おまけ

化学者にとっての JACS

2009.1.25

今のところ化学の leading journal と言えばだれもが JACS(Journal of the American Chemical Society) を思い浮かべるでしょう.130 年を越す歴史と,数々のノーベル賞を生み出した研究成果はその印象をより強固なものにします.

僕は,アカデミックに属する研究者としての評価は「論文」によって決まると思っています.なので,自分の投稿論文はこれでもかというくらい推敲を重ねるし,後から「なんでこれが JACS? 」と言われてしまうようなおかしなものは出したくないという気持ちも強いです.

そういう JACS.どうなんでしょう?正直に言ってしまえば,JACS に論文を通せない人は少なくとも一般化学者としての質は低いと思ってます.だからといって JACS に名前の載ってる人がまともな研究者とも限らない,というのが今の認識です.

そもそも,研究(論文)に対する貢献というのは様々な形があります.テーマの設定,実験手順の決定,実験,結果の解析,考察,論文構成の検討,英訳のどれもが一つの論文を完成させるのに必要な要因であり,良いジャーナルほどすべての要素が必要だと思います.

そこで話は少しそれますが,JACS を目指す(目指している)若い人に伝えたいのは,今自分がすべき貢献はどこなのかということをはっきり自覚した上で研究に取り組んで欲しいのです.ただ無策で JACS に通したい,というのは大人の考えることではありません.で,少なくとも学生の間ならば「実験」と「結果の解析」には絶対的な貢献をして欲しいのです.

僕は最近のアクセプトも含めて,自分のテーマで 3 報の論文を JACS に掲載してきました.2004 年の JACS は幸いなことに上にあげたすべての項目に貢献できたと思いますし,2005 年の JACS はテーマの設定,と一部の結果解析をボスである AP が担い,それ以外の項目は僕が担当しました.最近の温度センサーはむしろテーマの設定,論文構成の検討,英訳というマネージメントに偏った貢献でした.

振り返って思うのですが,うれしさの度合いということに関しては甲乙つけがたいものの,自分の成長ということからすれば自分で実験をしなかった JACS はやっぱり,自分で実験をしてきた JACS とは別物です.前者はマネージメント能力の向上は達成された感があるものの,実験化学者としての技能の向上とは無縁です.

今の研究社会って不思議なもので研究室に配属されてたかだか 10 年くらいでほぼ例外なくマネージメントの立場を求められます.だからこそ,学生やポスドクには「実験できる時に実験した方がいいよ」どころか「研究が好きならその時期に実験しまくらなければ嘘だ」と思うのです.

結局,JACS に著者として名前が載っていても,実験の寄与かマネージメントの寄与を一番した人でないと意味がないように思います.そして繰り返しになりますけどそれは全くの別物です.100 回引用されれば初めて一人前の論文だ,ということがまことしやかにささやかれてますが,自分が適切な貢献をして,反響があればこそ,それぞれの貢献に対しての自信がつくのでしょう.JACS に論文が載るのはもちろんうれしいことですが,有頂天になるのではなく,その後本当に他の研究者にインパクトを与えたかどうか,といった厳しい自己評価の目は常に持っていたいものです.引用されない JACS 論文ほど化学者として恥ずべき事はないのではないでしょうか.

ところで今年 3 月には Nature Chemistry がついに発刊され,JACS の天下がどうなっていくのか興味深いところです.自分は・・・そうですね.研究をやめるまでに納得のできる JACS をあと 5 報,Nature Chemistry は 2 報くらい書いてみたいです.できればそのうちいくつかは実験の寄与をして.