立原道造さんは、24歳で夭折した、建築家兼詩人。
昭和初期の『四季』の人で、私の大好きな詩人の一人です




はじめてのものに



ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のように 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語りあった(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

ーー人の心を知ることは・・・・・人の心とは・・・・・
私は その人が蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
捉えやうとするのだらうか 何かいぶかしかった

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と・・・・・また幾夜さかは 果たして夢に
その夜習ったエリザーベトの物語を織った




     のちのおもひに

            
            
夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
ーそして私は
見てきたものを 島々を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ わすれてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道をすぎさるであらう





夏の弔ひ


逝いた私の時たちが
私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早くなおるやうにと
昨日と明日との間には
ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる

投げて捨てたのは
涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだった
泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
何もがすべて消えてしまった! 筋書きどほりに

それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
月の光にてらされた岬々の村々を
暑い かわいた野を

おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
どこか? あの場所へ(あの記憶がある
私が待ち それを しづかに諦めたー)




この詩の舞台となったのは、信州信濃追分。浅間山の麓の小さな村です。
立原道造は、堀辰雄の愛弟子でそこで夏を過ごすのです。
詩集『萱草に寄す』は、喪失の歌。
「豹の眼」をした少女「鮎子」に淡い恋をして敗れた・・・
(でも、ほんとうにその恋があったのかどうか、わかりません。彼の想像だけ?)



夢みたものは



夢みたものは ひとつの幸福
夢みたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたってゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどってゐる

告げて うたってゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたってゐる

夢みたものは ひとつの愛
     夢みたものは ひとつの幸福     
それらはすべてここに ある と
   

   
 
中也 みすゞ 賢治 myourei world ページのトップへ


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