(10a)草鹿三郎
草鹿三郎(くさか さぶろう)は、昭和初期の麻雀数理家で、牌式の創案者である。この牌式の創案により清一色の牌姿分類が一目瞭然となり、清一色のの研究は飛躍的に進んだ。
明治39年、神戸法曹界の重鎮、草鹿甲子太郎(くさかきねたろう)の次男として神戸に生まれた。兄はラバウル守備隊司令官・草鹿仁一海軍中将。
旧三高(現・京都大学教養部)から東京大学文学部美術史学科卒(万葉集研究に打ち込む)。松竹映画入社。友人経営の出版社等を経たのち、昭和10年、神戸へ帰る。
神戸商業大学図書館長等を勤める。第二次大戦が始まるとともに川崎重工業(株)入社。終戦後、自営業。昭和41年2月、61才にて死去。
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