先般、麻雀ワールドという雑誌が刊行された。娯楽優先ではあるが、コミック全盛の麻雀メディアの中にあって、貴重な活字系雑誌といえる。カラー写真も豊富で、けっこう元手がかかっているみたい。
#今月号(Vol.2)なんか、チャイナドレス姿で太ももチラリのサービス写真まで載っている。その写真が見たい人は、書店で買ってみてくれ。(^-^;
てな話はさておいて、その麻雀ワールドに「イガリンの日々思うこと」というコラムがある(“イガリン”というのは、五十嵐毅さんのニックネーム)。今月号は“フィリピン麻雀体験記”(みたいなもの)だったけど、内容が興味深かった。
現在、嶺上牌は、次のようになっている。
現在の第1嶺上牌 ドラ 壁牌
↓ ↓
(上段) □□□□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□□□ □□□□□□□
↑ ↑海底牌
現在の第2嶺上牌
しかし、これでは第1嶺上牌がポロリと落ちて見えてしまうことがある。そこで配牌が始まると同時に、第1嶺上牌を下へおろすようにすることもある。
現在の第1嶺上牌 ドラ位置 壁牌
↓ ↓
(上段) ↓ □□□■□□
□□□□□□□
(下段) □□□□□□□□ □□□□□□□
↑
↑海底牌
現在の第2嶺上牌
※古典麻雀にドラは無いけれど、位置関係を明確にするため表示した。
まぁそれはいいけれど、昔は、現在の第1嶺上牌が第2嶺上牌で、第2嶺上牌が第1嶺上牌だった。
本来の第2嶺上牌 ドラ位置 壁牌
↓ ↓
(上段) □□□□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□□□ □□□□□□□
↑ ↑海底牌
本来の第1嶺上牌
“なぜ、そうだったのか”と云うことやら、詳しいことは壁牌論を読んでもらうとして、いずれにしても第1嶺上牌が第2嶺上牌の下になっている。これでは1回目の槓があったとき、第1嶺上牌□をツモりにくい。そこで昔は、開門箇所が決まると同時に嶺上牌を王牌の上に置き直していた。
本来の第1嶺上牌 本来の第2嶺上牌
↓ ↓
□ □ 壁牌
(上段) □□□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□□ □□□□□□□
↑海底牌
壁牌の上にそびえるような感じなので嶺上牌と呼ばれたわけだが、置き直すのは非常にめんどい。そこでいつしか廃れたうえに第1嶺上牌と第2嶺上牌が逆転し、現在の方式となった。これは日本麻雀だけでなく、中国麻将でも同様である。ところがイガリンのフィリピン麻雀体験記によれば、セブ島では、いまでも嶺上牌の置き直しをやっているという。それも、中国や日本の方式とは違い、2段重ねのまま、王牌の上に置き直していたという。
□
□ 壁牌
(上段) □□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□ □□□□□□□
↑海底牌
これはいかにも不安定に見えるが、牌が平たいので、そうでもなかったらしい。いずれにしても、とうの昔に絶滅したと思われていた嶺上牌置き直しが、数千キロの彼方の国でまだ行われていたということがきわめて興味深い。そういう意味で、これは貴重な情報だった。
それはいいけれど、コラムによれば、この嶺上牌置き直しがむかし行われていた方式であることをイガリンは知らなかったという(帰国してから知ったとか)。そこで最初見たときは、「(壁牌(ツモ牌)と間違えて)王牌をツモってしまうのを防止するためか」と思ったという。
そのため第1嶺上牌と第2嶺上牌の位置関係には思いが至らず、そこがどうであったか記されてない。しかし実はそこが重大。
すなわち下図のように、本来の第1嶺上牌を上段にして積んでいたのであれば、中国麻雀伝来の方式が少し形を変えて伝承されていることになる。
本来の第1嶺上牌 → □
本来の第2嶺上牌 → □ 壁牌
(上段) □□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□ □□□□□□□
↑海底牌
しかし下図のように、王牌末尾の上下セットを、そのまま王牌の上に置き直していただけであれば、それこそイガリンが最初思ったように、壁牌(ツモ牌)と間違えて)王牌をツモってしまうのを防止するためと云うほどの意味しかない。
本来の第2嶺上牌 → □
本来の第1嶺上牌 → □ 壁牌
(上段) □□■□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□ □□□□□□□
↑海底牌
さてどうであったのか、研究者としては、そこがもっとも気になる。(_
_;
#第1嶺上牌と第2嶺上牌の上下を組み直してから置き直すのであれば、手間が一つ余分になる。何も知らない人が、嶺上牌置き直しの前に上下組み直しが行われるのを見れば、(何をしているんだろう)と疑問に思う。しかしコラムには上下組み直しについては、何の記述もない。
そこで最初の槓があったとき、第1嶺上牌をとりやすくするために行われていたのではなく、単に壁牌(ツモ牌)と間違えて)王牌をツモってしまうのを防止するため行われていた可能性がある....
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