♪Oh my love




もう一人の大好きな詩人は、金子みすゞさんです。彼女の詩は、優しくて大好きです。



こだまでしょうか


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。




こんなにすばらしい詩を書く人なのに、彼女は自殺をしてしまいます。
どうしてなのか・・・そのことがずっと疑問でした。
でも、それには、わけがあるのです。




蜂と神さま



蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

さうして、さうして、神さまは、
小ちやな蜂のなかに。





さびしいとき



私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。








お花が散って
実が熟れて、

その実が落ちて
葉が落ちて、

それから芽が出て
花が咲く。

そうして何べん
まわったら、
この木は御用が
すむか知ら。



この詩のテーマは『葉っぱのフレディ』と同じようです。
繰り返される生命の循環
それが一番わかりやすいのが、植物でしょう。
でも人間も同じではないでしょうか?・・・
みな親から、そのまた親からいただいた生命、受け継いだ血と骨肉なのですから




私と小鳥と鈴と


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私が体をゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。




私はこの詩が一番好きです。
「みんなちがって、みんないい」
そう、そのとおりじゃありませんか?
「どの花見てもきれいだな」という唄のように、
みんなちがってみんないい。

あたりまえで、かんたんなこと。





でも、みすゞさんは、26歳の若さで自殺してしまった。
なぜ?

それは愛する子供のためだったのです。
でも、なぜ?
それは、今では考えられないことかもしれません。

彼女は心ない結婚をしました。
詩作が好きで、西条八十の雑誌の投稿をしていて、
才能を期待されていた詩人だったのに
遊び人で理解のない夫に、詩作を禁止され、おまけに、
悪い病気まで移された。

離婚するつもりだったが、彼女には5歳の女の子がいた。
別れるのなら、
子供は父親に渡さねばいけない。
彼女は最後の夜、子供に自分の詩を読んで聞かせたといいます。
そして、遺書に
どうか、娘を自分の母親のもとで、育ててもらいたいと。書き残して・・・

おそらく、彼女の体ももうだめだったのでしょう。
治療もほとんどしていないでしょう。昔だから。

あの夫の下で、娘が育てられるのは、耐えがたい。
祖母の手で育てて欲しいと、命をかけて、決行したのではないでしょうか?
そして、3冊の手書きの詩集を2部残して
1部は、敬愛する西条八十へ。
1部は弟へ。

でも、あんなにみすゞを支持していた西条は、その詩集をどうして
発表しなかったのでしょうか?
疑問です。
八十愛好家には悪いのですが、嫉妬したのじゃないでしょうか?
みすずの才能に。

今読んでも、みずみずしいみずずの詩は、輝いています。

   


星とたんぽぽ  金子みすず


青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

  



見えないけれど、たしかにあるもの・・・・

それは、昼の星、たんぽぽの根

それは、いのち、たましい、こころでしょう。




金子みすずと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

(映画を見ていない方にはネタバレになってしまうので、見てから読んで下さい)


みすずの研究家で彼女を発掘した矢崎節夫さんの著書「童謡詩人 金子みすずの生涯」(JULA出版)を
読んだのと、映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観たのが,同じ年だったと思います。

みすずと、映画の主人公・セルマに共通点が有ると思いました。
其れは、子供をおもう心です。
どちらも命をかけて。自分の命と引き換えに。

みすずは上にも書いたように、心ない結婚をしました。結婚のスタートからして失敗といえるかもしれませんが、
何故したかといえば、弟のためでした。

弟・正祐は叔父である上山家に、跡取がいない事で養子に入りましたが、その事を知らず、
みすずを実の姉と知らないで、文学や音楽の事で話が合うことから、憧れてしまうのです。
正祐は後に、夢を捨てきれないで、上山書店を継がずに、上京し、劇団「若草」を創立しますが、
みすずは弟に諦めさせるために、結婚をしたようなものといえます。

家・本屋の為に勧められる結婚をしましたが、夫は仕事は出来るが遊び人で、
詩作が好きなみすずとは合わなかったのかもしれません。
性病を移されて身体を壊してしまうのです。

離婚を決意しますが、ただ一つの心残りは、娘を夫に渡さなければならないことでした。
みすずは自らの命と引き換えに、死をもって訴えたのでしょう。
娘を渡さない・自分の母親に育ててもらいたい一心で
自殺をしたのだと思います。

「ダンサー・イン・ザ・ダークの主人公セルマはだんだん目が見えなくなる病気をもっていて
一人息子も同じ病気でした。
10歳までに手術をしないと、治らないのです。

その手術のために貯めたお金を、隣人に盗まれそうになり、その男を殺してしまいます。
友人によい弁護士を頼む事を勧められますが
彼女は其れを選びませんでした。
そのお金は、息子の手術のお金だからです。

彼女の目はもう見えません。
仕事も出来ません。
彼女のしたいことは、息子の目の手術です。
そして彼女は死刑台に上りました。




怖いほどの、打ちのめされそうなほどの、子をおもう母親の心。
他に選択肢は無いのでしょうか。
自分の命とひきかえにしても、子供を守りたい。
その一心だと思います。


仏教では、母親の事を
悲母」といいます。
其れに対し父親の事は「
慈父

悲しみの母、慈しみの父
この両親があってこそ、今の自分があるのです。
そして更にその父・母、その父・母・・・と
ご先祖様がいてこそ、かけがえの無い自分がいるのです。

世界で私はただ一人。
同じ人間はいません。

天上天下唯我独尊」とはそういうことなのです。
誰も、かけがえの無い自分なのです。



そして、残されたみすずの詩は、今も私たちの心の中に生きているのです。
永遠の命をもって、これからも、きっと・・・ずっと・・・・

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