Manner 牌品

     (21)闘牌フォーム 3


麻雀の殿堂で紹介した空閑緑の論考。その3
※麻雀専門誌「麻雀春秋(昭和6年2月号、日本麻雀連盟刊)」掲載。

 1,930AP(昭5)の論考なので、原文は旧漢字や旧仮名使いであるが、新漢字・新仮名使いに直したところもある。また不明瞭な箇所や読句点なども修正した。

 それにしても今回の「和了の表示」の論考は、いかにも麻雀揺籃期らしい雰囲気に満ちている(-_-)

第七 競技心得
(和了の表示)

 麻雀では1局ごとに「上がり」が至上であり、「勝ち」であることを原則とせねばならぬ。この上がることを和了といふ。「」の発音は北京音で「ホー」、山東、満州方面でも同じ発音で、上海では「ウー」である。

 「ろん」といふ掛け声も教えられているが、これに「」といふ文字を用いることは林茂光氏の独創にかかるといふ。しからば和了の意志を表示するに、他にいかような方法があるかといえば、自己の待っている上がり牌がでると、「ソレ」と云って上がりを示す。これはずいぶん流行しているが、おそらく菊池 寛氏あたりが元祖らしい。

 また「ポン」と云って上がりを示す人もいる。これに対しては「上がりの形が双ポンで無いときでさえポンと掛け声して上がるのは不都合だ」と非難する声がある。しかしこれを慣行している雀士は「その牌でアガリとは信ずるが、なほ錯和しない用心のため、“待った”の意味で“ポン”と声をかけておく。そして素早く手牌、聴牌の間違ひなきかを熟視し、大丈夫と確かめた上で和了の意思表示をするため」との弁解している。

 習慣をなほすことができればこれに越したことはあるまいが、習慣を改めにくい人に対して、「その掛け声は雀品上、大いに見劣りするから全廃した方がいい」と強いると、成績にどんなに悪い影響を及ぼすかもしれない。そこで「ポンはポン以外用いない。しかし“和了”のときは“和了”と声をかけることを原則とするが、他の言葉、または動作による意思表示でも良い」と云ふくらいに、緩和な説を立てておいてはどうであらう。

 実は私自身も、“ポン”と称えて上がりを示す習慣があって、なかなか急に改まりそうもなかった。その後、幾変遷を経て、この頃は和了(ホーラ)とも云わず“ポン”とも云わず、待っている牌が出たら、誰の耳にも目にもはっきり見え、聞こえるやうな和了表示の動作を自分の右手の作用であらはす。

 たとえば私は単騎待ちのとき、上がり牌が出たら自分の単騎牌を手牌前の右方に持ってゆき、それで卓を軽く叩いてから開き、そのあとで手牌全部を一斉に仰向けて点数を云ふ。嵌張なら、その嵌張の両端のいずれかを1枚持ってゆくし、双ポンなら、双ポンのいずれか1枚を持ってゆく。

 上がり牌が出たときは、軽く「ウム」とうなづいているくらいで、その声は他の人にはよく通じないかもしれない。しかし掛け声と同時にはっきり和了と見て取れる所作をしている。そしてともかく上がり牌の関係牌を1枚を持っていって、前記のような動作をする。

 川崎七段は、ほとんど掛け声をしない。待っている牌が出たら、立ててある手牌の両端に左右の指をかけて全部静かに仰向けて倒し、おもむろに出た牌を引き取って点数を云はれる。川崎さんが競技に参加していると他の3人はいつも緊張しているから、川崎氏の静かな動作にはいつも全部の視線が注がれている。そこで別段ハッキリした声の表示はなくても、和了たることが判然とする。

 総じて上がったときの上がり牌は、必ず自己の手牌の方に持ってきて、これで上がったのだと云ふことをハッキリさせることを和了の必須条件としたい。さもなくば、今の上がりが単吊であったやら双ポンであったのやら両面であったのやら分からないため、他から点数を確かめる手間と、和了の形の不鮮明といふそしりと、いま一つは少牌とみとめられるおそれありといはねばならぬ。

 できれば理牌しないでバラバラに並べてあった牌など、上がりの際にはキチンとそろへて見せて、錯和でないことを他にも確かめさせるやうにするがいい。

さて和了の表示を先に説いて、競技の真髄をあとに回したのは順序が逆のやうであるが、l次には「競技心得」篇のうち、「和了の形」や「競技の形」などを順次、説明しやう。
「以下 次号」

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