村の中は食い殺された村人の骸を、また別の獣達が食い荒らし、僅かばかりに白い骨の欠片が散らばっているだけ。
 りんはその欠片にも、一つ一つ鬼灯の実を供えて行く。あれほどあった鬼灯の枝も、一枝を残すのみ。


「ありがとう、殺生丸様。りんをここに連れてきてくれて。りん、ずっとこうしたかったの」


 夕闇の迫る、最期の日の光に照らされたりんの姿は、鬼灯の赤よりも尚、赤く……。


「おや、りん。まだ一枝残っておるではないか?」
「ううん。これはいいの、邪見様。これは、りんの分」


 消え行く夕日の中で微笑むりんは、そのまま消え行きそうで、私の胸に訳の判らぬ不快感を与える。


「……喰えぬ物を、荷になるだけじゃろう。やっぱり馬鹿じゃな」
「へ〜んだ! そんな事ないもんっっ! これはね、こうやって遊ぶ事も出来るんだよ」


 りんは鬼灯の実を一つ取ると、その赤い皮を開いた。


「なんじゃ、これは? 見かけはこんなにも大きいくせに中身はこんなにちっぽけか! イカサマじゃな、まるで」
「邪見様って結構物知りなのに、これは知らないんだね?」
「神仏に供えるような物はワシら妖怪にはあまり関係ないからの。知らん事もあるんじゃ!」
「ふぅ〜ん、そうなんだ。ほら、この赤い実。これをこうして指で揉んでやるとね、段々柔らかくなってくるんだ。これを丁寧にずっと揉んで、中の種を赤い汁と一緒に少しずつ皮の外に出して……」
「それからどうするんじゃ?」
「中をね、空っぽにするんだよ。そしてね、風船にして遊んだり笛にしたりするんだ」
「なんじゃ、こんなちっぽけな実じゃ大した物は出来まいに。つまらぬ遊びじゃ」
「出来た風船や笛で遊ぶよりも、この薄い皮を破らず壊さずに作るのが大変で、だから楽しいんだよっっ!!」
「ますます持って判らんわ。何が楽しいんだか、人間とは不可解なものじゃな。いや、りん。お前だからかの?」


 いつもの憎まれ口の叩き合い。
 卑小で非力な者ども。
 私の傍らで、そこに在るのが当たり前のように。


「邪見」


 私は邪見を呼び寄せると、りんには聞こえぬようにその用件を言い付けた。邪見が少し不思議そうな顔をしりんを見、頷くと借り受けた阿吽を駆って夜闇の迫る空へと舞い上がって行く。


「殺生丸様、邪見様はどこへ?」
「……少し用を、言い付けた」


 それだけを答え、村を出る。足は自然とあの場所へ。
 私の後を、小さな足音が付いて来る。
 りん、お前にもどこに向かっているか判っているのだろう?
 私達が初めて出遭った、あの木の処だと。


 山の中のその巨木の辺りはもうすっかり夜の闇が覆いつくし、私の妖気を恐れてか、山の獣の唸り声も虫の音もない。


「……ここでりん、初めて殺生丸様に会ったんだよね」


 懐かしそうにりんが呟く。
 それはほんの一年(ひととせ)前か二年(ふたとせ)前の事。私にすれば昨日の事のよう。懐かしむ程の時ではない。
 それだけに……。


 傍らのりんを見やる。


「りん……」
「はい、殺生丸様?」


 呼びかけた声の音に含まれる問いかけを、りんは聞き逃さない。


「……お前は、恐ろしくはなかったのか?」
「りんにそう聞くの、二度目だね。殺生丸様」
「………………」


 私がかつてそう聞いたのは、初めてりんを抱いたあの夜。
 あの夜から、私は……。


 りんは邪見の言葉が気になったのか、鬼灯の枝から実だけをもぎ、懐に仕舞っていた。その実を一つ取り出し、玩(もてあそ)ぶ。


「お前がいくら子供でも、私が『人でない』もので或る事ぐらいは判っていただろう?」
「……うん。うん…、本当を言うと恐かった。でも殺生丸様、いっぱい血を流して大怪我してたから、死んじゃうかも知れないと思ったら、それは嫌だっっ!! って」
「……私を助けよう、と? 守ろうとしたと言うのか?」


