賢治の短歌
塵点の劫をし過ぎていましこの
妙のみ法にあひまつりしを
塵点の劫とは、法華経にある時空観で、ひとつの三千大千世界をすりつぶして、山
それを一粒、一粒東方はるかに五百千万億那由多阿僧祇世界の国を過ぎ



にして
て落としていったところを
一塵とするという
とてつもない時空観ですが、これも嘘ではありません。
宇宙のはじめとおわり、広さとはそのようなものだからです。


そして、それくらいのはじめも終わりのない時間の中で、この妙法蓮華経に
出会えたことの喜びを歌っています。

賢治の信仰観を表すこの歌は、あの「雨ニモマケズ」が書かれた手帳の
鉛筆刺しのところに、きちんとした和紙に書かれて巻かれて入れてあったといいます。

手帳にはかかれないで。
これは、何を意味するのでしょうか?

妙法蓮華経の肝心、肝心かなめの肝心ですが、それは、南無妙法蓮華経という
御題目なのです。

「南無」とは帰依するという意味のサンスクリット語です。
心から信じる、という意味です。妙法蓮華経を心から信じるという意味です。
または帰命。いのちが帰るところ、場所です。
私たちは、妙法蓮華経に生まれ、妙法蓮華経に帰るのです。
妙法とは,真理の法です。
それは如来の久遠のいのちであり、法のことなのです。
そして仏とは、私たちです。仏の行いをするとき、私たちが仏なのです。

日蓮聖人の残された手紙、論文それを「御遺文」(ごいぶん)といいますが、
それに文底秘沈の御題目とありますが
お経の底に沈めた秘めた、お題目という意味です。
これこそが日蓮仏教の真髄ですが、賢治もそれに習って、この歌を秘したのでしょう。
大切に秘めたのです。
妙とは、不思議、蘇生を表します。
とてつもなく永い時間を過ぎて、この妙法蓮華経に出会えた喜び、それを、たいせつに生きた証なのです。賢治の父親は熱心な浄土真宗の信者で、賢治が法華経を薦めても受け入れてもらえませんでした。その両親に、遺書でこのように書いています。
父上様、母上様
この一生の間どんな子供も受けないような厚いご恩をいただきながら、いつも我慢で御心に背きとうとうこんなことになりました。今生で万分の一もついにお返しできませんでしたご恩はきっと次の生又次の生でご報じいたしたいとそれのみを念願いたします。どうか信仰というのでなくても
お題目で私を呼び出してください。そのお題目で絶えずおわび申し上げお答えします。」
死の前に、父親に法華経一千部を印刷して、生前親しかった人にあげて欲しいといい、父親はそのようにしました。
後になってからですが、昭和26年宮沢家は日蓮宗に改宗しました。
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