(11a)菊池 寛


 文豪、また文藝春秋社の創立者として有名であるが、日本麻雀草創期の重鎮でもある。

 明治21年(1888)12月26日、香川県高松市生まれ。京都大学文学部卒業。時事新報入社。記者活動の傍ら作家活動を行う。

 大正6年、戯曲「父帰る」を新思潮に発表。同4月、同郷の奥村かね子と結婚(30才)。大正7年、「忠直郷行状記」を中央公論に発表。作家としての地位を確立する。大正8年(1919)一月、「恩讐の彼方に(中央公論)」、4月「藤十郎の恋(大阪毎日)」。

 大正12年(1923)、文芸春秋社創設。大正13年、牛込神楽坂のカフェー・プランタンにて麻雀を覚える。大正14年7月、麻雀シーンを取り込んだ小説、「第二の接吻」を朝日新聞に連載(38才)。

 昭和4年、結成された日本麻雀連盟の初代総裁に就任。このとき、「社長とか会長はいくらでもいるが、総裁という役職にはそうなれるものではない。そこで喜んでお引き受けした」とコメントしたという。

 また麻雀が劣勢になると、口をヘの字に結んで一言もしゃべらなかったところから、菊池寛(きくちかん)をもじって、「口きかん」とあだ名されたという。

 文芸春秋社から、「麻雀春秋」という日本最初の麻雀専門誌を発刊。また麻雀牌、麻雀用品の販売も手がけたるなど、麻雀普及に尽力した。

 また昭和10年には今日の文壇の指標である芥川賞、直木賞を創設した。

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