 りんが視線を足元に落とし、それから夜闇でもそれとわかるほどしっかりとした視線で私を見上げる。


「……判んない。でも! そうしたかったんだ、りん」




【 守りたい――― 】




 ―――― 私は、忘れていた。


 二百年前の父上の問いかけなど。


 叢雲牙を巡るあの闘いの折、何故この問いかけを思い出したのか。
 父上。私は貴方に問いたい。


 貴方は【守るもの】を守られたのか?
 あの女を、生まれたばかりの犬夜叉を、そしてこの私を遺し、先に逝かれた貴方は、それでも【守った】と言われるのか!


 私は貴方のような不実な生き方はしたくない。



【お前に守るものはあるか】――――



 その答えは、あの時も今も変わらない。


 否、だ。
 私に守らねばならぬものなど、ない。
 それが私の生き方。
 後に遺す事も、遺される事もなく『孤』としてある為に。
 それでも胸に残る不快感。
 いつしか私の傍らにあり、私を惑わす者ども。
 それを、貴方の問い掛けとともに感じた。


 いっその事……
 切り捨ててやろうかと、引き裂いてやろうかと ―――



 特に、りん。お前は ―――



「りん、お前は……」


 あの夜、あの木の下で。


「殺生丸…様?」


 りんのまだあどけない頬に指を這わせ、丸い耳元に囁きかけるように。


「何故、私を受け入れた?」
「あっ! えっ…、あ、あの せっ、殺生…!!」



 ……そう思っていた。
 お前が私を拒めば。
 私を恐れるのなら、後腐れなくお前を引き裂き、捨てて行こうと。
 だけど、お前は……


 貪るように、噛み付くようにりんの唇を塞ぎ、侵す。
 もう幾度も繰り返してきた、この行為。
 多少の慣れは感じても、もとよりりんには早すぎる。身に備わる【ヒト】としての危険を告げる声にお前は耳をふさぎ、私にその身を捧げる。


 触れれば判る、お前の身体の慄き、苦痛。


 肌蹴られた胸元、足元に落ちる鮮やかな赤の鬼灯。
 ああ、あの時のお前の足元も赤に染まっていた。
 息が詰まりそうなりんの唇を開放し、そのまま項へと唇を滑らせる。
 普段は詰められた襟元に隠されて見えないが、あの夜から消えた事のない刻印がそこにある。肘から先が無くとも、小柄なりんの身体を支えるには十分。右手の指先でりんの胸元を弄ぶ。微かな膨らみ、鬼灯の中の実よりも小さなりんの実。


「……お前に、似てるな」


 指先で転がすように摘み上げるように弄り回せば、りんの胸の実は赤く硬くなってくるが、りんという果実は熱く柔らかく熟してくる。
 甘い蜜を零しながら。
 壊れやすい破れやすい、鬼灯の実のように。


 それも、今でこそ。


 初めてお前を抱いたあの夜。
 お前はそのまま息絶えてもおかしくない程の様で、それでもお前は私を拒まなかった。
 お前が人間だろうと、幼かろうと、構わなかった。
 【牝−おんな−】として、お前がまだ【牡−おとこ−】を受け入れるのは無理だと言う事も承知での行為。私をこんな気持ちに駆り立てた、お前への責め。



「…せっ、殺生……まる さまぁぁ り、りん、は……」



 熱い肌、熱い吐息。
 掠れる声は、りんの年に似合わぬほど艶を帯び。


「り、りんの命…は、殺生…丸様の…… もの。殺生丸…様が、そう、なさりたいなら…、ああぁぁっっ!!」


 気に障るりんの答えに、唇を胸元まで滑らせ赤く硬いりんの実に歯を立てる。
 薄っすらと滲む血はどんな蜜よりも甘く、私の狂気を煽る。
 花淫より零れる蜜の香りが強くなり、その香りに誘われるように指を花唇に咥えさせる。りんの躰が緊張し咥えさせた指を締め付けた。ゆっくりと蜜壷を掻き回し、更に責め上げる。
 形(なり)は子供でも、既に幾度も私と交わっているりんだ。
 このくらいの責めでは、もう気も失わない。
 己の胎内に咥え込んだ私の指を蕩かすほどに、熱く濃厚な蜜を溢れさせる幼く淫らな花。
 ひくひくと妖しく蠢き、腰をくねらせ、なおもとせがむ。


