Rule 規則

    (32)副底 and 刻子符


雀話26「麻雀の謎を解く」で、麻雀四季報創刊号(H16/6)記載の、
断幺牌の暗刻が4符なのは各プレーヤーの持ち点が1符。それが4人分なので4符

断幺牌の明刻が2符なのは、相手の持ち点1符に自分の持ち点1符がプラスされて2符

副底の20符は、アガリ形5種X対局者4人からきている」という説を批判した。批判しっぱなしではよろしくないので、σ(-_-)の考えを。

 では刻子や槓子の符は、どのようにして成り立っているのか
 これは別に説というような問題ではない。単純に麻雀の符=点数は、2の累乗から成り立っているというだけ。“それは浅見説だろう”って云うのは勘弁しちくれ。誰がどう見たってそうなっている。異説を唱えようがない.....(^-^;

1 ×2= 2符
2 ×2= 4符
4 ×2= 8符
8 ×2=16符
16×2=32符

 スタートはであるから、組み合わせが容易な断幺牌(タンヤオハイ)明刻(ミンコ)翻牌(ファンパイ)の対子、あるいは辺張、嵌張、単騎、ツモなどは、1×2で2符。
※中国古典麻雀においては搶槓(チャンカン)。双碰胡(シャンポンホ)も2符役であった。(榛原茂樹「想定寧波ルール」)

 暗刻明刻よりできにくいので、断幺牌は2×2で4符。、幺九字牌断幺牌より種類が少ないので、その明刻も2×2で4符。
※中国古典麻雀においては対々胡・嶺上開花・海底撈月・金鶏奪食も4符役であった。(同)
以下、組み合わせの難度に応じて2の累乗としてゆく。

 もちろんこうして算出された連底(副底と小符の合計点)を、さらにアガリ役の数だけ2の累乗して(千点、2千点、4千点....)得点を算出する。

 では、なぜ麻雀の点数計算は2の累乗で算出するのか。
 そりゃあ、1の累乗では意味がない。3の累乗では、そろばんの達人でもなければ計算できない。(^-^;

八索八索二萬三萬五筒六筒七筒七萬八萬九萬裏向き一筒一筒裏向きのリーチのみを四萬でロンアガリすると、普通なら(2の累乗)3400点(親)。3の累乗だと136,080点。(^-^;

副底はなぜ20符なのか

 これについては、麻雀点数論(1)で詳述したが、簡単に再録する。
 副底とは、連底(レンテー=小符合計点)の土台となる符のこと。では、そもそもこの副底は、なぜ存在したのか。

 中国古典麻雀には日本の一般麻雀のように一翻縛りというルールはない(現在の中国公式ルールには、一翻縛りに似た8点縛りがある)。そしてむかしピンフは1雀4面子という条件を満たしただけの無翻で小符無しのアガリであった。

 そこでピンフをアガった場合、副底が無ければ得点はゼロとなる。しかし麻雀では1雀頭4面子を他に先駆けて完成させるという点にも重要な意味がある。そこでアガリ賃としての副底が存在した。

 そして中村徳三郎、榛原茂樹等、先人の研究から明らかなように1850年頃の中国古典麻雀の成立当時、発祥の地といわれる寧波(ニンポー)地方(現在の浙江省地方)では10副底であった。しかし中国古典麻雀では、符役が主体で翻役は非常に少なかった。そこで副底の大小=得点の大小であった。
※翻役としては混一色・清一色・対々和ていどで、あとは大三元・四喜和・九連宝灯などの役満があるだけであった。

 当時の麻雀は手役を作るということより、単にアガリということを目標としていた。役も無く小符も少ないアガリであれば、得点はほとんど副底のみによる。そこで副底が大きければ、最大のインパクトであるアガリという状況が発生したとき、アガリに対する見返りは大きくなる。この見返りは大きければ大きいほどよい。そこでやがて北支地方(北京周辺)では、20副底が採用されるようになり、これが主流となった。

 しかしそれでもインパクトが小さいというので、1920年代には四十副底も大分行われていた。
※榛原茂樹「麻雀精通(S4・文藝春秋社)」によれば、40符底は1920年頃、北京に起こったという。

 そしてたちまち天津から満州/山東に広がり、国民党政府の南遷とともに南京/上海/漢口に及んだという。またその流れもあって、1925年頃(大正末期頃)、北京在留の日本人間では60副底ルールも行われていた。しかし全体的にはやはり20副底が優勢であった。
※当時の国民党幹部は、毎日、麻雀三昧であったという。

 麻雀が日本に伝来した当時、すでに10副底・20副底・40副底等、すべての方式が知られたが、当時の採用状況を反映し20副底が主流で普及した。

 1929年4/11、各麻雀団体の代表者が東京丸の内の大阪ビルにあるグリル「レインボー」に集合し、ルール統一問題を話し合った。この時鎌倉派と呼ばれる文士を中心としたグループの主張が大幅に採用されたが、20副底もその一つであった。以後、今日に至るまで日本麻雀は20副底で行われている。

榛原茂樹は、昭和3,4年の段階で、「いずれ40副底が定着してゆくだろう」と予想していた。それは得点インフレ可の風潮を感じ取っての予想であった。しかしアガリ役が多様化すれば、副底を大きくする必要がない。

 古典麻雀で連底が10符も違えば大騒ぎであった。しかし日本の一般麻雀なら、30符五翻と40符五翻の違いは1300点にすぎない(3900vs5200(子))。もう一翻あれば、両方とも8000点(子)である。

 そこで日本麻雀では、副底論議は、まったく起きない状況となっている。純麻雀や中国麻将、さらにはガリサンマにいたっては、副底とか小符そのものがない。

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