 りんは知らない。
 己の姿態がどれほど私を煽り立てているか。
 『人で無いもの』との交わりで、りんの魂は自分の躰にさえ裏切られている。
 慣らされたりんの躰は、指ぐらいでは物足りぬと叫び始める。
 その肉の声を私は聞く。
 りんよりも、りんの躰の事が良く判る。



 もう、立ってはおられぬだろう。
 望みもせぬのに、躰が勝手に私−おとこ−を求める。
 半分腰の砕けかけたりんを巨木の根方に横たえ、私は武装を解いた。



 どんな時でも、拒む事を知らぬ娘だ。
 あの初めての時でさえ。



 恐ろしかったのだろう、恐怖で震える心も、苦痛で体中が悲鳴を上げているのも知っていた。
 それでも、止めるつもりはなかった。
 今のように自ら濡れる事など出来ぬのは承知、流石になにも施さずに初花を貫いては、そのまま心の臓が止まる事もあるだろう。お前を壊してしまうには、微かな躊躇いがあった。
 それが優しいと言われる類のものかどうかは知らない。
 今まで抱いてきた、汚らしい衝動の捌け口でしかなかった女妖達に与えたそれよりは、幾分手加減したのは事実。
 他の女妖達にしなかった事をしたのも、事実。



 お前を濡らす為 ―――



 この唇で、この指で、お前を愛撫した。
 貫かれる衝撃を和らげようとでもしたのだろうか、私は。
 硬く閉じたお前の蕾を指でこじ開け、媚肉の強張りを解くためにまたお前が痛みをあまり感じずに済む様に、僅かばかりの【毒】をお前の胎内に流し込む。



( ……変わらないな、お前は )



 きつく、熱く、心地良い。
 いつ抱いても、その思いは変わらない。どれほど躰が淫らになろうとも、お前は変わらないとそう思う。
 性技に長けた女妖どもの手練手管よりも、お前の何も知らない狭矮な媚肉の割り裂かれる悲鳴の方が、私を昂ぶらせる。
 己の肉欲を満たさんと貪欲に私を喰らい込もうとする女妖どもの汚らしさ。
 衝動の捌け口として利用した後は、そのまま引き裂く事もあれば毒を流し込んで躰を溶かしてしまう事も茶飯。
 いつしかそんな衝動すらも律するようになっていたが。



 あまりの煩わしさに。



 だから、りん。
 お前が、『初めて』だった。
 欲も無く己も無く、命さえ省みず、震える心を抑えてまで私を『受け入れ』ようとその身を捧げた者は。
 幼いとは言え、どこかでお前も判っていた筈。
 私を受け入れると言う事は、私に抱かれると言う事は【人の倫理−みち−】に背く事だと。
 ましてや、その幼さで。



 妖の私には禁忌などない。
 お前が『ヒト』としてあろうとすれば、私を拒むしかなかった。



 ……それをしなかったお前は、『ヒト』であることを自ら捨てたのだ。



 そんなお前の在り様が、私を昂ぶらせ求めさせる。
 初めてお前を貫いた時、お前の幼媚な肉に絡め獲られたのは私。
 私の生身の剣はお前の媚肉を張り裂けんばかりに押し広げ、私とお前を繋いだ。熱くきついその締め付けは、己の身を守る為の反応であった。自分の身を侵すものを排除する蠢きであった。
 しかし、そんな身体の悲鳴にお前は耳を塞ぎ、その細く小さな手で私を――、『抱きしめた』。



 相反する心と躰。



 お前と一つになり、お前の苦しさも引き裂かれる痛みも心の慄きも、手に取るように判った。
 そんな苦痛の中に、まだお前の幼さでは感じ取る事の出来ない快感が潜んでいる事も、何よりもお前がお前の全てで私を『受け入れている』ことを感じた。
 どこをどうすればお前が震えるのか、喜ぶのかも……。
 それは私に取っても快感。



 お前は、私の一部。
 私の、もの。



 身食いをする獣のようにお前を責め続け ―――




 父上。
 私は己を【守る】などと言う、甘い生き方はしてはいない。
 これも【守るべき者】などではない。
 犬夜叉に切られたこの左腕のように、いつか私から失われて行くもの。
 失くすものに、未練はない……



* * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 私達を出遭わせたあの木の下で、りんを抱いた。
 結局、りんが意識を手放すまで責め続ける。
 夜毎日毎に増す狂気。



 最初は、拒めば引き裂いてやるつもりで、殺すつもりでりんを抱いた。



 今は、殺すのを承知で抱き続けている。


 りんの中に猛りの全てを開放する心地良さ。
 収まりきれぬそれは番っている間でも、僅かな間(あわい)を伝って滴り落ちる。
 絶息する寸前のりんの締め付けは、この小さな躰のどこにこれほどの力があるのかと思う程。息の詰まるような快感に目眩すら覚える。
 完全に気を失い、弛緩する躰。
 名残惜しさを感じながらも十分に余韻を味わいつくし、花淫から蜜に塗れた剣を抜き取る。


 途端に溢れる情交の残滓。


 お前の命を削り取り熔かした赤い蜜と共に、お前を蝕む妖気と毒気を含んだ己の精の流れ落ちる様を苦々しく見詰める。
 気を失い、伸ばされたお前の指先に転がる鬼灯の実が一つ。
 裂かれた外皮が炎を形作り、艶やかな丸い実が火芯を思わせる。 


 熱くも明るくもない、偽りの灯かり。


 死者を導く灯かりでも、妖の私を導く事はないだろう。




 ――――囚われたのは、私。



 【りん】と言う名の、闇に。
 あの夜から、灯かりもないその闇を彷徨っている。



 妖狼どもに食い殺されたようなお前の躰を抱き起こす。
 下肢を伝うものはまだ滴りやまず、お前が命の抜け殻になるまで同じ事を続けるのだろうと、醒めた意識でそう思う。


 そしてまた、同じ問いを繰り返す。



 ……何故、私はお前を抱いてしまったのだろう、と ――――



 微かに夜が白む。
 腕に抱えたりんが、僅かに身じろいだ。
 憔悴しきった影の浮いた横顔、汗で張り付く後れ毛。
 最初の朝日が差し込むのと同時にりんの瞳が開いた。亡羊とした瞳の光が私を認め、笑みを浮かべる。


「りん…」


「ごめんなさい、殺生丸様。りん、また途中で気を失っちゃったんだね。早くもっと大きくなって、最期まで殺生丸様のお相手が出来るよう頑張るね」


 自分の身に加えられる理不尽なまでの行為を気に留める事なく、お前はそう言うのか。
 お前は……


「……答えが途中だ」
「あ? えっと……」


 屈託のない表情で私を見上げる。


「私がお前を助けたからか? 私がそうするからお前は従うのか?」


 りんの黒い瞳に映った私は、私の知らぬ顔。
 りんが目を見開き、そして微かに頬を染めた。


「……りんが、そうしたいから」


 私の身の内裡(うち)を冷たいものが走る。
 早すぎる交わりが、りんの資質を変質させてしまったかも知れぬと。
 私が衝動の捌け口にしてきた女妖どものように、貪欲な肉欲に目覚めてしまったのなら、今ここで引き裂いてしまおう。



 お前はあんな女妖どもとは違う。
 この私の一部なのだ。


 りんの細い肩にかけた爪に力が篭る。


「りんね、いつも思ってる。また今度りんが死ぬ時は、殺生丸様の腕の中がいいなぁ、って。だから、殺生丸様に抱かれて死んじゃいそうだなって思っても、りん 幸せなんだ」
「………………………」
「そしてね、もっと幸せだなぁって感じるのは、こうしてね、殺生丸様の腕の中で目が覚める時。りんが目を開いた時に真っ先に殺生丸様のお姿を見る事が出来た時」
「りん……」


 りんの肩の上の手から力が抜ける。
 りんの細い腕が小さな手が私の首筋に回り込み、私を抱き締めた。


「りん、殺生丸様大好き!!」


 幼い言葉で、ありったけの思いを ――――



 この娘は……


 決して、忘れてはいない。
 己が死んだ事を。
 死ぬ行く者で或る事を。
 だからこそ、今 この時を精一杯に【生きている】。



 りん、私の闇。


 りん、私の光 ―――



 もう少しこうしていたかったのに、お前はその小さな手を解き、立ち上がる。朝の光にお前の下肢に伝うものが違う意味をもってきらめいた。


「邪見様が戻って来られる前に、きれいにしとかなくちゃ。水浴びしてくるね」


 自分の着物を腕に抱え、朝の光の中を近くの水場まで裸のままで駆けて行く。その姿は、あまりにも眩しくて何故か小柄なりんの姿が大きく見えた。
 身支度を整え日も高く上ったのに、なかなか邪見は戻って来なかった。


「邪見様、遅いね」


 空を見上げ、何の曇りも無い表情で。
 お前の中には、どれほど大きなものがあるのだろう。


「行くか」
「はい」


 村への道を二人で下る。
 途中、かつてりんの死んだ場所を、歩みも止めず通り過ぎ ―――
 村に入る手前で、りんが目を丸くした。
 りんの視界に飛び込んできた、溢れるほどの『赤』。


 昨日まではなかった、彼岸花の群生。


「殺生丸様、これ……」


 花に埋もれて、肩で息をしている邪見と阿吽。


「邪見様!、阿吽!!」
「殺生丸様、りん…。お言い付け、果たしましたぞ」
「邪見様……」


 あわてて駆け寄るりんに、今にも疲れで潰れそうな目を無理やり開き、邪見は言った。


「りん、ちゃんと殺生丸様にお礼を言うんじゃぞ。この花はお前の為に殺生丸様が植えさせたもの。お前の弔いの思いじゃ」


 それだけ言うと、邪見も阿吽も花の中で高鼾をかいて寝こけてしまう。
 おそらく、一晩中をかけてここより北の地で咲き始めたこの花の根を、村中に植え付けさせたのだろう。一度根付ば、季節季節にこの弔いの花を咲かせる。


「殺生丸様……」
「……どこに居ようと、お前の親兄弟への思いはここにあり続けるだろう。この花はお前をここから連れてゆく私からの手向けだ」」
「はい、殺生丸様! これでりん、もうどこへでも行けます」


 嬉しそうに私の周りを跳ねるりん。
 ふと見ると、足元には昨日りんが供えた鬼灯の実。
 それを手に取り、りんの願いを思う。



( ――― りんが死んでも、りんの事 忘れないでいてくれる? )



 出来る事なら、忘れたい。
 おそらく、出来ぬであろうが。



( ……殺生丸様とずっと一緒に居られます様にって )



 ずっと…?
 それも叶わぬ夢。
 お前のずっとは、私の一睡。


 いつかはりん、お前もここに還ってくるのだろう。




 ―――― 守れぬものを【守る】などと、偽りは言わぬ。



 お前の【時】は止める事など出来ぬから。
 この思いを止める事は出来ぬから。



 だから、今 この時をお前と共に……





 ほおずき ほおずき 偽りの赤い実よ ――――




【完】
2005/08/24




【 あ と が き 】


思ったよりも時間がかかってしまいました。
文章量としてはどうにか短編くらいなのですけど、どうにもその手の描
写が今まで書いてきた文章の中で一番多くて、これをどう書き表そうか
と。筋も通っているようで通ってないし、殺生丸も強気なんだかヘタレ
なんだか、冷酷なのかウィットなのか、本当に混沌としてます。


最初は、ほうずきの花言葉の「いつわり」からりんちゃんの願いやりん
ちゃんとの関係も皆、嘘偽り・儚いものとして厭世的になっている殺生
丸を書こうと思ったんです。
丁度、お盆で鬼灯の実を手にする事があったので、昔を懐かしんで
弄っているうちに、なんだかこれってちょっとエロティックだな、と思
い、それで今までずっと先送りにしてきた、殺生丸がなぜりんちゃんを
抱いたかをちゃんと書いておこうと思って。


この話はりんちゃんサイドから書いた「あのね」とも対応しています。




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